3





両手にお土産が入った袋を持ち、充実した疲労感に包まれながらホームに立つ。

「麻生はこのまま実家戻るのか?」

今日から冬休みなので一、二年は帰省した生徒も多いだろう。三年は補講があるので受験を控えた生徒はだいたい残っている。
自分は勿論大学など行かないので補講には参加しないが、実家に帰るにはまだ早いのでぎりぎりまで寮でねばるつもりだ。

「そんなわけないじゃないですか。これから寮に戻ってクリスマスらしいことしましょう」

「動物園に行っただろ」

「それはクリスマスと関係ないでしょ」

「そうか?楽しければなんでもいいだろ」

「大雑把だなあ。そんなんで女心わかってたんですか?」

「こう見えて細かな気配りもできてた……気がする」

「先輩はオンオフのスイッチが本当に極端だね」

どちらもいい按配で上手に配分できればいいのに、それがなかなか難しい。
サイでいるときは笑顔も気配りもエスコートもそつなくこなせる。なのに櫻井紘輝そのものは中身空っぽのぼんやりした生き物だ。
オンでいる間の演じるストレスの反動もあるのかもしれない。元々自己主張が得意ではないし、なんとなく流されているほうが楽だから。

「……今からでもオンにしたほうがいい?」

「それは嫌です。普通の先輩でいてください」

「わ、わかった」

普通の先輩が一番面白みがないのだけど。
動物園につきあってくれたのだし、なにかお礼がしたい。せめて笑わせることができればいいのに。
やってきた電車に乗ると、腰を下ろした座席までぽかぽか暖かくてついうとうとしてしまった。
がくんと首が落ちるように感覚に、慌ててお土産の袋を抱え直す。

「眠い?」

隣に座る麻生に覗き込まれ小さく謝る。

「いいよ。俺起きてますから寝てください」

「……いや、大丈夫。ちゃんと起きるから…」

「昨日楽しみで寝られなかったんじゃないですか?」

「……うん。わくわくして……気付いたら夜中の三時、で……」

最後まで言い終える前に瞼を閉じてしまう。
だめだ、だめだと思うのに天国のような空間には抗えない。
ごめん、麻生。心の中でもう一度謝罪をし、完全に眠りに落ちた。


起こされたときには麻生の肩に全体重預ける勢いで凭れていた。
何度も謝罪し、そのたび麻生は大丈夫だよと返してくれる。
まだ少し眠い目を擦りながら歩く。
寮のエントランスに戻ると腕を引かれ麻生の部屋に招かれた。

「寒いなー」

エアコンのスイッチを押す姿を突っ立ったまま後ろから眺めた。

「座ってください」

「……はい」

「まだぼんやりしてますね」

「すみません」

「もうひと眠りします?」

「いい。折角一人じゃないのに寝たら勿体ないから」

のろのろ歩きながらソファに着く。
ふとテーブルの上に折り紙で作られたツリーがあるのを見つけた。それをそっと手にとる。

「あ、それかわいいでしょ」

「……うん。俺も昔同じようなやつ作って家に飾ってた。麻生が作ったのか?」

「保健室に飾られてたの見て、光ちゃんに教えてもらいながら作りました。少しはクリスマスっぽいでしょ?」

「……これもらっていいか」

「いいですけど、そんなのどうするんですか?」

「毎年クリスマスになったら飾るんだよ」

「ツリー買ってくださいよ」

ツリーなんていらない。自分にはこれで充分だし、これがいい。
一年に一度折り紙のツリーを出して麻生のことを思い出す。きっかけがあればきっとおじいちゃんになっても忘れないでいられる。
そのときどんな環境で生きているのかわからないけど、例えばとても幸福だとしてもそれとは別に初めてクリスマスをいい思い出に変えてくれた後輩に感謝する。
一年に一度、そういう日があってもいいだろう。
さすがに毎日思い出すのは麻生に悪いから、一年に一度だけ。
そしたら自分にとってもクリスマスは特別な日になる。
我ながら重いなと自虐的に笑った。

