1



身体をびくりと痙攣させながら目を覚ました。
辺りは静かで、どくどく鳴る心臓の音だけが耳元で響く。
目だけ動かすと同室者はこちらに背を向けた状態で眠っている。
安堵し、大きく息を吐き出すようにしながら上半身を起こした。
折った膝の上に肘をつき、汗ばんだ額を拭う。

「…ん」

衣擦れの音と共に彼がこちらにころんと身体を反転させた。白い肌に長く濃い睫と真っ赤で肉厚な唇が幼い印象を与えるが、瞼を開け口を開くと弾丸のように確実に心に刺さる言葉をぶっ刺してくるので油断ならない。
ベッドから降り、彼の傍にしゃがんだ。顔を覗き込み、睫が濡れていないことを確認する。
そりゃそうだ、眠っているのだから。
頭ではわかっているが、最近月島が泣いている夢を頻繁に見るせいで、現実と夢がごっちゃになっている。
それもこれもこいつが意味もわからず自分の前で泣くのが悪い。
ストレスが蓄積されると涙に変えて溢れてくる。身体が勝手にそう判断しただけで、決して感傷的な理由ではないから気にしないでくれ。
本人はそう言うが、本当にそれだけかと疑う自分がいる。
ストレスの発散方法はそれぞれだろうから口を挟むことではないが、彼が受けるストレスの大半は自分が原因ということは確かだ。
何が一番悪いって、泣いてる月島を綺麗だと思う自分だ。
嗜虐的ではないし、わざと泣かせたいなんて思わない。
ただ、密度の濃い睫が雫を含んで重そうになった様は朝露のようで、まるで瞳から宝石を零しているようだった。
気の強そうな挑発的な瞳が頼りなく揺れるのもいい。
反芻しながら目元を指の腹で撫でると、月島が半分瞳を開けた。
何やってんだと自分を叱責しながらぱっと手を離し、悪いと一言呟いた。

「……どうしたの」

「別に」

「…おばけでも見た?」

再び瞳を閉じながらくすりと笑う様子はいつもの意地悪そうな笑みとは違う。
恐らく寝惚けているのだろうが、邪気のない月島は珍しい。

「おいで」

ぐいぐい腕を引かれ、おい、と咎めても月島は離そうとしなかった。

「…よしよし、大丈夫だよ」

胸にすっぽり包まれるようにされ、月島も幼い頃楓さんにこうしてもらっていたのだろうと思う。同じように行動し、不安を取り除こうとしているのだろうが、今の自分にこれはあまりにも酷だ。
ただ嫌いだむかつくくたばれと思っていた時の方が楽だった。
綺麗だとか、可愛げのない憎まれ口が恋しくなるとか、正気の沙汰じゃない。
どうしたんだと自分に問いかけてもまったく答えが見つからない。
ちらりと時計を見ると夜明けまでまだ数時間ある。
こっそり溜め息を吐き、眠れるといいなと情けなく弱気になった。


身体全体に衝撃を感じ、痛いと騒ぎながら起き上がった。

「なんで君が僕のベッドにいるんだよ!」

どうやら床に放り投げられたらしい。
欠伸をしながら月島に視線をやると、口を開けたり閉じたりしながら眉間に皺を寄せている。
昨夜のことはすっかり覚えていないらしい。随分寝惚けていたらしいので然もありなんだが、正直に話したところで絶対に認めないだろう。

「お前が引っ張ったんだよ」

「嘘つくな!僕がそんなことするわけがない!」

ほらな。
面倒になり、それ以上の言葉を呑み込み、洗面所へ向かうと説明しろとぎゃんぎゃんうるさい声を背中に受けた。
朝からよく怒鳴れるよな。呑気に考えながら歯を磨き、顔を洗い、部屋に戻っても月島はそのままの状態で悔しそうに唇を噛んでいる。

「信じなくてもいいけど、本当のことなんで」

シャツに腕を通すと、暫くした後、窺うように本当に?と覗き込まれた。

「俺がお前のベッドに忍び込む理由がねえだろ」

「そ、れは…そうだけど…」

自分が起こしてしまったことは伏せた。
何でそんなことをしたんだと理由を問われても答えられる自信がない。

「…突き飛ばしてくれてよかったのに」

「後が怖いんで」

憎まれ口を叩いたが、心の中では月島の言葉に同調した。
そうできる力があるはずなのにどうしてしなかったのだろう。
窮屈な思いをしないでふざけんなと引っ叩くくらいできるのに。
釦を止めながら、また頭と心が離れていく感覚に嫌気がさした。
行動と気持ちが一致しないのはひどく不快だ。正体不明の靄が充満し、自分を誰かが乗っ取っているような。
月島といるとそれが酷くなるのでなるべく距離を保ちたい。
ネクタイをポケットに突っ込み鞄を拾い上げる。
行ってらっしゃいと小さく呟いた月島に返事はしなかった。


