ネオテニー


ソファに座り、片手にカップを握りながらスマホを眺めた。
真琴から一切連絡がない。何度メールを確認しても同じ。
三上と喧嘩したと無理に口にさせた日、わからなかったら聞けと言ったはずで、真琴のことだから二日もすれば泣きついてくると思ったのに。
あれからどれくらい経っただろう。
頭の中で数え、まさか仲直りができなかった挙句部屋の中で腐っているのではと嫌な想像をした。
三上は一度へそを曲げると面倒くさそうだし、譲歩しきっかけを渡すような奴でもない。
謝るなんて以ての外と言いそうだし、真琴からの謝罪も拒否しそうだ。
確かに今回の件は三上に同情する。つきあっている相手から浮気?好きにすれば?なんて言われた日には落ち込みが怒りに変わるのも理解できる。
だからといって疑心暗鬼になってほしいわけではないが、多少の束縛を愛されてる証拠と目印にしたくもなるだろう。
心は見えないし、男同士なら尚更なにかにつけて意味を持たせないと簡単に足元がぐらつく。
だから確かに真琴も悪い。悪いが、そうせざるを得ない今までの経験や彼の臆病さを理解し、情状酌量の余地ありと判断してもいいのでは。
自分なら。自分ならもっと上手に扱えるのに。上手に扱えない三上だからこそ真琴が夢中になるのだけど。
勝手に想像し、勝手にむかむかする。
だからあの男が嫌いだ。
知ってか知らずか、彼の行動や言動は真琴のような人間を執着させる。
被虐心を奥底に燻らせ、包んでほしいけど罰してほしいと願うような人間。
凹凸がぴたりと合わさることはないのに、その隙間がどうしようもなく愛おしいのだと笑って。
三上の冷たい態度に傷つくふりして安堵し、たまに握られる手に温かさを感じ、徒に離されるともっとくださいと足元に跪く。
考えれば考えるほど、真琴という人間が歪に出来上がっていると思うが、人間は綺麗な丸ではない。どこかが必ず欠けているし、恐らく自分はそれが顕著な人間が好きなのだ。
櫻井先輩を思い出し、だからこそ彼にちょっかいを出すのだろうなと息を吐き出した。彼も真琴に負けず劣らず歪な形で固まってしまった人間だから。
カップをテーブルに置いて立ち上がった。
真琴が部屋の隅で腐っていたらどうにか仲裁をしてやろう。
三上となんか別れてしまえと思うのと同じくらい、やっと掴んだ拠り所を失くしてほしくないとも思う。ああ、自分もなかなかに面倒な人間だ。
真琴の部屋の扉をノックすると、意外にも明るい声で返事があった。

「学?久しぶりー…でもないか」

にかっと笑った顔は艶々していて、どんより重い空気を纏っているのだろうなという予想は崩れた。
よかったと安堵し、久しぶりの笑顔につられ、こちらも自然と口が笑みの形になる。

「入って入って」

ちらっと中を覗いたが三上の姿はない。
テーブルの上にはグラスに汗をかいた麦茶と休暇中の課題。
ソファに着くとアイスコーヒーを手渡された。

「ありがとう。ちゃんと勉強して偉いな」

「当然ですよ。成績は落とせないからね。学はやってる?遊んでばっかじゃだめだよ」

「あー、まあ、俺はラストスパートが得意な方だから」

「なーんで甲斐田君と学はそうなのかなー。それで頭いいからずるいよね」

口を尖らせながら麦茶を口にし、毎日暑いねえと言う表情はどこかすっきりして見えた。
自分が知らないだけでちゃんと仲直りができたのだろうか。
三上に泣いて縋ったか。それとも理由を理解し、きちんと話し合ったか。
どちらにせよ、三上がこれで終いと言わなくてよかった。
いや、真琴のことだから辛いときほど無理に頑張る癖を発揮しているのでは。
どう話すべきかと探っていると、真琴がソファから降りテーブルの前に正座しペンを握り直した。
VネックのTシャツから覗いたうなじにかかる柔らかそうな髪をぼんやり眺め、首を捻った。
首の付け根に噛み痕のようなものがある。薄らと赤紫になったそれは確かに歯型だ。
ん?ん?と疑問に答えを見つけられぬまま、襟をこちら側に引いた。

