The first step is always the hardest.
「なんだこの面子…」
呼んでもいないのに自室のようにずかずか入り、リビングに顔を出した恋人は開口一番文句を垂れた。
「俺が聞きてえわ」
プリントの束を針なしステープラーでとめていた三上がげんなりとした表情で言った。
一日の授業をきちんと聞き終え、寮へ戻る途中三上に遭遇し、首根っこを掴んで生徒会の仕事を手伝えと言った。有無を言わさず連れて帰るつもりだったが、三上は抵抗せず溜め息を一つだけついて大人しくついてきた。その溜め息に複雑な感情が篭っているのだろうが知ったこっちゃない。
今度は寮のロビーで談笑する甲斐田君とその友人を見つけ、ついでに彼らも連行した。
彼らはテーブルを囲むようにラグの上に座り、乱雑に散らばるプリントの仕分けと資料作りを手分けさせた。
優秀な人材はいくらいても邪魔にならない。甲斐田君にはたまに手伝いをさせているので慣れたもので、彼は仕事に見合った対価をもらえるなら構わないというスタンスだ。
ついでに連れて来た麻生君も予想以上に有能だった。二年は優秀な生徒が多い当たり年なのに、そういう奴に限って学園運営に積極的に関わってくれないので困ったものだ。もっと彼らが頑張ってくれれば自分も高杉にどやされず適当に済ませられたのに。
今からでも遅くない。正式に生徒会に入ってもらおうか。役職はなんでもいい。高杉と自分の負担を軽くしてくれれば。
二年の生徒会メンバーは部活動と兼任しているので、勿論部活動優先だ。
多忙と疲労が溜っても生徒会に参加してくれる彼らの姿勢を見ていると文句も言えないし、回す仕事は最小限に留めようと思っている。
温情という感情を持てた自分に少しだけ驚き、ソファに寝そべりながら携帯を操作している恋人をちらりと見た。
この惨状を目にしても手伝おうかの一言もない。
今に始まったことではないし、彼が手を出すとますます酷くなりそうなので大人しくしてもらった方がいいのだが。
彼がもう少し優秀だったら。そうしたら公私ともにこき使う、もとい、良きパートナーになったかもしれないのに。
残念ながらその期待は今後一切できそうにない。自分でもたまに不思議に思う。馬鹿は嫌いだと今も思うのに、一番近い他人である恋人がどうして馬鹿なのかと。
勉強ができる、できないの話しではなく、基本的に楽観主義で物事の側面だけ見てお気楽に判断する軽率さが問題だ。本質を見極めなくてはならない。対人であっても、自分自身の気持ちであっても。何度か言ったがそう簡単に変わるわけもなく、彼の性格は相変わらずだ。
自分と似ていないからこそ付き合えるものかもしれない。しかし、衝突する回数も多く、何度彼からもう別れるだの、嫌いだの言われたことか。
子どもじみた振れ幅の大きい感情が可愛らしいと思う反面、とても面倒くさいとも思う。
それでも嫌いになれない特別な感情は厄介なものだと身に染みた。
「潤、全員分の飲み物淹れてください」
「は?なんで僕が三上や秀吉に?」
彼はスマホから顔を上げた途端、思い切り眉を顰めた。
「暇そうじゃないですか」
「暇じゃないですー。ゲーム中ですー」
「それを暇というのでは?」
「ゲームは暇潰しじゃなくて趣味だもん」
「ならご自分の部屋へ戻ってやればいいのでは?わざわざ私の部屋でやらずとも」
「どこでやったっていいじゃん」
「この部屋の中では私が絶対ですよ。嫌ならご退室ください」
「あー!わーったよ!ねちねちねちねちと…。姑かよ…」
潤はぶつぶつと文句を言いながら立ち上がり、どすどすと足音を響かせながら簡易キッチンへ向かった。
