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終業式が終わったら翼さんの部屋へ行き、クリスマスを一緒に過ごす予定だった。
ずっと前からそうしようねと計画を立て、勿論と頷き、プレゼントも用意した。
着替えを済ませ、約束の時間に間に合うように部屋を出る間際、ポケットに入れた携帯が鳴った。
なんとなく嫌な予感にディスプレイに視線を移す。

「…はい」

『景吾、俺。ごめん、急にバイトこれないかって言われて。インフルで何人かダウンしたらしくて』

悪い予感はいつも的中する。心の中でこっそり溜め息を吐き、そうと気取られぬよう殊更明るい声を出した。

「そうですか。大変でしたね。俺は大丈夫ですよ」

『本当にごめん。なるべく他の人に当たってくれって言ったんだけど、誰もつかまらないらしくて』

「謝らないでください。翼さんが悪いわけじゃないんだし。じゃあよければ明日にしましょう」

『よくないよ!全然、まったく、これっぽっちもよくない!俺は景吾のお泊りを楽しみにここ数日血を吐くような想いで…』

「わかってますよ。他の人の分までバイトと大学頑張ったんですよね」

『そう!なのにこんなのって酷い』

そうは言いつつ、バイト先を見捨てられない優しさが彼にはある。
クリスマスイブだし、お店は混んでいるだろう。猫の手も借りたいほど多忙だろうし、彼が助けに入らないと回らない状況なのだ。
だから自分一人が我慢して事なきを得るならそれでいい。
別に日にちに拘らなくても会えれば満足だし、面倒なことも言いたくない。

「今日一日頑張ったらすごくいいことがあるかもしれません。だから行ってきてください」

『…うん。本当にごめんね。埋め合わせするから』

「別にクリスマスに拘ってないんで大丈夫ですよ」

『それはそれでちょっと寂しいけど。じゃあ明日会おう。明日も出てって言われても断ってやる。絶対に』

あまりにも悔しそうに言うものだからふっと笑い、がんばってくださいと背中を押してから電話を切る。途端に長い溜め息が漏れた。
拘ってないと言ったのは嘘じゃない。どれだけ世間が恋人と過ごそうと寂しいなんて思わないし、自分も同じようにしたいとも思わない。
ただ、やっと会えると思っていたから残念なだけだ。
自分は考査、彼は大学とバイトでお互い忙しく、ずっと会えずに寂しい想いをした。漸く今日こそはと意気込んでいた分、がっかり感も半端ない。目の前に並んだご馳走を奪われた気分だ。
肩を落としながらソファに戻ると、励ますように学にぽんと肩を叩かれた。電話の会話で大方察してくれたのだろう。

「相手が年上だと色々大変だな」

「まあ、しょうがないよね。仕事は大事だし」

自分に言い聞かせるようにする。
勉強も、バイトも、自分も、彼はすべてを平等に扱おうと努力しているし不満なんてない。
その時、その時で優先順位は変わってくるし、今日はバイトが一番優先されるべきだった。
苦渋の決断だっただろう。彼も楽しみだと、早く会いたいと言ってくれていたし、嘘じゃないと思う。

「…家の鍵持ってんじゃなかった?」

「持ってるけど」

「じゃあ部屋で待ってれば?」

「えー、でも俺は明日から休みだけどあっちは明日も大学あるし急に行くのもねえ…」

「俺なら嬉しいけど」

「そうかな…」

「元々今日会う予定だったんだし急ってわけでもないだろ?サプラーイズってやつだよ。景吾そういうの好きだろ」

「好きだけど…」

友人に対してはいくらでもできる。
ちょっとした悪戯をしたけたり、内緒で誕生日プレゼントを用意したり。
でも対象が恋人となると少し変わってくる。
万が一不正解を選んでしまったときに受ける代償が大きく、それがとても怖い。
誰だって好きな相手に嫌われたくないだろう。そのせいで臆病になり、言葉や態度が慎重になる。
とはいえ、基本的に楽天的で馬鹿なので選べるものも限られていて、今まで何度も不正解を選択しては傷つけたり、ちょっとした喧嘩もした。
今回はどちらを選ぶのが正解だろう。答えは彼のみぞ知るので悩んでも仕方がない。
安パイをとるならこのまま大人しく寮にいる。
でも学の言葉にうずうずと胸が騒ぐ。それほど会ってなかったし、会いたくてたまらなかった。

