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【京×薫の場合】


眠気眼を擦りながら腕時計で時間を確認すると丑三つ時で、Tシャツの裾部分から手を突っ込んで背中を掻きながらふわっと欠伸をした。
真夜中の学校に忍び込んだのは初めてだ。
退屈を持て余した香坂さんたち他数名が肝試ししようぜ、と言い出したのが事の始まりで、楓ちゃんによって自分と香坂も強制連行され今に至る。
集まったメンバーは見知らぬ人も多く、恐らくは先輩なんだろうなと思う。
クジでペアを決めると言われ、コミュ障が知らぬ人と肝試しって、その方が余程怖いと思ったが、逆らわずに素直に引いた。どうか楓ちゃんとペアになれますようにと願いを込めて。
だけど実際は香坂で、気に食わないのは確かだが見知らぬ先輩よりはましかと納得させた。
一階からスタートし、事前に音楽室に置いている紙を持ち帰ってくることが条件らしい。
何故肝試しイコール音楽室なのだろう。ピアノが鳴るとか、飾ってある作曲家たちの写真の目が動くとか、使い古された怪談に興味はないし、馬鹿馬鹿しいとも思う。
一年だから、という理不尽な理由でトップバッターを命ぜられ、スマホのライトを点灯させ、ついでに言われた通りビデオ通話にして一歩足を踏み出した。

「…香坂行くよ」

「……うん」

香坂は元々口数が多い方ではないが、いつにもまして終始無言なので気味が悪い。
俯きがちに自分の背後をついて来るので、こいつの方が余程幽霊みたいだと思う。
ぺたぺたと静かな校内を歩きながら真っ直ぐ音楽室を目指した。
廊下は非常ベルの真っ赤な明かりでぼんやり照らされ、最奥は避難口誘導灯の緑の灯りで縁取られている。
映画なんかだと廊下の先に少女が立っていたり、あの階段の向こうからゾンビが湧いて出たりするんだろうなあ、なんて考えたが、現実世界でそれはありえない。
ああいうものはエンターテイメントとして見るのは楽しいが、それを現実に引っ張ってくるのはナンセンスだと思う。非科学的だし、悪趣味だ。
幽霊なんてものを見たことはないし、感じたこともない。
いる、いないの談義は悪魔の証明になるのでしないけれど、一切信じていない。
視聴者投稿型のホラー映像なんかも手が加えられているというではないか。
今時、パソコン一つでないものをあるように見せるのは簡単だ。
こんな茶番はさっさと済ませ、寮に戻って眠りたい。
きっと香坂も同じ気持ちのはず。さきほどから無言を貫き酷く不機嫌そうだ。
小さく溜め息を吐きながら階段を上ると、階上でかたん、と何かが揺れる音がした。
その瞬間背後にいた香坂がひしっと背中にひっついた。

「ちょっと、暑いんだけど」

「わかってる」

「わかってるなら離れてくれる」

「わかってる!」

全然わかってないではないか。しかも何故僕がキレられなければいけないのだ。
香坂は俯いた顔を上げようとせず、僕のTシャツをぎゅうっと握るばかりだ。
彼は数回深呼吸した後漸く手を放したので、振り払うようにしながら途中だった階段を上った。
音の正体は不明なままだが、こう広い建物なら隙間風とか、風の通り道次第で物が揺れることもあるだろう。
なんて考えていると、ずっしり重い空気を孕んだ廊下の向こう側から小さな笑い声が聞こえた。
幼い女の子が発する高いソプラノでくすくすと囀るようなそれ。
きっと、香坂さんや木内先輩あたりが仕掛けてきたのだろう。ただ音楽室へ行って帰るだけでは肝試しにならないから。
それにしても、チープな仕掛けだなあと呆れていると、後ろから両肩をがっしり掴まれた。

