3

部屋に蓮の姿はなかった。
乱れる息を整えながら部屋中を歩き回る。

どうしよう。とんでもないことを言ってしまった。三上に対して潤のようにこの僕が振る舞っていいわけがないのだ。
三上もきっと怒っている。
素直にごめんなさいと謝りたいがそれすら拒絶されたらどうしよう。
これで終わり、なんてことにはならないだろうかと後悔ばかりが胸をいっぱいにする。
とんでもないことをと、何度も悔やむが言ってしまったものは仕方がない。
事実は変えられないのだから。もし、数十分前までタイムスリップできる機械があるならば有効に使用したが、そんな便利な道具も助けてくれる猫型ロボットもいない。

「やばい…非常にやばい…」

誰に助けを求めようか悩んだが、明日もテストでそれぞれ最後の仕上げをしているだろう。僕のこんな悩みを真剣に聞いてくれる人がいるわけがない。
学だったら、と思ったが、三上絡みでは一番頼れない人物だ。
潤はきっと有馬先輩にみっちりしごかれているだろうし、皇矢は何処にいるのかも定かではない。
蓮も須藤先輩の部屋で勉強すると言っていたし、他に友人などいない。
こんな風ではテスト勉強をする気にもならないし、やはり大人しく謝ってしまえば済むはなしだろうか。
携帯をポケットから取り出し、三上の連絡先を表示する。
通話ボタンを押せばすぐに繋がるのに、その勇気はない。

「僕の方がバカじゃん…」

大きく長い溜息を吐きだす。
少しでも三上と恋人でいたいと望んでいるのに、どうして三上の感情を逆撫ですることしかできないのだろう。
楽しいと思ってほしいし、幸福になってほしい。
僕を好きだと確信してくれれば充分で、それなのに小さな我儘をぶつけてしまうなんて。
人間とは本当に欲深い生き物だ。充分に幸福だと思うのに、それを与えられればもっと、と望んでしまう。

「……不貞寝しよ…」

悩んでも答えは見つからないだろうし、勉強する気にもなれない。
不貞寝して、少しは余計な問題を排除し、明日には多少すっきりした頭で答えを見つければいい。
その前にふられないことを祈ろう。
これで別れを告げられればそれまでだ。三上の中ではそれだけちっぽけな存在だったと、それだけのはなしだ。

自室の扉を開け、ひんやりと冷たい空気に構うことなくベッドの上に大の字になる。
天井を見詰め、瞳を閉じた。



ふんわりとした浮遊感に夢の世界と現実の狭間に戻ってきた。

「……ん…?」

遠くで誰かの話し声が聞こえる。
薄らと瞳を開けると一番に視界に飛び込んできたのは学の笑顔だ。
その視線の先を追えば蓮がいる。

「…まな、ぶ…久しぶり、じゃん…」

「なに呑気なこと言ってんだよ」

苦笑する顔も、呆れが含まれた声色もひどく懐かしい。

「…あれ、なんで僕抱えられてんの…」

学に横抱きにされている体勢に首を傾げる。僕はただ眠っていただけだったはず。
今が何時なのかもわからないが、カーテンを閉めていない窓の外はどっぷりと暗かった。

「夏目が帰ってきたらお前が布団も被らないで寝てるから呼び出されたの」

「……なんで…?」

「布団被せてあげたいけど一人じゃお前が動かないから力を貸してって。お前真冬になにも被らないで寝るバカがいるか。暖房もつけないで…夏目に感謝しろよ」

「…あー、そっか…あのまま寝ちゃったんだ……蓮ー、ありがと」

ベッドメイキングをしている蓮に向かって言えば、蓮も呆れ半分に苦笑しながら手が焼けると言った。

「ごめんー、二人とも」

「いいよ。真琴が風邪ひいたら大変だもん」

蓮は本当に優しく、気遣いができる子だ。見習わなければならない。慎ましやかで控えめにほしいものを与えてくれる。
大和撫子とは蓮のような性格の子を指すのだろうか。
せっせと冬用のシーツを敷いてくれる蓮を寝惚けた頭のまま高見の見物していたが、もう起きたのだから僕がやらなければいけない仕事だ。

「ごめん蓮、もう僕起きたから自分でやる」

「ここまでやったし、真琴はもう少し麻生君に抱えてもらってて。もう少しで終わる…」

一生懸命なのはありがたいが、僕は潤ではないのだから女王様扱いには慣れない。
学に対してはいつもこうして頼っているが、蓮までこき使うのは絶対にあってはならない。

「…いい友達持ったな」

学が顔を近づけ、こっそりと耳元で言った。
その言葉に満面の笑顔で学を見上げ、大きく頷いた。
そのときだった。開けっ放しだった僕の部屋の扉をこんこんとノックする音が響き、三人同時にそちらに視線を向ける。
立っていたのは三上だった。腕を組みながらお取込み中失礼と口を開く。

何故不貞寝をしていたのかを一瞬で思い出し、別れを言いに来たのだと判断するまで時間はかからなかった。
三上と話しをしたいけれど、別れの言葉は聞きたくない。
せめぎ合う感情の狭間で子供な僕はどうするのが正解なのかわからない。
ぎゅっと学の二の腕辺りの服を握る。
自分は窮地に立たされると無意識のうちに学に頼ろうとするのは悪い癖だ。
もう学から卒業しようと思ったのに。これ以上学を縛り付けていては本当に学の幸せを壊してしまう。
学は友人として、幼馴染として変わらぬ関係でいようと言ってくれたが、それに甘えるわけにはいかない。

