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チャイムが鳴り、答案用紙を前の席の人に手渡す。
やっとすべてのテストが終了した。
あちらこちらから歓喜の声が聞こえる。この解放感は何度味わってもありがたいものだ。
あと数日で冬休みになり、そのすぐ後にはクリスマスが待っている。
三上とはあれから顔を合わせていないし、話してもいない。
連絡をとろうと勇気を出して電話をかけても繋がらない。
部屋に訪ねたところで居留守を使われるだろうとわかっているので、三上が僕と話す気になってくれるまで待とうと決めた。
せめて冬休みまでには仲直りがしたいと思ったが、それも難しそうだ。
このままでは本当にクリスマスを離れて過ごす羽目になる。
それどころかお正月も。冬休み一度も会えない可能性もあるし、最悪このままさようならだ。
鬱々とする気持ちをどうにか抑え込む。
考えても仕方がない。気難しい三上は放っておくのが一番だと承知している。
変に近付けばますます離れてしまうのだ。まるで気位の高い猫だと思う。
HRが終わると扉から潤の声が教室中に響く。
「真琴ー!帰るぞー!」
相変わらず、潤がその場にいるだけで周りがぱっと華やぐ。
華がある人間は人の視線を奪わずにはいられないのだ。
「お早いご登場だね」
蓮がこっそりと微笑んだ。
「だね…じゃあ蓮、また」
「うん、じゃあね」
蓮に小さく手を振り、潤のもとへ急いだ。
特別一緒に帰ろうと約束をしていたわけではないが、考査が終了するまでは有馬先輩に逃がしてもらえなかったようだから、ストレスを発散させたいのかもしれない。
「有馬先輩はいいの?」
「勘弁して。漸く解放されたんだし、しばらく顔見たくない」
本気で嫌そうな顔をするところを見れば、相当スパルタ教育を施されたらしい。
それは潤にとっては良いことだし、有馬先輩も愛故に、だと思うのだが。
「腹減ったなー…なんかコンビニで買ってから帰ろうぜ」
「はいはい」
女王様の身勝手さには随分慣れている。
まるでその自由奔放ぶりが弟のようで可愛らしい。潤には絶対に言えないが。
コンビニでどっさりと買い込んだ潤と共に、潤の部屋へそのまま向かった。
久しぶりだから少し話そうという提案に乗ったのだ。
どうせ部屋にいてもすることはないし、今日は午前中で学校が終わったため、時間はたっぷりとある。
一人でいれば碌な事を考えないだろうし、好都合な誘いだった。
「適当に座って」
「…潤、掃除しなさいよ」
「えー…面倒くさい」
服は乱雑に投げられ、雑誌や漫画本、小型のゲーム機など床に散らばっている。
慣れたつもりだがこれでは有馬先輩に小言を言われるのも納得だ。
元々一人っ子で好き勝手生きてきたのだろうし、女性ではないのだから繊細だとも思っていないが、見た目とのギャップに驚く者もいると思う。
仕方なくいつも僕が適当に片付けているのだ。
これでは意地悪な継母とその下僕だ。あながち間違ってもいないように思うが。
座れるスペースを作れば袋の中からペットボトルに入ったお茶を投げられた。
「ありがと」
「好きなの食べて」
テーブルの上に乱雑に投げられたお菓子の一つを頂戴する。
「真琴は冬休み実家帰んの?」
「帰るよ。お正月は実家で過ごす」
「ふーん」
「潤は?」
「んー…正月ぎりぎりまでは寮かな。正月は帰るけど」
「そうなんだ。クリスマスも有馬先輩と?」
「さあ。別に何も話してない」
それは話す必要もなく、当然のように一緒に過ごすとお互いにわかっているからこそだと思う。
交際を始めて一年程度しか経っていないらしいが、期間は短くとも濃密な時間を過ごしているからこその自信だと思う。
単純に羨ましいと思った。僕と三上がそんな風になれるにはあと何年、何十年必要かもしれない。
その前に確実に別れると思うのだが。
「真琴は三上と一緒だろ?」
「…わかんない…」
