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「あれ、いつもの先輩だ」

ロビーのソファでスマホを眺めていると、待ち合わせ時間ぴったりに麻生がやってきた。

「いつもの?」

「クリスマスだから気合入れてくるかなって楽しみにしてたのに。まあ先輩はいつも身なり綺麗だもんね。身なりは」

身なりは、の部分に部屋は悲惨だけど、という言葉が隠されているのを察した。

「麻生に気合入れた姿見せてもな……」

だってお前に好きな人がいること知ってるし。叶わないのに浮かれて努力したって惨めになるだけだろ。
そんな不満は呑み込んで、そりゃそうだと笑う麻生に苦笑で返す。

「……逆に俺はちゃんとしてる麻生見るの新鮮かも」

「え!?俺普段ちゃんとしてませんでした!?」

「あ、いや、お前はいつもちゃんとしてる。してるけど、近所歩く格好が多かったから……」

「そうかな?あんまり変わりないと思いますけど。俺流行追いかけるタイプじゃないし。お金勿体ないから」

「しっかりしてんなあ」

「所帯じみてるって言われます」

そうはいっても身長が高い人は普通の格好でもなんとなくさまになる。
だからモデルは背が高い人が選ばれるし、学校の制服だって自分が着るのと麻生が着るのでは少し違ってみえるものだ。

「麻生は背が高いからどんな服でもかっこいいぞ」

「そんなことないですけど……」

ふいと顔を逸らされ、慌てて覗き込むようにした。

「あの、照れるんでやめてください」

掌で顔を隠されたがこいつも照れることあるのかとますます凝視した。
素直な感想を言っただけなのに、こんなことで照れるなんて変なの。

「行きますよ」

少し怒ったように言われ、くすりと笑う。
麻生にはいつも翻弄されてばかりで、振り回されすぎて息継ぎが間に合わないときがある。だけどこういうとき、そういえば麻生も恋愛経験少ないんだっけと思い出す。
好意的に、下心を持って褒めてくれる人間は少ない。
自分は客に言われ慣れている部分があるけど、麻生の場合、恋人がいたことがないので初めてだったりするのかも。
麻生にも初めての経験はあって、しかもそれを自分が与えているというのは悪くない。悪くないどころか嬉しい。そう思うとこの恋も意味があるような気がしてくる。


「……動かないな」

「ですね」

柵とネットで保護された場所からかれこれ十分眺めているが、目的のハシビロコウは草の間で佇んだままだ。

「電車の中で調べたんですけど、ハシビロコウって夜行性なんですって。だから昼間は動きが鈍いんじゃないですか?」

「そうか。悪いことしてる気分」

「悪いこと?」

「休みたいのに展示されて人間にじろじろ見られるってストレスじゃないか?自分がそうやって展示されて観察されたら嫌だ」

「確かに。人工知能のAIロボットがそういう発言したことありましたよね。人間を安全な動物園に入れてずっと面倒をみるって」

「そうか。そういう映画の世界が近付いているんだな。そのときは無駄な抵抗はしないで捕まろう」

相変わらずのっそり身体を揺らすだけの大型鳥類を眺めながらそんなことを言った。
羽の色がとても綺麗で、大きな身体も大きな嘴もとても格好いい。
泉にはあれが三上に見えるのか。麻生も似てると言った。しかし具体的にどこが?大きいところ?脚が細くて長いところ?よくわからない。

「なあ、どこが三上に似てるんだ?」

「目つきが鋭いところです」

「なるほど似てる」

激しく納得した。
三上のあの切れ長で独特の目はかなり印象深い。初めましての相手に好印象を与えることはないが、その代わり神のように信仰する人間が一定数現れる。
大半の人間に嫌われ、一部の人間には好意以上の気持ちを向けられ、三上も大変な思いをしてきたのかも。
もう一度ハシビロコウを眺め、隣に三上を並べて想像しふっと笑った。泉にハシビロコウのお土産を買って帰ろう。きっと喜ぶ。
じゃあ麻生はどんな動物に似ているだろう。
園内マップを広げてみる。
イメージ的にはキリンとか、ゾウとか、シカ。大型で穏やかそうな草食動物。
考えると楽しくて、イラスト入りのマップを端から端まで眺め、途中あ、と声を上げてしまった。

