昼も夜も


ロングPコートのポケットから携帯を取り出した。時間を確認し、客との待ち合わせまで一時間もあることに小さく溜め息を吐く。
待ち合わせ場所のカフェに一足先にとも思ったが、駅から直結するファッションビルへ行くことを選んだ。
女性の流行はよくわからないが、皆精一杯の努力をしながら自分と会ってくれるので、細部を褒められるよう定期的に店舗を覗いて勉強している。
男一人でじろじろ眺めるのも不審がられるので、歩きながらさらりと眺める程度だが、表に飾られているマネキンや店員の格好を見れば十分だ。
まだ二月だというのに、ペールトーンの洋服が並び、春の新作と書かれたPOPが添えられている。
フロア数階をグルリと周り、さすがに疲れて地下へ移動した。
菓子や惣菜、コーヒーや紅茶の専門店が並ぶ空間は割と気に行っている。
口に入るものに拘りはなく、味の違いと値段が比例するかはわからないので、購入はしないけれど。
人の間を縫うように歩き、今日はいつにも増して女性が多いなと思う。
有名なチョコレート店のショーケースを眺め、宝石のように美しいそれを眺めた。
生前、母は缶入りのチョコレートやクッキーが好きだった。
食べ終わった後も缶が飾れるから楽しいと言い、並べられたそれらは月を重ねるごとに増えていった。
ハート型や楕円形の缶に繊細な模様が描かれていたり、キャラクターを模していたり、ばらばらの形は収納しずらかったが、それを眺める母はとても幸福そうだった。
そんなに缶が好きなら今度自分もお小遣いを貯めてプレゼントしようと思った。そうなる前にいなくなってしまったけど。
母がいなくなった独りぼっちの部屋で陽が暮れるまで缶を眺め、好きだったのは缶ではなく、いたずらにお菓子を土産に家に立ち寄る父の気持ちだったのだとわかった。
死ぬ前にもう一度父に会いたかっただろうな。
缶の一つを手にとって、ビニール袋の中に突っ込んだ。涙は出ないけど、なんだか悔しくて、無念で、次々に袋に放り込んでゴミに出した。父を想う母の気持ちと、行き場のない自分の気持ちも一緒に。
ぼんやりしすぎたのか、店員さんに試食を勧められ、やんわりと断った。
今度は別の店舗のケースを眺め、バレンタイン限定商品と書かれたPOPを見て、ああ、そうかと理解した。
麻生は甘い物は嫌いではないと言っていたことを思い出す。
四粒程度ならば胸焼けせずに食べられるだろうかと考え、すぐにやめた。
男からチョコレートをもらったって嬉しいわけがない。
ただでさえクリスマスプレゼントを渡して重い男という印象をつけてしまった。あまりしつこくしても困らせるだけだ。
もう麻生が困ったように笑う顔は見たくない。自分の存在は鬱陶しいと理解しているし、相手のことを本当に想うなら気持ちを伝えるような行為はするべきじゃない。
落ち込んでしまいそうなので立ち去ろうとしたとき、あれ?という声と共にすみませんと小さく謝る声が隣から聞こえた。
そちらに視線を向けると、見慣れた制服に見知った顔があった。学園から一番近い繁華街ではないのに、なぜこの街にいるのだろうと首を捻る。
彼はレジ前で財布を広げながらわたわたと焦っていた。
店員さんに何度も頭を下げ、財布をひっくり返しているが、そのうち肩を落としてキャンセルしますと呟いた。
咄嗟に横から一万円札を差し出し、これで足りるかと店員に聞いた。
彼は目を丸くしながらこちらを見て、あ、と小さく呟く。素早くラッピングを済ませた小さな紙袋を受け取り、彼に差し出した。

「あ、あの、ありがとうございます!」

「いいよ」

「櫻井先輩、あの…」

「ちょっと待った」

人混みの中で名前を呼ばれたくない。万が一近くに客の一人がいたら厄介だし、時間が経つごとに人が増えているので立ち話は迷惑だ。
彼の腕を引き、ビルの階段まで歩いた。ここなら人を気にせずに済む。

