one way

ふわっと大きな欠伸をしながら肩からずり落ちてくる鞄を直した。寮の廊下を歩きながらスマホを開き、明日の予約の確認をする。
最近自分に入れ揚げてくれる女子大生。短期間で間を置かずに利用するので少しやばいなと思っている。
相手をするなら大事なものを抱えた人がいい。
仕事だったり、家庭だったり、恋人だったり、自分以外に拠り所があり、飽く迄も一時お姫様扱いされたいような人。金で買った時間でこちらは仕事なのだときちんと理解し過度な期待を寄せないような。
現実はそういう人は少なくて、彼氏になってほしい、好きになったと泣かれることの方が多い。
色恋を売っているようなものなので仕方がない。わかっているし、自分も金以外で彼女たちに甘えている部分があるので偉そうなことは言えない。
かといって面倒事も御免なので不穏な気配を察したら店に話しを通して切ってもらうことも多い。いくら相手が一回り小さな女性でも刃物や武器を持たれれば分が悪い。
もう暫く様子見をして、上手に転がせられるならそうしよう。
スマホをポケットに突っ込んで顔を上げた。
部屋の扉に背中を預け、廊下の一点を見詰める泉を見つけ、駆け足で近寄る。

「どうした」

余程なにか困ったことがあったのだろうと腕を引く。

「あ、こ、こんにちは」

「…こん、にちは…」

「すいません突然訪ねたりして。連絡先知らなかったので…」

「いや、いいけど…」

俯きがちな彼の顔を覗き込む。
涙の跡はないし、苦しそうな顔もしていない。だけど少し困ったような、気恥ずかしそうな、推し量れない様子だ。
自分は他人の機微に聡くなく、空気を読むという行為が下手なので正解はわからない。
とにかく、ただ遊びにきただけならそれでいい。泉が部屋を訪ねるなんて初めてのことなので妙に焦ってしまった。

「あのー、実は相談したいことが…」

「…相談」

復唱し、一番不得手な分野に眉を寄せた。
しかしここで突き放すわけにもいくまい。麻生や三上を頼らず自分の元に来たということはそれなりの理由があるのだろう。

「…俺、人の相談とか乗ったことないから下手だと思うぞ」

「いえ、僕よりは確実に上手だと思うので大丈夫です」

「そんなことは…」

泉は自分を過大評価している節がある。
いつも落ち着いて大人ですね、なんてぼんやりしているだけなのに。
人間を好意的に捉える癖があるのだろう。泉の最大の美点だと思う。長所にフォーカスを当て、欠点もひっくり返そうとしてくれる。
かわいい後輩の頼み、しかも想い人の幼馴染、これは力にならねばなるまい。
まったく自信はないが、うん、うん、と話しを聞くだけなら得意だ。気の利いたアドバイスや己の考えを提案するのは無理だけど。

「…と、とりあえず中入るか?」

「あ、ぜひ。人前では話しずらくて」

「じゃあ、どうぞ…」

鍵はかけていないので扉を開けて泉を招く。
床に転がる洋服や教科書、その他諸々を脚で端に寄せながら道を作る。

「先輩、すさまじいですね」

「なにが」

「部屋の惨状が」

「ああ、よく言われる」

「片付けできない人ですか?」

「いや、多分できると思う。いや、しないってことはできないってことか」

どちらかというと、できないのではなく、あえてしないのだが、細部を説明する気にはなれないのでだらしない人間だと思ってくれて構わない。

「僕片付けましょうか…?」

恐る恐るといった様子で尋ねられ、大丈夫だよと制しながらソファの上の物を放り投げて座るスペースを作った。

「部屋に飲み物とか食べ物がないんだ。なんか買ってくるから待ってろ」

「いえ、大丈夫です」

そうか、と頷きテーブルを挟んで向かい側のラグに直接胡坐を掻いた。
泉は膝の上で握っていた拳に力を込め、俯いていた顔を勢いよく上げた。

「あああ、あの!」

「はい」

「さ、櫻井先輩はその…こ、恋人はいらっしゃいますか?」

「いないけど」

「じゃあ、その、せ、性的な経験はありますか…?」

「あるけど」

何が言いたいのかわからないがとりあえず聞かれたことには素直に答えた。
泉はほっと安堵したように息を吐き出し胸に手を当てた。よかった、と呟きながら。何がよかったのか。わからない。何を言いたいのかまったくわからない。

