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「真琴!スノボ行こう!」

潤の部屋でお菓子を頬張っていると、電話を終えた彼が興奮気味で言った。
はい?と首を捻り手に持っていた菓子をばりっと噛み砕く。

「今おじさんから電話きて、彼女と行くために予約してた温泉があったけど、彼女の都合で行けなくなったから代わりに行かないかって言われたんだ!近くにゲレンデもあるんだって!」

「おじさん?」

「理事長」

「ああ、そっか。潤は意外といいとこのぼんぼんだったね。忘れてた」

「いや、うちは普通。折角だし行こうよ!」

「でもなんで潤に回ってきたの?」

「息子二人に聞いたらそんな暇ないって怒られたんだよー、って言ってた」

「あー、木内先輩受験生か」

「そそ。勿体無いし、おじさんが予約したならきっといい部屋だと思う!」

だから、ね?と前のめりで迫られ、迫力に負けて曖昧に頷いた。

「よっしゃ!」

「で、でも温泉はまだしもスノボなんてしたことないし、運動音痴には辛いし、それにそんなお金もないし…」

「大丈夫。あーだこーだ言ったらおじさんが車も出してくれるって。宿泊費用もかからないし、なんなら友達と行くからお小遣い寄越せって言うし」

「それはいくらなんでもちょっと…」

「いいのいいの」

高笑いする彼を不安な気持ちで見詰めた。そんな風に立っている者は親でも使うから、皮肉を込めて「あれは女王様だから」と陰口を叩かれるのだ。本人は気にする様子もないので構わないが、その内大目玉を食らうと思う。

「冬休みに親の小言聞くよりも温泉入ってスノボした方が絶対いいじゃん」

「うーん。でも潤のご両親だって休みくらい会いたいと思うよ」

「あー、うちそういうのないから大丈夫」

彼はひらひらと手を振りながら否定したが、潤は一人息子なので御両親も口ではなんと言おうと可愛がっていると思うし、心配もすると思う。息子の元気な姿が見たいのは世界共通なのではないか。
これと決めたらこちらが何を言っても潤は自分の意志を曲げないので放っておくしかないけれど。
その時、潤の背後の扉が静かに開いて有馬先輩がひょこっと顔を出した。
視線が合うと人差し指を口に持っていき僅かな微笑を見せる。

