8
「なんか…。ごめんね」
ドアを後ろ手に閉じながら泉は気恥ずかしそうに謝った。
「…気悪くすることは言われてねえから」
「な、ならいいんだけど…!」
泉は誤魔化すように布団を二組敷き、上にぼすんと胡坐を掻いた。
「あ、うちお客さん用のお布団が一組しかなくて、それ昨日まで僕が使ってたんだ。ごめんね、新しくなくて」
「いいよ。なんだって」
「そ、そっか!」
部屋は六畳ほどで、衣装ケースや棚のせいで布団が敷けるスペースはぎりぎりしかなく、ぴったりと隣合っている。
これが寮なら問題だが、いくら泉でも実家で襲うことはないだろう。泉の言葉を信じることにする。
ドライヤーで髪を適当に乾かして布団の上に座った。
思い出して荷物から紙袋を引っ張って、その中にある犬耳が入ったビニール袋を取り出す。
「これやる」
差し出すと、泉は目を丸くした。
「…もしかしてプレゼント…?」
目をきらきらと輝かせ、わくわくと袋から耳を取り出した。
「…犬…耳?」
がっかりと肩を落としたリアクションに素直すぎて吹き出した。
「やるよ。お前に似合うだろ」
「に、似合う…?」
釈然としない様子でカチューシャをいじっているので、泉の手から奪って無理矢理頭に装着した。
「思ってた以上に似合うわ」
大笑いしたいのをこらえていると、泉の頬がみるみる膨らんでいった。
「三上の犬ってことか!」
「いや、単純にお前犬っぽいから」
「何犬!?」
「そこ大事か?」
「大事」
「なんかこう…。茶色いころころとした雑種の…」
「雑種か…。いや、雑種でも犬は可愛いけどさ。あまりにも僕っぽくてなんかさ…」
しゅんと頭を垂れる姿にプラスされて今日は犬耳も装着しているのでいつも以上におもしろい。
腹を抱えて笑いたいが、いい加減泉が怒りそうなので耐えながらぽんと頭を叩いた。
「そうそう、雑種でも犬は可愛いだろ」
「うん。可愛い。……ってことは僕のことも可愛いと思って――」
「それはない」
「あ、そうですか…。でも三上が気に入ったならいつでもつけるよ。そうだ、母さんにもらったって見せてこようかな」
嬉しそうに立ち上がったので腕を引いて止めた。
「やめろ。俺がド変態だと思われるだろ。誰にも見せるな。そして誰も言うな」
「…わかった。三上が言うならそうするけど…。二人のときだけこんな耳つけるなんてマニアックなプレイだね」
「お前が想像しているようなプレイはしねえけどな」
「えー。僕なら全然いいよ。三上が望むなら耳つけてやるくらい朝飯前!」
「俺が朝飯前じゃねえんだよ」
柔らかい泉の頬を極限まで引っ張ってぱちんと離した。
布団に潜ると名残惜しそうな声が聞こえた。
「もう寝るの?」
「今日は色々疲れた」
「そ、そっか。ごめんね」
自分が家に引き留めたせいだと勘違いしているようだが、現実は違う。
沙希のせいでもあり、自分が突っ走ってここまできたせいでもある。
「電気消すね」
ぱっと暗くなった天井をぼんやり眺めた。
泉が隣の布団に入った気配がする。
「そういえば、三上この辺になんの用だったの?」
「………」
答えない。というか、答えられない。用事などない。
むかついて気付いたらここにいました。なんて絶対に説明できない。
「ちょっと…。大した用事じゃない」
「ふうん?」
それ以上詮索されたくなくて泉に背中を向けた。
「三上、今日ありがとうね。今までで一番幸せなクリスマスかも」
「…一々大袈裟なんだよ」
「うん。でも本当だよ。去年は世界の終りってくらい落ち込んだけど」
忘れていた罪悪感が再び頭を上げた。
親子揃って俺を非難するのはやめてくれ。今では悪かったと思っている。謝らないが。
「まさか一年でここまで幸せの階段登れるなんて思ってなかったよ」
泉がへへっと笑うので、くるりと向きを変えた。
「そんなに嬉しいか?」
「嬉しいに決まってる」
「こんなことが?」
「だって三上に会えたし、プレゼントも貰えた」
「飽きるくらい顔見てんだろ」
「飽きないよ。毎日見てても飽きない。一生飽きない」
一生という言葉に背中がぞわぞわとした。こいつなら一生俺を追いかねない。
こちらがもうやめてくれと、別れたいと言ったとしても。
もしかしてとんでもない奴を選んでしまったのではないか。
こいつのしつこさは自分も知っていたはずなのに。
「だから会えて嬉しいよ」
怖ろしい言葉とは裏腹に笑顔は真っ白で、純粋さからくる脅しというのが一番性質が悪いと思った。
小さく溜息を吐く。
布団から手を出し、泉の布団をぽんぽんと叩いた。
どうしようもない。泉も俺も、根っからの馬鹿だ。
毒を食らわば皿まで、というには大袈裟だがそれくらいの覚悟を持たなければいけない。
恋愛至上主義の泉と、蛇足と考える自分では距離がありすぎて噛み合わないことが多い。
考え方も、付き合い方も、どれをとっても正反対だ。
だから衝突して、傷つけることも多い。山ほど我慢もさせているだろう。
