5
兎にも角にも三上と仲直りをしないことには話しが進まない。
クリスマスの夜に一人寂しく膝を抱えている姿を生々しく想像してしまい身震いした。
クリスマスに恋人がいたことなど一度もなかった。
毎年実家の母と兄姉とスーパーで売られている安いワンホールケーキを食べ、わざと子供扱いする姉はわざわざ僕の皿にサンタを乗せたりしていた。
子供ではないと頬を膨らませて言えば、そういうところが子供なのだと揶揄られた。
そんなクリスマスも勿論幸福で、贅沢ではないが温かくて穏やかで特別だが、いつだって夢見ていた。
特別な日に三上と過ごせたらどんなに幸福なのだろうかと。
だから、早く機嫌を直してもらわなければ。
何故怒っているのか考えろと言われたが、人の機微に聡くない自分では的確な答えが出せそうにない。
だから、一生懸命謝ろう。理由はわからずとも気持ちが少しでも伝われば許してくれるかもしれない。
最後には冷たくしきれない三上だから。そんなところにつけ込んでは関係を続けてきた。
自室のラグの上で膝を抱え、ポケットの中から携帯を取り出した。
緊張する胸を服の上からぎゅっと握り、一つ深呼吸をする。
ダイヤルボタンを押し、ゆっくりと耳へ持っていく。
無機質な呼び出し音は永遠に続くのではないかと思った。
何コールかめのそれで、諦めて携帯を閉じる。予想はしていたがやはり出てくれない。
まだ三上の気持ちは落ち着いていないらしい。
いつまで待てばいいのかすらわからないが、めげずに頑張らなければ。
こんなことで三上を手放すわけにはいかないのだから。
今度はメールを打って、会って話したいと伝える。
いつ返事がくるかはわからないが、終業式まであと僅かだが時間はある。最終手段学校内で無理矢理にでも会ってもらえばいい。
希望はあると鼓舞したが、次の日も、また次の日も、待てども待てども三上からの連絡はない。
こちらからは何度も電話をしたり、メールを送ったので見ていないわけではないと思うのだが。
直接抗議しようと部屋の前まで足を運んだが、あと一歩の勇気が出ずに落胆して帰るばかりだった。
話さないといけないとわかっているが、あの瞳で見られたらと思うだけで辛い。
その口からいらないと捨てられるのが怖い。
臆病な性格が直ればいいのに。嫌われたらまた好かれるように努力すればいいだけだと前向きに考えるも、一度おきた奇跡が二度おきるわけはない。
頭を抱えたまま、ついに終業式の日を迎えてしまった。
体育館に移動している間も三上の姿を探したが、見つけられなかった。
生徒数が多いため見つかる方が珍しいが、三上のことだからどこかで眠っているのかもしれない。
担任の長い話しを無視して、終わったらば一番に三上の教室まで走ろうと決めた。
ごちゃごちゃと考えている時間はない。
やっとチャイムの鐘が鳴り、鞄に荷物を詰め込む。
「真琴、今日部屋戻る?」
「戻るよ!」
「…なぜにそんな気合が入って…?」
「今から決闘なんだ!」
「決闘…?」
「うん!じゃあ蓮、また寮で!」
蓮に向かって敬礼を一つして、鞄を抱えながら三上のクラスへと走る。
どのクラスもお祭り騒ぎで、それはE組も同じだった。
先生はいないようだが、帰り支度をしながらあちらこちらから笑い声や叫び声が聞こえる。
扉の影からこっそりと室内を覗き込み三上を探す。
一番後ろの席で机に突っ伏しながら潤と皇矢と話している姿が視界に入った。
大丈夫、きっとうまくいく。
何度も心の中で唱える。
勇気を振り絞って、室内に入ろうと思うのだが、他クラスに入るだけでも緊張してしまう。
挙動不審になりながら一歩入ったり、また出たりを繰り返していると潤と視線が交わった。
潤はすぐさま三上の頭をはたき、僕を指差した。
僕の姿を見つけた三上は椅子の背もたれに深くなり、こちらに来てくれる様子はない。
当然まだ怒っているのだろうと思ったが、かなりしぶとい。頑固だとはわかっていたが。
それでも、潤に説教交じりで行けと言われているのがわかる。
ついに我慢できなくなったのか、三上が鞄を手に立ち上がり、こちらへ近付いた。