「これだ。大きい亀」

「亀見たいんですか?」

「三上とハシビロコウが似ているのはわかったから、次は麻生が似ている動物探そうと思って。絶対亀」

「初めて言われたけど、亀好きなんで悪い気はしないかな」

「亀見に行こう」

地図によるとすぐ傍にあるはず。
すぐに見つけ、跳ねるように近付いた。
小さい亀もかわいいけど、絶対大きくてのっそりしたやつが似てる。

「ほら、あれ」

「ゾウガメですね。大きいですね」

「似てる」

「あれって似てるとか似てないとかあります?」

「なんか、穏やかで優しそうだろ。イメージだけど」

でも噛む力はすごいんだろうな。
見た目に騙され迂闊に近付くと怪我をする。そういうところも麻生にそっくりだ。

「先輩はペンギン一択だからね。あ、でものんびりしてるからパンダもいいな」

「俺は虎とか熊がいい」

「ないな」

そんなはっきり言わなくても。
単純に格好いいから肉食獣は好きだし、ペンギンに例えられるよりはそのほうが嬉しい。いや、ペンギンもよちよち歩く姿がかわいいし、見た目に反して過酷な環境で生息する種も多くて結構タフだけど。

「次はペンギン見に行こう」

腕を引かれ、柵まで着くと麻生はやっぱりと笑った。

「すごく似てる」

「……どこが」

「なんか見てるとはらはらするっていうか、放っておけなくないですか?転んだり滑ったり、でもすぐ立ち上がったり……。陸ではちょっと鈍くさいのに水の中ではすいすい泳いで、そういう振れ幅の大きさも似てる。あといつも眠そうなところ」

「眠そうに見えるのは一重だから」

「違いますよ。雰囲気とか気怠そうなところとか」

「……遠回しにディスってる?」

「なんでですか。ペンギンあんなにかわいいのに」

ペンギンはかわいいけどその理由がはらはらするとか、放っておけないとか、それって人間の赤ちゃんに対する気持ちに似てないか。
恋愛対象に見られないのはいいとして、同年代の男とも認識されていないのはショックだ。
そりゃあ頼りないし、年上らしい包容力もないけれど。
麻生には情けない姿をたくさん見せているので今更か。
どっちが年上かわからないくらい、麻生は余裕があって常に落ち着き払って、冷静で、自分の気持ちも他人の気持ちもしっかり整理し対処できる。
いつか自分もそんな人間になれたらいいのだけど。


園内で軽食を食べ、温かいコーヒーが入ったペーパーカップを手で包みながらベンチに腰かけた。
今更だが人が多い。特に親子連れ。休日だし、折角のクリスマスに子どもが喜ぶ場所へお出かけといったところだろうか。
俯瞰して眺めると、大人たちは動物を見て楽しむ暇などなさそうだ。
逸れぬよう子どもから目を離さず、子どもが走り出しそうになると慌てて身体を抱き締めるように止めている。
どの家族もそんな調子で、親という生き物の苦労を想像し少し申し訳ない気持ちになる。
自分はあまり手のかからない子どもだったと自負しているが、そう思ってるのは自分だけで、母は一人きりの子育てに苦労しただろう。