「あ、今鼻で笑った」

「違う違う。自分に笑っただけ」

麻生はキッチンでカップにお湯を淹れながら今日はよく笑うねと言った。

「……俺笑ってたか?」

「はい。楽しそうにしてるから動物園本当に気に入ったんだなあって思いました」

「……そっか。うん。すごく気に入った」

笑顔は伝染するらしい。
麻生だけじゃない。みんなが笑ってたから自然と自分も口角が上がってしまった。
いつもならそういう光景を輪の外から無感情で眺めるだけだけど、今日は麻生が一緒だったから自然と自分も輪の中に入れた気がした。
麻生はそうと気取られぬよう、こちらが身構えないよう、そっとほしいものを与えてくれる。
それに気付くのはいつも一人きりの部屋に戻ってからだった。
楽しかった分、その倍寂しさを感じ少し恨めしくなって、麻生がくれた言葉や気遣いを一個一個なくさぬように思い出す。
そうすると寂しさが薄れ、満たされた気持ちで眠ることができた。
卒業したらどうしよう。また一人に戻って上手に眠ることができなくなったら。
甘えたことは言ってられない。わかっているけどどうせ失くすならぎりぎりまで手中に収めていたい。
こういうところが愚かだ。あとからどれほど苦しいかわかっているくせに。
もっと麻生との思い出がほしい。特別なことじゃなくていい。学食でご飯を食べるとか、一緒に帰るとか。でもそうするとどんどんしんどいが積もっていく。いつかバランスが崩れ、しんどいばかりが大きくなってきっと自分は潰される。
考えると憂鬱になり、額に手を添えながら緩く首を振った。
折角楽しかったのに、どうして自分はいつも後ろ向きになってしまうのだろう。
幸せや楽しさが怖い。
そのあと同じだけの不幸が待ってるはずだから、いつだ、いつだと身構えてしまう。そしてそういう自分にほとほと疲れる。

「やっぱりもう少し寝ます?疲れた顔してます」

「あ、いや、大丈夫」

カップを受け取りながら小さく礼を言う。
温かいカフェラテに息を吹きかけ、湯気と一緒にマイナス思考を吹き飛ばす。
折り紙のツリーを大事に鞄にしまおうとするとその手をとられた。

「待って。持って帰るのは最後にしてもう少し飾っておきましょう。力作だから」

ぽかんとしたあと噴き出した。
力作だって。子どもみたいだ。ああ、いや、自分たちは充分子どもだった。麻生は大人っぽいからたまに忘れそうになる。

「そうだな、すごく上手だ。俺はもっと下手だった。麻生は手先が器用なんだな」

「そうなんですかね。細かい作業なんてしないから知らなかったな」

「裁縫とか、お菓子作りとか、やってみたら才能が開花するかも」

ふと、子どもの洋服の釦を縫う麻生とか、休日子どもたちにお菓子を作ってやる麻生を想像した。
似合いすぎてにやけてしまう。
麻生はいいお父さん代表みたいになりそうだ。麻生なら世界一幸せな家庭を築ける。
自分が女だったら結婚相手は麻生のような人がいい。
優しくて、おおらかで、滅多なことじゃ怒らず冷静になんでも話してくれる。頼りがいがあって真面目で一途だから浮気だってしない。なんて完璧なのだろう。

「……麻生はお父さんみたいだなあ」

「先輩もそう思うの!?」

も、ということは他の人にも同じようなことを言われているのだろう。考えることはみんな一緒。

「思う。絶対いいお父さんになる」

「……みんなに思われるのはいいけど先輩にそう思われると微妙だな……」

「すごくいい褒め言葉だ。包容力の塊って感じで」

「そんなことないですって。俺小さい男ですよ。三上にちくちく嫌がらせしたしね」

「そういう形の友情もあるんじゃないか?」

「友情じゃないです。三上と友達なんて絶対なりません」

思い切り不貞腐れた顔を見て、こういうところは歳相応と観察した。
きっと泉に関することは一気に子どもに戻るんだ。
純粋で、素直で柔らかい気持ちだから上手に繕うことができないのだろう。
そうやって人を好きになれると知ってるから、こっちももっと好きになる。
麻生の恋の仕方はとても好ましい。
押し付けず、計算せず、自分よりも相手を優先する。泉に向けた感情は恋というより愛だ。
長い年月の中で苦しみながら感情がどんどん進化したのだろう。
短い片想いの自分ですらこんなに苦しいのに、麻生の苦しみはどれほどだっただろう。想像もできないそれに身震いする。
叶わないだけじゃない。想い人が恋人に夢中になる姿を一番近くで見なければいけない。いっそ赤の他人になりたいと願ったのではないか。それでも泉のため幼馴染という立ち位置を崩さなかった。
麻生の痛みや傷を半分分けてもらうことはできないから、せめて幸せになれますようにと祈るのだ。

「じゃあ時間も丁度いいしおやつの時間にしましょう」

麻生は冷蔵庫から白い箱を取り出した。
皿とフォーク、それから小ぶりのナイフを持って戻ってくる。
箱をずいと差し出され、恐る恐る受け取った。

「開けてください」

言われた通りにするとホールケーキが現れた。
スタンダードな苺が乗ったケーキの上にメリークリスマスと書かれたチョコレートのプレート。もみの木の装飾や小さなベルまで乗っている。

