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両手一杯になった荷物を抱え、三上の部屋へ戻った頃には夕方近くなっていた。
お寿司にチキンにケーキに炭酸飲料、ついでに明日の分の食糧も購入した。
夕食には早かったが一度に食べきれる量ではないので、また腹が減ったら食べればいいという結論になり、早めの夕食を摂った。
残った物は冷蔵庫に入れ、ぽっこり出た腹を擦った。
「お寿司美味しかった?」
「普通」
「そっか。クリスマスに寿司ってあべこべな感じが日本人ぽくていいよね」
「なんだそれ」
ふうと大きく息を吐き、折角だから風呂洗いもした。
甲斐田君も三上も面倒だからと言ってシャワーで済ませるが、この季節にそれは辛い。
どうしても入りたいときは大浴場へ行くと言っていたが、休暇中は大浴場も閉鎖される。
後は好きなときにお湯を入れればいい。まだ眠るには早いし、三上は夜型人間なのでこれからゆっくり過ごすのだろう。
「じゃあ僕部屋行くねー」
「あ?着替えとりに行くのか?」
「はい?普通に帰るけど」
「俺が寝てるの見たいって言ってたから泊まると思ってた」
「いいの!?」
「お前が言ったんだろ?」
変な奴、と言われたが、そういう意味で言ったわけではなく、幸せを感じてくれるなら寝てる姿でも食事する姿でもなんでもいいのだが。
三上には繊細な心は理解できないか。もう少しわかりやすく、幼児に説くかのように説明すればよかった。
なんにせよ、お泊りの許可がでたのでその場で万歳三唱をした。
「なんだよ。なんかに当選でもしたのか?」
「ええ、ええ。当選しましたとも」
適当に返事をして着替えや歯ブラシを取りに一度部屋へ戻る。
今日は絶対に眠らない。明日以降いくらでも寝れるのだから、三上の寝顔を焼きつけて、手くらいは握ってもいいだろうか。
鼻歌を歌いそうになって、浮かれる気持ちをぐっと抑えた。
デートを断って申し訳ないと思ったが、お泊りできるならこちらを選んでよかった。
もしかしたら無理をさせている可能性もあるが、卑屈になると怒られるので素直に喜んでおこう。
まだ三上が笑った顔を見ていない。一瞬でもいいから笑顔になってくれれば最高のクリスマスだ。
三上の部屋へ戻り風呂を済ませた。
小腹が空いたらケーキの残りを食べ、ソファに横になって映画を見ている彼をじっと見詰めた。
電気を消しているので、画面の光りがすっきりとした顔を映し出し自分の目にはとても魅力的に映った。
聖夜だというのに三上が選んだのはFBIが事件を解決するサスペンス映画で、途中グロテスクなシーンもあり画面から叫び声も聞こえる。とても穏やかな空気にはならないが彼が楽しいならそれでいい。
エンドロールが流れ、それをぼんやり見ていると眠気が襲ってきて欠伸をした。
だめだ。今日は眠るわけにはいかない。なにがなんでも起き続けてやる。
眠気覚ましに濃いめのブラックコーヒーを一気に飲み込んだ。
「俺にもちょうだい」
「今飲んだら眠れなくなるよ」
「今飲んだお前に言われてもなあ…」
「僕はいいんだよ。寝ないようにしてるんだから」
「は?いいからよこせ」
「はいはい」
とはいえ、いつまでも三上に起きていられると困るのでホットミルクと割った。砂糖を入れなければ飲めるだろう。
「置いとくよ」
テーブルにカップを置くと三上がむくりと起き上がりソファをぽんぽんと叩いた。
座れという解釈と判断し、隣に腰掛けた。テレビではエンドロールが流れ続け、ぼんやりと明るい部屋だけはクリスマスの雰囲気だ。スピーカーから流れる音は恐怖心を煽るような重苦しものだが。
「牛乳入れやがったな」
「よく眠れるようにという配慮をね?」
「砂糖入ってないならいいけど…」
三上は一口飲んでカップをテーブルに置いた。
「…お前、よかったのか」
「なにが?」
「こんな一日で。なにも楽しいことなかったんじゃねえの」
