Dear
「いい子にしてたらサンタさんからプレゼントがあるらしいぞ」
珈琲が入ったカップを口元に寄せた瞬間に隣に座っていた恋人が言い出した。
クリスマスの今日くらいは勉強を軽めにしようと、夕食を食べた後ゆったりした時間を過ごしていた。
急になんの話しだとそちらに顔を向け首を捻る。
「…なんだ急に」
視線を膝に置いていた本のページに戻す。
「サンタから褒美がある日なのかキリストの誕生日なのかはっきりしてほしいよな」
「…イエスの誕生日は十月という説もある」
「じゃあなんで二十五日になったの」
「…話すと長くなるので割愛」
本に夢中で曖昧な返事しかできなかったが、柴田はさして気にした様子もなくカップをテーブルに置いた。
「まあ、無宗教にとってはどっちでもいいけど」
無意識に彼からもらったロザリオを服の上から撫でた。
自分ももう無宗教に分類されるのだろう。反逆し、教えを捨て、柴田を選んだ。
昔だったら悪魔憑きと断罪されていただろう。
父からは勘当を言い渡されたが命まで奪われないだけましと思った方がいいかもしれない。
母や妹の話しでは、父は相変わらずだというし、兄は一生理解し合えずとも結構といった強硬な姿勢を崩さない。
頑固なところが父と兄はよく似ている。
それでいいのだろうかと悩むし、だけど今は手段がないこともわかっている。
柴田を選んだことは後悔してない。中途半端もしたくない。だけどたまに、彼と触れ合うと自分でも止められない罪悪感が身体の中心からじわじわと広がっていく。
今まで誰にも逆らわず生きてきた。幼い頃から徹底的に躾けられた。
簡単に忘れられず、急にも変われない。
だけど罪悪感を持つことは彼への裏切りのようで、こっそり隠しているつもりだが、聡い彼には知られているかもしれない。
後悔しないと言いながら罪悪感を覚える自分は酷く中途半端だ。
だから自分の元にサンタはこない。いい子ではないから。
「茜のとこにはきっと来るよ。一年頑張ってたから」
気持ちを見透かすように言われ、ぱっと彼に視線をやった。
「…頑張ってなんか…」
「お前が頑張ってないならその他はどうなんだよ。ちなみに俺も頑張った」
「なにを」
「忙しい茜を気遣って色々我慢した。偉い」
「自己申告か…」
呆れたように小さく吐息を零した。それが頑張りの内に入るのかはともかく、彼には沢山助けられた。
体調面も、精神面も。
無理をして自分のことは後回しにしたツケが回らぬよう、後から後から柴田がツケを回収してくれた。
気持ちが不安定になっても彼が一言大丈夫と言えば魔法のように不安が消えた。
地に足をつけ、どっしりと構える存在が傍にいるだけでなんとかなると思えた。
本当に感謝しているし、それと同じくらい彼がいなくなったらどうしようとも思う。
「茜一筋で浮気もしてない。授業もあんまサボってない。喧嘩もしてない。偉いだろ?」
「それが普通だ。それに三上君とはよく喧嘩しているだろ」
「あれはなんというか、コミュニケーションだ」
「そんなコミュニケーションで何がわかるというんだ」
「三上がどれくらい怒ってるか」
返事をするのも馬鹿馬鹿しい。
彼らの関係に口出しするつもりはないが、到底理解はできない。
自分には碌に友人と呼べる人間もいないが、喧嘩をしたり、肉体的に傷つけたいと思う人は一人もいない。
「柴田、ブラックサンタって知ってるか」
「知らん」
「悪い子のところにお仕置きにくるサンタだ。子供が喜ばないプレゼントを置いていく。とても悪い子には豚の臓物を置いていく。もっと悪い子は連れ去る」
「だから俺悪い子じゃないし」
「お前がそういう態度だと、代わりに僕が連れて行かれるかもしれないな」
「なんで?」
「そういう連中は弱点をつくのが上手いから。だから悪いことはしないように」
「サンタがいないならブラックサンタもいねえよ」