「み、三上っ…」
しっかりとその耳に聞こえるように言ったのだが、三上は僕の声に応えずに横を通りすぎた。
焦って後ろをついて歩く。
「三上!ねえ…」
大股で足早に歩く三上についていくだけでも精一杯だ。
その背中は何も語らないし、一切を拒絶する。
こんな風になるとぼっきりと心が折れそうになる。
もう、追いかけるのが苦痛で疲れてしまったと歩き続けるのをやめたくなる。
立ち止まって暫く休んで、別の道を歩こうかと思うのだ。
それでも、手を伸ばせば掴める距離にいるうちはその心をどうにか押さえて頑張ろうと言い聞かせる。
「三上…!」
昇降口につき、靴を履きかえる三上の腕をぐっと握った。
「…なんだよ」
漸く振り返ってくれたその瞳は、想像以上に冷酷なものだった。
「あ……えっと、携帯に連絡したんだけど…」
俯きながら尻すぼみに話す。
怯えた態度を見せれば、ますます機嫌を悪くさせるとわかっているのに。
「…ああ」
「なんで、返事くれないの…?」
「したくなかったから」
直球な言葉は三上らしいが、一々傷ついてしまう自分も自分だ。
こんなことには慣れなければいけない。
「…でも、明日から冬休みだし、話そうよ…喧嘩したまま冬休みなんて…」
連絡せずに距離が開いてしまったら、一生そのまま自然消滅になりかねない。
悪いことをしたのならば謝るし、もう口答えなんてしない。
自分自信を殺したとしても、それでも傍にいたい。
三上は何も答えてはくれず、腕を振り払われ、寮へ向かって歩き出した。
急いで自分も靴を履き替え、走って追う。
「クリスマスどこか行こうなんて我儘言わない!あんなこと言ったのも謝るから…!」
もう少しで寮の入り口というところでやっと三上が振り返ってくれた。
話し合う気になってくれたのだ。一生懸命伝えれば三上だって無碍にはしないと、安堵しながら息を整えた。
だが、次に待っていた言葉はもうぼろぼろの心を更に痛めつけるものだった。
「お前の顔見たくねえんだよ……苛々する…」
吐き捨てるように言われ、鋭い瞳で一瞥すると三上はそのまま寮内へ去ってしまった。
暫くその場で立ちつくし、投げつけられた言葉を反芻しては自失した。
折れないと決めた心など、簡単な言葉で傷つきばらばらになってしまう。
何故も三上から発せられる言葉は他人に言われる何百倍もの力を持って僕を締め付けるのだろう。
嬉しい言葉も、辛い言葉も。
刃と化したそれに、いとも簡単に傷つく僕は滑稽だろうか。
今年はホワイトクリスマスになると天気予報で言っていた。
東京では何十年ぶりで、それはそれはロマンチックな日になるのだろうと嬉々としていた自分が遠く霞む。
「真琴ー?そろそろ起きなー」
揺す振られてくぐもった声が出る。
「んー…まだ大丈夫…」
「もうお昼になるよ?」
「……眠いんだ…すごく…」
あれからどうやって自室に戻ってきたのか覚えていない。
何も考えたくなくて、涙など流したくなくて、ひたすら眠り続けた。
辛い現実から目を逸らし、お腹が減ったら少しだけご飯を口にして、また眠る。
冬休みに入ってずっとその繰り返しだ。
今日は確かクリスマスイヴ。
結局三上からは何の連絡もない。もう、そんなこともどうでもよくなっていた。
とても疲れた。眠り姫のように永遠に夢の世界で笑っていたい。
夢の中ではとても幸せなのだ。あの三上が僕に微笑んでくれる。優しい言葉をくれて、骨ばった指で髪を撫でてくれる。
夢の続きを欲するように眠り続けるのだ。
「…真琴……僕、もう行くよ?」
「…あ、そっか、先輩のところ行くんだね…」
「うん…そのまま実家に帰ってお正月終わったら戻ってくるから…」
「わかった。連絡、ちょうだいね…」
「うん。真琴もね。じゃあ、これ置いておくね」
「……なに…?」
枕元にかさかさと紙が擦れるような音がして薄らと開けていた瞳をそちらに向けた。
「クリスマスプレゼントだよ。メリークリスマス」
微笑みながら髪を撫でた蓮に上半身を起こした。
「…僕に?」
「真琴に」
「…ありがとう……あ、でも僕…」
「いいのいいの。僕が勝手にやりたかっただけだし、大したものじゃないから気にしないで」
