例えるならばピンク色





彼らが初めてお店に来たのは蒸し暑い夏の日の夕方だった。
最高気温が更新されたこと、熱中症被害に十分注意することがテレビで繰り返し報じられている。
誰もいない店内のカウンター席に座り、頬杖をつき窓の外に視線をやる。
すべてを溶かす勢いの太陽光に嫌だなあと思い、スーツで歩くサラリーマンに同情した。
退屈。
ぽつりと口の中で呟く。
大学が夏休みに入った途端、どうせ暇でしょう?と母が経営する小さな喫茶店の店番を押し付けられた。
妹の塾や習い事の送り迎えの間だけ、最初はそういう約束だったが、次第にスーパー行く間、家事を済ませる間、友人と遊びに行く間と店番の時間が長くなった。
不満な声を出しながら眉を顰めると、バイト代はちゃんと出すからと拝み手をされ、まあ、休むことなく働いているわけだし、決して安くない学費も出してもらっているし、と親孝行を決めた。
母が指摘するように彼氏もいないので予定は空欄だ。
とはいえ、自分はコーヒー一つまともに淹れたこともない素人で、そんな適当でいいのかと疑問だった。
三時過ぎると暇だから、と言った母の言葉通り、自分が店番をする間はゆったりした時間が流れている。しかし、一応金銭が発生するならばと付け焼刃だが一通りは勉強した。
ふわっと小さな欠伸をし、おしゃれ過ぎず、ださ過ぎない店内をぐるりと見渡す。
まるで自分と一緒だなと自嘲気味な笑みが浮かんだ。
おしゃれではないが、特別ださくもなく、人混みに綺麗に紛れる没個性。
髪を染めればどうにかなるかと思いきや、そんな簡単に変われるはずもなく、女子大生というきらきらした響きに反して地味な生活を続けている。
ぼんやりし、眠気覚ましのアイスコーヒーを淹れるためカウンターの中に入ると、滝の中にいるかのような雨粒が窓を叩いた。
ゲリラ豪雨というやつだ。あまりにひどいとマンホールから水が逆流する。
古い街の下水管は合流式で、逆流した日には臭いがひどいことになる。
うんざりした溜め息を吐くと、店の扉が勢いよく開いた。

「あー、びしょ濡れや」

東京にしては珍しい軽快な関西弁に慌てて顔を上げた。

「い、いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」

然程広くない店内にはカウンター席とテーブル席が三つ。
どうせ閑古鳥が鳴いていたので、客なら誰でもありがたい。
制服のシャツを引っ張って被害を確認する彼らに、高校生のお客さんは珍しいなと一瞬目を見張る。
入り組んだ場所にあるし、若い子が好んで入るような店でもない。
彼らは入口で向かい合ったまま、席に座る気配がなかった。

「お姉さん」

長身の学生がずいとこちらに歩み寄りにっこり笑った。
東城の制服だとすぐにわかり、ということは年下なのだけど、纏う雰囲気や顔の造りに圧倒されたじろぐ。

「こんな格好やけど大丈夫?」

言葉の意味がわからずぽかんとし、すぐに濡れ鼠だけど平気かという意味だとわかり勿論ですと頷いた。

「あ、よろしければタオルお貸ししますか?」

「ええの?」

「はい」

「秀吉くん、いくらなんでもそれは図々しくない?」

後ろに控えていたもう一人が顔を出し、これまた息を呑んだ。
髪が金色で、肌は白磁のように真っ白で、極めつけに瞳の色がブルーだ。
外国人かと思ったが、しっかりした日本語だったのでハーフかなにかと判断した。
最近の高校生はすごい。
自分と一つか、二つしか離れていないくせに、おばさんのように思う。

「だ、大丈夫です。上が住居なので。すぐにお持ちします」

「すみません、ありがとうございます」

金色を撒き散らす彼が柔和に微笑み、引きつった笑顔で返した。
階段を上りながら大きく鳴る心臓を服の上から鷲掴む。
高校時代、イケメンと持て囃される同級生や先輩はたくさんいた。
自分は勿論遠くから眺める程度で、住む世界が違う人だと決めつけ話したことすらない。だけど彼らはその誰よりも男性として美しかった。
すごいものを見たと興奮し、そういった人種と関わることがなかったので緊張がピークに達する。
タオルを二枚掴み、客と店主という関係で緊張もなにもないよなと我に返り、一階に戻る。
彼らはまだ入り口に突っ立って店内をなるべく汚さぬよう気を遣っていて、最近の若い子はすごい、ともう一度思う。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

