逢いたいが情、見たいが病




ああ、惜しかったな。
右足を引き摺りながらがっくりと肩を落とす。
三上に空き教室に放り込まれ、ジャージを捲られ、ついに三上が自分に欲情してくれたと思ったのに、彼はぱっと手を放しわけのわからない捨て台詞を吐いて去ってしまった。
結局一人で教室へ戻る破目になったがそれはいい。最初から誰にも頼る気はなかった。
だけどあと少しだけ逢瀬を重ねたかった。一体なんだったのだろう。
確実なのは三上が欲情したわけではないということ。
あの三上だから仕方ないが、ありえないシチュエーションだったのでもう少し堪能したかった。
彼から触れてくれることすら数える程度なのに。
高校生なのに三上には性欲というものがないのだろうか。それともやはり男の僕ではだめだろうか。だとしたら何故つきあいを続けているのだろう。
疑問はぽんぽんと浮かぶが、結局最後にはあの三上だから仕方ないか、という結論に辿り着く。
今度有馬先輩経由で怪しい薬を入手しようかな。
犯罪ぎりぎりまで追い詰めないと彼とは愛し合えない。
自分からは手を出すまいと思ったが、僕も健全な高校生でそろそろ限界だ。
好きだからこそ触れたいし、すべてを知りたいし、もっともっと愛し合いたい。
きっと肌を重ねればもっと好きになれるのに。これ以上好きになったら病んでしまいそうだけど。

「おーい真琴ー」

手すりに捕まりながら階段を上り切ると蓮の声がした。

「大丈夫?」

「平気平気。運動音痴は辛いっすわ」

すっと左腕を差し出されたのでありがたく掴ませてもらう。

「なんか三上が夏目しばく的なこと言ってたけど大丈夫?」

聞くと蓮はくすくす笑い、大丈夫だと言った。
なにがあったのだろう。また潤が悪戯を仕掛けたのだろうか。
最近の潤の退屈凌ぎは専ら三上が標的で、そろそろ彼が本気で怒るのではないかと見ているこっちがハラハラする。
潤はそんなこと意に介さず、有馬先輩へのストレスをすべて三上にぶつけているらしい。
教室へ戻り、もたもたと着替えを済ませた。昼食を食べていないことに気付き、蓮がわけてくれたパンを六限が始まるぎりぎりで頬張った。
帰りも蓮に肩を貸してもらおう。そう思ったが、蓮は迎えに来た須藤先輩に連行された。
さて、これは困った。しょうがないから一人で帰ろうと思った瞬間、後ろから肩を叩かれた。

「聞いたぞ。足怪我したんだって?」

学にくっくと笑われ顔を歪めた。何故他クラスの人間まで知っている。
確かに、コントかと突っ込みたくなるほど大袈裟に転んだけど。

「ちょっとバランス崩しただけだし」

「またまた。ぐしゃっといったらしいじゃないすか」

「いってません。大丈夫です」

強がってみせたが学はその場面見たかったとますます笑った。

「担いでやろうか」

「いいよ。歩けるって。右足だけだし」

光ちゃんといい、皆大袈裟だなあ。ぼんやりと考えている間に鞄を奪われた。

「ほら」

ぐいっと腰に手を回され立ち上がる。
学は本当にいい奴だ。一階の空き教室に捨て置いた誰かさんとは大違い。そんな風に二人を比較しては学の方が断然性格はいいと思うのに、自分の気持ちは三上ばかりに向いてしまう。
よたよたとゆっくり歩く僕に合わせ、学は急がなくていいからと言ってくれた。

「こんなときに三上は?」

「さあ。帰ったんじゃない?」

「お前らさあ……」

呆れたような溜め息を吐かれる。言いたいことはわかる。わかるが言わないでくれ。悲しくなる。

「三上は三上だからね……」

それ以上でもそれ以下でもなく、付き合う前も付き合った後も彼の言葉も態度も変わらない。
誰に対してもそうなのか、自分限定かはわからない。
甘い言葉や恋人らしい時間が欲しいと思うけど、三上がどろどろに甘くなったらそれはそれで怖い。
彼が誰かを本気で好きになったらそんな風にしてやるのだろうか。想像してちくっと胸が痛んだ。妄想だけで妬けるなんて重症だ。
部屋の前まで送り届けてもらい、扉の前で対峙した。