「でも…」
「いいから。こういうのはお返しが欲しくてするものじゃなくて、真琴が喜んでくれればそれでいいんだよ」
「…ありがと…開けていい?」
「いいよ」
赤いリボンで持ち手を飾られた紙袋の中から出てきたのはグレーのショールカーディガンだった。
「わー!カッコイー!」
それを両手で掲げ上げた。
「よかった。景吾に選ぶの手伝ってもらったんだ。僕もあんまり洋服わからないから、色んなところ連れてってもらって、真琴に似合いそうなもの見つけたんだ」
「ありがとう!」
さっそくパジャマの上から羽織ってみせた。
「似合う?」
「似合う似合う。やっぱり景吾の見立ては正しかったよ。景吾も色違い買ってたよ」
「相良君とお揃いかー…なんかおしゃれさんになった気分だよ」
満面の笑みで言えば、蓮もとても嬉しそうに笑った。
蓮はお返しなどいらないと言うが、こんなに素敵なものをくれて、相良君に協力してもらってわざわざ悩んで、時間を遣って一生懸命になってくれたのだから、ささやかでもお返しがしたい。
部屋で塞ぎ込んで明日にでも自分の世界が終わりを告げるのではないかと思っていたが、こんなに嬉しいハプニングもあるのだ。
「本当にありがとう!大事にするよ!」
「うん。じゃあ、僕行くね」
「気を付けて…須藤先輩と楽しんできて」
「うん。またね」
大きな鞄を持ち立ち上がった蓮をベッドの中から見送った。
いつも幸福に満ちている蓮を見ているとこちらもとても幸せになれる。
須藤先輩がどれほど蓮を大切にしているのか、何も言わずとも伝わるのだ。
お互いがお互いを同じだけ好きで、常に与え合っていて、芯がぶれたりなどしない。
そんな二人にいつも憧れていた。そんな風になれたらいいのに、と。
一度伸びをしてカーテンを開ける。
外はどんよりと曇り、雨が降りだしそうだ。
鈍色の空を眺めていると、こちらまで気分が落ち込んでしまう。
振り払うように軽く両頬を叩き、冷水で顔を洗った。
テレビをつけてもクリスマス一色だろうし、気分転換に街に出るのもいいかもしれない。
蓮からもらった服を着て、プレゼントを買いに行こう。
街はきっといつもよりも光り輝いているだろう。恋人同士は手を繋いでお互いの愛を確認し合って。
そんな中で一人でいるのも寂しいが、いつまでも落ち込んでいられない。
三上がおらずとも、僕には貴重な友人がいてくれる。
「よし!」
気合いを入れるために独り言を言い、軽くパンを齧りながらコーヒーを飲む。
着替えを済ませてどこに行こうかソファに座りながらぼんやりと考えていると、ノックもなしに扉が開いた。
驚いて振り返れば顔面蒼白の潤が息を切らしてそこにいる。
「…なに!どうしたの!」
「真琴…」
具合でも悪いのかと急いで潤に手を差し伸べようとすると、それよりも早く潤が僕の両肩を掴んだ。
「やばい……逃げようぜ」
「…逃げる…?」
首を傾げると開けっ放しの扉から今度は有馬先輩が顔を出した。
小さく頭を下げると、振り返った潤が奇声を上げながら僕の背中に隠れた。
一体何事だ。どうしてこうこの二人はいつも騒がしいのだ。
折角のクリスマスなのだからゆっくりと二人きりで過ごせばいいものを。
「泉君、これ約束のものです」
紙袋を差し出され、今日はプレゼントばかりもらえる素敵な日だなとぼんやりと考えた。
「約束…?」
「はい。あとでじっくり楽しんで下さい。さ、潤こっちに来なさい」
「やだ!僕は絶対にそんなの着ない!」
「いい加減に観念しなさい。逃げ場などないのですよ」
「いやだー!」
有馬先輩に首根っこを掴まれた潤は四肢をばたつかせながらも、引き摺られている。
「真琴ー!助けろー!」
「…が、がんばれ…」
引きつった笑みを見せると叫び声がどんどん遠ざかっていく。
台風一過だと苦笑が零れる。
有馬先輩からもらったプレゼントはとりあえずリビングのテーブルの上に置き、その代りに鞄を持ち上げ、自分も部屋を出た。
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