辛いと大声で叫びたくなることも多いだろうに、それでも泉は自分に会えただけで幸せだと笑うのだ。
どうしようもなすぎて、恐怖以上に呆れる。
こんな調子でこいつはこの先の人生を歩んでいけるのか。万が一俺が姿を消したらどうするのだろう。
「お前、俺に別れるって言われたらどうする」
軽い気持ちで聞いたが、泉が息を呑み空気が引き締まったのがわかった。
「…わ、別れたいの?」
「例えばだ」
「…例えばか。よかった。まあ、落ち込むけどそれなりに普通に生きるよ。学校も休まないし。ご飯はしばらく食べられないかもしれないけど、誰かしらが心配して無理矢理食べさせるだろうし」
「……麻生か」
「え?なに?」
「…なんでもない」
と言いつつも泉の布団に置いていた手をぎゅっと握った。
こいつと麻生はいつもセットか。
まるで靴だ。片方がなくなれば歩き出すこともできない。
片方がないなどあり得ないくらいいつでも麻生は泉の将来設計の中のどこにでもいる。
幼馴染で十七年一緒に生きてきた。それは自分と妹よりも長い年月で、そりゃそうなりますよね、と納得できる一方ただただ気に食わないとも思う。
自分のことなど、明日、明後日隣にいないかもしれないと思うくせに。そんな態度や言動をしているせいだけど。
別れを予想しながら付き合うなんてアホくさい。
泉にそれを強要するのは自分でも理不尽な言い分だと思う。
だけど、自分たちは対等で、こっちはこっちで泉をきちんと扱おうと少しずつ努力している。
なのにこいつが最終的に頼って行く着くのはいつも幼馴染君だ。
他人の中で一番近い人間が恋人だが、悩みがあろうが問題や心配があろうが、泉は徹底的に自分を遠ざける。一番遠ざける。そして裏で麻生に泣きつく。そこからなにも知らない俺は麻生に嫌味をぼそりと言われて気付く。
なんだこの悪循環。いつまで経っても切れない三角関係。
頭の中がぐらぐらした。
だからといって友達をやめろなどとは思わない。いつまでも仲良し。それは結構なことだ。理性はまともな答えを引っ張り出すが、感情が暴れる。
肝心なことばかり自分に隠そうとするのがイラつく。
なんで麻生なんかに言われて気付かなければならないのだと。
「三上?」
声をかけられはっとした。
「…なんだ」
「あのね、クリスマスに三上に会えると思ってなかったからお返しできるプレゼントがないんだ」
「…そんなこと」
「お年玉貰ったら買って、新学期が始まったら渡そうかなあなんて考えてて」
「…別になにもいらねえよ。プレゼントほしいって騒ぐような乙女に見えるか」
「見えないけど、僕だってもらったし」
「ただのお笑い道具だろ」
「でも嬉しいよ」
犬耳をもらって真剣に嬉しいと言うのは世界中でこの馬鹿くらいだ。変に感心してしまう。
「今年のクリスマスは僕がもらってばっかりだから、なにかちゃんと三上にも同じくらい幸せになってもらえるもの返さなきゃ」
ふんわりと笑った顔はとても幸福そうだった。
なにも特別な物はあげていない。特別なこともしていない。
でも自分の存在で誰かが幸福だと呟くのは、そう悪いものでもないと思った。
自分の掛け布団を持ち上げた。
「来い」
「へ?」
「こっち来い」
ぽかんと口を開けている顔もおもしろいが、寒いので泉の腕を引いた。
「みか…」
「お前体温高いよな」
腕の中にすっぽりと治めると湯たんぽのようにじんわりと心地良い暖かさだった。
「そそそ、そうかな」
「ああ。すげー暖かい。……悪い。限界だ。寝る」
本当に犬を抱いて寝ているようだった。ぽかぽか、ぬくぬくとした身体と、ふんわりと顔にかかる髪の毛の感触が。
ゆっくりと静かで深い眠りにつくまで時間はかからなかった。
翌朝起きたときは、泉はまだ自分の腕の中で、きちんと動かずに一晩眠っていたらしい。
少し口を開けた間抜けな寝顔だ。
小さく鼻で笑って布団から抜け出した。
紙袋から綺麗に包装されたプレゼントを取り出して枕元に置いた。
手早く着替え、茶の間にいたおばさんに世話になったと頭を下げる。
「もう帰るの?まだ七時なのに。あ、真琴起こしましょうか」
「いえ、大丈夫です」
今は正面切って顔を合わせられない。
恥ずかしいやら自分がむかつくやら、プレゼントのことを言われたくないやら。
泉の家を出て駅に向かいながら、我ながら恥ずかしい手段でプレゼントを渡してしまったと後悔した。
あれならまだ犬耳と一緒に渡せばよかった。
顔を見て渡すより数倍は恥ずかしい。
電柱に頭を何度もぶつけたいほど悔やんだが、こうやって少しずつできる範囲で行動を起こさなければ、泉はこれからも片方の目でしか自分を見ない。
だからよかったのだ。うん。よかった。
何度も何度も言い聞かせた。そうしないと今すぐ電車に飛び込んでしまいそうだ。
END
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