「……なんかこの光景いいな。みんな笑って楽しそうで。麻生も家族で動物園とか来た?」

隣に座る麻生に視線をやると小さく頷いた。

「うちは三人兄弟だから親は大変だったと思います」

「いいな、兄弟がいて。お兄ちゃんとお姉ちゃんだっけ?」

「はい。一人っ子は兄弟に憧れるって言いますけど、そんなにいいものでもないですよ。特に姉は気が強くて……。男に挟まれてるからしょうがないんでしょうけど」

「それでも羨ましいよ。親は先に死ぬけど歳が近い兄弟がいれば寂しくないだろ」

何気なく言っただけだが、麻生が息を呑むようにしたので自分の失言にはっとした。

「あ、一般的な話しな!誰でもそうだろ?」

暗い雰囲気にならぬよう、下手な笑顔を浮かべた。

「そうですね」

両手で包んだペーパーカップに視線を落とす。
麻生が無理にでも連れて来てくれなかったら、動物園なんて一生来なかったかも。
クリスマスや、動物園、なんというか、温かい家族の象徴のようなものと自分は交わっていけない気がして、ずっと目を逸らしながら生きたのだと思う。

「……麻生、今日ありがとな。色々気回してくれて。動物園が楽しいということがよくわかった」

「それはよかった。じゃあ次は水族館ですかね」

「またペンギン?」

「魚もいますよ。デートなら水族館のほうがいいかも。暗いし静かだし」

「言っとくけどデートは俺のほうが上手いからな」

「でも櫻井紘輝に戻ると下手じゃないですか」

「う……」

痛いところを突かれ胸が苦しくなる。
仕事の経験を生かせればもう少し麻生に楽しい思いをさせられたかもしれないのに。
子どもの似顔絵みたいに整ってない恋心をぶつけるばかりじゃなくて。
初めての気持ちは誰だって持て余すものだ。だけど高校生になってある程度世間の常識とか、社会性とか、そういうのを身につけたあとだと子どもみたいに素直になれず簡単な問題を拗らせて難しくするのかも。

「……麻生の初恋っていつ?」

「いつだろう。覚えてません」

「そんなませガキだったのか」

「いや、いつから真琴を好きだったのかわからなくて」

「そうか……。幼稚園から一緒って言ってたもんな」

「はい。真琴は昔から変わらずあの調子だから俺が近くにいなきゃなんて勝手に思って東城まで一緒に来たけど、知らぬところで大人になってるものなんですね。親の気持ちがわかりましたよ」

ふっと笑いながら頷いた。
泉はぼんやりしてるけど芯が強く、困難にも毅然と立ち向かえる。
誰に対しても優しくて、それは才能で、優しいということはそれだけ強いということ。
知れば知るほど麻生が惹かれた理由がわかる。同時に少し悲しくなる。
自分の恋が叶わないのはいい。それはもう割り切ってるし、片想いを楽しむ方向に気持ちを切り替えたから。
だけど麻生の恋は成就してほしかった。
好きな人の幸せを願うということは、泉や三上の破局を願うということで、それは違うとわかっているし、人の気持ちは操れないから仕方のないことというのもわかっている。
わかっているけど麻生だけ損をしているようで釈然としない。
こんなにいい人なのに。麻生が幸せにならないなら誰が幸せになれるというのか。
神さまはちゃんとみているだろうか。この先、特大の幸福を与えてくれるだろうか。長い、長い片想いを血を吐く想いで手放した苦しさを帳消しにしてくれるような。

「……人生ってうまくいかないな」

ぽつりと呟くと辛気臭いと笑われた。

「あ、でも、泉のこと話してくれて少し嬉しい。嬉しいって言うのは麻生に失礼かもしれないけど、前はそういうの話すことじゃないって教えてくれなかったし。ちょっと頼れる先輩と思ってくれたのかなって」

「うーん?」

腕を組んで首を傾げる様子を見て、勘違いだったのかと頭を垂れた。

「真琴のこと吹っ切れたから話せるんだと思います」

「……無理してないか?」

「はい。真琴のこと大事に思ってます。この先も、死ぬまでずっと大事。でもそれは恋愛感情とは違くて。大事なことには変わりないからどこで線引きされてるのかよくわからないけど、今は三上を追い駆ける真琴を見ても苦しくないから」