結局言う通りにするのだから、それなら最初からやればいいのに。何度こんなやり取りを繰り返しても、彼は従順という性質を嫌うらしい。
「よーやりますね有馬先輩も」
「なにがです?」
「潤をこき使えるの有馬先輩だけですよ。ちょっとスカっとする」
「秀吉が甘いだけだろ。聞かなきゃいいのになんだかんだ潤の言うこと聞くからだめなんだよ」
そういう三上も自分からすれば甘いと思うのだが。彼が傍若無人に振る舞っても周りはそれを良しとする。
だからこそ、性格を矯正するためにも自分が鞭を打ち続けているのに、やれ有馬先輩は優しくないだの、恋人に対する態度じゃないだの。
そういう優男がお望みなら甲斐田君あたりが丁度いいのに、そういう問題じゃないらしい。自分に優しくしてほしいのだとか。
これでも優しくしているつもりだが、まったく足りないとぼやかれる。
「はいどーぞ」
キッチンから戻った彼はカップを乱暴にテーブルに置いた。
カップの縁でコーヒーがゆらゆらと揺れ、もう少しで広げたプリントに零れるところだ。こういう思慮に欠けた行為の積み重ねで怒られるのに。
「ありがたく飲めよお前たち」
「はいはい。ありがとうございます潤様」
潤は役目を終えると再びソファに横になった。彼が男でよかった。女性だったら間違っても良妻になれないタイプだ。
「まず。お前コーヒーくらいちゃんと淹れろよ」
「文句言うなら飲むな」
毎度恒例の三上と潤の些細な口論が始まり小さく溜め息を吐いた。今度耳栓を買おう。
「麻生君も休憩なさってください」
「はい。じゃあ…」
不味いらしいコーヒーに口をつけても麻生君は文句も言わず平気な顔をしている。場の空気が読めるというのは素晴らしい能力だ。是非彼を自分の傍に置きたい。
「三上今年はちゃんと真琴とデートしてあげろよ」
口喧嘩の合間に潤が釘を刺すように言った。
「やだね」
「うわー。性格ひん曲がってるから素直にうん、って言えない奴ー」
「お前もな」
「あーあ。三上に天罰が下ればいいのに。秀吉もなんか言ってやれよ」
「言っても無駄やし。ああ言えばこう言うから疲れるやん」
「クリスマスくらい妥協してあげてもいいだろ。普段は真琴がお前に合わせてるんだから」
なんのことかと思ったが、どうやら間近に迫ったクリスマスの話しらしい。
人になにかを強制させるのは恋人でも難しい。友人なら尚更聞かない。けれど潤は何度挫けても泉君のために三上に喰ってかかる。
甲斐田君が言うように無駄だと思うのだけど。なんせ相手は三上だ。それなりの覚悟と傷つく勇気を持たなければ一緒にいられない。
泉君はそこを重々承知で、傍からみれば大変いじらしい態度で三上の傍にいるようだ。
だからこそ潤も余計に放っておけないのだろう。
「三上にも秀吉の半分くらいの優しさがあればいいのに」
「バファリンかよ」
「バファリンの方がお前より優しいからな!」
「はいはい、優しくない男ですみません」
三上は味の薄いコーヒーをぐっと飲み終え、手を伸ばしてカップを適当な棚の上に置いた。
「三上が女にモテない理由がよーくわかる。僕が女なら秀吉の方がまだましだ」
「ましって。秀吉がいい!とか言えや」
「いえ別に」
「あ、そう。俺もお前が女だったら絶対嫌やけどな」
「失礼だな。僕が女だったら性格悪くても付き合いたい男で溢れるわ。この中で選ぶなら麻生…。かなあ…」
潤はぐるりと全員を見渡しながら苦渋の決断のように言った。
「俺?それは光栄だけど…」
一瞬、麻生君がこちらを窺うようにちらりと視線を移し、この子は本当に周囲の人間の機微に聡く器用にこなせる子だと思った。
「麻生君の方が願い下げでしょうよ」
麻生君に気にしてないと視線で語りながら言った。
「そんなことないよな!」
「はは…」