「さっきからなに!?」

「…いや、だって、なんか聞こえたから…」

「あんなの誰かが流してるに決まってんじゃん」

「…そう、だよな…」

身体を強張らせたままうんともすんとも言わないので、ははーん、と納得した。

「君、さては怖いんだな?」

「こ、怖くない!」

「そんな形して幽霊が怖いなんて知らなかったよ」

「だから怖くない!」

「そもそも信じてるの?そういう非科学的なものを」

「信じるもなにも見たことある」

一瞬きょとんとし、次に腹を抱えて笑った。
あの香坂京が幽霊見たことあるもん、なんておかしくて仕方がない。
幼い子供が言うならまだしも、僕たちは高校生だ。
嘘をつくなとか、馬鹿馬鹿しいと切り捨てたりはしない。見たというなら見たのだろう。幻覚や幻聴や脳の錯覚だとしても本人が信じればソレはいるのだ。だけど、あの香坂がと思うと笑いが込み上げて我慢できない。

「君可愛いところあるじゃん」

「お前信じてねえだろ」

「信じる信じる」

薄らと浮かんだ涙を拭いながら適当に言った。

「まあ、怖いなら捕まっていいよ。僕はそういうの平気だから」

「……むかつく…」

「プライドと、怖いのと、どっちが勝る?僕は君を一人ここに置いていくことだって可能なんだよ」

顎をくいっと斜めに上げながら見下すようにすると、彼は下唇を噛み締めながらも掴んだTシャツを離そうとはしなかった。
折角だから手でも握ってやろうか。くっくと笑いながら幼い少女の笑い声は無視をして目的の場所まで一直線に歩く。
香坂は終始俯いたまま、かたん、と音がするたびこちらに身体を寄せ、小さく息を呑んだ。
音楽室を開け、グランドピアノの上に置かれた紙を開く。
帰りは手を繋いで、と書かれていたので、香坂の左手をぎゅっと握った。

「なんだよ」

「手を繋いで帰って来いって書いてるから」

「あ、そう。なんでもいいから早く帰るぞ」

急かすようにぐいぐいと右手を引かれ呆れた視線をやった。
おばけが怖いなんて、僕はかわいいなと思えるけれど、女の子とのデートで訪れた遊園地でこんな失態は許されないぞ。香坂君って意外と頼りにならないのね…と冷めた目を向けられ試合終了。
自分的には香坂の恋なんて片っ端から千切って投げたいので万々歳だが、本人を想うなら直した方がいいのでは。余計なお世話だろうけれど。

「…痛い」

大股で歩く彼の背中に向かってぽつりと言った。
僕の手をぐるりと一周できるほど大きな手に力が篭りすぎて、指がおかしな方向にひん曲がっている。

「一回離して」

「嫌だ」

「嫌だじゃないよ」

香坂に握られたままじりじりと手を動かし、指と指を絡めるように繋ぎ直した。
所謂恋人繋ぎというやつだ。
彼と手を繋ぐなんて、この先ないだろうからこの機会に便乗させてもらう。棚から牡丹餅、瓢箪から駒、浅みに鯉、なんでもいいが幸運は素直に享受するに限る。
より密着した方が彼も安心できるだろうと思ったが、この握り方で力を込められると指が根本から折れそうになる。

「痛いってば!」

「痛くない」

「いや、痛いんだって!折れるからもう少し力抜いてよ!」

「あと少しだから我慢しろ」

なんて暴君だ。
怖くてしがみ付き、こちらの歩幅も考えずに歩き、痛いと言う相手に我慢しろなんて。
横暴すぎて笑いが込み上げる。

「ふ、ふふ」

「なんだよ」

「余裕のない君はおもしろいなあと思って」

香坂は思い切り眉間に皺を寄せ、ちっと舌打ちして顔を背けた。
そういう反応が可愛いんだけどなあ。
香坂に守られることもあるし、こういう場合は自分が守れる。
ケースバイケースでいいじゃないか。
彼より優位に立てたのが嬉しくて、くだらない肝試しもたまにならいいかと思った。


END

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