「じょ、女性相手ですよね?」

「まあ、そうだな」

「なるほど…」

今度は顎に手を添えうーん、と唸り出した。
間接的な問いを察するとかできない人間なので、単刀直入に相談内容を言ってほしいとお願いした。

「…じ、実は」

随分と神妙な顔をされたのでどんな内容か固唾を呑んで待ってみたが、なかなか話そうとしない。

「…言いにくいことか」

「すいません、今恥じを捨ててる最中なんで」

泉は額に手を添え何度も深呼吸をした後前のめりになった。

「ぼ、僕、三上とつきあってるんです…」

「…そうなんだ」

知ってたけれど知らぬふりをした。

「あれ、反応が薄い」

「それが通常運転」

「あ、そうでしたね。で、僕は初めてできた恋人なので性的なことがまったくわからなくて、でも三上は慣れてるだろうし面倒くせえ奴と思われないように勉強しようかと…」

真面目な顔で不真面目なことを言うものだから面白くてふっと笑ってしまった。

「あ、馬鹿にしました?」

「違う違う。真面目に言うことじゃねえなと思っただけ」

「何事も勉強あるのみというか、僕は勉強は得意なので知識から固めていこうかなと」

「なるほど…」

しかし改めて知識と言われても言葉で説明するのは難しい。
誰にだって初めてはあって、経験を積んでなんとなく感覚で理解するものだと思う。
こればかりは人数を熟すしかないと思うけれど、泉にそんなことはお勧めできない。麻生にも三上にも悪い。

「…具体的に何を知りたいの?」

「うーん、キスするときどうしたらいいかとか、相手を気持ちよくさせる方法とか」

そりゃ相談相手に自分を選ぶわけだと合点がいく。
麻生や他の友人じゃ近すぎるし、遠すぎる相手にもこんなことは聞けない。
程よい距離感と先輩という最初から上下関係が成立している間柄だからこそ話せることもある。
よっこいしょとおっさん臭い掛け声を出しながら泉の隣に座った。

「口で教えるの下手だから実践でいい?」

「じ、実践はちょっと…!僕には三上が…!」

「ふりだよ、ふり」

「ふり…」

「俺を三上だと思って」

「なるほど…」

身体を硬くした泉の腕ととって横から腰を抱き寄せた。
顔を斜めにするように近付けると、彼はぎゅっと目を瞑ってあらゆる部分を石のように変えた。
こりゃ本当に経験ないんだなと察し、しかし今時女の子でもここまでガチガチにならないと思うと天然記念物のようで余計な知識などつけずそのままでいてほしいとも思う。

「もう少しリラックスした方いいと思う」

「は、はい!」

「考えないで、普通に」

「普通ですね!」

言われたことを実践しようとしている気概は伝わるのだが何も変わっていない。
一度身体を離し、ソファの上で対峙するようにさせ、彼の手を握った。

「少しお喋りするか」

「…お喋り」

「そう。緊張を解すためのお喋り」

だから何か話せと言ったのだけど、自分も泉もエンターテイナーな性格ではないので無言が流れた。

「…三上との恋バナ教えてよ」

あまり興味はなかったが、この流れならそれが一番話し易いかなという判断だ。

「えっと、付き纏っては邪険にされての繰り返しで、わざわざ誰かに話せるようなことがないです…」

「でも三上も泉が好きなんだろ?」

「それは、多分、そうだと思いますが、自信がないので…僕はゲイですが、三上はノンケなので」

しょんぼりとされ、慌てて握った手に力を込めた。

「そ、そんなことない。泉はすごくいい奴だからきっと三上にも伝わったんだ」

こんなとき上手な励まし方が思い浮かばないので口下手を呪う。
仕事中は平気ですらすら嘘や相手がほしいであろう言葉を発せられるのに、ただの櫻井紘輝に戻るとただのつまらない男に成り下がってしまう。
麻生と対峙するときも痛感するし、今だってそうだ。
一人で勝手に焦るけど、泉はありがとうございますと少し苦しそうな笑みを見せた。
この顔は相手に何も伝わっていない証拠だ。

「…お、俺も話すの苦手なんだ」

とにかく伝えなきゃと思い、焦りながら口にした。泉はぽかんとしたけれど、気にせず話し続けた。

「だけど、泉と話すのは苦じゃない。泉はせかせかした人間じゃないし、いつも俺の言葉を待ってくれるから安心して話せるっていうか。早く話せよって空気出されるとますますなにも言えなくなるし、だからあんま友達もいないし…」

途中で余計なことまで話していることに気付いて口を噤んだ。

「…僕もです。僕も同じこと思ってました。櫻井先輩は冷たそうだけど穏やかで、優しくて、人を馬鹿にしたり蔑んだりしないからびくびくしないで話せます」

「そ、そっか…」

真正面から褒められるとどういう反応をしていいのかわからない。
短所を長所に見てくれる泉だからこそ成立する関係で、普通の人は自分と話すと苛々すると思う。はっきり言えとか、無視するなとか何度も言われた。そうじゃないと伝える方法もわからずに言葉を呑み込むと相手は勝手に離れていく。
だけど泉は違う。次の言葉を考えている間も辛抱強く待ってくれて、やっと放ったそれがつまらないものでもそうですねと笑って受け入れてくれた。
そこら辺に転がる紙屑のような言葉を大事に梱包しようとしてくれる。
自分か泉が女なら好きになっていたかもしれない。

