Boys, be ambitious



大晦日の午後、雪兎が自宅マンションにやってきた。

「長旅お疲れ」

「翔の家来るの久しぶりだから電車の乗り換え悩んじゃったよ」

アウトドア用品や山岳用品を扱うブランドのリュックを背中から下ろし雪兎が笑った。
程無くしてリビングから父が顔を出した。

「久しぶりだね雪兎。顔色がとてもいいね」

「おじさんも元気そうでよかったよ」

父と雪兎の母は兄妹で、どちらもフランス生まれのフランス育ちだ。父にとっての母、自分にとっての祖母は日本人で、父が高校生の頃日本へ留学したのをきっかけにこの国が気に入ったらしい。
幼い頃から祖母に日本語を教えてもらっていたらしいし、母国で過ごした年月より日本にいる方が長いので自由に言葉を操れるが、イントネーションは訛りがあるし、たまに難しい日本語を覚えようとして言い間違えたりもする。雪兎の家も同じような事情なので意思疎通できれば細かい部分は気にしない。

「寒かったね。入って入って」

父がスリッパを出しながら言い、三人でリビングへ向かった。
父はすぐにキッチンで緑茶を淹れ、粗茶ですと言いながら雪兎に差し出した。

「おじさんは相変わらず日本の物好きなんだね」

「そうだよー。緑茶美味しいよ。なのに翔は紅茶とコーヒーばっかり飲むよ」

「小さい頃から緑茶、玄米茶、煎茶って渋い飲み物ばっかりだったから反動で味の濃い飲み物が好きになったんですー」

「いつもパパのせいにするよー」

父はくすくすと笑いながら一人掛けソファに座った。

冬休みも寮で過ごすと言った雪兎を無理に誘ったのは実家へ帰る荷造りをしている時だった。
浅倉先生のマンションと近いし、その方が彼にとってもいいのだろうと思った。だけど、先生だって実家に帰るかもしれないし、そうすると雪兎は一人で紅白歌合戦を見たり、除夜の鐘を聞いたりすることになる。
ぽつんとソファに座りながらぼんやりする雪兎を想像し、そんなことさせてたまるかと二泊くらいしなよ。家族も会いたがっていると説得したのだ。
実際のところ日本に残った家族は父だけで、母と姉二人は優雅にタヒチ島へバカンスだ。
翔は受験生だしうるさくしない方がいいでしょ。なんて姉はもっともらしい理由をつけたが、姉二人は旅道楽で長期休みには必ずどこかへ行く。
父と母は長期休暇はフランスへ帰ることが多いが、今年は受験でナイーヴになっている息子を支えるのだと日本に留まった。
電話でお正月は雪兎も一緒に過ごしたいと父に告げると、泣きそうな勢いで勿論そうしてくれと言われた。
雪兎の家庭環境が劣悪なのは周知の事実だ。
昔、父と母が話しているのを偶然聞いてしまったことがある。
父も何度も妹である雪兎の母と話し合いを重ねたらしいが、最後には怒り心頭で喧嘩別れしたらしい。父と母は雪兎を養子として迎え、戸籍上も自分の子どもにしたいと言ったが、雪兎の両親は頑として認めないらしい。親らしいことなど一つもしていないのに。狙いはわかっている。雪兎が相続した遺産だ。父にも引き取る理由は遺産だろうと言い放ったらしい。父はショックで何も言葉が出なかったと言い、常に凛とした母ですら啜り泣くようにしていた。
雪兎はそんな両親でも文句一つ言わず、別に構わないと笑うだけで、だからこそうちの家族は雪兎をできる限りの愛情をもって接しようと決めている。
雪兎に肩を揺さぶられはっと我に返った。カップを握ったまま自失していたらしい。

「勉強疲れ?」

「大丈夫。お正月の二、三日は休もうと思ってるし」

「それがいいよ。翔は十分合格圏内でしょ?無理して身体壊して試験当日本領発揮できなかったら困るからね」

「もっと言ってやって雪兎ー」

「ほら、おじさんも心配してるよ」

「父さんは心配っていうより僕が勉強ばっかりで構ってくれないから拗ねてるだけ」

「ひどいよー」

父の語尾を伸ばす独特の話し方はなんとなくかくんと肩から力が抜ける。おっとりと優しい人なので雪兎は父が大好きだと言うけれど。

父はどこで購入したのか、福笑いや羽子板など伝統的なお正月遊びをしようと笑い、自分と雪兎は呆れたようにしながらもそれに付き合った。
夕食は父特性の手巻き寿司とすき焼き。
好きな具材を乗せてと並べられたイクラや明太子。テーブルを見渡しアボカドはないのかと聞くと、思い切りNonと怒られた。父曰く、寿司にアボカドは邪道らしい。父は現代に生きる日本人より堅苦しい。
腹が膨れ、風呂を済ませるとリビングのテレビで紅白歌合戦が流れており、傍で父が口ずさみながら日本酒を飲んでいる。