机に頬杖をつき、なんとなしに窓の外を眺めた。

「京、心ここに非ず?」

友人に顔を覗き込まれ、そんなんじゃないと跳ね除ける。

「どうした?落とせない女の子でもできた?」

「その話し詳しく」

ゲームやスマホを弄っていた他の友人まで興味津々な様子で近付いてきたので、そんなわけあるかとそっぽを向いた。

「京がふられる話し大好き!」

「喧嘩売ってんのか」

「だって合コンでお前にばっかり持ってかれるし。京でもふられるんだと思うとスカッとするじゃん?」

「お前は本当に友達なのか?」

それに自分は友人が思う以上によく振られる。
過去の彼女たちもそうだし、楓さんもそうだ。全て兄のせいと結論付けるのは簡単だが、本当はわかっている。自分に魅力がないせいだと。
おかしいな。彼女は大事にしたし、尽くしてきたつもりなのだけど。
足りなかったのだろうかとも思うが、尽くすってなに?と小馬鹿にしそうな兄がモテるのだから世の中間違ってる。

「悩みがあるなら聞くけど」

「悩みってほどじゃない。悪い夢ばっか見るなと思って」

「殺されるとか、追い駆けられるとか?」

「そうじゃねえけど、同じ夢ばっかり…」

「夢は記憶の整理らしいから同じ夢を見るなら余程印象に残ってることなんじゃね?」

呑気な口調で言う友人の顔をまじまじと眺めた。

「なに」

「詳しいなお前」

「妹が一時期夢占いにはまっててさ。うんちく垂れられましたよ」

「その記憶力勉強にも活かせればいいのにな」

むかつくと騒ぐ友人を制し、心はさておき頭は随分と月島の泣き顔を気に入ったらしいと知る。
一人の人間なのに、パーツパーツがちくはぐで振り回される。
もう安眠のために眠剤に手を出したい。
現実でも同室で飽きるくらい見たくもない顔を見ているのに、穏やかな夢の中にまで出てこないでくれ。
がみがみ説教される夢でないだけましかもしれないが、起きた瞬間、妙にそわっと落ち着きない気持ちだけが残るのが鬱陶しい。
なるべく授業中は眠らず、身体を思い切り疲れさせ、夢なんて見る隙間を作らぬようにしよう。
こんなことなら運動部に入部するべきだった。

「遊びに行くぞ」

唐突に友人の肩を掴むと、ノリがいいだけが取り柄の彼らがすぐさま立ち上がった。


散々遊んで夕飯も外で済ませた。
ロビーで友人と別れ、これで今夜は夢を見ないだろうと安堵した。
毎日遊び呆けるわけにもいかないので、ランニングでも始めようか。
つらつらとそんなことを考えながら部屋の扉を開けた。
瞬間、床に引き摺るように持っていた鞄をどさりと落とした。
兄がベッドに腰かけた月島の前に対峙し、腰を折って顎をすくい上げ、至近距離で見つめあっていたからだ。
おまけに月島の眦からは一筋涙が流れている。
怒りが身体の中心で爆発し、大股でそちらに近付いた。
おかえりと呑気に言う兄の胸倉を掴んで壁に押し付ける。

「…なんだよ」

「相手間違ってんじゃねえのか」

「相手?」

「兄貴のこと下半身で物を考える最低の生き物だと思ってたけど、楓さんを裏切るような真似するなら許さねえぞ」

「お前そんな風に思ってたの?傷つくだろ」

「ふざけんな」

「ふざけてねえよ」

余裕綽々の挑発的な笑みに掴んだ胸倉を持ち上げるようにした。

「ちょっと!兄弟喧嘩するなら他でやれよ!」

間に入り、それぞれの胸を押し返す月島にもいらっとした。
兄貴は楓さんの恋人だぞ。正気かよクソビッチと吐き捨てそうになるのを堪える。
今まで散々楓ちゃん、楓ちゃんと懐いてたくせに裏でこんな風に兄貴と密会するなんてあまりにも楓さんが可哀想だ。
裏切りは一人でも辛いのに、大事な二人から同時に裏切られて嗤われていたなんて。
兄は腕を振り払うようにし、腕を掴んで背後に捻じり上げるようにした。
痛みで押し出されるような息が口から漏れ奥歯を噛み締める。

「脳直な性格、早いとこ直した方がいいぞ」

「う、るせ、離せ!」

ぱっと離された手首を擦るように撫でると、兄はひらりと身体を翻して手を振った。

「んじゃ、お大事に」

月島は小さく笑い兄に応えるように手を振った。
ちょっと待てよと一歩踏み出すより前に兄が去り、行き場のない怒りだけが取り残される。

「…腕大丈夫?なんで急に兄弟喧嘩なんか…」

こちらに伸ばした月島の手を思い切り振り払った。
触られるのも嫌だ。
むかつく奴だけど腐った人間だとは思わなかった。
感情を機械のようにコントロールする猫かぶりは奇妙に感じたし、だけど自分の前では素を出してくれるのは許された証だろうとも思った。
なのに、どうしてこんなことに。
月島を上から睥睨すると、涙の痕がしっかり残り、瞳は充血していた。
勝手に兄と月島は共犯だと思っていたが、もしかして兄に脅されたのだろうか。
少しからかって味見してやろうなんて気軽に月島に手を出したなら殺してやる。