「あの、お金ありがとうございました。寮に帰ったらすぐに返します!」

「寮にはあんの?」

「はい。普段小銭しか持ち歩かないから貯金箱からお金移すの忘れていたみたいで…貯金箱の中にはちゃんとあるので大丈夫です!」

「そうか。別にいつでも構わないから」

そういえば帰りの電車賃はあるのだろうか。他に買いたいものもあるかもしれない。
さきほどの釣り銭すべてを彼の掌の上に乗せた。

「え、え?」

「帰るまでなにがあるかわかんねえから」

「ありがたいけど、でも、先輩は大丈夫ですか…?」

「大丈夫」

彼はすいませんと、ありがとうございますを何回も繰り返しながら頭を下げ、本当に助かったと言った。
人助けなんて柄じゃないが、彼は麻生の幼馴染と聞いていたので見捨てられなかった。
ぽんぽんと腕を叩き、それじゃあと踵を返す。

「あの、今日は何時くらいに戻りますか?」

「…さあ。別に明日でも明後日でもいつでもいいから」

「でも…」

「そんな気にするなよ。同じ場所に住んでんだし、その内擦れ違うだろ」

じゃあなと手を挙げると、彼はもう一度しっかりと頭を下げた。
挨拶程度でまともに話したことはなかったが、随分と素直で謙虚な子だとわかった。
麻生が放っておけないと言っていたのを思い出し、確かにと頷く。
最近は逆バレンタインなるものがあり、男性から女性へ渡す場合も多いと聞く。きっと彼にも大切な人がいるのだろう。
間接的に協力したような気持ちになり、なんだか嬉しくて小さく笑った。


夕食を食べ終え、談話室の自販機でお茶を買った。椅子に座って溜め息を吐きながら飲み込む。
携帯で予定を確認し、今日がバレンタインだと気付く。
彼はちゃんと渡せただろうか。
昨日部屋のレバーに袋が引っかかっており、ペットボトルのお茶と、留守だったので出直すと書かれたメモが入っていた。
律儀だなあと感心し、何度も往復させるのは悪いので自分から出向こうかと思ったが、催促しているようでそれもなんだかなと思う。
不規則な生活なので、麻生に言付けてくれたら楽だが、それでは彼の気が済まないのだろう。
どうしたものかと考えていると、頭上から久しぶりと声が響いた。
顔を上げると、自販機のボタンを押す三上がいた。

「おう」

彼は間隔を空けて隣に座り、コーヒーのプルトップを開けた。

「最近会わないですね」

「だな」

特別親しい間柄ではないし、学校で擦れ違っても話さないが、夜遊びする場所が被っていたので顔を合わせることは多かった。
同じ学校、同じ寮なのに外で会う方が多いなんて変な話しだ。

「お前と柴田が来なくなったって寂しがってたぞ」

「だって寒いじゃないですか。外出たくない」

「まあ、気持ちはわかるけど…」

三上の性格はよく知らないし、外で会っても挨拶程度しか交わさないので同じ空間にいると気詰まりする。
沈黙に焦り出した頃三上は立ち上がり、缶をゴミ箱に放り投げてそれじゃあと言った。右手を挙げて応えると、談話室の扉が勢いよく開き、レバーに手をかけていた三上がびくりと肩を揺らした。

「やっと見つけた!」

入ってきたのは麻生の幼馴染で、三上に詰め寄るようにし、三上はじりじりと後ずさった。
妙な組み合わせだなあと首を捻る。
彼はこちらに気付き、ぺこりと頭を下げ、パーカーのポケットを漁った。

「会えてよかったです。これ…」

札を差し出されたので、ありがとうと礼を言いながら受け取った。

「お礼を言うのは僕の方です。ありがとうございました」

「いや、別に…。昨日来てくれたんだな。俺あんまり部屋にいないから…悪かったな」

「いえ!今日会えなかったら明日教室に行こうと思ってました」

「じゃあ、会えてよかったな」

「はい」

話している最中、三上がじりじりと扉まで歩き、静かにレバーに手をかけた。そちらを指差し、三上が逃げるぞと言ってやると、彼は慌てて振り返ったが一歩遅く、三上がするりと扉に身体を捻じ込んで去ってしまった。