「ワイン飲まないの?」

キッチンの片隅に置かれたワインセラーを指差しながら言った。

「あれは全部はユカリさんのだよ。勝手に飲むと鬼になるよ」

ユカリさんとは母のことだが、お互いがお互いの故郷を深く愛し、母はフランス名産のワインやチーズやショコラが大好きだ。アベコベな夫婦だが上手くいっているようなので口は挟まない。

「あんまり飲むと倒れるからほどほどにね。お酒そんなに強くないんだし」

「お正月だよ?めでたいよ。飲んでお祝いしなくちゃ」

胡乱な視線を向けたが手酌酒を楽しんでいる様子なので放っておくと、案の定三十分もしない内にソファに寝転んで鼾を掻き始めた。
まったく、どっちが子どもなのかと溜め息を吐きながらテーブルに転がる酒や猪口を片付けた。
風呂から戻った雪兎に、父がこんな具合だから自分たちも部屋へ行こうと言うと、彼は律儀に寝転がる父に毛布を掛けた。

「翔の部屋に入るの久しぶりなのにそんな気しないな」

「まあ、寮で行き来してるし、あっちの方が自分の部屋って感じするし」

「まあね」

ベッドの隣に敷いておいた布団の上に胡坐をかきながら雪兎が笑う。

「お布団っていいよね。ベッドより好きだな」

「雪兎まで父さんみたいなこと言って」

「えー、僕も将来古くて小さな平屋の縁側で猫と丸くなるのが夢」

「もう二人一緒に住めばいいよ」

「それも楽しそうだね」

想像したのか、彼はふふっと幸福そうに微笑んだ。
ベッドと布団にそれぞれ寝転んで携帯を操作する。ふと気になってスマホから雪兎へ視線を移した。

「浅倉先生実家帰ったの?」

「明日日帰りで顔出すって言ってたよ」

「え、じゃあマンションにいるの?」

「たぶん」

「そうならそうと言ってくれればよかったのに。先生と一緒の方がよかったんじゃない?」

「そんなことないよ。おじさんに会いたかったし。おばさんたちがいないのは残念だけど…。それに先生遊んでないで勉強しろって怒るし」

雪兎にしては珍しく、拗ねたような口ぶりで携帯をぽんと放り投げた。
浅倉先生は自分のことを腐っても教師と評するが、雪兎に対しても恋人である前に教師であろうとするようだ。

「…先のことは先生と話しあったりするの?」

「うーん、まあ、漠然と」

投げやりな言い方に不安になった。浅倉先生は大人で、如才なく、子どもの自分では思い至らぬ部分まで考えているはず。雪兎のことも自分などが心配せずとも上手にやってくれるだろう。今までそう思ってきた。だが、本当にそうなのだろうか。

「…上手くいってないの?」

恐る恐る聞くと、雪兎はアイスグレーの瞳をすっと細め、すぐに大丈夫だと笑った。
彼はなんでもかんでも大丈夫という言葉と笑みの裏に隠してしまうのでこちらは余計に心配になる。

「翔たちは?」

雪兎はそれ以上の詮索を避けるように早口で言う。二人の問題だし、首を突っ込まない方がいいのだろうと思い、追及するのはやめた。

「あー、まあ、ぼちぼち…」

「まあ、心配することないか。甲斐田君は翔しか見てませんって顔に書いてるから」

くすくすと笑われ、雪兎から見ても秀吉君は犬っころのようなのかと思うとがっくりと肩を落としたくなる。

「大人っぽいのに翔が絡むと途端に可愛くなるもんね」

「可愛くはないでしょー」

「傍から見ると可愛いよ。まあ、翔が相手じゃねえ…」

どこか含みがある言い方に慌てて雪兎を見た。

「なになに。誠実だと自負してますけど」

「勿論、翔は見た目も性格もいい男だけど、掌で転がすからなあ…」

「そんなことないって」

「あ、自覚なしかあ…」

似たようなことを色んな人に言われるが、本当にそのつもりはない。ちょっとからかっているだけで。彼が面白いほど反応するから味を占めてしまったのだ。
その分大切にするし、支えもするし、甘やかしもする。プラマイゼロで丁度いいと思うのだけど。

「翔とつきあうと新たな扉開きそうだもんね。うっかりマゾに目覚めそう」

「人を女王様みたいに言わないでよ」

「うーん、似合う」

「似合わない!」

応酬を重ね、お互いなに下らないことでむきになっているのだろうと我に返った。
そのとき携帯が鳴り、ディスプレイを見ると丁度噂していた秀吉君からだった。
彼は母親からの帰って来いコールに負け、渋々といった様子で荷造りをしていたので、今は神戸のご実家にいるはずだ。
雪兎にちょっとごめんと謝ってから電話に出る。