「三上も麻生も見る目あるな」

なんとなしに言ったのだけど、泉は目を見張った。

「…学と僕のこと、知ってるんですか」

しまったと気付いたが、咄嗟の誤魔化しができない。
視線を床に逸らした後、下手な言い訳は失礼になると思い視線を戻した。

「麻生が言ったわけじゃない。俺がそうなのかなあて思っただけ」

「…そうですか」

ますます落ち込ませてしまい、一呼吸置いてから空気を読んで言葉を発する癖はまだついていない現実に打ちのめされる。

「悪い、気悪くしたか」

「いえ。もう決着はついてますから」

無理に笑っていると自分でもわかった。
優しい泉のことだ。麻生の気持ちに応えられなかった自責の念があるのかもしれない。
しかたがないのだ。一方通行の恋など世の中に溢れている。自分も客から矢印を向けられることが多いし、麻生に矢印を向けてもいる。
そうやって複雑に糸を絡ませて、その中の一つを掬ってくれる相手と恋人関係になれる。普通のことだと言うけれど、それは奇跡に近いと思う。
男女ですらそうなのだ。男同士なら尚更。泉も承知で、だから自信がないと苦笑する。
そんな状態でどんな風に励まされたって、そりゃ相手には何も響かない。三上の言葉や態度でしか泉を救えない。だけどあの三上にそれを期待するのも難しい。
彼のことはよく知らないが、いつも退屈そうな顔をして言葉も端的で、どこか自分の義母に通じるものがあると思っていた。
彼という人間を知った上で好きになったのだろうから、それも覚悟の上だろうし、泉にはなんの不満もないだろうが、どうして麻生ではなく三上を選んだのかは未だに不思議だ。
麻生に言われたときから思っていた。なんで麻生を選ばずそんな奴を好きになるのと。
登場人物が泉と三上と知った今でもその考えは変わらない。
三上が嫌な奴というわけではない。だけど、どうしたって麻生を贔屓目で見てしまうのだ。

「先輩は好きな人いないんですか?」

場の空気を換えるように言われ、曖昧に笑った。
無言を拒絶ととったのか、泉はそれ以上突っ込まずにいてくれた。
握っていた手に力を込め、指を絡ませた。

「緊張解れた?」

「はい」

「あまりガチガチになられるとやりにくいと思うから、背中とか首に手回すとか、まあ、どこでもいいけど相手の身体の一部に触った方が安心すると思う。動くタイミングも計れるし、空気でわかるだろ?」

「わかりません」

きっぱりと清々しく言われ、噴き出しそうになるのを堪えた。

「そっか、まあ、試しに背中に手回してみてよ」

言われるまま、泉は背中に手を回し、シャツを掴むようにした。

「俺がどう動くか振動でわかるだろ」

僅かに身体を近付けると、こくんと頷いた。

「あとは回数重ねるしかねえなあ」

「そうできれば嬉しいんですけど、三上は手厳しいのでたまにしか…」

「なるほど…」

性欲マックスであろう今でそれってそんな高校生いる?と思うが、三上なら納得できてしまう。

「やっぱり僕が男で慣れてないのが問題だと思うんです。でも性別は変えられないので慣れるしかないなと…そりゃあもう、百戦錬磨みたいに翻弄したいです」

「それは俺じゃなくて香坂とかに聞いた方がいいと思うけど」

「こ、香坂先輩とは話したことないし、そんなこと聞くなって三上に怒られるので」

「あー…」

「櫻井先輩が役不足って言ってるわけじゃないですからね!?」

「わかってるよ。でも、百戦錬磨は知識だけじゃ難しいと思うし、俺は今のままの泉でいてほしい」

「今のまま…?そんなのつまらないので駄目です。三上にも生娘相手にしてるみたいって呆れられます」

「それはそれで新鮮でいいじゃん」

「ちっともよくないですよ!そりゃ、女の子ならかわいいけど、男でそれってなんの得もないです!損です、損!」

力説され、そうかなあと首を捻った。
そもそも三上はそういう方面で泉になにかを期待しているわけではないと思う。
セックスするだけなら慣れた女で十分。そうでないから泉を傍に置いている。渦中にいると気付かないだろうが、三上が泉に求める本質は別だろう。
好きだからキスしたり、触れたいと思う。相手がそれを拒まなければ幸福で、上手だとか、下手だとか、そういう次元のはなしじゃないと思うのだけど。

