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十二月二十四日はクリスマスイブ。
知識としてインプットされた情報も自分には関わりのない行事なので一切をスルーだ。
しかしリビングの隅に飾られたこじんまりとしたツリーの電飾や、クリスマスデートにぴったりですね、という女性アナウンサーの嬉々とした声がテレビから流れれば嫌でも意識させられる。
L字型のソファで足を伸ばす兄をちらりと見た。
恋人がいる兄にとってクリスマスは三大行事の内の一つだと思うのだが、彼は退屈そうにテレビを見ながらお菓子の袋に手を突っ込んでいる。
恋人三大行事は男女間で成り立つものであり、男同士はもう少しドライな関係なのかもしれない。女の恋人も男の恋人もいたことがない自分にはよくわからない。
雑誌を目線の高さまで持ってきて、表情が見えないようにしてから兄に問いかけた。

「楓ちゃん、今日出掛けないの?」

「あ?」

どうやら地雷を踏んだらしい。兄は鬼のような形相でこちらを睨み付けた。

「クリスマスイブだよ?」

「受験生にはクリスマスも正月も関係ないんですー」

不貞腐れたように吐き捨て、兄は再びテレビに視線を戻した。
冬期休暇に入ってからの兄は、地元の友人と夜中まで遊び回っては母と口論しているが、今日に限っては誰も捕まらなかったらしい。
友人たちにはきっと恋人がいるのだろう。可愛らしい彼女と甘い一日を過ごす。その輪から弾かれた楓ちゃんはご機嫌斜め。単純で馬鹿だなあと呆れると同時に、素直なところが羨ましくもなる。

「香坂さん受験やばそうなの?」

「さあな。そういう話しはしないからわかんねえよ」

聞いた噂によると、香坂さんは元々頭は悪くないようだが、勉強に向かって一直線だったわけでもなく、中の上ほどの成績だったらしい。が、父親からこのレベル以上の大学に受からなければ一人暮らしは認めないと叱責されたらしく、背伸びをしなければ入れない大学を受験せざるを得ないのだとか。
なかなか厳しい親父さんだが、ふらふらと宙を漂う息子にここいらで一発喝を入れたかったのだろう。その気持ちはわからなくない。
しかしそのせいで楓ちゃんはだいぶ前から香坂さんと顔を合わせぬ日々が続き、冬期休暇に入り物理的に距離が離れれば気配すら感じられない生き地獄。
そこまで深く懸想した経験がないので、それがいかに辛いことかはわからない。ただ、兄の荒れようは凄まじい。
溜る一方のフラストレーションと性欲を食や遊びで発散しているが、それもいつまで持つのやら。きっと香坂さんも同じ状態だろう。あの人が禁欲生活を続けているだけでも天晴れだ。

「少しだけでも顔見に行ったら?いいお天気だし」

「んなことしたらキレられる」

「うーん、よくわからない…」

色恋にまつわる感情、すべて理解できないので正解も不正解も検討がつかない。
だがこの二人は極端すぎる。会わないと決めたら一切を絶つなんて、限界を早めるだけだと思う。徐々に頻度を落としながら身体や心に馴染ませていくやり方ができないものか。世の中どんな物事でも段階を踏まなければ失敗すると相場が決まっている。

「…そんなに食べると太るよ」

チップスをばりばりと噛み砕く兄の傍らにはチョコレートやお煎餅の袋が転がっている。

「いいんだよその分動いてるから!」

三大欲求の一つが満たされないと他で満たそうとするという話しは本当らしい。兄のおかげでまた一つ賢くなった。
不機嫌オーラを纏う兄をいじるのはこの辺でやめておこう。触らぬ神に祟りなしだ。
雑誌を膝の上に戻すと傍らに置いていた携帯が鳴った。ディスプレイを見て何故自分にかけてくるのかと首を捻る。

