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冬期休暇が始まった。
蓮は昨日のうちに実家へ帰った。須藤先輩は休暇中自宅近くの予備校に通うらしいので、寮にいる意味もないのだろう。
自分も母に数日寮で過ごしてから戻ると連絡を入れた。今年のクリスマスは友人と遊ぶのでケーキは必要ないと言うと心底嬉しそうに笑っていた。
そして今日がそのクリスマスだ。
カップに入ったカフェラテに息を吹きかけ小さく溜め息を吐いた。
釈然としない気持ちは心の隅でじっとしていて、自分でも消化できていない。
楽しいはずのクリスマスだった。三上が自分に付き合ってくれると言った。雑誌を見てわくわくした。浮かれて怪我でもするのではないかと思っていた。なのに予想に反して妙に落ち着いている。
楽しみなのに、嬉しいのに、心の端っこがしんと沈んでいる。
時計を見ると九時を回っていた。自分は早起きして身支度も整えたので、後は三上を起こしに行くだけだ。
カップをシンクに置き、部屋を出た。
プレゼントも財布も鍵もしっかり持った。忘れ物はないし、ドジを踏むような真似をしないよう、スケート場までの最短の乗り換えルートも覚えた。
準備はすべて整っている。あとはクリスマスで華やぐ街へ出かけるだけだ。
しくしくとする胸のあたりを服の上からぎゅっと握り、三上の部屋の扉を開けた。
甲斐田君も今年は実家へ帰省したらしい。部屋には三上しか残っていないので、鍵を開けておくから勝手に入れと言われていた。
三上の寝室の扉を静かに開けた。入った途端、彼の匂いが鼻腔を擽る。この香りが大好きだ。彼をとても近くに感じられるから。
三上は鼻まで布団を被り静かに寝息を立てている。
ベッドの傍にしゃがみ込み、寝顔を覗き込んだ。いつも鋭く光る双眸が瞼に隠されるとぐっと幼い印象になる。穏やかであどけない空気で眠る姿が好きだ。
できれば起こしたくないし、ずっと幸せな夢を見ていてほしいのだが、そうも言ってられない。

「三上。起こしに来たよ」

軽く身体を揺さぶった。鼻声でうん、と返事があり暫く待ったが起きる気配はない。

「おーい」

「んー…」

「三上ー」

「…わかった。わかったから…」

布団の中からするりと腕が伸びてきて、ぽんと頭を撫でられ、細くて長い指がするりと頬を伝っていった。それだけで一瞬息が止まり、心臓が跳ねているように煩く鳴った。
言葉は出ず、再び夢の中に落ちた彼の寝顔をどきどきしながら見詰めた。



「…あれ…。お前起こしに来てたのか…」

「あ、おはよー」

三上のベッドを背凭れにして、彼の部屋にあった雑誌を勝手に読んでいた。
あの後暫く寝顔を見てにやにやしていたが、寝返りを打たれてしまい、退屈凌ぎに雑誌を捲ったのだ。

「はあ!?」

三上は携帯を開いて素っ頓狂な声を上げた。

「お前、なんで早く起こさなかったんだよ!」

「起こしたよ。一応…」

「だってお前…」

時刻は午後一時を回ったところだ。
叩き起こせば予定していた時間に出られただろう。だけどできなかった。このままでいたいと思った。

「…待ってろ。すぐ着替える。今からでもどうにかなんだろ」

「まあ、スケート場は夜までやってるけど」

「五分で仕度する」

三上は布団をばさりと払いのけ洗面所へ向かい、眠い瞼を必死に押し上げながら着替えを済ませ、行くぞと言った。

「…うん」

これから必死に計画を立てたデートを実行できる。嬉しいはずなのにこの部屋から出たくないと思ってしまった。
何故だろう。最初はあんなに嬉しかったのに。三上とデートがしたいと何度も何度も言っていたのに。クリスマスに世間のカップルと同じような経験がしたいと夢見てたのに。
早くと急かされ、三上の背中を追った。なのに彼が部屋の扉を開けた瞬間、後ろから服をぎゅっと掴んでしまった。