二人はしっかり礼を言い、身体を拭くと洗って返すと言うので、そこまでしなくていいと制した。
彼らはカウンター席を選んだので、テーブル席が空いてるからそちらにどうぞと声をかけると、でも制服がまだ濡れているからと言った。
テーブル席の椅子は布製だが、カウンターの椅子はビニールで覆われている。
店員に横暴な態度をとる人間もいる世の中、そういう人たちは彼らを見習ってほしいと思う。
紙のメニューを広げ、彼らは肩を寄せ合うように覗き込みながらなににする?と悩み始めた。

「悩むなあ……」

金色の彼が言うと、

「たまには紅茶以外もええんちゃう?」

ともう一人の子が言い、暫くそうやってああでもない、こうでもないと悩み、結局金色の彼はロイヤルミルクティー、もう一人の関西弁の子はアイスコーヒーに決めたらしい。ついでにショートケーキとこの時期限定の桃のゼリー。
注文を受け、丁寧に用意をしながら、そういえば東城はイケメンが多いと専らの噂だったことを思い出す。
クラスでも東城の生徒と交際していた子が何人かいた。
男子校で生徒数も多い。となれば顔の造形が良い人間の割合も必然的に上がるのだろう。
一度、目の保養に東城の学園祭に行こうと友人に誘われたことがあったが、それをやんわりと断った。
今思えば行っておけばよかったと思うし、こんな幸運があるなら店番も悪くないかも、と現金なことを思う。

「お待たせしました」

カウンターに注文の品を並べ、洗い物を始める。距離が近いため自然と彼らの会話が耳に入る。
金色の彼は美味しいと嬉しそうに言い、もう一人の彼がよかったと優しい声色で返す。
先輩、と呼んでいるので上下関係のある関係なのだと知る。
そういえばネクタイの色が違う。
洗い物を済ませて顔を上げると、桃のゼリーをスプーンで掬った後輩が、先輩である金色の彼にあーん、と言いながら口に突っ込んでいた。
ぎょっとしつつ、これくらいのスキンシップは当然かと思い直す。
ただ、スプーンを向けられ小さく開いた薄いピンク色の唇があまりにも扇情的だったので、見てはいけないものを見た気になった。

「うまいやろ?」

「うん、美味しい。さっぱりして夏にぴったり」

「今度作って」

「無理だよ。お菓子なんて作ったことない」

「器用やから作れるよ。お願い」

「もー……」

呆れたような声色にはじんわりとした甘さが含まれていた。

「あとこの前作ってくれたやつも」

「ティーサングリア?」

「それそれ。うまかった」

「秀吉君はなんでもうまいで片付けるからなあ……」

「そんなことないって。お礼もします」

「なにをしてくれるのかな?」

蠱惑的な笑みにぼうっと見惚れてしまう。
客をじっとり見るなんて失礼にあたると慌てて視線を逸らしたが、耳はそちらに向かってしまう。出刃ガメのようで申し訳ないし、いやらしいと呆れるが、こんな機会はもう一生ないだろうし許してほしい。
雨が止むと彼らはタオルの礼と、美味しかったと一言残して去っていった。
ああ、さようなら、私の王子様たち。
勝手に悲劇のヒロインを演じ、まさしく王子だったなと改めて思う。
タイプは違うが、どちらもテレビの中か、雑誌の中にいる芸能人のようだった。
慌てて友人にすごい人が来たとラインを入れ、その夜は今日あった出来事を電話で話した。
羨ましいー、と言う友人にそうでしょうと頷き、まあ、もう二度と会うこともないだろうけど、と少し寂しくなる。
しかし、予想に反して彼らはちょくちょく顔を出してくれるようになった。
決まってカウンター席に並んで座り、余程ゼリーが気に入ったのか、毎回頼んでうまい、うまいと笑みを作る。
懐っこい関西弁は気を解してくれ、小さな会話を交わすことも増えた。
彼らは自分のことをお姉さん、と呼び、自分は彼らを苗字で呼ぶ。
店に立つのが楽しくなって、夕方が近付くと母がいてもお構いなしで陣取った。
夏期限定のバイトのつもりだったが、今ではやめるのが惜しくなっている。
別に彼らとどうこうなりたいと思っているわけではない。
ただ、高校生と話す機会は滅多にないし、そして女性は美しいモノが好きな生き物だ。
宝石や、洋服、鞄に、靴、化粧品や星。それらのなにより彼らは美しいのだ。
母は持前の明るさと接客業で身に着けた話術で彼らにするりと溶け込んだ。
母のコミュ力の高さは見習いたいものだ。

