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泉は学食や校内で俺を見つけるたび、わざわざこちらに来て挨拶するようになった。
不思議な後輩に懐かれてしまったが、鬱陶しいとは思わない。
彼は先輩と交流するのは初めてだと言ったけれど、こちらも後輩と接するのは慣れていない。
泉は心に壁を作るような真似をせず、オープンに接してくれるので口下手でもどうにかこうにか話せるけれど、人付き合いは下手なままだ。
悪意はなくともぶっきら棒な言い方になるので、感じが悪いと思われることも多く、友人らしい友人もいない。
昼食を摂るために券売機の前に並んだ。適当に選び、トレイを持って席を探す。
きょろきょろする内、長机の一つに泉が座っているのを見つけた。
ぽつんと一人で魚を解していたので、彼の前にトレイを置いた。
「よお」
小さく声を掛けると、泉はぱっと笑顔になりこんにちはと頭を下げた。
明るく、懐っこい奴なのでさぞ友人も多いだろうと思ったが、一人で食事することもあるらしい。自分はいつも一人だけど。
「先輩も焼き鮭ですか?」
「ああ。昼くらい身体に良さそうなもの食べようと思って」
「夜もちゃんと食べてくださいね」
「うーん、うん」
適当に相槌を打つ。
バイトの日は夕食を食べない。寮で食べられる日はなるべく肉より魚を選んでいるが、圧倒的に野菜が足りない。
苦し紛れに野菜ジュースを飲んで健康になった気でいるなんて終わってる。
他愛ない話しをし、食事が済むと自販機で牛乳を買ってやった。
「ありがとうございます」
ストローを刺して吸うと、混雑する学食の中にいる麻生を見つけた。
「麻生だぞ」
指差してやったが泉はうんと頷いただけだ。
「行かないのか?」
「今は先輩といるからいいです」
健気な言葉にうっと喉を詰まらせる。
本当に素直で可愛い。そりゃ麻生も惚れるわ。勝手に結論付ける。同時に、自分にないものを持っている彼を羨ましいと思う。
麻生のタイプが泉のような人間ならば、自分なんて論外だ。
素直さなんてどこかに忘れたし、根暗な人間だし、会話すらまともに組み立てられない。
仕事で仮面をつけると割と上手にできるのに、プライベートはさっぱりだ。
大きな溜め息を吐きたくなるのを堪え、近くの階段に座った。
泉は親鳥を追いかける雛のように隣に座り、百円を渡してきた。
「いいよ」
「だめです。先輩、なんやかんや、僕に餌付けしようとするから」
「餌付け…」
「はい。たくさん奢ってもらってる気がします」
そんなことはない。こうやってたまに自販機のジュースを渡したり、コンビニで会ったときは小さなチョコレートを一つあげる程度だ。
「…じゃあ、ありがたくもらいます」
「はい」
ポケットに百円を入れ、会話もなくストローを吸う。
無言の空気が気詰まりしないというのは貴重かもしれない。
泉のことはよく知らないが、会話のテンポとか、纏っている空気とか、同じじゃないのに自然と混じり合える。
違う絵の具同士を混ぜてもおかしな色にならないような、しっくりとくるなにかがある。
そう思っているのは自分だけかもしれないが、好んで彼から近付いてくれるので、疎ましくは思われていないらしい。
「あ!」
泉は小さく声を上げ一点を見詰めた。
視線を辿ると三上と柴田が並んで談笑しているようだった。
相変わらずあの二人は目立つなあと泉に話しかけようとし、そちらを見ると、彼はこれでもかというほど瞳をきらきら輝かせ、口元を三日月に変えていた。
「…三上と柴田はどこにいてもすぐ目に入るな。背でかいからかな…」
「…櫻井先輩二人と知り合いですか?」
「…知り合い、ってほどでもないな。顔見知り程度かな…」
夜遊びの一環でよく行く店に柴田と三上もいることが多かった。
何度も顔を合わせているうち、目が合うと会釈される程度になったが、会話らしい会話をしたことはない。
素行不良の三上と、制服までびっしり着て、見るからに優等生な泉が友人というのも不思議だが、それをいったら自分と麻生も同じようなものだ。
よくわからないけど、色んな形の友情があるのだろうなと頷く。
「三上は今日もカッコイーなあ」
泉がぼそりと呟いた言葉にぎょっとした。
「カッコイー…か?」
「はい」
「そうか…俺はそういうのよくわからないんだ。あれはカッコイー部類に入るのか」
柴田の周りには綺麗な女性がいることが多かったが、三上はそういうのとは縁遠そうだったので、所謂イケメンには属さないのだと思っていた。