「麻生君ならもっと聡明で美しく、優しい女性がお似合いですよ」
「僕にぴったりあてはまるな」
自信満々に胸を張る姿を見てとことん呆れた。自分の取り柄は見た目だけとわかっているのだろうか。その見た目が突出しているので天は二物を与えないという言葉を証明しているが。
「麻生はクリスマス予定ないの?」
「ないねー。独り身だけで遊びに行くかもしれないし、部屋にこもってるかもしれないし」
「へえ。彼女いそうなのにな」
「出会いがない」
「そんなの彼女持ちに紹介してもらえばいいのに」
「いやー。俺を紹介される子が可哀想じゃん」
麻生君はにこにこと笑いながら言うが、のらりくらりとはぐらかされていると潤は気付いているのだろうか。
「んなことないだろ。真琴もなんで麻生じゃなくて三上なんか――」
言った瞬間三上が机を拳で叩いた。一瞬で空気が冷えたのを感じ、よくわからないが潤は地雷を踏んでしまったらしい。
「み、三上にもええとこあるんやで」
「そうかな。友達にするにはいいけど恋人は勘弁」
三上の機嫌が悪いと理解しているだろうに潤は攻撃をやめない。挑発的な瞳で三上に嫌な笑みを見せている。
喧嘩するのは構わないが自分の部屋では勘弁してほしい。麻生君は笑顔を崩さず黙々と資料作りを続けている。
「ええとこあるよ!おもしろいし、おもしろいし、おもしろいし…」
「それしか言ってねえじゃん」
彼らの進捗具合を確認し、持っていた資料を膝に置いた。
「大方片付いたのでこれで終わりにしましょう」
このまま喧嘩を続けられたらせっかくまとめた資料を三上がふっ飛ばすかもしれない。潤と三上を引き剥がそうと提案した。
「よ、よーし。帰るか!」
「お礼はまた後日。あ、三上はもう少し残って手伝って下さいね」
一目散に鞄に手を伸ばした三上を制した。
「は?勘弁して下さいよ…」
「他のお二人は帰って結構です。お礼はまた後日。それから潤はコンビニへ行って甘い物買って来て下さい。そろそろ頭が回らなくなってきました」
「寒いからやだ」
「潤」
顎で行けと指示すると渋々脱ぎ散らかしていたコートを拾った。
三人が去った途端部屋の中はしんと静まり、三上から放たれる不穏な空気で重力がどんどん重くなる。
潤の失言が原因か、手伝い続行を命じた自分のせいか。どちらでも構わないけれど。
膝に置いていた資料をもう一度目の高さまで持ってきて、誤字の確認を続けた。
「潤にうるさく言われたくなかったら少し態度を改めてみてはいかがですか?」
「…有馬先輩には関係ないでしょ」
「ありませんね。でも、あれにきーきー言われるのも疲れるでしょう」
「ならちゃんと躾けて下さいよ」
「私に対する態度はともかく、あなたへの態度は躾られませんよ。素直に言うこと聞くような玉ではないのでね」
「ほんっと、あいつうるさいんですよ」
「苛立つ気持ちは理解しますが、友人を想ってのことなのでしょう」
「俺も一応あいつの友人ですけどね。俺のことももう少し考えてほしいんですけど」
三上は後背に手をつき、ぶつぶと文句を言いながら天井を見上げた。
潤ももう少し言い方に気を配れば三上も少しは耳を傾けてくれるかもしれないのに、あんな喧嘩腰ではむきになって泉君を否定したくなるだろう。
三上が泉君にきつく当たる一端は潤にあるのではないかと思う。
だからこうしてわざわざ自分がフォローをしているのだが、それも逆効果になるだろうか。自分は人のことを言えないくらい他人の逆鱗に触れてしまうらしい。
「あなたはあなたなりに努力しているのでしょう。それはきっと泉君も理解しています。だからそれ以上を要求しない。でも、年に一度や二度、我慢してでも泉君を甘やかす日があってもいいのではないでしょうか」
「有馬先輩に言われても説得力ないっつーか…」