「あー楽しみ」

「随分楽しそうなお話しをしてますね」

潤は耳元で囁かれ、大袈裟に後ずさった。

「なんでいつも急に現れるの」

「ノックしましたよ。一応」

「…音聞こえた?」

聞かれたので全然と首を振った。

「その楽しそうな計画、私も参加します」

「は?誘ってないし。冬休みは実家帰らないといけないんじゃないの?」

潤はなぜか怒りが篭った瞳で有馬先輩をきつく睨み上げた。

「高校最後の冬ですから、楽しい思い出を作りたいじゃないですか」

「僕だって楽しい思い出がほしいよ。だから真琴と行こうと思ったんじゃん!」

「まさか彼氏を誘う前に友人に声をかけるとは…」

有馬先輩は嘆かわしいと言わんばかりに大袈裟に肩を竦めたが、そんな仕草も似合うから困る。

「それに予約は二人だもん。だから真琴と行くんだもん」

「あ、それなら僕はいいから有馬先輩と――」

「真琴!」

勢い良く口を塞がれ、もごもご言いながらその先は呑み込んだ。

「泉君もこうおっしゃってることですし」

「嫌だね。棚ぼたな温泉旅行なんだから真琴と行く。こんな機会でもなきゃ真琴は高級温泉なんかには泊まれない!」

失礼な物言いだがその通りすぎて何も言い返せない。悲しいかな、うちは絵に描いたような貧乏だ。

「それなら三上も誘ったらどうです?それこそ、三上と温泉なんてこの先ないかもしれませんし」

「え、三上?」

名前を聞いただけで反射的に反応してきらきらと瞳が輝いてしまった。

「三上が同行するなら私が一緒でもいいでしょう。お金はきちんと出します」

「無理無理。三上なんて連れていかないし、有馬先輩なんてもっと連れていかない」

「お友達の幸せを願うなら連れていくべきでは?」

「う…」

潤はこちらをちらりと見て長い溜め息を吐いた。

「真琴のそのおやつを焦らされてる犬みたいな目を見るとさあ…」

「そんな目してないよ」

「してる。三上って名前出た瞬間からしてる」

「決まりですね。三上は私が説得してさしあげましょう。あなたたち二人はあてになりませんし」

有馬先輩は上機嫌で去っていったが、残された潤は胡坐の上に肘をついて頭を抱えた。

「あー…なんでこうなるんだ」

「でも僕といるより先輩といた方が楽しいよ」

「それ本気で言ってる?」

「え、そりゃ、勿論…。先輩が言うように最後の冬休みなんだから思い出作った方がいいよ。卒業しちゃったら今までみたいに会えないんだしさ」

「…だからいい思い出なんて作りたくないんだよ」

ぼそりと呟いた言葉はきちんと聞き取れなかったが、一瞬潤が寂しそうに笑ったのが気配で伝わった。

「ま、予約状況がどうなってるかわからないし、四人は無理って言われるかもしれないしな!そうなったら真琴と行くから。絶対」

「はは…僕が有馬先輩に恨まれないかな…」

「そんな狭量な男、まっぴらごめんだね」

彼は吐き捨てるようにして再び理事長へ電話をかけ始めた。



「温泉楽しみだね」

ソファに仰向けになって雑誌を開く三上に笑顔を向けた。

「あー…」

大きめの鞄に放り投げられた衣服をせっせと畳んで詰めていく。
事の経緯を理事長に話すと、潤が友人四人で行きたいというのを大層喜んだようで、追加で部屋を用意してくれたらしい。潤が漸く高校生らしい集団行動をしてくれるようになって嬉しい、と涙声で言われたらしいが、その気持ちはよくわかる。
彼の周りには沢山の人がいるが、その間の繋がりが友情かと問われると少し違うものだった。綺麗な仮面を剥がして転がるように大笑いしたり、変顔したり、だらしない姿を見せるのはごく一部の人間だけだ。
意図的か無意識かわからないが、綺麗と言われ続けた結果、そう演じるのが自分の使命と感じているような気がして、それはとても窮屈な鎖を巻かれているようで、せめて自分たちの前では気負わずいてほしいと思う。
最後のセーターを小さく纏めてぎゅうっと詰めた。

「よし、終わった」

「おー、ご苦労」

代わりに荷物の用意をしたのに感謝の態度というものは感じられない。
でもそれで構わない。自分が勝手にしたことだし、これくらい世話を焼かないと彼は面倒だから行かないと言いかねない。
むしろ、いくら有馬先輩に説得されても簡単に首を縦に振らないと思っていた。彼が嫌だと言ったら自分も辞退し、邪魔者は去ろうと思っていたのだ。
しかし予想に反し、そこまでの抵抗は見せなかったと有馬先輩は清々しい顔で言った。きっと三上は弱味を握られているのだろう。

「明日は八時に出発だからね。忘れないでね」

「はいはい」

本に夢中らしく、心ここに非ずな状態で返事をされる。起こすだけでも一苦労で、それは自分の役目だ。明日は朝から戦争だろうと心の中で溜め息を吐く。

「三上はスノボしたことある?」

「あー、はいはい」

「はいはいじゃなくて」

「あー、うん」

これは完全に聞いていない。上から雑誌を取り上げると思いきり眉を寄せられた。

「返せ」

「ぼ、僕の話し聞いてくれたら返します」

三上に強気に出るには訓練が必要で、まだ怯みながら挑んでいるし、本気で怒られる気配を察したら土下座する勢いで謝っている。
しかし彼は我儘な行動をとると、苛立ちながらも毎回応えようとしてくれる。
自分を委縮させぬよう、気を遣っているのだろう。だから自分も少しずつ我儘を言う努力をしている。
彼はきっと、こういう関係を望んでいる。相手の顔色を窺わず、自分の意見や意志を言い合えるような。一言でいえば対等な関係、ということだろうか。
三上は小さく吐息を零し、起き上がって座り直した。それが合図のように自分も三上に向き合うようにソファの座面に正座した。

「なに」

「スノボのご経験は?」

「あるけど」

「あるの!?」

「あるよ普通に」

「三上が外で遊ぶなんて意外」

「お前は俺をなんだと思ってんの?普通に遊ぶわ」

「じゃあ潤と三上は問題なしだね。僕はやったことないから教えてね」

「は、やだ」

「やだ?」

「やだ。俺は好きに滑るからお前は潤と遊んでろ」

「そんな…」

「お前びっくりするほど運動音痴じゃん。そんなのに教えてたら一日終わる」

「見捨てないでよー」

「ソリで遊んどけ」

「ソリも楽しそうだけど…」

一面銀世界で三上ときゃっきゃうふふ、という妄想まで準備していたのに。手取り足取り教えてもらい、運動音痴をいいことに目一杯抱きつこうという計画が水の泡だ。

「わかったらさっさと部屋戻って早めに布団に入れ。どうせわくわくして眠れないんだから」

「よくご存知で…」

話しは終わりと言わんばかりに取り上げた雑誌を奪われ、また彼は一人の世界に入ってしまった。
肩を落としてとぼとぼと部屋へ戻る。忠告通りにベッドに入り、三上と楽しいスノボ計画がぱらぱら散ったのを嘆いた。
スノボは一緒にできずとも彼と温泉に一泊できるだけでも幸せではないか。多くを望まずいよう。日中は友人と遊び、夜は恋人と過ごす。そんな贅沢を体験できるのだ。
にやにやと笑い、考えれば考えるほど目がらんらんとする。
時計は夜の十時だが、眠れるのは日付を跨いでからだろうと予想した。

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