「僕も人の美醜は自信ないですけど…。あ、先輩はどちらかというと透明感があって綺麗です」
「え、俺もカッコイーがいい」
「じゃあカッコイーです」
「じゃあ、か…」
わざと肩を落とすと泉は馬鹿正直にすみませんと頭を下げた。
「冗談だよ」
くすりと笑って頭をぽんと撫でる。
彼はよかったと胸を撫で下ろしながら、飽きもせずにこにこ笑いながら三上を見詰めた。
自分もなんとなく同じように眺めると、こちらの視線に気付いたのか、三上が自分たちに視線を寄越した。その瞬間、泉は大きく手を振ったが、ぷいと無視して何処かへ行ってしまった。
仲がいいと思っていたが、そうでもないのだろうか。恐る恐る泉を見ると、彼は気にした様子もなく先程より口角を上げている。
「…み、三上と仲いいのか?」
確かめるように聞くと、泉は腕を組んで悩みだした。
「仲良く…は、ないですかねえ…。僕が一方的に追い駆けてるだけです」
「…憧れ的な…?」
「はい。三上は僕のヒーローみたいな存在です」
「えー…」
あれがヒーロー?と首を捻ると三上の素晴らしいところを力説された。
わかった、わかったと両手で止めると漸く口を閉じてくれた。
そこではたと気付いた。麻生は自分の想い人は他に好きな人がいて、性格はよくないのに神様みたいに崇めていて、ベタ惚れだから諦めるしかないと言っていた。
もしかして――。
「…三上のこと好きなの?」
思ったことがするりと口から出てしまい、慌てて悪いと謝った。
「変なこと言ってごめん」
例えそうだとしても、気軽に口にしていい話題ではないし、配慮に欠けた行為だ。
そうじゃなかったら変な誤解をするなと怒られる。
本当に悪かったと言いながら泉に視線を向けると、彼はいいんですと笑った。その耳が真っ赤で、図星かもしれないと思ったがそれ以上は突っ込まなかった。
一呼吸置いて話そうといつも思うのに、他の思考にとらわれるとすぐこうだ。
これではいつか泉にもっと嫌な想いをさせてしまう。反省が生かされないので、馬鹿すぎて嫌になる。膝に肘をつき頭を抱えて髪の毛をくしゃりとした。
大事な人を大事にする術がわからないから周りから人が去っていくのに。
「先輩、本当に気にしなくていいですからね?」
「…ごめん。俺思ったことすぐ口に出るから。むかついたらちゃんと怒ってくれ」
「悪意があったわけじゃないのは伝わってますから」
「…ごめんな」
一生懸命謝ると、泉はふっと笑いながら口元に手を添えた。
「先輩に何度も謝られると困るな」
「ご…」
ごめんと言おうとしてやめた。謝られるとますます困惑させる。
「いいんです。事実ですから」
さらりと何事もないように言われ、慌てて泉を振り返った。
泉はさっぱりした表情で笑い、だから気にしないでくださいと言う。
「あ、そう、か…」
「こっちこそすみません。こんな話しをして」
「いや、お前は謝らなくていいと思う。なんていうか…言いにくいことなのに正直に言ってくれてありがとう」
ぽんと彼の背中を叩くと、泉はやっぱり先輩は変な人ですと笑った。
こちらも泉を変な奴と思っているので、その指摘は痛い。
「まさかお礼言われるとは。気持ち悪いとか、侮蔑されるならともかく…」
「そんなこと言うわけない」
「はい。先輩は優しいですから」
「優しくなんてない。ただ、俺も同じだから――」
そこまで言って口を閉じた。また考えなしに口走って。
「…先輩」
泉が言葉を呑んだのが伝わり、慌てて立ち上がった。
「チャイム鳴りそうだし行くか」
下手な誤魔化しだが、泉は知らぬふりをしてそうですねと言った。
教室に戻り、五限を受けている最中も自分の失態ばかりに気をとられ、両手で頭を抱えた。
「なんだ櫻井、わからないことは聞けよ」
「…はい」
教師に誤解をされるほど苦悶に満ちた顔をしていたのだろう。
相手が麻生だということは絶対に知られないようにしよう。幼馴染を変な目で見るのやめてもらえます?なんて責められるかもしれない。
泉はそんな奴ではないが、誰だって大事な人を守ろうとするときは冷徹になるものだ。
麻生への気持ちを押し殺して、誰にも見せない箱の中に放り込んで、上から厳重に封をして、そうっと優しく抱いたまま卒業して、あとは時間に任せるしかない。そう思っていたのに、最近歯車が少しずつ狂ってる。そんな気がした。
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