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「次はなにするんですか?」
問われ、首を傾げた。
普通の恋人ってなにをするんだろう。
お家デートなんてよく聞くが、家にいて楽しいのだろうか。
お話ししたり、テレビを見たり?
自分は会話が不得意なのでお家デートというものに特に向いていない。
景色が変われば自然と会話も増える。
あのお店かわいい。これ美味しい。囀るようなそれに、そうだねと頷いているだけでなんとなく場が持つ。
だけど部屋の中では自分たちが積極的に会話の糸口を見つけないとすぐに沈黙が漂ってしまう。
うろうろ視線を泳がせたが、やはり言葉が出てこなかった。
「や、やっぱり無理だ。俺こういうの本当にむいてない」
「なに言ってるんですか。プロでしょ」
「だって俺誰かとつきあったことないし」
口をとがらせるようにすると、麻生はぽかんと口を開けて数秒固まった。
「なんだよその顔」
「いや、意外だなと思って」
「どこが。全然意外じゃない」
「じゃあ初心者同士ですね。楽にいきましょう」
「楽にって……」
麻生はきつく握っていた拳を開かせ、上からそっと手を握った。
そのまま上下に揺するようにし、手を繋ぐだけで恋人らしいでしょと悪戯っぽく笑う。
「……麻生のほうが慣れてそうだな」
「それはないですよ。俺デートもしたことないし」
そうだよな。ずっと泉が好きだったんだもんな。
一途に、真っ直ぐ、泉だけを見てきた。
辛いから逃げようと一時他の誰かに避難もしなかった。
彼の目には泉しか映らず、他を求める隙すらなかったのだろう。
じゃあ今は。
今でも泉を想っているのか。
聞いたところではぐらかされるのは明白で、自分が落ち込む答えが返ってくるのもわかっている。
三上は三上でいい奴だと思う。でもやはり麻生を蹴ってまで選ぶ相手とは思えない。
泉にも三上にも麻生にも幸せでいてほしいと思う。
なのに神様でもなんでもない自分は上手に賽を振れず、麻生を幸福にすることもできない。
それが悲しくて、なにもできない自分が悔しくて、仮初の恋人でも麻生の気が晴れるならと気持ちを持ち直した。
「……じゃあ、もう少しがんばろうかな」
「そうです。俺のことお姫様だと思って」
ぷはっと噴き出した。
麻生はお姫様というよりお姫様のお世話係という感じだが、彼が望むならそれ相応に扱おうじゃないか。
「ではお姫様、もう日付が変わるので寝ましょうか」
「まだ眠くない」
「いけませんよ。お肌に悪いんで」
「えー、肌なんてどうでもいいんだけどな」
「お姫様なんだろ?」
「う……じゃあ寝ます」
布団を捲り、枕に頬を置いたのを見てそばに座った。
さらりと髪をかき上げるように撫で、ぽんぽんと胸の上を叩いた。
「王子様は寝ないんですか?」
「王子様はお姫様を守るために夜通し起きてるだろ」
「そんなことないでしょ」
「俺の中のイメージはそうなんだけど」
「それ王子様っていうか武士だよね」
「…違いがよくわからない」
「いいからほら、隣来てください」
腕を無理に引っ張り上げられ肩を脱臼するかと思った。
わかったから離せと攻防をしながら自分も布団の中におさまる。
「なんでこっち向くんだよ」
「狭いからですよ」
「答えになってない」
「背中向けて眠るなんて恋人っぽくないです」
ああ、そうだった。麻生をお姫様扱いしなくちゃいけないんだった。
仮初の恋人を演じられているとはとても思えないし、こんなのが礼になるとも思えない。
もう少し持てる知識をかき集めてがんばらないと。
はっと思い付き、麻生の首の下に腕を突っ込んだ。
どうだ。恋人っぽいだろう。
「初腕枕がされる側になるとは思いませんでした」
「貴重な経験だな」
「でもこれ腕痺れません?」
「痺れるだろうな」
「なのになんでするんですかね」
「そういうこと言い出したら大抵のことが意味ないだろ。キスだってなんのためにするのってはなしだよ」
「キスはほら、誰にでも許すわけじゃないですし、特別感というか」
「特別感か……」
挨拶代わりにするような奴を山ほどみてきたし、あまりそういう感覚はなかった。
キスやセックスは誰とでもできる。でもこういう腕枕とか、抱きしめて眠るとか、手を繋ぐとか、小さな接触のほうが自分的には特別だ。
常識と真逆な感覚を麻生に理解しろとは言わないが、今自分はとても、とても特別な行為を麻生としている。
小さく笑いながら瞳を伏せた。
穏やかで、少し大雑把で、ぶんぶんこちらを振り回す男。もう虚勢を張れないほど自分は彼に参っているらしい。