晴れ晴れとした表情に嘘はないのだろうと察した。同時に感心と尊敬が押し寄せる。
毎日少しずつ、どんなに苦しくとも自分の気持ちを水に流す作業を続け、漸くそれを終えたあとは今度は別の感情で泉を大切にしようとする。
誰にでもできることじゃないと思う。
自分が苦しい分、相手にも少し意地悪したり、八つ当たりしたり、いっそのこと関係を断とうとしたり、自分の心を守るためちょっと嫌な人間になったりするだろう。
だけど麻生は自分の痛みや苦しみを相手に預けようとしない。
自分一人で処理し、呑み込み、前を向く。
麻生の横顔を眺めながらすごいなあと呟いた。麻生が慌ててこちらに視線を寄越す。

「麻生は本当にすごい。辛くてもそんなの全然表に出さないで弱音も吐かない。泉のために誰も傷つけないで最善の関係に収まるよう努力したんだろ。よくがんばったな」

励ますように麻生の太ももをぽんぽんと叩いてやる。
麻生は少し驚いたようにしたあと息だけで笑って俯いた。なにかまた気に障ることを言っただろうか。

「……俺、自分を優しいとかいい人なんて思ったことないです。本当に普通だから。だけど先輩がいつもすごいすごいって褒めてくれるから、自分が上等なものになったような気になる。そんなわけないのにね」

麻生が困ったように笑うので、否定するためぶんぶんと首を左右に振った。

「だからむかつくことやしんどいことがあるたび、麻生はすごいって笑ってくれる先輩思い出すんです。そういう自分でいられるようにもう少しがんばろうって思えるから。だからありがとう先輩。真琴のこと吹っ切れたのも、三上を殺さず済んだのも先輩のおかげです」

何か言葉を探したけど、最適なものが見つからなくてただ麻生を見つめることしかできなかった。
嬉しい、悲しい、切ない、そして愛おしい。
土砂崩れのように一気に足元を掬う感情に流され胸が苦しい。
こんな自分が少しでも麻生の役に立てた。
麻生はいつも自分の言葉を聞き流さず、きちんと受け止めてくれる。
だから立ち直るきっかけにしてくれたり、お守りみたいにしまってくれる。

「……お、俺は本当に麻生を尊敬してるからすごいなって言っただけで……」

「うん。だから嬉しかった。その場のノリとか、薄っぺらい感じがしなかったから。先輩は思ったこと素直に言えてすごいです」

「そんなの別に普通……」

「それが案外普通じゃないんですよ。真琴も言ってました。櫻井先輩の言葉には誤魔化しがないから安心するって。上手に組み立てて話せないかもしれないけど、口先だけの人間よりよっぽどいいと思いません?」

「……俺は本当に話すのが下手なだけで……。嘘だって誤魔化しだってするし…」

「先輩は自分に対して過小評価だね」

「麻生もな」

「俺は普通だって」

「そんなの俺は普通以下だ」

「頑固」

「お互い様」

ふん、とお互い顔を背けたあとでなんで喧嘩してんだとおかしくなって笑った。
麻生も手の甲を口に押し当てながら笑ってる。
自分のことは自分じゃ見えない。時には他人からの評価が正しいこともあるだろう。
麻生のことも泉のことも人として尊敬している。二人は優しいから長所を探してそこに焦点を当ててくれる。だから彼らの言葉だけが正しいとか、自分がまともな人間なんて勘違いはしないけど、必要以上に卑屈になりたくない。
今はまだ出来損ないかもしれないが、時間がかかってもいいから自信を持って二人と向き合えるように。
そうやって前向きに考えられるようになったのも彼らのおかげ。
自分が良い方向に変わったと自覚するたび嬉しくなるし、自信にもつながる。

「もう一回りします?」

「だな。帰りに泉と三上にお土産買って帰る。ハシビロコウグッツ」

「じゃあ俺は先輩にペンギンのなんか買います」

「だから俺はペンギンより虎とかのほうが……」

「それは諦めてください」

行きますよと立ち上がった麻生を見上げ、口を窄ませた。
今は無理かもしれないが、いつか肉食獣がぴったりですと言われるくらい男らしくなってやる。
めらっとくだらない闘志を燃やす。

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