「わっ」

なにするんだと言う言葉も無視をして、ぽっかり空いた隙間から背中を眺めると、他にも噛み痕と、赤く鬱血した痕が散らばっている。
これは……恐らくはそういうあれだ。
語彙力が極端に低くなる。客観的な判断で答えはわかっているのに認めたくない感情が邪魔をする。

「…真琴ちょっとこっち見て」

「なんだよもう」

こちらに向き合った真琴をまじまじと観察したが、正面から見えるところには痕跡がない。
べらっとTシャツを捲ると脇腹と腰の側面に少しだけ。
本人からも他人からも目につきにくい場所に残すのがむかつく。
噛み痕もTシャツならぎりぎり見えてもシャツを着れば隠れるだろう。服を脱ぎ、かつ他人の目でなければ確認できないというのは無言の牽制だ。
あからさまではないそれに、手慣れてますってか、ああ、そうですかと無駄に苛立つ。

「…学?どした?」

何も知らずにぽかんとする真琴の肩を掴み、がくがく揺さ振った。

「真琴、お前、お前…」

「な、なに!」

目が廻ると言われぱっと手を放す。
眉間を摘み、大きく溜め息を吐いた。
仲直りできてるかな、なんて勝手な親切心で心配したが、仲直りはおろか、一線越えていたなんて。
いや、恋人同士なのだからそうなって当然だ。真琴もさぞかし嬉しいだろう。ノンケの三上が欲望の対象にしてくれたのだ。
だからあんなに艶々で幸せいっぱいな雰囲気を纏っていたのだ。
無理なんてしてなかった。よかった、よかった、真琴は幸福なのだ。なんて思えるか。

「…三上の野郎、意外と手が早かったな…」

ぼそりと呟くと、真琴は呑気になんだって?と聞き返した。

「手鏡ある?」

「え、手鏡…?どっかにあったと思うけど」

テレビ横のチェストの引き出しをひっくり返し、あったと喜ぶ真琴の腕をとり洗面台の前に立たせた。
無理にTシャツを脱がせ、合わせ鏡をし、こっちを見ろと言ってやる。

「これ、見えるか?噛み痕」

「…噛み痕ぉ?」

「肩にもある。それから腰やら背中に……捻ると見えるだろ」

「え、わ、なんだこれ!」

「こっちのセリフだ」

はあ、と溜め息を吐く。どうやったら消えるのと涙目になる真琴を可愛いなと思うと同時、三上を思い切りぶん殴りたくなる。

「時間が経てば消えるけど、おばさんや真衣さんの前では服脱ぐなよ」

「…うん?」

しょんぼりさせてしまったので、怒ってるわけじゃないと頭を撫でた。
そう、真琴には怒ってない。怒りはすべて三上に向ける。純真無垢で無知な真琴を土足で踏み荒らしやがって。
三上ならもう少し優しく丁寧に初心者向けのセックスができるだろう。
娘が他の男にとられたようなショックと、そういうことに興味を持つお年頃だもんなと納得させる自分と、だけど三上殺すと無条件で苛々する自分とで、頭の中がごちゃごちゃだ。
なんだかひどく疲れてしまい、鏡を見ながらどうしようと涙目になる真琴を背後から包むように洗面台に手をついた。

「学、これ治るよね?」

「……大丈夫、だと思います…」

何度目かもわからない溜め息を吐くと、背後から肩を引かれた。
驚きながら振り返ると、絶対零度の視線を向ける三上と目が合った。
ああ、妙な場面を見られてしまった。真琴は上半身裸だし、後ろから抱き締めているように見えただろうか。
誤解だ、とすぐに口にすることはできるが、悔しいので口端を持ち上げ対峙した。