「もし嫌な顔されたら泣いてる景吾を俺が迎えに行ってやるよ」

「泣かないよ!」

「じゃあ行ってきな。会いたかったんだろ」

「……うん。ごめんね、クリぼっちにさせて」

「やめろ。忘れようとしてんだから」

軽口に笑い、ソファから立ち上がる。
行ってきますと手を振り、大きく脚を踏み出した。
本当にこれが正解だろうか。電車に揺られている間も、駅からマンションまでの道のりでも、部屋についてからも考えてしまう。
彼はいつでも来てと言ってくれたが、やはり人の家に勝手に上がり込むのは気が引ける。
いくら恋人でもパーソナルスペースを大事にしたい人は多い。
泥棒に入るようにこっそりと扉を開け、綺麗に片付けられた部屋を見渡す。
今日来る予定だったから忙しい中無理して掃除をしたのだろう。
そんなの気にしないと言ったが、まだだらしない姿は見せてくれない。
途中、コンビニで買った小さなケーキやパスタやチキンを冷蔵庫に入れ、ソファの端にちょこんと座った。
何かしていないとやっぱり帰ろうかなと尻込みしてしまいそうで、勝手に彼のゲームで遊び、お腹が空くとお菓子を頬張り、まだかなと五分おきに時計を見た。
きっと忙しい分いつもより遅くなるだろう。あと数時間は待つことになりそうだ。
心の準備とご飯の準備が必要なので、バイト終わったら電話くださいとラインを入れておいた。
そのままゲームをしたり、飽きるとソファに横になってぼんやりスマホを眺めたりしている内に、二十三時を回った。
まだ彼から連絡はない。嫌な顔をされたら迎えに行ってやると学は言ったけど、電車がなくなるのでそれも無理そうだ。
まさか、迷惑に思われても寒空の下放り投げることはしないだろうが、がっかり感は会えないと言われたときより酷いだろう。
落ち着かない心が鬱陶しく、早く帰って来ないかなとスマホに向かってぽつりと呟き、重くなる瞼を必死に押し上げた。

放り投げた腕の先で握っていたスマホが震え、慌てて上半身を起こした。
半分寝惚けたまま、ここどこだっけと目だけを動かす。
翼さんの部屋に押し掛けたことを思い出しながらスマホを耳に寄せた。

『ごめん、寝てた?』

「…はい」

『そうかなーって思ったんだけど、電話ちょうだいってライン入ってたから』

「…いいんです。俺が電話してって言ったから…」

『…うん。景吾、本当にごめんね。初めてのクリスマスだったのにね』

「来年もあるじゃないですか」

『そうであってほしいけどね。景吾は友達と過ごしたの?』

「…いえ」

『一人?』

「…まあ、一人です」

『そっか……会いたかったな』

絞り出すような掠れた声を聞いた瞬間、なんだか無性に泣きたくなった。
無言の時間が流れ、電話の向こうで電車のアナウンスが響く。

「今から電車乗るんですか?」

『うん。また連絡するよ』

それじゃあまたと言い合い、電話を切った瞬間立ち上がった。
バイト先の駅からマンションの最寄駅まで電車で二十分程。マンションまで歩いて十五分。そんなに待てない。
あんな声で会いたかったなんて言わないでほしい。もし自分が寮にいたら終電もなく行く手段がないのに気持ちだけが膨れ上がって叫び出したくなっていた。
彼は人を誑かすのが本当に上手だ。
マフラーをぐるぐる巻きにし、鍵のかけ忘れがないように確認してから駅まで走った。
外の空気は冷たく、鼻の頭と耳の先が痛い。
いつも彼が自分を待っている場所、改札を抜けた真正面で肩を大きく揺らした。
電光掲示板を眺め、あと数分の到着を確認する。
いつも翼さんはこんな気持ちで自分を待っているのだろうか。
確実に会えるのにその数分が耐えられないほど長く感じて、一分でも一秒でも早く顔が見たくなる。
じれったくて、でも他で暇を潰す余裕もない。
その内、ホームに電車が到着した音が響き改札に向かって人の群れが流れてきた。
ぼんやりとそちらを眺め、彼の姿を探すがまだ見つからない。
おかしいなとスマホを取り出し乗換案内アプリを眺めていると、引っ手繰るように強い力で腕を掴まれた。

「景吾っ!」

衝撃の次には震えるような声で呼ばれ、顔を上げて微笑んだ。

「おかえりなさい」

「…ただいま……なんで…」

「どうしても会いたくて」

本当は他にもっと言うべきことがあるけれど、今はなにも付け加えたくない。
翼さんは泣きそうな顔で笑い、人前にも関わらずぎゅうっと身体を抱き締めた。あまりの力に背中を反らせる。
こんな所で何やってんだろと思うけど、周りの人たちも酔っ払った若者がふざけているだけと勘違いしてくれるだろう。
漸く身体が離れると、彼は思い出したように鞄から縁に白いファーがついた帽子を取り出し、すっぽり頭に被せた。

「なんでこんなの持ってんですか」

「バイト中被ってた。間違って持ってきちゃったけど、正解だったね」

「正解?」

「似合うから」

「うーん、喜んでいいのか微妙」

顔を顰めると、彼はくすくすと笑い一瞬だけ指を絡めて帰ろうかと言った。
帽子をとろうとするとダメだと制され、不満を訴えながらも言う通りにした。どうせすぐ住宅街に入り誰とも擦れ違わなくなる。