「なんで。一緒に過ごすんだって気合入れてたじゃん」
「うん…デートしようって誘ったけどあっさり却下されちゃった」
極力明るい笑顔で言ったが、潤は溜息を吐くだけだった。
「相変わらずだな、三上も…まあ、あいつの性格を考えれば当然かもしれないけど」
「うん、僕もそう思う」
「でも外でデートしなくても部屋でもいいから一緒にいればいいじゃん。それなら三上も嫌とは言わないだろ」
「うーん…」
その前に仲直りをしなくてはいけない。それが一番難題なのだ。
曖昧な返事に何かあったのかと問われ、掻い摘んで事情を説明した。
絶賛喧嘩中であることも。
「…なんか真琴たちって常に喧嘩してるよな…」
「そ、そんなことないよ!仲がいいときも…」
あると胸を張って言えないのが悔しい。
形的には恋人にはなれたかもしれないが、内容は以前と変わらない。
好きだと全身で語って、鬱陶しいと一蹴されて、へこんで終わりだ。
甘い言葉もなく、触れ合ったりもしていない。恋人と呼べるかと問われれば自信がない。
けれど、付き合い方はそれぞれだし、僕達の形はこれでいいのだ。
本音を言えば寂しいけれど、三上が甘い雰囲気を作ってくれるなど、最初から期待していない。
「早く仲直りしろよ?せめてクリスマスには。真琴も一緒にいたいんだろ?」
「うん、一緒にいたい。プレゼントも渡したいし……でもどうしたらいいのか全然わかんないや…」
「僕も三上の全部をわかってるわけじゃないしなー…」
「潤は三上と喧嘩したことない?」
「ない。あいつ怒んないし。いや、いつも怒られてたけど、本気で怒ったのは見たことない」
「…そっか。なんか僕はいつも怒らせてばっかりだよ」
「ま、それはそれで特別なんじゃね?三上が怒るってのは真琴だからこそ、ってね」
「…そうかな…もう少しうまくやりたい」
「そりゃ、気持ちはわかるけど…」
「潤もうまくできないの?」
「…うまくできないっていうか……あれだ、ぎゃふんと言わせたいっていうか――」
そのとき潤の背後の扉が静かに開き、有馬先輩が顔を出した。
潤は気付いていないようで、あたふたとする僕を気にする様子もなく話し続けている。
「参りましたって跪かせたいっていうか。最終的には靴を舐めさせようと思うんだよ」
有馬先輩は潤の背後で腰を折り、耳元に顔を近付け、口だけで笑っている。
「それは初耳です」
「っ、げ!なんで!なんでいんの!」
勢いよく振り返った潤は器用に座ったまま後退りすると僕にぶつかって止まった。
「忘れ物、届けて差し上げたんですよ。どうぞ」
教科書を数冊手渡すと有馬先輩は潤に近付き、にっこりと微笑みながら目線を合わせるようにしゃがんだ。
「SMプレイをご所望だったんですね、潤は」
「は!?なんでそうなんだよ!?」
「靴を舐めたいのでしょう?私はヒールを履く趣味はありませんので、革靴で勘弁でて下さいね」
「僕じゃなくて先輩が舐めるんだよ!」
「それはちょっと…真性Mの潤には荷が重いと思いますよ?」
「誰が真性だよ!SMプレイも所望してないから!」
「残念です。結構楽しいですよ。今度やってみましょう。道具を用意しておきます」
口を釣り上げて笑う姿が恐ろしい。
潤が有馬先輩を怖いという意味がよくわかる。修羅だ。この人は修羅を飼っている。
「なんなら今からでも結構ですが?」
「今日は真琴と遊ぶんだよ!」
「そうですか、では泉君もご一緒に、三人で楽しみますか?」
有馬先輩と視線が交わり、気恥ずかしくて俯く。
性格はだいぶ歪んでいるし、一癖も二癖もあるが、顔と声はとても綺麗で、凛とした雰囲気も素敵だと思う。潤と並んでも決して見劣りなどしない。
そんな有馬先輩から危険なお誘いをされてしまった。勿論冗談だと承知だが、それでも頬がぽっと朱に染まってしまうではないか。
潤の恋人に変な感情は起きないが、端正な顔で微笑まれれば、言っていることは滅茶苦茶でもうっかり頷いてしまいそうになるではないか。