「最近の子は綺麗ねー」

「はは、言うたらあかんよ。先輩綺麗って言われるとむっとするから」

「しないよ」

「するやん」

「年上の女性に言われると悪い気はしないかな?」

「まあ!おばちゃん心が若返ったわ!」

「おばちゃんだなんて。若くてお綺麗ですよ」

「やだー」

ばしばしと肩を叩く様はまさにおばちゃんなのだが、彼らは気に障った様子もなく笑顔を見せた。
そんな風に過ごし、彼らがやって来る時間になると時計を気にするようになり、扉が開く音がすると期待をしながら振り返るのが日常になった。

「いらっしゃいませ」

甲斐田くんに言うと、彼は右手を挙げて笑顔を見せた。
神谷くんの姿を探したが、今日は別の子が隣に並んでいた。
片目が前髪に隠れた長身と、ふんわりした猫っ毛に黒目が大きい子。
二人に比べて頭一つ分身長の低い子を真ん中にして、いつもと同じようにカウンターに着いた。
三人ならば気を遣わないでテーブル席でいいのに。勧めることは簡単だが、あえて口にしなかった。

「桃のゼリーがほんまにうまい」

「わあ。楽しみだなあ。じゃあ僕それ食べる」

「三上は?」

「俺はコーヒーだけでいい」

「じゃあ僕が一口あげるね。あ、でも、三上の一口は大きいからなあ……」

「そしたら俺のあげるから」

甲斐田君はくしゃりと猫っ毛な髪を撫で、大きく口を開けて笑った。
注文された品を用意しながら、またタイプの違う子を連れてきたなと思う。
甲斐田くんも神谷くんも柔和で礼儀正しく、威圧感のない子だが、黒髪の子は話し掛けんなオーラが半端ない。
猫っ毛の子はなんとなく、自分と近いものを感じた。
派手でもなく、特別地味でもない、人混みに綺麗に紛れる没個性。
自分と違うのはころころ変わる表情と、愛くるしい笑顔だ。
例えるなら、ぶさかわいいと言われる犬のような。
美しくはないが腕に抱きしめたくなる愛くるしさ。そういうものを感じる。
客を勝手にレッテル貼りするなど失礼にもほどがあると思うけど、これも接客業の楽しさの一端だ。
カウンターに注文の品を並べると、猫っ毛の彼がきらきらと目を輝かせ、ゼリーを眺め綺麗な色だと言った。
思ったことがするりと表情と言葉にできる。そういう人間は案外少ない。つられて自分もふっと笑顔になる。

「いただいます」

しっかりと両手をあわせてからゼリーを掬い、口に入れると美味しいと顔をくしゃりとして笑った。

「せやろ?」

「今までで一番美味しい!」

「だってさ」

甲斐田君に顔を向けられ、ありがとうと笑った。

「三上も食べる?あーん」

透明のピンク色を黒髪の彼に差し出すと、彼は躊躇せずスプーンをがぶっと口に入れた。
最近の高校生にとってあーん、は普通なのだろうか。
最初に来たとき、甲斐田くんと神谷くんもそうしていた。
自分も友人とよくやるけれど、男の子がやると妙にどきどきしてしまう。なんだろう、この感覚は。