「あとは大丈夫か?」

「うん。蓮もその内帰ってくるし、部屋の中くらい平気だよ」

「風呂とかは?」

「あー。それはどうしよう……」

「入れてやろうか」

揶揄するように言われ、馬鹿言うんじゃないと肩を軽く殴る。

「なんで。昔よく一緒に入っただろ?」

「昔はね」

「今だって同じようなもんじゃん」

「そうだけど……」

「それとも三上に怒られるかな?」

「ないない」

即答できるのが悲しい。嫉妬という感情など彼には皆無だ。僕と学など、どこに嫉妬する要因がある。相手が学以外でも同じこと。

「そうかな。ああ見えて嫉妬深い方だと思うけど」

「いやー、ないね。うん、ないわ」

微塵も想像できないし、もしかして嫉妬?なんて聞いた日には本気で殴られるかもしれない。

「じゃあ俺が介抱してやるよ」

「んー……。じゃあお願いしようかな」

他に頼めるような人もおらず、学なら遠慮する必要もないし、いい加減裸が恥ずかしいなんて言う間柄でもない。

「だ、そうですけど?」

ちらりと学が顔を横に逸らす。視線の先を辿ると三上が立っていた。
げ、と口に出しそうになって慌てて引き結ぶ。まったく気付かなかった。どこから聞かれていたのだろう。別に三上の悪口を言っていたわけではないし、後ろめたいことはないはずなのに背筋が冷たくなる。三上から漂ってくる機嫌の悪さがそうさせる。

「ひ、昼休みぶり……」

ぎこちない笑みを作った。
蓮と潤をしめると言っていたがそれは済んだのだろうか。
三上は両手をズボンのポケットに突っ込んだままゆっくりとこちらに近付いた。
手を伸ばされ反射的にぎゅっと目を瞑る。
ぐいっと腕を引かれ、ただでさえ右足に重心を置いていないのでまたバランスを崩しそうになり、学に肩を抱えられるように助けられた。

「怪我人に乱暴はよくないんじゃない?」

「あ?」

今の三上に絡むのは危険だと察しの良い学なら理解しているだろう。なのに何故、わざわざ挑発するようなことを言うのか。

「大丈夫大丈夫!怪我人なんて大層なもんじゃないし。ね!」

お互い僕の左右の腕を握っているものだから痛いし、子どもが玩具を引っ張り合っているようで、なんだこの状況と心の中で溜め息を吐いた。

「恋人ならもう少し大事に扱ってほしいな」

「お前に関係ねえだろ」

「俺も真琴のこと大事だからさ」

「だからなんだよ」

「胡坐掻いてるとまたとられるかもよ」

学は嫌な笑みを張り付けて言った。こんな冷酷に笑う学は初めて見た。
三上は何も答えず睨み合いが続く。機嫌の悪い三上に突っかかるのは最悪だ。

「なーんてね」

学はふっと笑い掴んでいた腕を放した。

「鍵よこせ」

三上は学から視線を逸らぬまま、握っていた腕に力を込めた。
慌てて鞄から鍵を取り出す。三上は器用に片手で扉を開けると、乱暴に部屋へ放り投げられた。
学に礼もさよならも言っていない。待ってくれと手を伸ばしたが扉はぱたんと閉められた。後でメールを入れておこう。
扉の向こうで微かに話し声がする。また言い争いが始まったのだろうか。立ち聞きは趣味が悪いがつい、耳をそばだてた。
会話の内容はよくわからない。もう一度戻って二人の仲裁に入ろうかと一歩踏み出した瞬間、どん、と壁を殴るような音と共に部屋の扉が開いた。
先程よりも機嫌が悪そうな三上と視線がぶつかり、悲鳴を上げそうになる。
何故部屋に入ってきた。
三上は会いたいときは逃げるくせに、一緒にいたくないときに限って傍にいる。
なにがなんだか状況が呑み込めないが、彼の機嫌を直すのが優先事項だ。
ごめん、というのも違う気がするし、こんなときどんな言葉が最適なのかわからない。
三上は無言でこちらに近付き、昼間と同じように抱えてソファへ下ろしてくれた。

「あ、ありがと……」

ブレザーを脱ぎ、適当にソファの背にかけた。
三上は僕と僅かに間隔を空け、ソファに深く座った。

「あの……」

「なに」

「三上何処かに行こうとしてたんじゃないの?」

その最中に運悪く学と鉢合わせ、そう予想したが彼は首を振った。

「お前のとこに来たに決まってんだろ」

「僕のとこに?」

まさか、昼間の続きをするおつもりで?
というのは自分の都合の良い妄想で、天変地異が起きてもありえないが、胸が一瞬疼くくらいは許してほしい。

「……お前動画見たか」

「動画?なんの?」

「見てないならいい」

昼間から理解できないことばかりだ。三上も蓮も。
もやもやするが三上が口をきつく結んだのでそれ以上は聞かなかった。
手持ち無沙汰で指先をいじる。
彼が言葉を発しない限り自分も余計なことは言わないようにしよう。
いつも何か言うたび彼を怒らせてしまう。触らぬ神に祟りなし。三上の機嫌が良くなるまでじっと息を潜めよう。
かといって沈黙が楽しいわけではない。
ずっしりと空気が重い。恋人同士の空気ではない。まるで別れる間際の修羅場のそれだ。
別れる間際。自分の思い付きにはっとした。まさか、別れを切り出そうとしていたらどうしよう。
でも彼がわざわざ自分の部屋に来るなどそれ以外思いつかない。

