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カラオケ店まで引っ張られるように歩き、受付を済ませた頃には抵抗する気も失せた。
部屋への狭い通路を歩きながら香坂の背中をぼんやり眺める。怒りが滲むような雰囲気に、怒りたいのはこっちなのにと理不尽さがこみ上げた。
中に入ると奥の席に押し込むようにされた。
香坂は入口付近の椅子に座り、物理的に逃げ場を塞いだ。
僕は追い込まれると感情の制御が上手にできない。僅かな逃げ道を確保しないと冷静な話し合いが難しくなる。
なのに香坂はいつも退路を完全に塞ぎ、支離滅裂な思考や言葉に支配される情けない僕を引き出そうとする。
今回はちゃんとするぞと喧嘩の前はいつも身構える。上手くいったためしはないけど。
「……腹減ってね?」
場の空気に似合わない発言に面食らいながら首を振った。
「腹減ってると余計イライラするから」
ヒステリー扱いはむかつくけど事実なので言い返せない。
「じゃあ何で兄貴といたのか教えて」
「だから、それはお互い様じゃん。なのに僕ばっかり責められてるみたいだ」
「責めてるわけじゃない」
香坂は髪に手を差し込み眉を寄せた。
聞き分けのない子どもを叱る親みたいで、そんな扱いを受ける筋合いはないはずなのにと怒りの針がゆらゆら揺れる。
「僕が香坂さんと一緒にいたら君に不都合でもある?」
「大ありだ。あんまり兄貴に懐くなよ。ろくなことにならない」
「なんで。君と違って僕は香坂さんを一度でも好きになったことはないし、自分の立場も弁えてるつもりだけど」
嫌味な言い方をしてしまった。
香坂を責める気持ちと、いつまでも兄に嫉妬してしまう自分への怒り、色々なものがごちゃまぜになって僕の首を締め上げる。
「そもそも僕と香坂さんなんて年に数回大人数で会うだけだし、頻繁に連絡を取り合ったりもしない。なのにそこまで言われる筋合いないと思う」
対して香坂は過去楓ちゃんへの片想いという実績がある上、学校で頻繁に出くわしたり、部屋を行き来したり、僕に内緒でこそこそ連絡をとりあったりするだろう。
どう考えても僕のほうが辛い立場なのに、どうして怒られなければいけないのだろう。
じゃあその気持ちをぶちまければいいかというとそれは違う。
楓ちゃんとの関係を疑うということは、僕を好きだと言ってくれる香坂を疑うということ。そんなの言えるわけない。
「それに君だってこそこそ楓ちゃんと出かけたよね。僕が今日予定あるの?って聞いたときも曖昧にはぐらかした。堂々と楓ちゃんと出かけるって言えばいいのに」
「その言い方浮気を責められてる気分になる」
「楓ちゃんと浮気なんてないってわかってるよ!万が一君が横恋慕しても楓ちゃんがそんな関係よしとするはずがない。楓ちゃんは僕や香坂さんを裏切らないって信じてる」
「楓さん楓さんって、俺のことは信じてないの」
「そんなのどうやって信じろっていうの」
売り言葉に買い言葉。吐き捨てるように言った。
だって僕は君の好みに何一つ当てはまらない。
綺麗じゃないし、女性じゃないし、年上でもない。
唯一我儘な性格が共通らしいけど、気持ちが冷めたらそんなのマイナス面でしかない。
言い過ぎたと気付いたのは、香坂が何も言い返さず硬く口を引き結んだから。
途端に焦りがこみ上げた。
折角のクリスマス、恋人同士が笑い合う日に僕たちは狭い個室で喧嘩。なにをしているのだろう。
今日だって香坂さんから提案され、一緒に香坂へのプレゼントを買いに行った。
包装紙が破れぬよう、箱が凹まぬよう、脆い砂糖細工を扱うように大事にサブバックに入れて歩き、そうして楓ちゃんと香坂に出くわした。
なんだか裏切られた気分だった。
初めて家族以外にプレゼントを買い、喜んでくれるかなと期待して、早く香坂に会いたいと焦がれた矢先だったから。
重い沈黙が流れ、収拾がつかなさそうな雰囲気に身体を強張らせた。
サブバックをちらりと見て、これでお別れになったらプレゼントはどうしようと嫌な想像をしてしまう。
「……わかった」