「すごい。ホールケーキ実際に見たの初めてかも」

母と二人でホールケーキなんて食べきれないから、ケーキを買うときはいつも一人分を二つ買っていた。
まん丸なケーキは見ているだけで幸せになれる。これも幸福な家庭の象徴。

「俺も初めて買いました」

「……もしかして俺のために?」

「まあ、それもありますけど一度ホールケーキを限界まで食べてみたかったんですよね。どれくらい食べられるのかなあって」

「もしかしてこれ二人で食べるのか」

「当然です。だから先輩もがんばってください」

「わ、わかった。がんばる」

ケーキを食べるだけなのに、まるで今から決闘という意気込みでケーキを睨んだ。
折角買ってくれたのだ。残すなんて勿体ないこと絶対したくない。
そう思ったのに、半分食べ終わった頃にはコーヒーで口の中を塗り替えてもあとからあとから甘みに支配され始めた。

「あー、やっぱり半分が限界ですね。もう少しいけると思ったんだけどな」

「……ごめん、俺ももう無理かも。でも休憩すればまだいけるから」

「無理しないでください。夜に食べてもいいし、明日食べてもいいんですから」

「……うん。絶対残さないから」

「はい。即戦力になる景吾はいないから二人でがんばりましょう」

そういえば麻生の同室者はびっくりするほど大食いなんだった。
一度彼がバケツのようなアイスを抱えながら食べ続けるのを見たことがある。
どこまで食べるのだろうとはらはらしながら見守ったが、結局一度ですべて食べきった。しかもそのあとしょっぱいのが食べたいと言い出しチップスに手を伸ばしたときには心底驚いた。

「相良ならホールケーキも一人で食べるんだろうな」

「食べますよ。ぺろりですよこんなの」

「すごいな。いっぱい食べる子って見てるだけで幸せになる」

「景吾みたいなの好きそうですもんね。ちょっと真琴に似てるし」

「……そうだな。ああいう素直で裏表がなさそうな子はとてもいいと思う」

「ふーん」

コーヒーを啜った麻生はそれきりむっつりと口を閉じた。
答えを間違っただろうか。相良を最大限褒めたつもりだったが足りなかった?
麻生は相良のこともとても大事にしているから、蔑ろにされたくないはずだ。他にも相良のいいところを言わなきゃと慌てて言葉を繋げた。

「あ、相良の服装も好きだぞ。おしゃれだから。あと声とか笑い方も元気になれるし、それから――」

「もういいです」

「……ごめん。上手く褒められない……」

こういうとき口下手な自分がとても嫌になる。

「そうじゃなくて……。俺のこと好きなのに、他の男褒めるなんてデリカシーないんじゃないですか?」

びっくりして言葉が出ない。ぱちぱち瞬きし、ゆっくり咀嚼した。

「心が狭いぞ」

「だから俺は狭量な男だって言ったでしょ」

ご機嫌斜めにしてしまった。
謝罪するべき場面なのだろうが、なんだか面白くてそんな麻生をずっと見ていたいと思った。
いつも余裕たっぷりで笑顔を崩さない麻生がたったそれだけのことで臍を曲げるなんておかしい。
かといって笑うのは失礼なのでぐぐぐ、と上がる口角を無理に押し戻す。

「また笑ってる」

「バレたか。いや、馬鹿にしたわけじゃない。麻生も年相応なこと言うんだなと思っただけだ」

「俺はいつでも年相応ですよ。みんな俺にどんな夢見てるのか知りませんけど」

それはきっと麻生がそういう自分を演出しているからではないか。
すべて演技というわけではないだろう。泉のお兄さんでい続けた結果、そういう役割が板につき、他のみんなからも頼られるようになった。
だけどきっと麻生は誰にでも同じようにしたいわけじゃなくて。泉だからそれでよしとしていた。とはいえ二面性を素直に表に出せず無理をしたりして。
ということは、今の麻生が素だ。
自分にそういう面を見せてくれるのが嬉しい。少し心を許してくれた証拠だ。自分が全面的に麻生を肯定し、好意が駄々漏れなせいでガードが緩んだのかも。
そうはいっても不貞腐れたままにしておくわけにもいなず、どうやって機嫌をとろうか考えた。
あ、と思い付き麻生と同じソファの端に座り、ぽんぽんと自分の太ももを叩く。
麻生は少し迷ったあとごろんと転がった。
麻生は膝枕が好きだ。
部屋に来ると唐突に俺の太ももを枕にごろんと横になる。
疲れているときだったり、三上と一悶着あったときだったり、心を休ませたいときに。
きっと麻生にとって自分は休息所なのだ。どんな風に使ってくれても構わない。彼の力になれるなら。
男の太ももなんて気持ち良くないだろうなと思うけど、彼を甘やかすのが好きなのでそのまま手櫛で髪も梳いてやる。