「もしもし」

電話に出ながら自室へ移動した。

『おう、元気してるか』

「はい。兄は大荒れですけど」

こっそり言うと、電話の向こうの彼は喉で笑った。

「直接そちらにかけたらどうですか?」

『いや、それはいい。今日お前の家行くから』

「…はあ。構いませんけど急にどうしたんですか?」

『親に追い出された。家に友人呼んでクリスマスパーティーだとよ。これだから外国かぶれは嫌になる』

彼は心底うんざりした声色で溜め息を吐いた。

『受験生もたまには休まねえとな。そろそろ限界』

「ああ、主に下半身がですか」

『それだけじゃねえっつーの。まあそれもあるけど』

「それならどこかホテルでも予約した方が…」

『こんな急じゃ無理。イブだぞイブ。どこのホテルも予約でいっぱい、聖夜ならぬ性夜だぞ』

同じ音の言葉だが言わんとしていることはわかった。

「まあ、こっちも限界突破してやばいんでありがたいですけど…」

お腹を擦りながらも食べ続ける兄を思い浮かべる。このままではメタボになる。

『んじゃ、お前の親によろしく言っといて』

「はいはい。泊まるんですよね?くれぐれも夜はお静かに」

『は、なんならまざる?』

「うわ…」

『冗談だよ』

「じゃなかったら我が家の敷居は跨がせません」

電話越し、彼は鼻で笑いそれじゃあと電話を切った。
すぐさま母に香坂さんが泊まるって、とメールを送る。仕事中にも関わらずすぐに返信があり、楽しみという文字と共にハートの絵文字がついていた。
男女関係なく、人間はいくつになっても美しい人間に胸が躍る生き物だ。目の保養にして、見ているだけで楽しい、幸せと言う。
何故兄ではなくこちらに電話をかけたのか、その意図はわからないがとりあえず兄には黙っていよう。その方が面白そうだから。

それから二時間ほどした頃インターフォンが鳴った。来たか。握っていたカップをテーブルに置き、ぴくりともソファから動かない兄を見ると呑気に昼寝をしていた。

「今開けます」

画面で香坂さんを確認しオートロックを解除する。
ついでに玄関の鍵も開け、散漫とした靴を端に寄せ、スリッパを用意したところで玄関が開いた。

「よ、急に悪かったな」

「いえ、どうせ暇してますから」

「楓は?」

「呑気に寝てますよ、リビングで」

「へーえ」

にたりと嫌な笑みを作った香坂さんの後ろに隠れるようにしていた人物を見つけ目を丸くする。

「…なんで君も来るの…」

唸るように問うと彼もぎろりとこちらを睨んだ。

「ついでだから連れてきた。クリスマスなのにじいちゃんの家とか漫喫じゃ味気ねえだろ?」

「いやー、家も男だらけだし十分味気ないですけど…」

けれど彼は楓ちゃんに辛い片想いをしていたらしいので、兄と一緒にいられるならそれはそれで幸せか。香坂さんと楓ちゃんがいちゃいちゃとするのを目の当りにしたとしても。ああ、なんて悲劇的な恋だ。

「掃除とかしてないんで散らかってますけどどうぞ」

二人分のスリッパを出してやり、先導してリビングの扉を開けた。
兄は些細な物音では起きず、むにゃむにゃと夢の中でまで何かを食べているようだ。

「なんだこのゴミ」

「楓ちゃんが食い散らかしたお菓子のゴミです」

「そう言われてみるとちょっと太ったか?」

香坂さんは覗き込むようにしてクッションを枕に横臥する兄の耳元に顔を近付けた。

「楓」

低音の声で囁きかけ、ふっと息を吹き込むと兄がぱちりと目を開けた。

「うわ!え、なに!?」

ぱちぱちと瞬きをし、眼前の恋人が夢が現実か考えているようだ。香坂さんはにんまりと笑みを作り兄の頬をぎゅっと抓る。

「久しぶりに会ったら太ったなお前」

「え、え、なんでいんの?」

「クリスマスだから?」

「は?なんで、なんで連絡しねえの」

「驚かせた方おもしろいだろ」

「全然おもしろくない。びっくりしすぎて寿命縮まった」

口でなんと言おうとも、クッションを香坂さんに投げつけた兄の目元は薄らと朱に染まっている。
自分の意志とは無関係で表れる反応を見れば香坂さんも可愛くて仕方がなくなるのだろう。それは結構だが、兄の乙女のような反応を見せられる精神的ダメージは大きい。小さく溜め息を吐いた。