「美味しいでしょ?」

「うん」

「もっと食べる?」

「もういい」

「なんで」

「一口がでかいって文句言われるから」

「も、もう一個注文すればいいし」

「いいよ。十分」

黒髪の子はあまり甘い物が得意ではないらしい。アイスコーヒーもブラックのままだ。
甲斐田くんはくすくす笑い、カウンターに頬杖をついて二人を覗き込むようにした。

「三上は泉と話すとき、口調が柔らかくなるなあ」

二人は顔を見合わせたあと首を捻った。

「そんなことないと思うけど……。相変わらずの塩対応だし」

「三上がうん、って言ってんの初めて聞いた」

「そんなに言わない?」

「普通に言ってる」

「いーや、初めて聞いた。絶対」

「甲斐田くんがそう言うなら本当に初めて聞いたんだろうね」

「いや言ってる。絶対言ってる」

そこから、言った、言わないの水掛け論になり、猫っ毛の彼がまあまあととりなした。
小さなことでむきになるのは年下らしくて可愛らしい。
甲斐田くんにとってこの二人が同級生だからか、神谷くんと一緒にいるときとはまた違った顔に見えた。
歳相応というか、気が抜けているというか。

「確かに三上は、ああ、とか、ひどいときは返事もしないしね」

「せや。お前せめて返事くらいしろや」

「してる。心の中で」

「心の中でしても声に出さんと意味ないやろ。泉こいつな、おやすみって言っても無視すんねんで」

「えー、それはひどいなあ」

「だから、心の中で返事してるって」

「既読無視みたいなもんやろ」

「三上ラインも既読無視得意だしね」

「返事かえってきたらすごいもんな」

「返事がほしけりゃそれなりの内容送ってこい。くっだらねえことばっか送ってきやがって」

「この前むかついたからスタンプ連打したら部屋ばーん、開けてうるせえってめっちゃ怒られた」

「ていうか、同じ部屋なんだから直接話せばいいんじゃ……?」

「いやー、隣の寝室まで行くのもだるいみたいなときあるやろ?」

「僕はない、かな。普通に蓮の部屋行くし……」

「あるやんなあ?」

甲斐田君が黒髪の子に同意を求めると、彼も頷いた。

「それは三上だからでしょ。神谷先輩と同室だったら用がなくても部屋まで行くじゃん絶対」

「行くな」

「お前よく鬱陶しいって言われねえな」

「先輩は三上と違って心が広いんですー」

「口に出さないだけで不満たまってんじゃねえの?そのうち大爆発して暫く話し掛けないでとか言われんぞ」

「え、ほんまに?俺そんなに鬱陶しい?」

「僕は自分の方が鬱陶しいからなんとも言えない」

「せやな。俺以上に鬱陶しい泉が愛想尽かされとらんから大丈夫や」

甲斐田くんはあはは、と笑い、猫っ毛の彼はがっくり肩を落とした。
ピンポン玉を転がすように軽快に会話を繋げる様子が楽しかった。
高校時代、クラスの男子が話していてもうるさいなとしか思わなかったが、今は眩しく見える。歳をとった証拠だろうか。
大きく口を開けて笑う姿が可愛くて、だけど捲ったシャツから覗く腕はしっかりとした男らしさで、ああ、子供と大人が半々だから彼らは美しく見えるのだなと合点がいった。
あやふやで、混じり合って、危なっかしく、限りのあるもの。
脱皮した蝶のように、いつかは完全な男になる。
そうなるまであと数年。限りある時間を人間は尊ぶのだろう。
しみじみ考えていると、甲斐田くんがお手洗いに立ち、猫っ毛の彼が食べかけだったゼリーをぱくっと口に含み、またにっこり笑った。
もう一度ゼリーをスプーンに掬った腕を隣の彼が握り、自分の方に引き寄せ至近距離でそれを奪うように食べた。

「あー!」

「うまい」

「一口だけでいいってさっき言ったくせに……」

「あんま食うと太るぞ」

「ふ、太らない。毎日筋トレしてる。絶対に三上より消費カロリー多いし」

「知ってるか?筋肉ある方が何もしなくても消費カロリー多いんだぞ」

「どういうこと?」

「動いてるお前より何もしてない俺の方が消費カロリー多いってこと」

「今に見てろよ!むきむきマッチョになってやる……」

「叶わない夢は寝てるときだけにしろよ」

「き、木内先輩に弟子入りしてやるからな!」

「遊ばれて終わるぞ」

甲斐田くんが戻ると、猫っ毛の彼は甲斐田くんに聞いてよー、と泣きついた。
子猫がじゃれ合っているようで微笑ましい。
次はどんな子を連れて来てくれるだろうか。新しい楽しみが増え、グラスを拭きながらこっそり笑った。


END

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