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友人と学食の券売機の列に並び、他愛ない話しをしながら笑う。
いつもの日常、いつものルーティン。
昨日は生姜焼きを食べたから今日は魚にしよう。ああ、楓さんが作る料理が恋しくなってきた。
学食も勿論美味しいのだけれど、彼の作る食事が今のところ一番美味しい。自分の母親よりも。

「あ、京の同室君はっけーん」

友人が中庭に面したガラス張りの壁の端を指差し、辿っていくと四人掛けの丸テーブルに一人ぽつんと座って食事をする月島がいた。

「席空いてるし、一緒に食べようか」

「嫌だ。飯が不味くなる」

「なんでだよー。折角同室なんだから仲良くしたらいいのに」

「なら代わってくれよ。月島と同室になって仲良くできる人間がいたらお目にかかってみたいね」

「そんな嫌な奴じゃなさそうなのに。京は好き嫌いが激しいんだよ」

説教を始めた友人の言葉は適当に流す。
皆月島の本性を知らないからそんな呑気なことを言えるのだ。
控えめな笑顔と当たり障りない会話、目立つような行動は控え、真面目で勤勉な優等生。それが学校での月島薫だ。
月島を特別嫌う人間はいないし、特別好きだという人間もいない。
可もなく、不可もなく、あってもいいし、なくてもいい、いてもいいし、いなくてもいい。
そういう中間的な立場を良しとして誰とも深く付き合わない。
確かにその方が彼のためだ。あの性格を知れば一発で虐めの対象にされてしまう。
狭い箱の中にこれだけの人間がいれば、誰かを痛めつけて楽しむような腐った人間もいるのだ。
精神が未発達な少年の加虐性は大人より怖ろしいものがある。
結局月島と離れた席で昼食をとり、次に彼の方を見たときにはもう食堂から去ったようだった。
自分たちもトレイを戻し、自販機で飲み物を買ってから戻ろうといくつか並んでいる自販機の前に立った。

「あ、ミロがない。ミロが」

「それは残念でした。ココア飲めば?」

「ココアとミロは違うじゃん!」

「知らねえよ」

「えー、どうすっかなー…甘いの飲みたいなあ…」

ぶつぶつ言う友人は無視して自分も水にするか、お茶にするか悩んだ。

「…ちょっと」

背後から声を掛けられ咄嗟に振り返ってから後悔する。

「買わないならどいてもらっていい?」

侮蔑を孕んだ瞳で見られ、上から睨むようにした。

「な、なんでメンチ切り合ってんの?仲良くしろよー」

友人は月島と自分の間に割って入るようにし、お互いを順番に見ながらね?と笑った。

「ごめんね。でかいから邪魔で」

月島は外用の笑顔を貼り付け毒を吐いた。

「背伸びないからって俺にあたんなよ」

「別にあたってませんけど!背伸びてほしいなんて思ってないし」

「へえー」

「だから喧嘩すんなってー。俺らは後でいいから月島お先にどうぞ」

「ありがとう」

一歩後ろに引っ張られ、腹の辺りを肘鉄される。

「態度悪いぞ京」

「あいつの方が悪い」

「お互い様。俺嫌なんだよ。誰かが喧嘩とかすんの。胃が痛くなる」

「喧嘩してない。これが普通」

「もー…」

こそこそ話していると、月島が目を大きくしてこちらを振り返った。
二人でぎくりと肩を揺らし、何か文句を言われるのかと身構えると、彼は自販機に表示された数字を指差しその場で小さく跳ねた。

「当たった!」

「……あ、うん」

どうやら自販機の二本目無料サービスを引き当てたらしい。

「何飲む?早く押して!」

ぐいぐいと腕を引かれ、早くしろと急かされたので冷たいココアを押す。
取り出し口からココアの缶を拾い、はい、と満面の笑みで渡され怖すぎて一歩後ずさってしまう。
なんでこんなご機嫌なんだろう。こんな月島見た事ない。怖い。

「……どうも」

「月島初めて当たったの?」

「初めて。本当に当たりってあるんだね。都市伝説かと思ってたよ」

「はは、俺も一回だけあるよ。何にするか悩んでたら勝手に商品落ちてきて、飲めないコーヒーだったから悲しかった」

「三十秒以内に押さないと勝手に決められるんだってよ」

「へえ!そうなんだ。次当たったら焦って押さないとな」

朗らかに談笑するのはいいけれど、そんなにテンション上がることか。
友人に先程のココアを放り投げ、自分は水を購入した。

「俺にくれんの?」

「お前飲みたかったんだろ?ココアで我慢しとけよ」

「京君優しいー。あ、でもこれ月島のだし…」

友人が月島を窺うように下から覗き込むと、彼は遠慮せずどうぞとにっこり笑った。
ペットボトルのキャップを捻りながら友人の肩を叩き行くぞと言う。
傍にいた月島にちらりと視線をやると、怒ったように俯いていたので、面倒に巻き込まれる前に退散した。