「もしもし」

『先輩、ハッピーニューイヤー』

「…ああ、十二時過ぎたんだ」

『反応うっす。年越してもう三十分は経ったで』

「そっか。楽しいことしてたから気にしてなかったよ」

『楽しいこと?』

「そうだよ。とびきり綺麗な子と」

『はいー?』

それってどういう意味。またからかってるのか。嫌な想像をしてしまった。でも先輩は浮気なんてするはずない。電話の向こうで焦りながら話し続ける様子にくすりと笑った。
視線を感じ、雪兎の方を見ると、またそんなこと言って、と小声で叱られた。

『で、とびきり綺麗な子って誰!?』

「雪兎」

『…また先輩はー…』

彼は溜め息を吐きながら脱力したように言い、ぶつぶつと文句を続けた。

「秀吉君が早とちりしただけだよ」

『わざと含みを持たせる言い方するのが悪いんや!』

「毎回ひっかかる秀吉君が悪い」

『そんなことは…ない!』

いつもならここでいじけたように甘えてくるが、電話越しだと強気になるらしい。新たな発見だなあと思う。普段電話など必要ない距離にいるので知らなかった。

「ふーん…」

『あ、うそうそ。俺が悪かったです』

すぐに手のひらを返され喉でくっと笑った。もう少し強気で強引な彼を見たかったけれど。虐めすぎるといつかしっぺ返しを喰らうとわかっているのでほどほどにしようと思う。

「僕は不誠実なことはしないから大丈夫だよ」

『はい。信じてます』

「いいお返事。秀吉君こそ久しぶりの地元で羽根伸ばしすぎないようにね」

彼が女性に好まれる容姿と性格をしているとわかっている。女の子相手にもやもやしたこともある。彼の方が余程心配だ。

『神谷先輩より綺麗な人なんておらんし、そんな気いもおきん』

けろっと言われ、そういうことじゃないんだけどなあと苦笑する。
彼は自分の見目を気に入っているらしいが、自分にはその価値がわからない。プラチナブロンドの髪の毛もブルーの瞳も大嫌いで、ただただコンプレックスでしかない。

「はいはい」

適当に流すと本当なのにと拗ねられる。
彼は自分ではなくこの容姿が好きなのではないかとたまに思う。日本では希少という部分だけにフォーカスされているようで不安になる。胸の奥がもやっとして、慌てて笑みを作った。

「あまり夜更かししないでいい子で寝るんだよ」

『ほーい』

電話を切り小さく溜め息を吐いた。

「甲斐田君元気だった?」

雪兎に問われ、のろのろと顔を上げながら相変わらずだよと言う。
雪兎といると楽だ。日本人離れした外見を持つ身として苦労を理解してくれる。かといってそんな女々しい悩みを吐露しない。
浅倉先生は大人だし、外見など薄っぺらいもので雪兎を選んだわけではないだろう。でも自分たちは子どもで、心の奥底を覗くよりも目に入りやすい外見に惹かれるものだ。
自分も秀吉君の顔は好きだし、それが悪いとも思わないが、綺麗だ、美人だ、天使だと大袈裟に褒められるので、たまにはそれ以外の言葉がほしいと思ってしまう。ただの欲張りとわかっているけど。

「……髪染めようかな…」

自分の髪の毛を引っ張りながら言うと、雪兎が勢いよく身体を起こした。

「なんで!?」

「黒くしたい」

黒いカラコンをいれて積極的に日焼けをすれば。そうすればみんなと同じ容姿になれる。幼い頃から思っていた。
彫の深さは変えられないが、一目で遠巻きにされることはないし、逆に容姿にだけに釣られて寄って来る人もいなくなる。

「…実は、僕もそう思って一日だけ黒くなるスプレーを試したことがあるんだけど、めちゃくちゃ似合わなかった…」

彼はがっくりと首を落としながら言い、その姿に笑ってしまった。

「マジか」

「誰こいつって感じ。もう髪をいじるのはやめようと心にきつく誓いました」

しみじみと言われ肩を揺らして笑った。たかが髪色だが、自分たちにとっては大問題だ。
そうか、似合わないのか、それならやめようかと思うし、試してみたい気持ちもある。でも黒い髪に黒いコンタクトなどいれた日には両親に辛い思いをさせるだろう。昔から容姿のせいでいじめられるたび、父はちっとも悪くないのにごめんねと謝った。
あるがままの自分を受け入れろとはよく言うが、それは不足を上手に隠せる人の言葉だと思う。一目で異質とわかるものは自分の努力の範疇外で悪意を持たれて返ってくる。それを悲しく思ったが、秀吉君のように好意ばかりが返ってきても辛いと知った。ない物ねだりなのだろう。
天井をぼんやり眺めると隣の雪兎が大きく欠伸をした。

「寝よっか」

「うん。瞼がくっつきそう…」

その言葉を最後に小さな寝息が聞こえ、くすりと笑って電気を消した。

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