はっと顔を上げると、香坂はひどく疲れた顔をしていた。
「お前の言い分は理解できる。でも俺は何回も何回も月島だけって言ってきたし不安にさせないよう努力もしてきた。なのにそういうの全部意味なかったのかと思うと……」
香坂はそこで言葉を区切り、自嘲気味に笑った。
「俺先に帰る。お互い頭冷やしたほうがいいだろ」
「まだ終わってない」
「これ以上はしんどい。……少し疲れた」
立ち上がろうとする彼の服をぎゅっと掴んだ。
悪い想像が現実になろうとしている予感に心がざわざわ煩い。
格好つかないから本当は言いたくなかったが、ここまできたらしょうがない。
追い込まれるほど辛辣な言動で自分を守ろうとする悪癖で彼を傷つけたのも事実だ。
それに今日はどの日よりも幸福でいなければいけないはずだろう。僕たちもその輪の中の一組のはずなのに、こんなのあんまりだ。
「……君のプレゼント選ぶの手伝ってもらったんだよ」
「なに?」
「だから、香坂さんにプレゼント選び手伝ってもらったの!なのに頭ごなしに責められたり、君が楓ちゃんといちゃいちゃするからむかついて言い過ぎた!」
自棄っぱちな気持ちで叫んだ。
もう笑うなら笑え。
理屈抜きの部分でどうしても嫉妬してしまう最低な僕と、プレゼント一つまともに選べない恋愛偏差値ゼロの僕を。
笑ってくれて構わないと思ったが、香坂が本当に笑ったものだからかちんときた。
「俺ら同じことしてたんだな。俺も楓さんにプレゼント選び手伝ってもらってた」
「……僕へのプレゼント?楓ちゃんにあげるものを一緒に選んでたんじゃなくて?」
「なんで俺が楓さんにあげるんだよ」
「だって……」
「俺も自分の立場ってやつを弁えてるつもりだけど。楓さんは俺にとって頼れる兄ちゃんみたいなものでこれっぽっちも未練はない。何回言えばわかるんだろな、優秀な薫ちゃんは」
「わかってるよ!わかってるけど……。僕だって楓ちゃんに嫌な気持ちになりたくないし、嫉妬するなんて情けないと思う。けど相手は楓ちゃんだもん。楓ちゃんを好きにならない人なんているわけないし」
「いやー、それは月島の過剰評価……」
そんなわけないだろときつく睥睨するとそれ以上の言葉は慎んでくれた。
「僕は楓ちゃんに絶対敵わないってわかってるから余計焦るのかも。なんていうか、理屈じゃない部分がもやもやする」
「……そうだな。俺も同じようなものかも。月島が兄貴と一緒にいるの見たときまたとられるって思ったし」
「とられないって。香坂さんが恋人なんて絶対嫌だ。一瞬も安心できない」
きっぱり言うと、香坂は小さく吹き出し頭を左右に撫でた。
お互いが見栄を張ったせいで小さな疑念が大きな誤解に発展した結果、しなくていい喧嘩までして、僕たちは一体どれだけ馬鹿なのだろう。
「……格好つけないで最初から香坂と選べばよかった」
「そうだよ。兄貴に頼ったってまともなアドバイスくれるはずねえのによ」
「そんなことないよ。わざわざ電話してきて、困ってるなら助けようかって言ってくれたんだ」
「それ、楓さんをとった俺への腹いせに遣われただけだから」
「そうかな。香坂さん口も態度も悪いけど君のこと気にかけてると思うけど……」
「いーや、ない」
頑として認めないのは香坂さんの日頃の行いのせいなので自業自得だが、弟の話しをするときの香坂さんはとても優しく、楽しそうで、楓ちゃんから与えられる馴染み深い愛情を香坂さんからも感じたのだ。
「あ、俺の買い物はまだ終わってないから一緒に選びに行こう」
「じゃあそれはなに」
大きな紙袋を指さすと、それをずいと渡された。
「これも月島のプレゼント」
「まだ買うの!?」
「買うよ。そうだ、折角だし着替えてくれよ。そのほうが選びやすいし」
「着替え……?今?」
「そう。ここで」
香坂は廊下から中が見えないよう扉の前に立ち、早くと促した。
拒否しようかと思ったが、今更彼の機嫌を損ねるのは得策じゃない。
渋々、香坂に背中を向け、小さく収まった状態で着替えを済ませた。
自分が着ていた洋服を紙袋に突っ込むと、立ってみてと言われたのでその通りにする。香坂は上から下まで時間をかけて眺め、ぱっと笑った。