「心はいつ離れるかわからないので、もう身体で繋ぎとめるしか僕には道がないんです」

「身体で…」

「はい!女の子が引くようなリクエストにも応えていく所存です!」

「三上ってそんな変態?」

「そんなことはないと思いますけど、有馬先輩が言ってました。三上はむっつりって」

「あー…わからなくもない…」

実際どうだか知らないし、勝手なイメージで語られても迷惑だろうが、仕事柄色んな人と接して、なんとなく雰囲気でカテゴリーできる無駄な能力を発揮するとそういうタイプっぽいなと思う。

「だから技術を向上させてぎゃふんと言わせようかなと…!」

拳を作って意気込む様子にくすりと笑った。

「そっか。うん、わかった。じゃあ頑張ろうな」

「はい」

「でも急に色々話しても混乱するだろうから続きはまた今度」

「ありがとうございます!」

丁寧に深く頭を下げられぽんぽんと肩を叩いた。
三上は幸せ者だ。こんなに一途に真っ直ぐ想ってくれる相手がいる。
鬱陶しい、なんて言っていそうだが、こんなに一心な視線を向けてくれる人間は多くない。お前しか見ていないと視線で語り、それは狂気と紙一重だが、泉は三上を傷つける真似は決してしない。
一種の宗教のように三上を崇め、称え、跪くことに疑問を持たない。振り切ってるなあと感心すらする。
帰り支度をした泉と一緒に部屋を出て、ポケットに小銭が入っていることを確認した。

「先輩、来たときも思ったんですけど、鍵はかけた方いいと思いますよ?」

「えー…鍵どっかいった」

「もー…」

世話焼きのような発言に懐かしさが込み上げる。
誰かが自分を心配し、苦言を呈する。当たり前で日常に溶ける一場面が自分にはとても貴重だ。小言を言ってくれる人はもうこの世にいない。

「またな」

「はい。ありがとうございました」

ぺこりと頭を下げて踵を返した背中を見送った。
泉を知れば知る程麻生が惚れた理由がわかる。わかる分苦しくなる。
泉が好きだ。かわいい後輩だと思う。真っ直ぐで、優しくて、温かい。
自分とは正反対。
最終的にその答えに辿り着いてがっかりと肩を落とす。
どこで間違ったのだろう。どうして自分は泉のような人間になれなかったのだろう。もしも同じようだったら…たらればを考えても仕方がないのに勝手に思考が回転する。
しんどい恋は早々に捨てるに限るのに、しんどいと思えば思うほど深みにはまっている気がする。
会いたいとか、声が聞きたいとか、気持ちを押し込めた分だけ欲望がむくむく育ち、破裂しそうなのに膨らんだまま他の臓器や思考を圧迫するだけで萎んでくれない。
自販機でお茶を購入し、ぼんやりしながら部屋に戻ると、今度は麻生が扉の前で佇んでいた。

「おかえり」

「…ただ、いま」

「さっき真琴に会いました。先輩とお話ししてきたって嬉しそうに言ってた。部屋が酷い惨状だったとも」

「あー、うん…来るって知ってたらもう少し片付けたんだけど…」

ぼそぼそと言い訳をしながら、麻生はこういうタイミングで必ず自分の前に現れるよなあと憎らしくなった。
もう嫌だ、しんどい、やめたいと決別の覚悟を持とうとすると顔を見せて、そんな決意を一瞬で木端微塵にする。ひどい男だ。なのにどうしてまた好きになるのだろう。

「入れてくれる?」

「…でも」

「仕事?」

「…いや、今日は休み」

「じゃあ入れて」

穏やかな笑みと反して否と言わせぬ圧を感じ扉を開けた。

「わあ。これは今までで一番酷い」

入るや否や麻生は呆れを通り越して少しだけ笑った。
寂しいが募ると部屋もその分汚くなる。子供っぽい感情だと思うけど、律するのも面倒でそれいいやと放り投げた気持ちが部屋に現れてしまう。

「一緒に片付けようか」

俯いていると優しい声が降ってきて、さらりと髪を耳にかけられた。
部屋と一緒に自分の気持ちも片付けてほしい。止めを刺してほしい。だけど優しく残酷な麻生は決してそうしない。
徒に手を差し伸べて、握り込もうとするとぱっと離される。それの繰り返し。
苦笑して小さく頷いた。
そんな相手に惚れている自分が悪い。麻生は悪くない。
だけど浅瀬を揺蕩うような麻生を思い切りぶん殴りたいと思うのもまた悪くないと思うので許してほしい。


END

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