「……先輩はよく話す元気な子がタイプなんだね」

「え?ああ、そう、なのかな。タイプとかよくわからないけど、自分にないもの持ってる人に憧れる」

「……まあ、そうだけど」

「麻生は?タイプとかあるのか?」

「俺はー……。足りない子が好き」

「足りない?」

「はい。色々と足りない子」

どういう意味かわからないが、足りない部分を自分が補いたいということだろうか。
さすがお兄ちゃんでお父さんな麻生らしい考え方だ。
余裕があるからこそそんな風に思える。自分なら絶対無理。分け与えられるほどの余裕も愛情も持ってない。

「……そうか。麻生に想われる人はとても幸せだと思う。すごく、すごく大事にするだろうから」

「うん。大事にするよ。もういらないってくらい」

髪に置いていた手をとられ下から真っ直ぐ見つめられる。
いつも優しく揺れる瞳から強い圧を感じる。男らしい麻生もいいものだ。
呑気に考えながらそうか、そうかと頷いた。

「俺に遠慮しないで恋人ができたら教えてくれ。お祝いしたいから」

「……先輩って本当にぼんやりしてますね。真琴に負けないくらいの鈍感」

急な悪口に面食らいながらごめんと呟く。

「お祝いなんてできるんですか?」

「できる。俺の気持ちと麻生の幸せは別なんだから」

嘘をついてない証拠としてしっかり視線を合わせると、麻生は長い溜め息を吐いた。

「先輩のガードの硬さといったら……。まあ、攻略のしがいがあっていいですけど」

首を傾げると、麻生はにっこり笑って起き上がった。

「チキン買いに行きますか」

「まだ食べるのか!?」

「夜ご飯です。クリスマスとチキンはセットですよ」

「そう、なんだ……。じゃあコンビニ行くか」

「はい。夜ご飯にチキンとケーキの残り食べて、寝る前に靴下をぶら下げるんですよ。あ、クッキーとミルクをサンタさんに置いてくださいね」

「サンタなんて信じる歳じゃないんだけど……」

「サンタはいますよ。知らないんですか?」

「え、で、でもプレゼントは親が置いて……」

「まさか先輩その説信じてるんですか?」

心底驚いた顔をされたのでこちらも目を丸くした。
だってそれが世の中の常識だろ。サンタが実は親だったと知り、悲しみを胸に少し大人になるものだ。

「明日が楽しみですね。プレゼントが置いてあったらサンタがいるって証拠ですよ」

「え、え、今までプレゼントが置いてあったことなんてないし……」

「サンタは忙しいから世界中を順番に回ってるのかもしれないじゃないですか。今年は日本の番かもよ?」

「……いや、でも…」

まさか、そんな、そんなわけないだろう。
いくらでも反論できるが、麻生があまりにも真剣な顔をするものだから自分の常識を疑ってしまう。
自分は知らないことが多すぎるので、胸を張って主張できない。



「ちゃんとクッキーとミルク置いて寝るんですよー」

麻生の部屋の扉を閉める間際、念を押すように言われ曖昧に頷いた。
子どもじゃないんだからと思いつつ、いや、でも万が一……と思うと無視できなかった。
それに、コンビニで麻生にクッキーとパックの牛乳を買わされたのでやるしかない。
ベッドに入る前、チェストにそれらを置いてふっと溜め息をつく。
馬鹿馬鹿しいと思うのに、少しだけわくわくしてしまう。
いい歳してと思うけど、これも麻生が普通のクリスマスを経験させてやろうと苦心した結果なのかもしれないし、それなら馬鹿でも楽しんだほうがいい。
どうせ誰も見てないし、クッキーと牛乳は明日の朝食にすればいい。
手に余る幸福を抱えながらベッドに入ると、寝不足と疲労でくたくただった身体は気絶するように深い眠りにおちた。


翌朝、ぼんやりと上半身を起こすとチェストに置いていたクッキーと牛乳がなくなっており、代わりに見知ったブランドの紙袋が置いてあった。慌ててそれを手にし、マジかと呟く。
まさか、本当に麻生が正しくて自分が間違ってたのだろうか。
寝起きにも関わらず心の水位が限界突破し、厚手のカーディガンだけを羽織り紙袋を持って麻生の部屋に走った。


END

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