「失礼な。私はちゃんとイベントに参加していますよ。潤がそういうのやりたいらしいので」
「うわあ。想像できねえ…」
「クリスマスも一緒にいますし、ちゃんと美味しいご飯とケーキとプレゼントを用意して普段厳しい分目一杯甘やかして、そこで帳尻を合わせるんです」
「ろくなプレゼントじゃないことはわかりました」
「私は一体どんなイメージを持たれているのでしょうねえ」
「極悪非道ですよ」
それは心外だ。悪いことはなにもしていないし、こんなに日々一生懸命勉学と生徒会活動に勤しんで模範生ともいえる生活をしているのに。
やっていることは高杉と同じなのに、あちらは優等生でこちらは極悪非道か。
「…まあ、いいです。とにかく、恋人なんてものはただの他人ですから。どちらか一方に負担が大きく圧し掛かるとあっけなく壊れますよ。適当な付き合いならともかく、あなたが恋人にしようと思ったくらいですから大切に想っているのでしょう。聞くところによると泉君は随分と健気でいじらしいとか。年に数回ご褒美があっても良いのでは」
「…言いたいことはわかりますけどね」
頭で理解して気持ちをそれに伴わせるのは苦痛な作業だ。心と頭がちぐはぐだと精神的負担がすさまじい。
恐らく三上はそんな状態をずっと続けているのだろう。
泉君のことはちゃんと好きなのだろうが、それを素直に表現する前に同性という壁に阻まれ立ち止まる。そこを越えようと努力している段階で、周りにうるさく言われるから引き返してしまう。
いい加減自分自身でも嫌気がさしているだろう。
三上は変なところで真面目なので、泉君に真摯に向き合おうとした結果がこれだ。
自分のように、男と付き合うのも長い人生の勉強くらいに思えたら楽なのだろうが。
「男の恋人を受けれるのが大変なのはわかりますよ」
「有馬先輩が?」
「いえ、本音を言えばあまりわかりませんけど」
「やっぱりな」
「でも、泉君も人間ですからいつまでも自分を追い駆けると勘違いしてはいけませんよ。無償の愛が成立するのは親子くらいなものです。ある日突然自分から去ってしまったら想像以上にきついと思いますよ」
ちらりと三上に視線を移すと黙って考え込んでいるようだった。
ここまで言えば彼も多少は考えるだろう。その後どうするかは二人の問題だ。それでも三上が変わらないのなら、泉君の心がどれくらい耐えられるかで別れの日が決まる。
だがそこまで三上が馬鹿だとは思わない。口や態度は悪いが恋人という関係を築いているくらいだ。泉君をきちんと慕っているのだろう。
外野がうるさく言えば言うほど、この男は殻に閉じこもるだけなのだ。
「…考えときます」
「そうですか。それはよかった。さあ、潤が戻る前にあなたも帰って結構ですよ。二人揃うとまた口喧嘩が始まりそうですから」
「俺には礼なし?」
「お礼にまた手伝わせてあげます」
「だからあんた性格悪いって言われるんですよ!」
「承知してます」
「潤以上に先輩と話している方がイライラするんですけど…」
「それは申し訳ありません。悪気はないのですが…」
「あー、もういいです。帰ります」
乱暴に鞄を掬い上げた彼の背中を笑顔で見送った。
どんなクリスマスを彼が選択するのか今から楽しみだ。できれば、泉君が幸福に笑ってくれたらいいのだけど。泉君の感情と潤の感情はときたまリンクするからだ。
自分の恋人が幸福であってほしいと願うのは間違っていないだろう。
三上に言わせれば極悪非道らしいが、自分はわかりやすく潤を大事にしている。
さて、今年はどんなプレゼントを用意しよう。
END
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