女王様な潤がたじたじになるなんて、有馬先輩は魔王様か。
「真琴にセクハラすんな!」
「大丈夫、二人同時に可愛がれる自信があります」
「なんの自信だよ!真琴に変なことしたらぶっ殺す!」
「変なこと?気持ち良くして差し上げるだけですよ。なにも虐めるわけではないんですから」
「それがだめだっつってんの!」
僕の前に両腕を広げた潤は有馬先輩から守ろうと必死だ。
どこまでが本気でどこまでが冗談なのかわからない。潤は僕以上に苦労をしながら有馬先輩と共にいるのかもしれない。
「気が向いたらいつでもお相手して差し上げますからね、泉君」
有馬先輩に微笑まれ、引きつった笑みを浮かべた。
潤の有馬先輩に対する愚痴が止まらない意味がよくわかる。
そこではたと気付いた。確か有馬先輩は三上と仲が良かったはずだ。
三上はそんなことはないと全否定するが、有馬先輩ならば三上の弱い部分やどうすれば仲直りできるかわからないだろうか、と。
「潤、あのさ…」
こそこそと耳元で話すと、潤は顔面を歪めた。心の底から嫌そうだ。そんな顔をしては潤の顔が大好きな人たちが悲しんでしまうというのに。
「…真琴がそう思うならいいけど、碌な答え返ってこないぞ、絶対。絶対!」
そんなに強調せずともいいのに。潤は本当に有馬先輩を信じていないようだ。
「…あ、あの、有馬先輩…」
「なんですか?やっぱり三人で楽しみます?」
「……それは今度にしておいて、ちょっと相談、が…」
「今度ですか。楽しみにしてます。で、なんですか?」
余計なことを口走ったと思ったがもう遅い。
潤もだから言わんこっちゃないと溜息を零した。
「あのですね、三上の弱味、知ってますか?」
「知ってますよ」
あっさりと返されぽかんと口が開いた。さすが有馬先輩とでも言うべきか。
「教えて下さい!」
前のめりになって言えば、有馬先輩は指先を口元へ持っていき数拍考えた後微笑んだ。
「それは教えられません」
「…なんでですかー!」
「泉君に教えてしまったら私が三上に殺されます。見た目の通り、暴力は得意ではないんです」
「そんなー…」
「何故弱味を知りたいのですか?」
潤に説明したように、有馬先輩にも掻い摘んで事情を話した。
「弱味を握るのではなく、三上がどうすれば喜んでくれるかを考えるべきだと思いますよ」
その言葉は目から鱗だった。有馬先輩の言う通りだ。当たり前のことを忘れてしまっていた。三上を陥れるのではなく、幸せにしたい。
潤は碌な答えが返ってこないと言ったが、そんなことはない。
魔王だと思っていたが、今は大天使に見える。
「じゃあ、三上がなにをしたら喜ぶか教えて下さい!」
「そうですね…三上はむっつりですから、裸エプロンなんていかがですか?」
「…あの、真剣にお願いします…」
「私はいつだって真剣ですよ」
脱力し、潤に助けを求めるように視線を走らせる。
潤は意図を察してくれたようで、腕を組みながら浅く溜息を吐いた。
「だから碌でもない答えしか返ってこないって言っただろ」
「それは心外です。なんなら柴田でも呼んで聞いてみて下さい。私と同じことを言いますから」
「んなわけないだろ」
「いえ、絶対言います」
「じゃあ言わなかったら僕の靴舐める?」
「いいでしょう」
その賭けに乗ったと、潤は皇矢を呼び出した。数十分後現れた皇矢は面倒臭いと言わんばかりの表情だ。
さっそく皇矢にも同じ質問をぶつけると、悪人面を色濃くして言った。
「コスプレでもしてやれば?」
「ほら、言ったでしょう」
「ありえない!三上はそんな変態じゃないだろ!有馬先輩と皇矢と同じにすんな!」
「お前、三上はむっつりなんだから絶対俺らより変態なんだよ」
「ない!有馬先輩より変態なんてこの世界にはいない!」
「おや、それは誉めて頂いているのでしょうか」
「なわけないだろアホか!」
「私に向かってアホとは…」
「ってことだから、何を真琴に着させるか考えようぜ」