「お前さ」

声を掛けられた瞬間大袈裟に肩が跳ねた。

「は、はい!」

ついに、ついにそのときが来たのだろうか。どうしよう、どうしよう。心の準備がなにもできていない。
三上の瞳は見れず、俯きながらだらだらと冷や汗を掻いた。
横顔に三上の視線が刺さる。
彼は溜め息を吐き、こちらに手を伸ばしてぽんと頭を撫でた。
視線を上げると彼は困ったような、苦しそうな表情をしていた。
最後に優しさを与えてくれるということだろうか。
でもそれは拷問だ。最後の最後まで惚れさせないでくれ。彼の言葉を待つのは地獄で炎に焼かれるよりも辛い。いっそ苦しませずに殺してくれ。

「三上言いたいことがあるんでしょ?僕に遠慮せずどうぞ……」

「じゃあ言うけど」

「はい……」

がっくりと肩を落とした。幸福な夢も今このときまでか。

「なんでお前はこういうときに限ってダル絡みしないの」

「へ?こういうとき?」

別れる。その四文字ばかりを想像していたので素っ頓狂な声が出た。

「いつも離れろって言っても離れないくせに」

それは、今なら抱きついてもキスを強請っても怒られないということだろうか。
そんなまさか。第一彼の機嫌は悪く、愚行に出れば問答無用で殴られると思った。だからそんなはずはない。

「えっと……。ごめん……」

どうしたらいいのかわからず、とりあえず謝った。

「そうじゃなくて……。もういい」

三上は不満そうな言葉を残して立ち上がった。
なにか失敗したらしい。なにかはわからないが、彼にこれ以上嫌われたくない。
悪い部分は直すから言ってほしいのに、彼の言葉は少なく、自分も察するだけの能力がない。だからいつも擦れ違ってしまう。

「ま、待って──」

慌てて立ち上がったせいで右足の怪我を失念していた。
ぐらりと身体が揺れ、三上の左腕にしがみ付いた。

「……ごめん」

また叱られてしまう。おずおずと身体を離そうとしたが、ぐっと腰を引き寄せられた。
なんだこれ。顔を上げようとすると空いていた手で頭ごと抱えられ、三上の肩に頬を寄せた。
これは夢だろうか。三上が抱きしめてくれている。ような気がする。
夢なら覚めないでくれ。一生このまま。あわよくばその先まで……。
三上の低い体温と香水の香りが心地いい。このまま眠ってしまえればいいのに。
三上は何も言わず、僕も言葉はいらなかった。
いつまでもこのまま、このままでいたい。ぼんやりと陶酔しながら思った。
だけど現実は甘くなく、三上は僕の頭を抱えていた腕を放した。
至近距離から顔を見上げると頬をきゅっと軽く摘まれた。

「……あいつに世話させんなよ」

「……はい」

何故、と聞きたかったが学の悪口を言われると胸が痛むので聞かなかった。
人間どうしても相性の悪い人がいる。二人は生理的に無理、というやつなのだろう。

「よし。用件はそれだけだ。帰る」

「え、ちょ、帰るの?」

滅多にない甘い雰囲気なのに?
後ろ髪を引かれる様子もなく背中を向ける彼が憎らしい。
お互いの好きという気持ちに大きな差があるのはわかっている。三上は飽く迄も好き"かも"という程度だ。
我儘を言えば一日中一緒にいたいが、欲を出せばその分彼が遠ざかる。
だから毎日ささやかな幸福で胸をいっぱいにしなければ。
足を引き摺って扉まで三上を追いかけた。

「また来てね」

扉を開けた背中に向かって言うと、こちらを振り返ってくれた。
欲が顔に出ないよう、いつものように笑ってみせる。
三上はこちらに手を伸ばし、もう少しで頬に触れると思った瞬間、その手をぎゅっと握り引っ込めてしまった。

「じゃあな」

ぱたりと閉まった扉を眺めた。
どうして触れるのを躊躇したのだろう。もっと、もっと触れてほしい。
我儘は言わない。欲を出したらきりがないから。思った次にはだけど、もっとと懇願してしまう。
でも今日はこれで充分だ。通常なら考えられないほど触れてくれた。しかも三上から。

「怪我の功名ってやつ?」

包帯が巻かれた右足をぷらぷらさせて微笑んだ。
足は相変わらずずきずき痛むが、それよりも胸に綿飴を詰め込まれたような甘い苦しさで満ち足りていた。



END

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