「…なにされた」

「なにってなにが?」

「クソ兄貴になにされたか聞いてんだよ!」

「…なにもされてないけど…」

白を切りやがってと思ったが、月島は状況が呑み込めない様子で口をぼんやり開けていた。

「じゃあなんで泣いてんだよ」

首を捻った月島は、暫く考えるようにして大きく息を吐き出した。

「……なるほど。君、妙な勘違いしただろ」

「勘違い…?」

「目に傷ついて涙が止まらなくなったのを香坂さんが見てくれてたんだよ。胸糞悪い勘違いされて気分悪い」

月島の言葉を何度も何度も繰り返し、ゆっくり咀嚼して頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

「……悪い」

「…もういいよ。楓ちゃんが好きな君が見たら早とちりもしょうがないし、むかつくだろうなと思うし」

確かにその通りだ。
あんなに兄を大事にする楓さんを裏切るなんて人のすることじゃないと思った。だけど同時に自分以外の前で涙を見せる月島にむかついた。
自分だけの宝物を兄に無理矢理抉じ開けられたように感じ、それがどうしても我慢ならなかった。
二つの怒りを一つにまとめ、楓さんを理由にしたけれど本音はどちらだったのだろう。自分でもよくわからない。

「だけど僕が楓ちゃんを裏切ることは絶対にないからこれからは変な勘違いしないでくれる」

「……だけど」

だけど、月島は兄に傾いている。
よく懐いているし、兄といると楽なのだといつか言っていた。
それがどういう感情からかはわからないが、月島が素を見せられる人間は限られていて、それが宿敵の兄とくれば焦りから誤解するのも仕方がないというもので。
ちょっと待て、なんで俺が焦る。
段々頭が混乱し始め、パズルのピースがばらばらに散らばっていく。

「だけど、なに?」

「…お前兄貴のこと好きだろ…」

「まあ、嫌いじゃないよ。あ、勿論恋愛感情じゃないから。僕男の人が好きなわけじゃないし」

「俺だってそうだったけど…」

過去楓さんを好きだと思ったし、どこで誰に惹かれるかなんてわからない。
バタフライ効果である日突然なんてこともあり得る。
それに兄は今までことごとく自分の恋人を奪ってきた。だから月島も。
いや、月島は恋人じゃないから奪うとか、奪われるとか、そういう対象ではない。
ああ、だめだ。頭が痛くなってきた。
追い打ちできつい説教を喰らうのだろうと身構えたが、月島は無言のままベッドに腰掛けた。
大人しいなんて変だと思いそちらを見ると、俯きながらしきりに目を気にして擦っている。

「おい、擦るな」

両腕を握ると、大きな瞳から純度の高い透明な宝石がぽろぽろ零れていた。
月島は瞬きを繰り返し、本調子だったらもっと説教してやるのにと憎まれ口を叩いた。

「…悪かったって。後でいくらでも説教されるから今はそれどうにかした方がいい」

「どうにかしたいけど病院はしまっただろうし、明日まで耐えるしかないでしょ」

「目薬買ってくるか?」

「罪滅ぼしでもしようっての」

「そうです」

「珍しく素直じゃん。じゃあ明日病院つきあってよ」

「あ?なんで俺が」

「それでチャラにしてやるって言ってんだよ。本当はめちゃくちゃむかついてるけど。この僕が楓ちゃんを裏切るなんて一瞬でも思われるなんて耐えられない」

「だから悪かったよ」

「じゃあ明日よろしく」

「…一人で病院も行けねえのか」

ぽつりと呟くと凄まじい形相で睨まれた。

「退屈凌ぎになれって言ってんだよ馬鹿」

「はー?そんな顔で馬鹿って言っても可愛いだけですけどー?」

「可愛いってなんだよむかつくな!」

「はいはい、そんだけ元気なら大丈夫だな。さっさと寝ろよ」

「子供扱いすんな!」

まるで小型犬だなと呆れながら月島に背を向け浴室に入った。
洗面台に両手をつき、鏡に映った自分を見詰める。
勘弁してくれよ。
問いかけても鏡の中の自分は何も答えてくれない。
まさか、そんなわけがない。
正常な働きを放棄した感情の妥当な答えは見ぬふりをして、全力で否定する作業にあたる。
まだ大丈夫。一時、悪夢に当てられただけだ。
日常生活を繰り返していれば、月島なんて以前のようにただむかつくだけの存在になるはずなのだ。
そうでなければ困るんだよ。頼むぞ自分。


END

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