「また逃げられた…」

しょんぼりする彼の手には、昨日ラッピングしてもらった袋が握られていた。
三上に渡すのだろうかと考え、そんなわけないかと思い直す。
よくわからないが、もう一本お茶を購入して彼に渡した。昨日のお返しだ。

「…ありがとうございます」

彼が長い溜め息を吐くと、談話室と廊下を隔てる透明の仕切りの向こうを麻生が歩いていた。
こちらに気付き、にこやかに笑って手を挙げながら部屋に入ってきた。今日の談話室は入れ替わりが激しい。

「お金返したのか?」

「うん。三上を追ってきたら櫻井先輩がいたから」

「そっか。で、また逃げられた?」

「はい…」

「部屋まで行ってみろよ」

「だって開けてくれないもん」

「甲斐田が開けてくれるよ。甲斐田さっき部屋戻ったから今がチャンスだぞ」

「マジか。じゃあ行ってくる」

彼はこちらに一礼してから慌ただしく部屋から出て行った。
麻生がくすりと苦笑して隣に座った。

「先輩ありがとね」

「…なにが」

「真琴のこと、助けてくれたでしょ」

「助けたなんて大袈裟。礼も謝罪もたくさん言われたからもういいよ」

「うん」

麻生は嬉しそうに頷き、長い脚を放り投げた。

「バイトは休み?」

「昨日仕事したから今日は休み」

「バレンタインなのに?」

「口に入れるようなプレゼントは禁止だし、みんな本命の彼氏と過ごすだろ」

そっかと呟く横顔をちらりと見た。
彼と会うたび、話すたび、好きだなあと自然と思う。いい加減やめようと何度も思うけど、そう決めたからって上手にやめられるわけではない。
自分が卒業したら会えなくなるし、そうしたらいつの間にか忘れているかもしれない。何か月、何年、どれくらい時間が必要かはわからないが、この先一生想い続けて苦しむわけでもあるまいし、今だけだと言い聞かせ、胸の痛みに耐えている。
だから卒業するまでは気持ちに蓋をしすぎず過ごそうと思っている。相手の迷惑にならぬよう、こっそり想うくらいなら問題ないはずだ。
だってこの先また恋ができるかわからない。これが初恋で最後の恋かもしれないのだ。
誰かと関わり、感情を寄せると世界が広がる。大事にしたい気持ちなのに、放り投げた方が楽になれるとも思う。

「あ、そうだ。ちょっと部屋に来てもらってもいいですか?」

「…いいけど」

麻生はよかったと呟き立ち上がった。自分も彼の後ろをついて歩く。
扉を開けると彼の同室者が振り返った。お邪魔しますと軽く頭を下げると、彼は人懐っこい笑顔でどうぞ、どうぞと招いてくれる。
麻生の個人部屋に入り、扉の前に立った。

「適当に座ってください」

「はい」

「なんで敬語なの」

くすりと笑う顔が可愛いなと思う。同性で、自分より身長が高い男に失礼かと思うが、自分にはない素直さが好きだ。
ベッドを背凭れにして座ると、麻生はクローゼットの中を引っ掻き回して首を捻った。

「あれ、確かここに置いたはずなんだけどな」

彼の背後からちらりとそちらを覗くと、自分が言えた義理ではないがクローゼットの中は適度に散在していた。
リビングは割と綺麗だし、個人部屋も汚くないのに人目に触れない部分は適当に済ませると知り、新しい発見だなと思う。

「あった」

麻生はずるりと紙袋を引っ張り、こちらに差し出した。
受け取ったはいいものの、どうしたらいいのかわからず彼を見上げると、先輩にあげると言われた。
中身を覗き込み手を突っ込んだ。ひんやりとした感触とつるりとした肌触りには覚えがある。