「月島いい奴ー」

「餌付けされてるだけじゃん」

「俺なら誰にもやらんって言うもんね」

「ちっさ」

「うるせー」

笑いながら背中に圧し掛かられ、そのまま背負う形で廊下を歩く。
月島は本当にいい奴だと楽しそうにはしゃぐ友人の声は無視をし、先程の彼の笑顔を思い出して身震いした。
何を企んでいたのだろう。自分にあんな邪気のない笑顔を向けるなんて天変地異があってもありえない。
月島はたまに情緒不安定なところがある。
説明できない理由で急に泣いたり、いじけてみたり。
いつものすかした態度よりかは幾分ましなので、面倒だと切り捨てず慰めるが、かと思えば先程のように笑った次には怒ったような表情もする。
本当にわけがわからない。
頭がいい奴の感情はきっと複雑なんだろう。
凡人には理解できない速さで色んなことを考え、処理しきれずに感情が大暴れ。
そんな風に結論付け、友人をどさりと床に落として席に座った。


何処か遊びに行こうと言う友人たちの誘いをだるいの一言で断り、真っ直ぐ寮に帰った。
最後に見た月島の表情がひっかかる。
あれは感情大爆発のサインのような気がする。
そうなると部屋でいじいじ、じめじめ、ベッドに丸まって嵐が過ぎるのを待つ子供のようにして過ごす。
早々に手を打たないと、数日間そのままなんてことになったらさすがに鬱陶しい。
今日はどうやってあやそうか。
そう算段したが、部屋の前で兄と談笑する月島を見つけ瞠目した。予想した姿ではなく、手を口に添えながらくすくす笑っていたから。
随分リラックスしているように見えるし、兄も朗らかに笑いながらぽんと月島の頭を撫でた。
その瞬間、肺の辺りがもやっとした。

「お、珍しく真っ直ぐ帰ってきたのか」

兄に声を掛けられ、こちらに気付いた月島は笑みを消してふん、と顔を背けた。
可愛くない。態度に出すのは結構だが露骨すぎるだろう。
彼らは無視をし、扉の前の月島を腕で押してどかすようにして部屋に入った。
なんだこのもやもやは。イライラする。
鞄をベッドに放り投げ、シャツの釦を開けるという単純作業をしながら頭をがしがしと掻いた。
変に同情などせず、友人と遊びに行けばよかった。
別に頼まれたわけでもないし、自分が勝手に行動しただけ。
なのに裏切られたような気持ちになる。
こんなのおかしい。
月島は小さな子供じゃない。なんでも一人で解決できる。
なのに手を貸さなきゃなんて、大きな勘違いをして。
そもそも自分は月島が苦手だし、あっちも俺が嫌いだ。
苦しもうが、泣こうが、喚こうが、いい気味だと笑うべきだ。
どうして助けなきゃと思うのだろう。
溜め息を零し、中途半端に釦を開けたままベッドに座り頭を抱えた。
扉が開く音がして慌てて顔を上げる。
月島はこちらを一度も見ようとせず、きっちりした部屋着に着替えると椅子に座って教科書を開いた。
完全に無視。
いつもなら、さっきのあれなんだよ。口で言えばいいだろ。すぐ手を出すのは君の悪い癖だ。と説教が始まってもいいのに。
馬鹿馬鹿しい。小言が恋しいなんて。
ベッドから立ち上がり、着替えを済ませて無言で部屋を出た。
目的もなくロビーまで行くと、兄が備え付けられているソファに座りスマホを眺めていた。

「今日はよく会うな」

「会いたくないんですけど」

「かっわいくねえな。まあこっち来いよ」

ちょいちょいと手招きされ、嘆息を零しながら向かい側のソファに着く。
嫌だと逃げれば逃げるほど、おもしろがって追い駆けられるので最初から言う通りにした方がいい。
兄は世界の中心が自分で、それに従わせるためならなんでもする。いや、最近は世界の中心が楓さんで、それに振り回されていると言った方が正しいだろうか。

「……さっき…」

「あ?」

「月島と何話してたの」

「……別に、普通の世間話」

「あ、そう」

重い身体が億劫で、背凭れに深く預けると、兄はふーん、へーえ、と顎に手を添えながらにやにやした。

「なんだよ」

「別に。可愛いなと思って」

「は?可愛くないって言ったり可愛いって言ったり気持ち悪いな」

「基本可愛くないけど、兄的にはどんなに生意気でも弟を放っておけないの。楓と薫もそうだろ」

「楓さんと自分を比べるとか烏滸がましくね?兄としての質が全然違うじゃん」

「やっぱりむかつく」

兄は長い脚で脛を蹴り、痛いと唸ると楽しそうに笑った。

「…なあ京」

「…なに」

「彼女できた?」

「急になんだよ。いませんけど」

「作らないの」

「…今はほしくない」

「まだ楓ひきずってんの」

「そういうわけじゃない。もう二人の邪魔しようなんて思ってねえから安心しろよ」

「そんな心配してねえよ。お前じゃ邪魔にもなんねえし」

「ああそうですか」

「次お前が好きになる奴は俺に惚れないと思うぞ」

「…なに?」

「絶対によそ見なんてしない。だから安心して好きになればいいと思うよお兄ちゃんは」

「なに言ってんの?次俺が誰を好きになるかなんてわかんねえのに」

「俺にはわかるよ」

目を細める兄に思い切り胡散臭いという顔をした。
未来が見えるようになったとかスピリチュアル的な詭弁を言い出したら頭を数発殴って正気に戻さなければ。
思考が筒抜けなのか、兄はけたけた笑った。