「なに」

「お前…」

胸倉を掴まれたので掴み返してやると、三上に気付いた真琴が彼の服を引っ張った。

「三上見てよこれ!虫刺されかな?蚊?ダニ?なんだと思う!?」

その言葉に目を丸くしたのは三上も自分も同時だった。

「病院行った方いい?」

そんな様子に闘志が萎れていく。恐らく三上も。
互いに胸倉を掴んでいた手を放し、三上の肩をぽんと叩いた。

「こういうところが可愛いよな」

「可愛くねえよアホか」

「あー、三上殴りたい」

「あ?」

「俺の気持ちわかるだろ?妹さんがこんな風になってたらどうよ」

「許さん」

「だろ?お前そんな顔して噛み癖あるとか引くわ」

「うるせえな」

「せめてもっと大事にしてくれよ」

最大限の譲歩と思いながら言ったが、三上は珍しくふっと皮肉が篭った顔で笑った。

「泉は気持ちいいだけじゃ足りねえってよ」

この野郎。二発、いや、三発は殴ろう。

「そう思ってるだけでお前の性的嗜好だろ」

「さあ?聞いてみれば?」

当の本人に視線を移したが、真琴は相変わらず薬買いに行こうかなあとぶつぶつ言いながら一人で悩んでいた。
二人の空気が甘ったるく、気が抜けたものになっているのを感じ、居た堪れなくなる。
苛立ちや悔しさを身体の内に溜めたままにしてられず、三上の肩を思い切り殴った。

「お、前っ…」

「それで勘弁してやる。じゃあな」

反撃される前にひらりと脱衣所から抜け、部屋の扉を閉めた。
理不尽な怒りだとわかっているが、真琴に関しては恋愛感情抜きでも心配だし、大切だし、一番の宝物だ。
幼い頃からそうやって真琴の隣にいたので、他の感情で彼の傍にいる方法がわからない。
ずんずんと大股で廊下を歩き、舌打ちしたいのを堪えながらスマホをぎゅっと握る。
常に鍵のかかっていない扉を乱暴に開けると、散らかった部屋の中、浮島のようになったソファに座る先輩がびくりと肩を揺らした。

「な、なんだよ麻生。びっくりさせんな」

床に放り投げられた衣服や紙屑を踏んで、ソファの上にもこんもりたまったゴミを床に落とした。
出来上がったスペースに座り、彼の硬い太腿に頬を乗せる。

「…なに。どうしたんだよ」

薄い腹に顔を埋め、彼のシャツをぎゅっと掴んだ。
最初は緊張していた彼の身体から徐々に力が抜けていき、恐る恐るといった様子で短い髪を撫でてくれた。

「…男の膝枕なんて寝心地悪いだろ」

「そんなことない」

声色が拗ねたようになっていて、自分でも驚いた。
こんな意味もわからず甘えた素振りをされたって困惑させるし迷惑だろう。
櫻井先輩なら受け入れてくれるだろうという甘えは彼の気持ちを弄んでいるようなものだ。わかっているけど今だけ、もう少しだけ。

「今日は随分可愛いじゃん」

楽しそうな声にむっとして見上げると、ソファの背凭れに腕を伸ばしながらくすりと笑われた。
櫻井先輩は綺麗でかっこいい。沢山の経験から大人っぽくて、だけど自分の前では心が出来上がっていない子供のような不安定さも見せる。
多重人格のようにころころと表情を変えるものだから、その姿に翻弄されて上手に扱えないときが儘ある。
なのに先輩はどんな自分でも器用に掌で転がしてくれる。だから年上は嫌だとごちながら、お守りをされる側というのは存外悪くなくて癖になっている。

「…噛み癖のある恋人ってどう思う?」

「なんだそれ」

先輩はふっと小さく笑い、何もない空間に視線をすいと逸らした。

「悪くない、かな」

「悪くない?痛いでしょ」

「噛むのは言葉にするのが下手な人間のどうしようもない愛情表現だろ」

「…そうなの?」

「多分。どうせ三上だろ」

「なんでわかったの」

「この前泉に会ったとき噛み痕が見えたから。三上らしいなと思ったよ」

「…大人だなあ…」

「大人じゃない。他人だからそう思えるだけ」

お前の立場なら辛いかもな、と先輩は髪を撫でていた手で背中をぽんぽんとした。
俺の立場なんて知らない癖に。
真琴への気持ちと、先輩への気持ちにどんな違いがあるのか見つけられず、間でふらふら揺れている。そんなどうしようもないクソみたいな人間だ。
すべての感情を真琴が教えてくれた。彼に明け渡したまま手元に戻っていない感覚。
都合のいいときばかり先輩の手を欲して、だけど一番ほしい言葉は与えない。
自己嫌悪に浸りそうになって眉間に皺を寄せた。
自分は先輩をただの休憩場所にしているだけなのではないか。
どんな形でも真琴への愛情は変わらない。それが恋と名のつくものなのか、家族愛のようなものなのか、自分の気持ちがわからない。
求められるばかりだったので、与えてくれる人を見つけて依存しているだけなのでは。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
ただ、背中を撫でる少し低い体温の心地よさは、振り払うには代償が大きすぎることだけは確かだった。


END

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