「僕が神隠しにあっても知らんぞ」
「わかりました。善処します」
柴田は宣誓するように右手を挙げた。
ふっと笑い、軽く髪を撫でてやる。彼は膝の上に置いていた本をひょいと持ち上げテーブルに放り投げた。あ、と声を上げるより先に僕の太腿の上に頭を置き、ごろんとソファに寝そべる。
最近大型犬と柴田の見分けがつかなくなってきた。
前世は犬だったのだろうか。想像して思わず笑ってしまった。
「なに」
「いや、なんでも」
流石に犬のようだと言うのは申し訳ないので口を噤んだが、もし彼と別れたら大型犬でも飼おうかなと思う。
「どうせ甘えただとか思ってんだろ。ああ、そうですよ今日くらいはいいだろって思ってますよ」
拗ねた口調にそんなことはないと言いながら彼の頬を指の背でなでる。
センター試験が近付いた今、彼と同じ時間を過ごせすのは極々僅かだ。
集中力が途切れぬようにと気を遣っているのはわかっているし、突然不安になったり、この勉強に意味があるのだろうかとドツボに嵌りそうになると、それとなく軽い調子で励ましてくれる。
とてもよくできた恋人だと思うし、同じくらいを与えられない自分が情けないとも思う。
「不自由な思いをさせてるのもわかっているし、恋人の務めを全うできないのも申し訳ないと思ってる」
「悪いなんて思ってほしいわけじゃない。義務感なんていらない」
「…では何を思えばいいんだ?」
「茜さあ、頭いいのにそういうことは本当にぽんこつだな」
「ぽ、ぽんこつ!?この僕が!?」
大きくショックを受けると柴田はじっとりとした視線を寄越した。
恋愛は不得手だと自覚はある。相手の気持ちを推し量るのも下手だし、甘言もちょっとしたスキンシップもわからない。
他人と深く繋がろうとしなかった弊害で、彼とこういう関係になってから少しは努力しているつもりだが、元々の性格も相まって百点満点には程遠い。
わかっているが、当の本人から指摘されると普通に傷つく。
「本当にわからない?」
「…すまない」
「寂しいって言えばいいんだよ」
「寂しい…?」
「そう。俺は寂しい。距離は近いけど全然一緒にいられないし、しょうがないって割り切ってるけど感情はそうはいかねえし」
「そ、それは申し訳ないと思って…」
「茜のせいじゃないんだから悪いとかじゃなくて、同じ気持ちだよって言ってほしいだけ」
「同じ気持ち…」
「気持ちを共有するから二人で頑張ろうってなるんじゃねえの?」
「…なるほど」
顎に手を添え確かにと頷いた。
「いや、だからって無理にそう思えとか、言えってわけじゃなくて。俺ばっかりと思うとますます辛くなるって話し」
あまりに見当違いな言葉に一瞬目を大きくし、馬鹿だなと苦笑する。
どこにそんな風に思う隙があるのだろう。僕の気持ちはこんなに傾いているのに。
それを言葉や態度に表さないから彼を傷つけてしまう。
素直さというのは天からの贈り物だ。自分にも備わっていたらどんなによかっただろうと思う。
意地を張らず、情けないからと格好もつけず、一番大事な人にだけでも心を明け渡せたら。
下らないプライドのせいで彼を失うわけにはいかない。
覚悟を決めるように一度目を閉じた。
「…今日は素直になろう」
「は?」
「毎日は難しいが、今日くらいは無理をしても素直になると言っている。少しくらいいい子にならなくてはな」
「無理させたいわけじゃないけど」
「僕がそうしたいんだ。きっと明日には俺ばっかりなんて思わなくなる」
「へえ」
片方の口端を持ち上げた嫌な笑い方に、固めた覚悟がぐにゃりと歪んだ。
「同じくらい茜も俺のこと好き?」
「…お、同じくらいといってもどれくらいか客観視できないものは――」
「素直になるんじゃなかったか」
軽く顎を引いて言葉を詰まらせた。
逃げ出したい衝動に駆られるが恥ずかしいのも最初だけ。慣れてしまえば案外簡単だったと笑えるはずだ。