「そいつに用があんだけど」

僕を真っ直ぐに見て言う三上に、学と蓮は目配せをしてそれなら退散すると言った。
二人きりにしてほしくなくて、咄嗟にまた学の腕を掴もうとするのを抑え込める。

「あの、蓮も学も、本当にありがと…」

「いいんだよ。三上君、ごゆっくり」

三上に微笑みながら小さく頭を下げ、蓮が去って行く。
学も僕の頭をぽんと撫で、風邪ひくなよと忠告すると三上の横を通り過ぎた。
学は三上をちらりと見たが、三上はその存在を無視するように真っ直ぐ前を見たままだ。

「…あ、あの、どうぞ…」

三上が僕の部屋を訪ねてくれたのはこれが初めてだ。最初で最後かもしれないと思うと胸がずきりと痛む。

クッションを適当なところに差し出すと三上は扉を閉めその上に胡坐を掻いた。
自分は蓮が整えてくれたベッドの上に腰を下ろす。
急いで暖房のスイッチを入れ寒くないかと聞いたが、つれない返事しか返ってこない。
やはり怒っている。纏う雰囲気とその瞳でわかる。
三上の感情には敏感だ。いつだって機嫌を窺ってきたのだから。
だから、三上がとても苛立っているということもよくわかる。やはり自分は大失敗をしてしまった。
呆れられ、もういらないと捨てられても文句は言えない。
最初から好きかもしれない、という曖昧な関係だったのだ。
些細な出来事で幻滅し、嫌いになる可能性は大いにある。

言葉を発しない三上に焦れる。別れ話でもなんでもいい。とどめを刺すなら早い方がいい。
泣き腫らして明日のテストは残念な結果になるだろうが、もう勉強などどうでもいい。

「三上、僕に用って…」

問いかければ下から睥睨された。その瞳がいつだって恐ろしかった。
本当にこのまま石にでもなって殺されるのではないかと思うのだ。
野生の肉食獣はきっとこんな瞳をしているに違いない。
恋人関係になってからは、こんな風な瞳を向けられたことはなかった。
我慢してくれていたのかもしれない。
もしかしたら三上なりに気遣っていたのかも。
それに気付かなかっただけで。

「…お前の気持ちとやらを聞いてやろうと思って」

「あ…」

啖呵を切った言葉を頭の中で反芻し、やはり三上は恋人として誠実でいようと頑張ってくれているのだと思った。
別れ話ではなくてよかったと安堵すると同時に、わかり難い三上の性格を忘れてはいけないと確認した。
言葉も悪いし態度もあんな風ではあるし、優しい恋人ではない。けれども全然僕のことを考えていないわけでもない。
あの三上がわざわざこうして部屋に足を運んでくれただけでも進歩だと思う。
面倒になると何もかも捨て、どうでもいいと投げ出すのが常だった。

「あの、三上――」

「けどやっぱやめた」

「…え……?」

立ち上がった三上は僕を見ようともせず、背中を向けた。
扉に手をかけたその腕を咄嗟に掴む。

「なんだよ」

「…なんでやめるの…話そうよ」

「今はお前と話したくない」

「……なんで…?僕があんなこと言ったから…?」

「手前で考えろ」

三上は掴んでいた腕を振りほどくと出て行ってしまった。大袈裟に閉められた扉の前、呆然と立ち尽くす。

考えろと言われたが、何がそんなに気に入らなかったのか思い当たる節がない。
僕が啖呵を切ったからではないだろう。わざわざ話し合いに来てくれたのだから。

三上の心は読めない。誰よりも追いかけてきた僕でさえ、まったくわからない。
どんな言葉や行動が彼の癇に障るのかがわからない。
教えてくれれば直すのに、言葉が少なく絶対に話そうともしてくれない。
右往左往して機嫌取りに大童するのはいつだって僕だ。

「……また、か…」

こんなことは珍しくなく、とぼとぼとベッドに戻った。
いつもと違うのは、今回は本気で怒っているらしいということだ。
これは機嫌が戻るには時間がかかるかもしれない。
一生懸命努力はするが、こんな調子ではクリスマスも喧嘩をしたまま過ごす羽目になる可能性もある。
喧嘩と言うには語弊があるかもしれない。
ただ僕は、三上に嫌われぬように尽くすしかない。

「…まるで犬だな…」

自嘲気味な笑いが零れる。
主人に捨てられまいと理不尽な扱いを受けても一生懸命に尻尾を振る犬だ。

どっと疲労感が押し寄せ、そのままベッドに背中を預けた。
いつだって三上を想ってる。こんなに好きだ。
そのすべてが言葉にしなくとも自然と伝わってくれたらいいのに。
そうしたら、こんなに悩む必要なんてない。
相手の心や言いたいことがすべて知れたら楽なのに。
言葉だけでは完全にはわかり合えない。身体を繋げても隙間は埋まらない。
その僅かな隙間を埋めるため、人は躍起になるのかもしれない。
僕と三上の間の隙間は、どんどん大きくなるばかりだ。
どうにかしたいと焦るのに術がわからないし、気持ちが逸るほどに結果は悪くなる一方だ。

頑張ろうと思った。三上を手放さないためならば、なんだって乗り越えてみせると固く心に誓った。
それなのに、時折この関係がしんどくなる。
努力しても一生懸命になっても、三上が離れていくようで、恋人になったのにちっとも満たされなくて、いつだって背中を追いかけて。
恋しくて、愛おしい。
好きなのに、辛い。

深呼吸を一度した。
落ち込んでしまうとなかなか浮上できない。
やはり今日はこのまま眠ってしまおう。辛い現実から逃げ、夢の中では三上と恋人らしく過ごしたい。
着替えもせずに布団の中に潜り込んだ。


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