「な、何言ってんの!楽しいに決まってる。だって三上が一緒にいていいって言ってくれたし、お泊りもできるし、すごく嬉しいよ」
薄明りの中でも三上の眼光は強く、その目が自分を捉えると反射的に身体を小さくしたくなる。心の中、隅から隅まで暴かれているようで、精一杯の嘘や虚勢も知られそうで怖い。裸になるより恥ずかしく、心の扉をぎっちり閉めたくなる。
「…三上が楽しそうにしたら僕も嬉しいんだ。本当は僕が笑わせたいけど…」
現実は怒らせてばかりだ。だからせめて今日は頑張ろうと思ったのだけれど。
「それに、本当に傍にいるだけで幸せなんだ。今だって。それ以上望んだらだめなんだよ」
欲張りに際限はない。欲しがっているうちは満たされることは決してない。
三上は小さな自分の心をいつもいっぱいにしてくれる。どんな高価なプレゼントも敵わない。世界中で三上しか持っていない。三上しか贈れないものだ。
「…だめじゃないだろ」
「え…」
「お前、こんな付き合いでよく幸せだって言えるな。普通は一緒にいるのなんて当たり前で、それ以上を望むものだろ。俺たちは普通じゃないんだぞ」
割れたガラスの破片を投げつけられたように身体中がちくちくと痛んだ。
普通じゃない。その通りでなにも言い返せない。だけど僕はそれでいい。普通じゃなくても、おかしな輪の繋ぎ方をして絡まっても、三上といられるならそれでいい。
重すぎる言葉は呑み込んだ。重いを通り越して痛いから。
「…普通じゃないかもしれないけど、幸せだと思うのは本当だから…」
だらんと足の上に置いていた両手に視線を固定して言った。
そこに嘘はない。傷つくこともたくさんある。もっと優しくしてくれと望むときもある。普通の恋人同士のようにいちゃいちゃしたいときもある。
だけど全部を我慢しても彼の隣にいたい。いつか限界が来ても、ぼろぼろになっても絶対に離れたくない。
「お前がそんなんだから俺は――」
苛立ったような声に慌てて顔を上げた。
三上は肘置きに腕をついて頭を支え、苦虫を噛み潰したような顔をした。
まずいことを言ったらしい。鬱陶しい、うざいと思われたのだろうか。三上を責めるつもりはなく、自分の正直な気持ちだったが重荷になっているのかもしれない。
「違うよ。三上にプレッシャー与えようとしてるわけじゃなくて…」
自分の気持ちは自分で消化する。三上に甘え、満たされようと圧し掛かったりしない。
三上の気持ちは三上のものだし、無理にお互いを繋げなくともいいと思う。
相手のためを想うのは素晴らしいことだが、自分の心くらい自分で責任を持つ。
寂しいとか、不安とか、口に出したらきりがない汚いものを彼のせいだなんて思わない。
「そんなことはわかってる。だけど、最低な男だって、こんなはずじゃなかったって責められた方がましだ。こんな小さなことで幸せなんて言うなよ」
三上は苦しそうに顔を歪めた。こんなに真っ直ぐで、自分に正直でいつも凛としている彼なのに、心細さで涙を流す子どものように見えた。
「…三上は優しいなあ」
「は?どこが」
「優しいよ。いい恋人じゃないことを自分で責めてる」
「責めてねえよ」
「そっか。僕は優しくていい恋人でいてくれる男が好きなんじゃなくて、三上が好きなんだ。そりゃ、たまには欲張りにもなるけど、普段の三上がいいんだよ」
「……なにが、そんなにいいんだか」
吐き捨てた言葉に苦笑した。自分で自分を見詰めるのは困難だ。子どもでも、大人でも。見える世界は自分以外で、常に鏡に映されなければ見失いそうになる。
三上本人は知らないだろうが、三上はいい男だ。皆にブーイングされても、理解できないと言われても、自分には彼が一番光って見える。どこにいても、どんな人混みでも必ず見つけてしまう。理屈では説明できない求心力が働く。
だから恋人らしくなくていい。世間の普通じゃないとしても、自分たちにとっての普通はこれなのだ。そこに不満はない。
「…泉」
「なに?」