「……好き、です」
「なんで敬語なんだよ」
噴き出すように笑う顔が無性に可愛らしくて、つられて自分も笑ってしまった。
「交代しろ」
彼をごろんとソファから落とすようにし、今度は自分が彼の膝に頬を寄せた。
「ああ、これはなかなか悪くないな」
「だろ?」
「…安心するし、温かい」
「茜のこと、一年中甘やかしたいと思ってるよ。全然甘えてくれないから」
「一度甘えたら堕落しそうで」
「そういうところも好きだけど、適度ってもんがあるだろ」
「そういうの苦手なんだ。どちらかに振り切ってた方が楽だ」
「じゃあ少しずつな。もっとおっさんになった頃には上手に甘えられるだろ」
「おっさんになって甘えたら気持ち悪いだろ」
「茜は可愛いから大丈夫」
「可愛いはやめろ」
「やめろって言われてもなあ。好きな相手は女でも男でも可愛く見えるもんだ」
「……そうだな」
可愛さの欠片もない、普通の男の僕にむかって可愛いとほざく柴田も相当だが、目つきが悪く、でかい図体をしたこの男を可愛いと形容する自分もたいがいだ。
お互い頭が馬鹿になっている。恋愛は二人で馬鹿になった方が楽しいというけれど、限度というものがあるので自重しなければ。
それは明日からの課題にして、今日は散々馬鹿になってもいいだろうか。罪悪感も背徳感も悔悟も、明日の自分に押し付けて。
「……風呂、入ろうか」
「もしかして誘ってる?」
「そうだ」
「え、マジで!?」
「マジだ。僕の気が変わる前に行くぞ」
ぺしんと太腿を叩きながら起き上がると背後から首を絞める勢いで抱きつかれた。
「風呂なんて後でいいだろ」
「よくない」
「潔癖症め」
「お前に嫌な想いをさせないためだ」
「嫌じゃない」
「少しの待てもできないのか?ご馳走は我慢した方が美味いぞ」
「ずっと前から待ってるよ」
「ならあと少しだけ。嫌なら一人で入ってくる」
彼の腕からするりと逃げ、足早にバスルームへ向かうと馬鹿言うなと焦った様子で柴田が追いかけてきた。
前は見せてくれなかったそういう子供っぽい態度を見る度に好きが積もる。
身体なんて付き合う前から何度も重ねている。最初の頃は彼が憎く、辛く、苦しく、地獄でしかなかった。
なのに気持ちが違うだけで地獄が天国に変わるらしい。
いい子にはサンタさんがプレゼントを配って回るなんてお伽話がなくたって、自分はいい子でいようと努めてきた。
だけど彼のためなら悪い子になるのも厭わない。
例え柴田が重罪人だとしても、きっと彼の手を振り払えない。
一緒に堕ちる先が奈落だろうと構わない。
きっと自分は神様に悪い子の烙印を押されただろう。プレゼントなんていらないから、柴田だけは。
洋服を脱ぐ前に触れるだけのキスをすると、柴田は眉間に皺を寄せ顔を顰めた。
「煽った分の責任は?」
「勿論とる」
「言質とったぞ」
「念を押さなくとも僕は一度言ったからには反故にしない」
「そうだな。そういうとこ、最高にかっこいーよ」
真っ直ぐで黒い髪を撫で、一束すくうとお返しとばかりに額に口付けられた。
柴田は口では待てないだの、早くだの、歳相応の可愛げと余裕のなさを装っているが、本当に余裕がないのはいつだって僕の方だ。
それが悔しくて、素っ気ない態度をとったり、冷たくあしらったりしてしまう。
そんな天邪鬼な心までも見透かされているのではないかと怖ろしくなる。
「寒いから早く来い」
一足先に風呂に浸かっていた柴田から声を掛けられ、はっとして慌てて扉を開けた。
今までの厳しい態度を清算できるくらい、今日くらいは羞恥を殺して素直に甘えてみよう。そうでないと悪い子だと叱られ柴田が連れ浚われてしまうかもしれない。
もう自分には大事なものが彼以外に残っていないのだから。
END
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