「…これは?」

出てきたのはペンギンの顔を模した丸い缶だ。

「似てるでしょ」

「似てる?」

「そう。友だちが彼女にバレンタインあげるって買い物付き合わされたんだけど、それ見たら先輩思い出して思わず買っちゃったんですよね」

まじまじとペンギンを見詰め似ているだろうかと首を捻る。
眠たそうに瞑られた目や、どこか気だるげな表情はふてぶてしくもあるけれど、なんだか可愛らしい。
麻生がこれを見てどう思ったかはわからないが、愛くるしいものに似ていると言われるとこそばゆい気持ちになる。

「ありがとう…」

「どういたしまして。疲れたときに食べてください。チョコだから」

麻生からもらえるとわかっていたら自分もあのときチョコレートを買ったのに。
渡すか渡さないかは別として、とりあえず買えばよかった。

「俺、お返しできるものがない…」

「ホワイトデーがあるじゃん」

「…ああ、そういえばそんなイベントもあったな」

「先輩はそういうのに無頓着だね」

「チョコなんてもらったことないから」

「へえ。意外」

ホワイトデーは一ヵ月後。でもその頃自分は東城にいないだろう。
それを口実にすれば麻生と会えるとずるいことを考えて、嫌な奴だとがっかりする。お礼を口実にするなんて失礼だ。

「…明日バイトあるからお返し買ってくる。ホワイトデーの頃はもう卒業してるから」

「あ、そっか…」

微妙に沈んだ空気が流れたので、慌てて顔を上げて立ち上がった。

「じゃ、じゃあ俺行くな。これ、ありがとう。大事にするから」

「大事にしすぎて賞味期限切らさないでくださいね」

冗談のように言われ、さすがにそこまでは、と思ったがぼんやりした自分ならあり得る。缶の底に書かれた賞味期限を確認し、毎日一粒ずつ食べようと決めた。
軽く手を挙げてレバーを握ると、待ってと背後から声を掛けられ振り向いた。

「やっぱ今からコンビニ行きません?お返し買いに」

「いいけど、コンビニで買えるものでいいのか?」

「うん。チロルチョコあるでしょ?俺あれ好きなんですよね」

「俺も好き」

意気込んで言うと、麻生はくすりと笑った。
幼い頃、十円で買える小さな幸せが何度も自分を救ってくれた。この歳になってもそのときの気持ちが忘れられないのか、レジ横に置いてあるとついつい一粒買ってしまう。

「何味が好き?」

問われ、真剣に悩んだ。

「全部好きだったけど、苺のやつ」

「あ、本当?俺は逆にそれがちょっと苦手で弾いて食べてた」

「美味しいのに。麻生はなにが好き?」

「クッキーのやつ」

「ああ、あれもうまい」

腕を組みながらうんうんと頷いた。

「じゃあ今度から大袋で買ったとき苺は全部先輩にあげるね」

その言葉に曖昧に笑った。
麻生は気軽に先の話しをするけれど、その一つ一つが重い鎖となって胸を締め付ける。
今度なんてないかもしれないのに。わかっているのにその言葉を思い出して今度がくるといいなとしつこく考えそうで嫌だ。

「クッキーのチョコ山ほど買おう」

気を取り直すように言うと、彼は子どものように喜んだ。
もう小さなチョコレートなんて好きなだけ買える歳になったのに、贅沢感があるのだと思う。
お菓子の話しなんて明日には忘れるような些末な出来事で、でも麻生が相手だと一生忘れない気がする。
麻生のことを知れるのは嬉しいし、悲しい。
袋の中のペンギンに目をやり、ふてぶてしい表情に小さく笑った。
自分も母親のように食べ終えた後の缶は捨てられない。形に残る物を贈る麻生は残酷で優しい。
彼の日常生活の中で、自分を思い出す隙間があっただけ幸福と思わなければ。ただの顔見知りの先輩から、少し仲がいい先輩に昇格しているといいのだけれど。

「コート貸すから暖かくしてくださいね」

コートを着せ、ぐるぐるとマフラーを巻き、ニット帽まで被せる姿に苦笑した。

「お母さんみたいだな」

「世話を焼くのは幼馴染と同室と先輩だけ」

「子どもっぽいってことか?」

「さあ、どうでしょう」

悪戯っぽくにやりと笑う顔が珍しくて、数秒見詰めた後我に返って麻生の背を追った。



END

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