「俺の部屋で待ってたの?」

「はい。勝手に入るの申し訳ないと思ったけど…」

「いいって。いつでも勝手に来てよ」

「でもなんとなく良心が痛むんですよね」

「他人じゃないのに?」

「他人じゃないのに」

「じゃあ良心が痛まなくなるまで勝手に入って」

「どんな理屈ですか」

口を大きく開けて笑うと、薬指と小指をきゅっと握られた。
窺うように顔を覗き込むと彼は申し訳なさそうに苦笑した。

「誰もいないし、夜中だし、へとへとだから我儘きいて」

「これが我儘ですか?」

「我儘には入らない?」

「入りませんよ」

言うと、今度は肩を引き寄せられ触れるだけのキスをされた。

「じゃあこれは我儘に入る?」

「……不意打ちだから入ります」

「どんな基準なの」

見詰め合って笑うと、早く帰ろうかと手の甲を親指ですりっとなでられた。
熱のこもった彼の瞳に戸惑いながら頷く。なんだかおかしくて一人で笑った。

「どうしたの?」

「いやー、何度経験しても翼さんが俺なんかに欲情するのが面白くて」

「近くにいたら毎日抱いてるね」

「背もそんなに変わらないし、身体も顔も男なのに」

「でも景吾以外抱きたいと思わないんだ」

急に口に甘いお菓子を突っ込まれたような感覚に片方の眉を上げた。

「…本当に口が上手いですよね」

「ただの本心だよ!」

「ああ、間違いました。人を誑かすのが上手です。色んな人をうっかり勘違いさせてません?」

「させてないよ!」

「本当かなあ」

「神に誓って。万が一、万が一気があると勘違いさせても俺に気がないんだから浮気には発展しない」

「浮気しても距離があるからバレないよ」

「俺は景吾に嘘ついたり裏切ることはしないよ。絶対。もう二度とそんなことしないって決めた」

硬い声色に驚き、咄嗟にごめんと謝った。

「間違った。ごめんじゃなくて、ありがとうかな」

「それも変じゃない?恋人なら当たり前でしょ」

「そうですけど、こう、以前とのギャップのせいで大事にされることに感謝しないとなーって」

「あの時の梶本翼は死にました」

「そうですね。たまに強引で冷たい翼さんもかっこよかったなって思う時もあるけど」

「ふうん。じゃあ今日はそういう風に抱くよ」

耳元で囁かれ、慌てて耳を手で塞ぐようにした。
その反応に満足したようにくすくす笑われ、普段は景吾景吾と赤ちゃんみたいに後を追うくせに埋まらない経験差は健在だなと憎らしくなる。

「…楽しみにしてます」

怯む心を気取られぬようにっこり笑うと、彼はやっぱり無理かもと情けなく眉を寄せた。

「もう景吾に酷いことできないし。なんで俺はあんなことできたんだろうね?」

「もう降参ですか」

「いや、ちょっと待って。頑張るから」

頑張ってすることでもないし、やはり冷酷で簡単に心を握り潰していた彼より、甘えた様子でべったり後をついてくる今の方が幸せだ。
適当でふらふらしていた過去も、がっちり抱き締めて離さない今も、どちらの彼にも恋をしたので、もう性格がどうだとか、体系や顔がどうだとか関係なく、翼さんである限り好きな気持ちは変わらないのだと思う。
本音を晒すのは半分以下にしようと決めているので自分の心の中だけに仕舞っておこう。

「あ、景吾が言った通りになったね」

なんでしたっけと首を捻る。灯りのついたマンションが見えてきた。

「今日頑張ったらすごくいいことがあるかもしれないって言ったでしょ?」

「すごくいいことありましたか?」

「うん。景吾が来てくれた」

エレベーターの中で抱き締められ、肩に額を摺り寄せた彼の背中をぽんぽんと叩く。
これはケーキや夕飯は明日に持越しになりそうだ。
一緒に食べようと思って我慢していたので、正直とてもお腹が空いているけれど、待てないと言う彼の甘い吐息に吸い寄せられ、結局うんと頷いてしまう。
部屋の扉を閉めた瞬間、靴も脱がずに性急に口付けられ、参ったなと心の中で苦笑した。

「ごめん。もう一個我儘聞いて」

「…いいよ。明日の朝ご飯作ってくれます?」

「いくらでも」

冬休みは色んなところに出かけようと言っていたけれど、これは暫くの間ベッドの上から動けなくなりそうだ。
性処理のためのセックスじゃないとわかっているから、求められた分だけ応えたくなってしまうのだ。
本当は動けるうちにプレゼントを渡したかったけれど、それも明日にとっておこう。


翌朝、目を覚ました時には彼の姿はなかった。
慌ててスマホを手繰り寄せるとお昼を回っている。
相当疲れていたらしい。受け身の方が体力も気力ももっていかれる上、もう一回と強請られると否と言えない。

「…朝ご飯食べ損ねた…」

腰を庇いながら上半身を起こすと、枕の周りにいくつかショッパーが並んでいた。
首を傾げながら傍に置かれたメモ用紙を手に取る。
クリスマスプレゼント、一つに決められなかった。朝ご飯はキッチンに置とくからね。
時間がなかったのだろう、殴り書きのようなそれにくすりと笑う。
彼が帰宅するまでにどれくらい体力が戻っているかわからないが、今日こそはご馳走を並べて恋人らしくクリスマスを過ごそう。




END

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