回した腕で肩を僅かに抱き締めるようにすると、麻生は素直に胸に顔を寄せすうっと息を吸った。
「おやすみ」
囁くと、眠気で少し甘えたような声色でおやすみと返事があった。
おはようとか、おやすみとか、母が亡くなってから口にすることがぐんと減った。
懐かしさがこみ上げこっそり苦笑する。
当たり前だった日常のなにもかもが一瞬で奪われ、それがいかに尊いことか知った。
いかなる場合も時間は戻らない。後悔ばかりに脚をすくわれ無理に記憶を封じるようにした。だけどたまに、なんとなく疲れたなと思ったときおはよう、おやすみと笑う母を思い出す。
寝息を立てる麻生の横顔を暫くの間眺めた。
麻生にとっては当たり前で、なにも特別じゃないと放り投げられるものたち。それが自分にとってどれほど嬉しいか。
もっとたくさんと我儘を言いたくなって、それじゃあだめだと自分を制する。
そっと腕を引き抜いた。
布団を肩までかけてやり、麻生に背を向けるような体勢に変える。
こんなちっぽけな抵抗しかできないが、しないよりはましだろう。
真っ暗な部屋で白く浮かんだ壁をぼんやり眺め、片想いってしんどいなと改めて思う。
やめられるものなら明日にでもやめたいと思う。同じくらいこの気持ちを手放したくないとも思う。
あっちに揺れ、こっちに揺れ、心は一向に定まらず、感情を混乱の渦に巻き込んで少しずつ精神を削っていく。
小さく溜め息を吐くと、するりと胸に麻生の腕が回ってきた。
起こしてしまったかと首を捻ったが彼は眠ったままだった。
どかせるわけにもいかず、まいったと頭を抱えているうちに自分もゆっくり夢に落ちていった。
扉が閉まる音が聞こえた気がして薄っすら瞳を開けた。
ベッドには自分一人で麻生の姿がない。ああ、帰ってしまったのだろうか。
寝起きではっきりしない頭で考え、寂しい、寂しいとうるさい胸を鎮めるために服をぎゅっと握った。
一人寝は慣れているはずなのに、麻生が徒に優しくなんてするからこういうことになる。
恨めしい気持ちで、ちゃんと目を開けようとぱちぱち瞬きを繰り返すと、麻生が部屋に戻ってきた。
「起こしちゃった?ごめんね」
頬にかかる髪を耳にかけるようにされ、慌ててその手を両手でぎゅっと掴んだ。
どこにも行かないでほしい。
本当は寂しいんだ。
世界に一人きりになった瞬間から、誰か一緒にいてほしいと願い、上手に言葉にできなくて、仕事相手と触れあいながら誤魔化した。
今までそれでどうにかなったのに、麻生を知ってからなんだか上手くいかない。
"一緒にいてくれるなら誰でもいい"から"麻生がいい"になってしまった。
困ったなあと思うのに振り解けない。
「どうしたの。怖い夢みた?」
「……みてない」
甘ったれたような声にうんざりしたが、寝起きで正常な判断ができない。
薄目を開けると麻生が困ったように笑っていた。
「よしよし。じゃあ今度は俺が腕枕してあげるよ」
ベッドに入り、肩を抱かれ、胸に引き寄せられる。
小さく心臓の音が聞こえた。
麻生の音。麻生が生きてる音。
ひどく安堵し深呼吸をした。
「……麻生」
「なんですか」
「あったかいな」
「そうですね」
「麻生」
「はい」
「…好きだ」
困らせるだけとわかっているからいつもは口にしなかった。
なのについ、ぽろっと零れてしまった。
こんなことを言ったら麻生はうんざりするだろう。もう先輩と友達やめますと言われるかも。
でもいいや。殺すならさっさと殺してほしい。
清々しいくらいの気持ちで小さく笑うと僅かに身体を離された。
やっぱりもうだめかと諦念が胸をいっぱいにすると、前髪を上にめくり上げるようにし額にキスをされた。
「おやすみ」
穏やかで、優しいその声が母のものと重なって聞こえた。
「…おやすみ」
すっぽり抱き締められた身体は窮屈で、どこにも逃げ場がない。
どんな言葉もくれず同じ場所に縛り続ける麻生はとても残酷だと思う。
麻生といると封印していた幸福な思い出が勝手に再生されとても苦しくなる。
慌てて停止ボタンを押し、奥底に押し込めるけど、それはしつこく何度も、何度も再生される。
今だってそうだ。
おはよう、おやすみ。そう言って笑う母が瞼の裏に映る。
「……麻生」
くぐもった声で彼のシャツをぎゅっと握る。
なんだか泣きたくなって、でも涙なんて見せたくなくて奥歯をきつく噛み締めた。
「はい。ここにいますよ」
背中を摩られ、脳がゆったり休息に向かう。
どこにも行かないでくれ。
口走りそうになり、代わりに彼の胸に耳を寄せ心臓の音を子守歌代わりにした。
END
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