「お願いだから親の前ではいちゃつかないでね」

「わかってるよ」

香坂さんは自信満々に言うが、心配なのは兄の方だ。馬鹿正直に顔に出るし、自分たちが想像している以上に親は目ざとく息子の些細な変化も見逃さない。
子どもが完璧に隠したつもりのモノはあっさりと筒抜けだったりする。だとしても、まさか男と交際中と疑ったりはしないだろうが。
二人はああだ、こうだと口喧嘩しながらも嬉しそうだ。
ソファに着いた二人を見てキッチンへ向かった。
外は寒かっただろうし、温かい飲み物をと思いカップを棚から取り出す。
香坂さんはブラックコーヒー、楓ちゃんはホットカルピス、自分は緑茶。それから彼は――いつも何を飲んでいるのだろう。

「香坂ー」

キッチンカウンターの向こう側にいる彼に向かって叫ぶと兄弟二人がこちらを振り返った。

「なんだ薫」

「いや、香坂さんじゃなくて、香坂の方」

「どっちも香坂ですけど?」

「弟の方!」

ややこしい。ちっと舌打ちをして、コーヒーでいいのかと聞くと彼が小さく頷いた。
盆に四人分のカップを並べ、テーブルに置いてやる。

「薫さあ、弟君のこと苗字じゃなくて名前で呼べば?」

カップを啜りながらご機嫌な楓ちゃんに言われ思い切り顔をしかめた。

「別にいいよ。香坂も僕のこと月島って呼ぶし」

「それだよ。前からややこしいと思ってたんだよ。月島ー、って呼ばれると俺かな?って思うし。な?」

兄は香坂さんに同意を求め、彼も大きく頷いた。

「条件反射で反応しちまうんだよ。兄弟二組いたらややこしいから苗字やめて」

そうは言われても大して親しくもない彼と自分が名前で呼び合うのはひどい違和感がある。
クラスメイトも皆苗字で呼ぶし、下の名前で自分を呼ぶのは親族と香坂さんくらいだ。別に名前が特別とは思っていないが、なんとなくイラっとする。

「でも楓ちゃんも香坂ーって呼ぶじゃん」

「俺はもうこれで慣れたから」

「あー、面倒くせえ。俺たちはいいからお前ら直せ。いいな、決まり」

ぱんと両手を叩いた香坂さんに恨めしい視線を向けた。

「…お前の名前カオルだっけ、カオリだっけ」

香坂がやっと口を開いたと思ったら不躾な質問が飛んできた。数ヶ月部屋を共にしてきたのに名前も憶えていないとは。これだから馬鹿は困る。

「薫だよ。か、お、る」

「薫ね…似合わねえのな」

「うるさいなあ。よく言われるから聞き飽きたよ」

「お前ら兄弟名前だけは可愛いもんな」

おー、よしよしと香坂さんに頭を撫でられ憮然とした。名前は自分では選べない。文句があるなら親に言ってほしい。僕だって涼とか、京とか、男らしい名前がよかった。
両親が帰宅するまでの数時間、四人で喧嘩も交えて他愛ない時間を過ごした。
とはいえ、香坂は相槌を打つ程度で仏頂面を隠そうともしない。寮で共に過ごすときもこんな調子なので慣れたものだが、もう少しお愛想というものを勉強した方がいい。

陽が完全に落ちた頃、いつもより早い時間に母が帰宅した。

「いらっしゃーい」

スーパーの袋を両手に満面の笑みでリビングに顔をだし、香坂さんはすっと立ち上がって母が抱えている荷物を代わりに持ってやった。そういうことが自然とできるからこの人はモテるのだろう。猫を被っているだけだが。