「真琴で遊ぶな!」
「でも絶対三上喜ぶもん」
三人で繰り広げられる応酬を眺めながらぽかんと呆気にとられた。
潤が言うように、まさか、有馬先輩や皇矢よりも変態だなんてことはないと思うのだ。
けれども、三上をよく理解しているであろうこの二人が言うと妙な説得力がある。
見た目が平凡以下の僕がコスプレしたところで気持ち悪いと一蹴されて終わる気もするが。
だいたい三上に性欲があるのかどうかも疑わしい。
どんな風に誘っても三上は色では堕ちないと思う。可愛らしい女の子ならば話しは別かもしれないが、それが僕ではギャグにしかならない。
色気もなければ貧相な身体だし、顔だってこんな具合だ。
しかし、二人が言うようにコスプレをして三上が喜んでくれるのならばどんな格好でも嫌がらずにすると思う。
望むことはなんでも叶えてあげたい。
「何着たらいいかな」
「真琴!二人の口車に乗せられない!」
「でも…」
「さすが真琴、三上のためなら男を捨てるか」
「はは、男のプライドなんて最初から持ってないし」
極端なはなし、三上が望むのならば身体を女性にしても構わない。
母や兄姉は悲しむだろうが、強く願うのならば。
身体を女性に変えて三上が心から愛してくれるのならば、喜んで手術を受けると思う。
「クリスマスだしサンタ…?ミニスカの。白いニーハイ履いて」
「それ皇矢の趣味だろ」
「俺はナース派だ」
「聞いてねえよ」
「コスプレの定番といえば、やはりセーラー服では?」
「定番って言ったらメイドじゃないの?」
「メイドかー…いいなー…メイド…」
「皇矢、顔がきもい」
「あとは…チャイナドレスはどうですか?」
「チャイナ最高!」
「お前ナース派だろ」
「チャイナだったら断然スカート長い方がいい。スリットがばっと入ってる感じ最高」
「柴田、高杉に着させたいだけでしょう」
「あ、ばれました?」
「お前ら、真剣に考えろ…」
そもそも議題がふざけているのだから、真剣もなにもないのだが、三人は唸りながらも考えてくれている。
さすが、高校生男子は人数が揃えば揃うほど馬鹿になる。
傍から見る分には愉快だが。
「あのー、潤ならともかく、僕じゃあんまり派手なのは可愛くないんで…」
「そんなことありませんよ。なんなら二人で着たらいいじゃないですか」
「は?僕絶対着ないから」
「潤だったら何がいいかなー…なんでも可愛いと思うけど、メイド服に猫耳は絶対着せてみたいよね」
「真琴、変な知恵植えつけんな」
「似合うのにー」
「似合わなくて結構」
ぴしゃりと潤は否定するが、絶対に似合うし綺麗だと思う。
有馬先輩もにんまりと笑っているし、もしかしたら余計なことを言ってしまっただろうかとも思ったが、潤も散々僕で遊んでいるのだからこれくらい罰は当たらないだろう。
「ま、まとめると好きな奴なら何着ても可愛いし萌えるってことだ」
皇矢にぽんと背中を叩かれたが、好きかもしれないのレベルの僕ではそんな風には思ってもらえそうにない。
そもそも有馬先輩と皇矢が三上を喜ばせるためならばと言い出したのに無責任にまとめられてしまった。
「衣装は私が用意しましょう。泉君は三上と仲直りすることに専念して下さい」
「…はい、ありがとうございます…」
「真琴、だめだよ有馬先輩なんかに任せたら」
潤が耳打ちしてくれるが蜘蛛の糸にも縋りたい思いなのだ。
手助けをしてくれるのならば誰でも構わない。
三上を僕よりも理解しているであろう有馬先輩ならば尚更心強いと思うのだけれど。
有馬先輩と皇矢はそうと決まればと早速二人で部屋を去ってしまった。
呆れる潤を後目に、頭の中ではどんな言葉を言うか、どんな風に謝ろうかシュミレーションを重ねた。
どうせ考えても三上を目の前にすればすべて吹き飛んでしまうのだけれど。
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