「俺、お前のことちゃんと、す……」
「…す?」
「す……寿司がうまかった」
「マジ?よかった。迷ったんだよね。鮪中心か、サーモンか。三上はサーモンかなあと思ってそっちにしたんだけど、正解だったね」
三上が喜んでくれたのが嬉しくて、ミッションを成し遂げた達成感で満面の笑みになったが、三上は溜め息を吐いて頭が痛そうにしている。
「……風呂、入ってくる…」
「うん。DVD片付けとくから」
「いや、お前はもう寝ろ。すぐ寝ろ」
「今日は寝ないんだ。ぎりぎりまで三上の寝顔を見たい」
「いい子は寝なさい!」
「いい子じゃないし」
「後でいくらでも見せてやるから今日は寝ろ!」
「いくらでも!?やったー!」
再び万歳をしたが、三上は失言を後悔するように頭をぐちゃぐちゃにしてから風呂へ向かった。
この後は一人でゆっくり他の映画でも見たいのかもしれない。
彼は自分が思った以上に色々と考え、悩んでいる。僕のことなんかで悩まなくていいのに。
中途半端な関係は三上の中のルールに反するのだろう。そんな生真面目なところも大好きだ。焦らなくていい。一生答えを見つけなくても。考えた末にやっぱり好きじゃない、なんて言われるよりは中途半端なままがいい。ずるい考えだと思う。三上は真剣に苦しんでいるのに。
ストレートな人間が男と付き合うという現実はどれほど受け入れるのが大変なのだろうか。
自分はゲイなので想像できないが、もし女の子を好きになったら同じように苦しむのだろうか。いや、きっと嬉しくなると思う。これで自分も真っ当になれる。誰も悲しませずに済む、と。
正しいレールから彼を無理矢理こちらへ引き摺りこんで申し訳ないと思う。
だけど好きな気持ちは止められなかったし、それを表現しないと爆発しそうだった。
まさか振り向いてくれると思っていなかったので、あんな風に安易に言葉にしてきたが、三上には本当にすまないことをしたと思っている。
罪悪感を感じるなら今すぐ手放してやればいい。もう自分なんかに付き合わず、可愛らしい彼女を作れと言えばいい。だけどできない。嘘でも言えない。
酷い男になりきれない三上の優しさにつけ込んでいる。
一緒にいられるだけで幸せ。それ以上は望まない。綺麗事ばかりを並べる口は、三上から見たらさぞ醜いだろう。
清廉な心を安売りして、その実奥底にゴミを溜め込んでいる。どんどん蓄積されるので、いつか表に出てしまう。そのとき彼はどんな顔をするだろう。
ソファの上で三角にした膝を抱え、ぼんやりと天井を眺めていた。
その視界の中に、ぬっと三上が入ってきて、彼の髪からこぼれた一粒の雫が僕の頬を濡らした。
「電気つけないでなにしてんだ。寝ろって言ったろ」
「あ…。ごめん、考え事してた。すぐに寝るから」
三上の自由な時間を奪わぬようへらりと笑って立ち上がった。
「ベッド借りていいの?」
「…ああ」
「ありがとう。おやすみなさい」
ぺこりと頭を下げ、胸を押し潰しそうな罪悪感に蓋をした。
寝室の常夜灯をつけ、ベッドヘッドを背凭れにして先ほどと同じように膝を三角にした。
悩みなんて眠っているうちに薄くなる。早く寝てしまえばいいのだが、ブラックコーヒーのせいか、三上の優しさのせいか、目が冴えて眠れそうにない。
床からクッションを拝借し、それを膝の上に置いて頬をつけた。
もうすぐクリスマスが終わってしまう。結局自分は三上を幸福に染められなかった。自分ばかりが与えられて終わった。情けない。恋人なのににこりと笑わせることもできない。
落ち込みそうになり、考えても仕方のないことを悩むのはやめようと首を振った。そのとき、小さく扉が開く音がして、三上の影がこちらに近付いた。
ベッドの端に腰を下ろし、こちらに手を伸ばした。反射的にぎゅっと目を瞑ったが、ぽんと頭を撫でられただけだった。
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