「お前昔から本当わかりやすいんだよな。好きな子いじめたい小学生のまま。乱暴に接してこっち見てーって言っても振り向いてもらえねえぞ」

言うだけ言うと兄はすっと立ち上がった。視線の先には楓さんがいる。

「やっと来た」

どうやら待ち合わせをしていたらしい。
楓さんがこちらに気付き、よお、と手を挙げる。小さくそれに応え、大輪の花のような笑顔にささくれ立った心が少し癒された。

「んじゃな。薫に八つ当たりして泣かせんなよ」

ひらりと手を振る兄の背中を眺めた。

「八つ当たりされてんのはこっちだっつーの…」

ぽつりと呟き、答えに辿り着けない思考ばかりが散漫して苛立った。
訳知り顔で好き勝手言いやがって。
気持ちは全然晴れないし、だけどいつまでもここにいるわけにもいかず、重い身体を引き摺って部屋に戻った。
平常心と言い聞かせ、月島の存在はないものとしてゲームでもしよう。
何かに集中していれば晴れない気持ちもいつの間にか霧散する。いつだってそうしてきた。
部屋の前で眉間の皺を指で挟み、気を入れ替えるように顔を上げた。
ゆっくりと扉を開けると、勉強しているはずの月島の姿はなく、代わりにベッドの上がこんもりと丸くなっている。
考える前にそちらに座り、丸い物体を布団の上からぽんと叩いた。
丸はびくりと震え、次にはずびっと鼻を啜る音がした。
また泣いてんのか。
面倒くさ、と思う場面なのに、何故か安堵し笑みが浮かんだ。

「…頭から被って熱くねえの?」

「……熱くない」

くぐもった声を聞き、無理に布団を引き剥がした。
慌てたように手を伸ばす月島は鼻の頭を赤くし、潤んだ瞳を隠すように俯いた。

「今日は何が原因で泣いてんの?」

「花粉症です」

「秋なのに?」

「秋花粉もあるんだよ低能」

「それはすいませんでした」

つんと顎を斜め上に逸らす姿はさっきと同じなのに、受ける印象はまったく違った。
今はむかつくよりも普段通りな姿に安心する方が大きくて、なんだかおかしくて笑ってしまう。人を見下す姿を見て笑うなんていよいよ頭がおかしくなったか。

「なに。笑うなよ」

「いや、月島らしいなと思って」

「な、なにが」

「人を見下してつんとするところ」

「あ……そ、そういうつもりじゃ…」

「低能、って言っておきながら?」

「それは、つい……」

月島はごめん、とか細い、ほとんど息だけの声色で言いながら服をきゅっと掴んだ。

「いいよ。いつものことだし、そんなことで一々怒ってたらお前と同室できねえからな」

励ましたつもりがますます項垂れるようになったので、空気を変えた方がいいかと思い、昼間の友人の様子を話した。
とても喜び、月島はいい奴だと何度も言っていたこと。あいつなら友達になれるのではないかとも。

「…いい人なんだね」

「いい奴だよ。争いを嫌う平和主義。明るいし、気遣わないでいられるだろうし。まあ、だらしないところはあるけど――」

「僕は!」

遮るように言われ、俯いた顔を覗き込むようにした。

「…僕は、君にあげたかった」

「……なにを?」

「初めて当たったの嬉しくて。君に好きなの選んでほしかった」

「…あー、そう」

「特別な気がしたんだ。だって十六年生きてきて初めてのことだったから。でも君は友達にあげてしまって、なんだか悲しくなった。君にあげたかった…」

「それは…悪かった」

何故そこまでして?とわからないことだらけだが、とりあえず場を収めるために謝った。
やはり頭のいい奴の考えることは理解できない。
馬鹿にもわかるように、一つ一つ懇切丁寧に説明されないと、数段飛ばして答えだけ与えられても混乱しかない。
よくわからないが、彼の中では大事なことだったらしい。
数秒悩み、月島の腕を引いて立ち上がった。

「コンビニ行くぞ」

「は?なんで」

「アイス買う。当たりが出るかも」

「別に当たりがほしわけじゃないんだけど」

「まあ、いいじゃん。自販機で当たり出すよりかはアイスの方が出やすそうだし。俺が当たったらお前にやるよ」

「そういうことじゃ…」

月島は、はあー、とわざとらしく溜め息を吐き、わかったよと財布を掴んだ。
どうやら的外れな対応だったらしいが、気分転換になるならいいではないか。
もう一度、昼間のような真っ新な笑顔が見たいなんて、自分の頭も相当沸いていると思った。


END

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