「俺と楓さん天才だわ」
自画自賛の言葉を並べられ、わけがわからず首を捻った。
「似合ってる。いつもきちっとしてる月島が一気に若者らしくなった」
腕を広げながら見える範囲を眺めたが、自分ではよくわからない。
自分が選ぶ系統ではないことは確かで、だけど香坂が似合うというならこれがおしゃれというものなのだろう。
「なんで洋服一式を選んだの……?」
「色々考えて見て回ったけど何が喜ぶのかわかんなかったから。自分が選んだ服を着てくれるの嬉しいし」
「ふうん……。それが嬉しいならいいけど」
「脱がせるのも楽しいしな」
「ぬっ──。脱がないから」
「はいはい」
ご丁寧に鞄まで入っていたので、荷物を移動させながら香坂に視線をやる。
「あの、ありがとう。僕洋服は詳しくないからよくわからないけど大事にする。僕からもプレゼント……」
サブバッグに入れていた紙袋を取り出し彼に手渡す。
趣味じゃなかったらどうしよう。いまいちと思われたら。嫌々使わせるのも申し訳ないし。でも香坂さんは間違いないって言ってくれたし……。
色んな思考がぐるぐる巡っている間に包みを開けた香坂にお礼を言われた。
「月島、クリスマスなんてくだらないって言うかと思ってたけどちゃんと考えてくれたんだな。それだけで成長を感じるわ」
「なんの成長だよ」
「人間に進化してんだなって感動した」
「最初から人間だよ!」
香坂は笑いながらポケットからキーケースを取り出した。
以前彼がキーケースがぱんぱんだと言っていたので、キーリングを選んだ。多少鍵が増えてもこれなら問題ないだろう。
香坂さんが彼が好きなブランドの店に連れて行ってくれて、きっと喜ぶから大丈夫と励ましてくれたのだけど。
「……僕家族以外にプレゼント買うの初めてで……。だから間違ってたらごめん」
「毎日使うものだし嬉しいよ。それに間違いとかねえだろ」
「よかった……」
ほっとした瞬間気が抜けてしまった。
少しぐったりしていたかったが香坂にせっつかれた。
「靴買いに行くぞ」
「もういいよ!充分もらったって!」
「だめ。早く」
手招きされ、だるい身体に力を入れた。
香坂が楽しいならいいけれど、これではプレゼントに差がありすぎだ。
過分な贈り物は困る。何か返さなければと思うから。だけど僕があげられるものはもう残ってない。どうしよう。
「月島?」
顔を覗き込まれ、切れ長の瞳をぼんやり眺めた。
「キスしていい?」
ぽろっと口から零れてしまい、急に何を口走ってんだと羞恥に支配される。
「いいよ」
どうぞ、と香坂が瞳を閉じたのでそっと頬に手を添え、短く触れるだけのキスをした。
香坂に返せるものは気持ちしか残ってない。それを伝えようと思った結果のキスしていい?だったのだが、多分半分も伝わってない。
ぺらぺらと薄っぺらい、上辺をなぞる言葉は饒舌に話せるのに、肝心なことはちっとも音にできない。
何か言わなきゃと焦ると、香坂はとんと背中を優しく叩き、行こうと促した。
結局何も言えぬまま、最後の買い物のためお店に入った。
香坂が洋服とのバランスを見ながら候補を絞り、どれがいい?と意見を求める。正直どれも一緒に見えてよくわからなかった。
「香坂が選んで」
面倒事から逃げるために言うと、彼は嬉しそうに一足のスニーカーを選び、店員さんに履いて帰ると告げた。
靴までも履き替えるのかと思ったが、全身揃ったほうが達成感があるのだろう。
店から出た頃にはすっかり暗くなっていた。
「本当は明日部屋でプレゼント渡す予定だったけど、これはこれでよかったかもな」
「喧嘩もしたしね」
「仲直りしてんだからいいだろ」
「仲直りできたからそう言えるけど喧嘩したまま終わったら本格的にクリスマスが嫌いになる」
「また全世界を呪い始めるな」
「そうだよ」
「じゃあ帰る前に定番のスポット行きますか?」
「定番?」
こっちこっちと手招きされたので黙って後をついて行った。
辿り着いた先にはイルミネーションが広がっていた。
大きなクリスマスツリーが電飾で飾られエリア一体が青白く包まれている。