「…どうした」

「…ごめん。やっぱりいいよ。スケート」

俯きがちに言うと、三上は扉を閉め僕と対峙した。

「…具合でも悪いのか」

「元気だよ」

「俺がちゃんと起きなかったから拗ねてんのか」

「…そうじゃ、ないよ…」

「じゃあなんだ」

がりがりと髪を掻く仕草に身体が強張った。
三上は面倒なデートを引き受けてくれた。スケートをしたいと言えば文句も言わず頷いてくれた。予定時間からは遅れたが、こうして行こうとしてくれている。
なのにドタキャンするようなことを言えば怒られて当然だ。だけど、どうしてだろう。外へ出たくないと思った。
この気持ちを上手く言葉にできない。自分でも整理できないし、答えだけがあって途中の式が抜けたみたいで説明できない。

「…ごめん」

「謝ってほしいんじゃない。急にどうしたんだって聞いてんだ」

「そうだよね。自分でもそう思う…。でも、なんて言うか…。三上とこうしていたいんだ。なにもしなくてもいい。三上が寝てて、同じ空間にいたときすごく幸せだと思った。デートに行かなくても一緒にいられたらいいやって…」

ちぐはぐな言葉しか出てこなくて、肝心要のこれだという気持ちがわからない。

「こっちこい」

彼は一つ溜め息を吐いて僕をソファに座らせ、エアコンのスイッチを入れた。
尋問される気配を察し、もやもやと気持ちが悪い心の正体を突き止めなければいけないと思った。

「お前の言ってることがわからん」

「…そうだよね。自分でもわかんないもん…」

「スケートしたかったんじゃねえの?」

「スケートはしてみたいなあとは思ったけど…。どこに行こうか考えてるとき、最初はわくわくしてたけど段々わからなくなって…」

「無理に決めたのか?」

「無理っていうか、三上が付き合ってくれるなら思い出に残るようなことしようって思ってたんだけど…。たぶん、僕がほしかったのはそういう思い出じゃないのかも…」

ちらりと三上を見るとわけがわかりません、と顔に書いてあった。
お互い恋愛初心者だ。察するほどの経験はなく、自分自身の気持ちにすらついていけない。

「…俺はお前がクリスマスだの誕生日だのうるせえだろうと思って付き合うって言ったんだけど、余計なお世話だったか」

「ち、違うよ!そうじゃない!」

ぶんぶんと大袈裟に首を左右に振った。

「すごく、すごく嬉しかったよ。三上そういうの嫌だろうし、デートも嫌だって言ってたし、なのに僕のために我慢してくれてるんだって…。だから僕も雑誌買って、何回も読んで色々考えて張り切ってたし」

「でもお前が欲しかったのはそうじゃねえんだろ」

三上から与えられたプレゼントに不満や駄々を捏ねているようで恥ずかしくなってきた。
彼から与えられる気持ちはどんなものでも嬉しかった。それを無碍にするつもりはなかった。なのによくわからない心の正体に揺すられ、行きたくないなんて言って。

「ごめんね。三上も僕に気を遣ってくれたのに無碍にするようなこと…」

「怒ってるわけじゃない。柄じゃねえことした俺も悪かった」

そうじゃないのに。嬉しくて、幸せなことには変わらないのに。どうしたって伝わらないもどかしさに苦しくなる。

「…お前が欲しかった思い出ってのはどんなものなんだ。外に出たくないなら本当に欲しかったものがあるんだろ」

「…わからない。でも、三上が寝てるの見るのが好きなんだ」

「は?なんだそりゃ」

「三上は寝てるときが一番幸せそうだし、寝顔を見れる距離っていうのが嬉しいというか」

「…お前はわけわかんねえことばっかり言うな。もう少しわかりやすく説明しろ」

「うーん。だからー…」

腕を組んで端的に表現できる言葉を探した。

「あ、三上を幸せにしたいんだよ!」

すとん、と落ちてきた気持ちを勢いよく口にした。三上はぽかんと口をあけて、すぐに眉間に皺を寄せた。変なことを言っただろうか。だけどそれ以外にない。
無理に自分に付き合ってくれなくていい。部屋の中でぬくぬくと布団に包まって嬉しそうにする彼の傍にいられるとこちらも満たされる。