「あらまあ、ありがとう。うちの息子にも見習ってほしいわ」

「ご無沙汰してます。急に押しかけてすみません」

「いいのよー、いつでも遊びに来てちょうだい」

語尾にハートマークが乱舞している。
がさがさと食材を整理しながら、もう一人の訪問者にも気付いた母はあら?と首を傾げた。

「もう一人いらしてたの」

お鉢を回された香坂は母に頭を下げ、お邪魔してますとぼそりと呟いた。

「俺の弟なんです。すいません、愛想がないやつで」

「弟?イケメンなはずだわ!」

母は無愛想は然程気にした様子もなく興奮気味だ。

「僕の同室ー」

助け舟を出してやると、母は慌ててこちらに近付き、香坂に向かって小さく頭を下げた。

「薫がいつもお世話になっております」

「い、いえ」

香坂はぎょっとした様子で立ち上がり、倣うように頭を下げた。

「薫と同室なんて大変じゃない?この子頭はいいけどそれ以外がからっきしだから」

「あ、はい。あ、いえ…」

どっちだよ。その様子を見て香坂さんと楓ちゃんは肩を揺らして笑っている。
どうせ自分は勉強以外なにもできない、人間関係も深く構築できないコミュ障だよ。

「言っとくけど世話してるのは僕の方だからね」

「はあ?俺がいつお前の世話になったよ」

「気が向いたとき起こしてやってるだろ」

「一ヵ月に一回あるかないかだろ」

「それでもありがたいと思えよ」

「それを言うなら俺の方が世話してる」

「いつ、どんな?世話された記憶なんてこれっぽっちもないんだけど」

ぽかんと見ていた母がくすくすと笑い、親の前だったことを思い出す。

「仲良くやってるみたいで安心したわ」

「どこが!」

ついむきになってしまった。こんなの自分らしくない。ふんと顔を背け、タブレット型菓子をがりっと噛んだ。


その内父も帰宅し、六人揃っての夕食は騒がしいものだった。香坂さんは猫を被り続けていたし、弟は相変わらず無口だが、母と兄が小さいことで口論するものだからまるで動物園だ。
ケーキも平らげ、ぽっこりと膨らんだ腹を擦った。実家に帰るとつい食べ過ぎてしまう。
自分の休み中の仕事である皿洗いをしていると、残り物を冷蔵庫に詰めていた母が振り返った。

「そういえばどこで寝る?来客用のお布団、一組ならあるんだけど…」

「あー、香坂さんは楓ちゃんと一緒の部屋でいいでしょ」

「そう?じゃあ京君はあなたの部屋ね」

「は?あんな奴リビングのソファとかでいいし」

「何言ってるの。お客様にそんな失礼なことできないわよ。寮の部屋一緒なんだからいいじゃない」

「えー…じゃあ僕の部屋に布団敷いてね。楓ちゃんはセミダブルだから二人で寝れるでしょ」

きゅっと蛇口を閉めながら言えば、キッチンカウンターに頬杖をついた香坂さんがにっこり笑った。

「できれば俺が布団で寝たいんだよね、薫」

「は?」

同じベッドでいちゃこらするのではないのか。自然とそういう流れになるように持っていってやったのに、何を言い出すのか。
目で訴えたが香坂さんは笑顔を崩さない。

「そうよねえ、涼君が一番身体大きいからお布団の方がいいわよね」

「いやいや、ちょっと待ってよ」

「お前と京は大して背変わらないだろ?」

「それを言ったら香坂さんと楓ちゃんだって!」

「まあまあ」

この野郎、何を考えてる。

「…じゃあこうしようよ!僕と楓ちゃんが同じベッドで寝るから、香坂さんと弟はベッドと布団使って――」

提案した瞬間、香坂さんは微笑みながら睨むという器用な芸当を見せながら口を塞いだ。

「薫頼むよ」

「うー!」

もう少しで指を噛んでやろうとした時、母がこちらを振り返ったタイミングで手が放れた。この野郎、本当に猫を被るの上手い。自分も大概だがこの男には負ける。

「で、どうする?」

「…香坂さんが布団で寝るので、楓ちゃんの部屋に敷いてあげてください…」

「はいはい。じゃあその前に楓に部屋掃除してもらわなきゃね」

母は呑気にソファでだらけている兄の頭を小突き、一緒に部屋へ向かった。

「何考えてんですか香坂さん」

「べーつにー」

「僕にあれと一緒に寝ろってんですか。しかも僕のベッドシングルですよ?」

「平気平気。大型犬だと思えば」

「ちっとも平気じゃないんですけど…」

恨めしい視線を向けたが、彼はふんと笑って去ってしまった。
もういい。自分がリビングのソファで寝ればいいのだ。何故あんな奴のために、とは思うが、ぴったり密着して寝るよりましだ。



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