ツリーの前で自撮りしたり、手を繋いで見上げたり、互いしか目に入らない恋人同士の輪から抜け出すように影になる離れた場所から眺めた。
「感想は?」
「電気代高そう」
正直に告げると香坂が小さく声を上げて笑った。
「月島のそういうところが好き」
「な、なんだよ急に……。普通は素直に喜ぶほうがいいんじゃないの」
「素直じゃないのが月島のいいとこだろ」
性格の捻じれは決して長所じゃない。
なのに彼は僕の長所を無理矢理見つけようとする。まるで自分に言い聞かせるかのように。そうしないと愛想尽かしてしまうそうで、関係を維持するための燃料を投下しているのでは、とたまに不安になる。
始まりが自然じゃなかったから香坂に引け目を感じる。時間を巻き戻せたとしても同じことをするだろうけど。
小細工なしで香坂と両想いなんてありえない。
罪悪感はあるが後悔はしてない。今更手放せもしないのだし。
だけど後ろめたさや罪悪感は常に僕の首に手をかけていて、ふとした拍子に力一杯締め上げてくる。
どうしようもない発作のようなものだから気持ちが凪ぐまで放っているが、その間はろくでもないことばかり考えてしまう。マイナス思考を振り切って、映画一本作れそうなほど嫌な想像を繰り返す。
最悪のパターンをいくつも想定し、回避するためあらゆる障害を排除しようと思うのだけど、このかわいくない性格のせいで別れが身近であることも確かだ。
もう少し素直になりたい。自分次第で今すぐできることなのにそれが何故こんなにも難しいのだろう。
だけど一年のうち今日くらい。
サンタが素直になれる魔法をかけてくれたと思い込めば、こんな僕でもまだ間に合うかもしれない。
「……香坂」
こっそり彼のコートを掴んだ。背後は壁だし誰からも見られる心配はないだろう。
「なに」
「あのさ、あ、ありがとう。色々、考えてくれて……。君はクリスマスにデートなんて飽きてるもしれないけど、僕は初めてだったから本当は少し期待してた。予定聞かれなかったし男同士なんてそんなものかと思ったけど、でもこうやってデートっぽいことできて楽しかった」
反応を確認するようにちらっと下から覗き込んだ。
揶揄するようなことを言われたら殴る準備もしながら。
「……あー、楓さんの言う通りだった」
「なにが?」
「なんでもない。明日ちゃんとデートしよう。こんなついでみたいなやつじゃなくてさ」
「どうして?これで充分だけど……」
「だめだ。ちゃんとする。いいな」
「はあ。僕はいいけど……」
変なの、と添えながら渋々了承すると、被っていたキャップをとられた。
なにすんだよと隣を見た瞬間、キャップで周囲から隠すようにして一瞬だけ唇が重なった。
「こ、こんな、外で……」
「我慢できなくて。暗いし誰も見ちゃいねえよ」
「ならいいけど……」
「どっかで飯食って帰るつもりだったけど早く寮に戻ろうぜ。脱がせる楽しみが待ってるし」
また揶揄して遊ぶつもりだ。
彼は僕が慌てる様を見て優越感に浸るのが好きだから。そうはさせてたまるかとあえてにっこり笑ってやった。
「脱がせるだけ?」
「月島次第かな」
挑発的な視線を寄越され、こいつは本当に僕の対抗心に火を点けるのが上手いなと思う。
まんまと乗ってしまう僕も悪いが、香坂をライバル視するのは無意識にする呼吸みたいなもので矯正するのは難しい。多分それはお互い様で、好きとむかつくのバランスを保つのが大変だ。
駅へ向かうため、一歩踏み出す前に一度だけ手を握られた。
すぐに離れた手に名残惜しさと物足りなさを感じ、こういう渇望感はいつまで経っても満たされない気がした。
いつも一度好きになるとそればかりになる。愛情を言い訳に執着する醜い性格は自分が一番よく理解している。
そういう感情は後手に隠し、愛情を一気に放出しないよう気をつけなければいけないのに、たまに胸が苦しくなってわんわん泣き叫びながら抱きつきたくなる。例えば今とか。
部屋に戻るまでの我慢とわかっているけど、それがとてつもなく長く感じた。
END
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