「それと行きたくないってのにどんな関係が?」

「僕はいつも三上に幸せもらってるし、三上はなんだかんだ文句言いつつ僕に付き合ってくれるし、クリスマスくらい三上に幸せでいてほしい。自分がなにか望むよりも三上に望んでほしかったんだ」

だから無理をさせたくなかった。彼が気持ちよさそうに眠る顔を見て、ずっと部屋にいたいと思ったし、計画を立てているときもこれでいいのかと疑問を持っていた。
毎日三上から与えられ続けている。だからこんな日くらいは自分が彼を幸福にしてやりたい。方法はわからないし、一人でいるのが幸福と言うならそれでもいい。
たぶん、自分も男として恋人に笑ってほしかったのだ。

「…じゃあ、部屋から出てけって言ってもお前はそれでいいのか」

「勿論だよ。三上が幸せと思うことをしてあげたいんだ」

「いつもなら嫌だのなんだのってぴーぴー喚くくせに」

「う…。毎回は辛いけど、クリスマスくらいは嫌な想いさせたくないし」

「ふーん」

漸く納得してくれたようなので、鞄を探ってプレゼントの箱を差し出した。

「なんだ」

「クリスマスプレゼントに決まってるじゃないですか」

「今?」

「うん。僕部屋戻るし」

「ああ、そ。俺はなにも用意してねえぞ」

「これ以上なにもいらないよ」

三上の手にプレゼントを無理矢理握らせソファから立った。
デートを楽しみにしていた気持ちもあるけれど、彼の幸福が一番嬉しい。そこに自分という存在が邪魔だとしても、それでもいいのだ。

「じゃあね。僕のこと考えてくれたのに本当にごめんね。嬉しかったよ。ありがとう」

笑ってみせたが、三上は疲れたようにソファの背凭れに深く身体を預けた。
面倒くさい恋人でごめん。心の中で謝った。でもこれでいい。これ以上は手に余る。恋人という座に置いてくれるだけで最高のプレゼントなのだ。

「待て」

通り過ぎる間際腕を掴まれた。
もっと謝罪が必要だろうか。それとも何か買って来いとパシリに使われるのだろうか。三上の気持ちが晴れるなら何でもやるけれど。

「いろ」

「…へ?」

「ここにいろ」

「…はあ…」

意味がわからず返事をし、引っ張られるまま隣に座った。

「……あのー。いていいのでしょうか」

「だから、そう言ってるだろ」

「でも…」

「しつこい」

「はい…」

三上の意図がわからず頭の中はクエスチョンマークだらけだ。
これではますます自分ばかりが幸せを与えられている。せめてなにか他のもので恩返しをしたい。

「…お腹空いてない?何か買ってくるよ。折角だから街まで行ってチキンとか買って来ようか?」

「お前が食いたいなら」

「た、食べたい!」

「じゃあ行ってくれば」

「はい!急いで帰ってきます!」

鞄を肩に掛け部屋を飛び出した。三上は肉より魚が好みなので、チキンの他に刺身でも買おうか。それとも寿司?甘さ控えめのケーキも買おう。
ぐずぐずと考えたが、全然苦しくなかった。デート場所を悩んだときのような、真綿で首を絞められるような感覚はなく、彼のために行動できる自分が嬉しかった。
自己満足かもしれない。三上は望んでいないかもしれない。でも一瞬でもいい。彼が笑ってくれるなら北風すらも真正面から受け止めてやる。

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