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「その人のこと考えてさ、相手の女には悪いなんて思わないけど、その人にはすごく申し訳ないと思うんだ。なんか、穢してるみたいで…」
言わんとしていることはわかる。
自分も同じように考えたことがある。
「わかりますけど、商売のためですから、しょうがないと思いますよ。バイト、やめるわけにはいかないんでしょ?それに、実際にその人を犯してるわけじゃないし、想像は自由ですしね」
「いや、そうなんだけど、後ろめたい気持ちになるんだ。こんな風に思うの初めてだから、びっくりしてさ。変だよな、あんな商売してるのに…」
苦笑した顔があまりにも寂しそうで、こちらまで胸が痛くなった。
ぽんと肩を叩いて、大丈夫だと言った。
「好きな人を想う気持ちに、商売とか、そういうの関係ないと思います。あんたのそういうところ、擦れてなくていいと思いますよ」
思ったままを言ったのだが、彼はまた下唇を噛み締めて俯いてしまった。
上から目線すぎただろうか。そんなつもりはなかったのだが。
「…あ、ありがとう…」
でも、ぼそりと聞こえた声に、そういえばこれは照れ隠しなのだと思い出した。
この人はよく、謝罪と礼を口にする。
ぶっきら棒ではあるが、きちんと口にするのだ。
そこには好感が持てる。今時、軽く流すような場面でも、感謝の気持ちをきちんとした言葉で口にする。
擦れてるのか、そうでないのか、不思議だ。
ただ、そんなところは可愛らしい。
つい、また手が伸びて、さらさらと細い髪の毛を撫でた。
「ありがとうと、ごめんなさいがちゃんと言える人は素敵だと思います。どんな人を好きか知りませんが、頑張ったら叶うかもしれまんよ?」
「だめだ!」
その声に驚いたのは二人同時だった。
「…ごめん、大きい声出して。でも、だめなんだ。俺なんかが好きになったら、だめなんだ…」
「そんな…。俺なんかって…」
誰かを好きになるのに資格とか、条件とか、関係ないと思う。それこそ、性別だって。
人間的に惹かれたのなら、その叶わなくてもその気持ちを大事にしてほしい。
自分の勝手な願いだが、初めて恋をしたのにそんな風に自分自身を卑下して想うなんて、辛くないだろうか。
「俺みたいな男じゃ、絶対だめなんだ。もっとふさわしい人がいるんだ。わかってる。わかってるのに、なんで…」
「だめですよ、そんなに自分を卑下したら。俺はあんたのことよく知らないけど、悪い人じゃないと思ってます」
「…こんな商売してんのに?」
「それは…。まあ、高校生がする仕事じゃないですけど。仕事が後ろめたいなら、やめればいいんじゃないですか?」
「やめられない。仕事は、やめられない」
「他のバイトじゃダメなんですか?」
「ダメじゃないけど、給料いいから」
何故、そんな大金がほしいのだろう。高校生がそんなに必要だろうか。
うちは私立だし、この人はスポーツ推薦でもないだろうから、入学するには金がかかる。それなりの、普通の家庭でなければ入れられないと思う。
真琴の家は母子家庭で、あまり裕福ではないと言っていたが、その分真琴のお兄さんやお姉さんも助けてくれている。
「やっぱり、お前ももし彼女が風俗嬢だったら嫌だろ…」
「…うーん。どうでしょう。考えたことはありませんけど…。まあ、ものすごく嫉妬するでしょうし、嫌な気持ちになると思いますけど、彼女が誠実に仕事をするならストリッパーでも風俗嬢でもいいですけど。別に、職業で好きになるわけじゃないし」
「…ほんとか?」
ぐっと服を掴まれた。
真摯な瞳で問われ、こくりと頷いた。
実際その立場になったわけではないからわからないが、それが天職だというのなら仕方がない。
嫉妬で狂うかもしれいし、自分が助けてあげられる立場ならば、やめてほしいと言うかもしれないが。
けれど、職業で差別したりはしない。
どんな仕事も大変だと思う。楽な仕事なんてない。両親や、兄姉を見ていると思う。
「俺の場合は、ですから、その人がどう思うかはわからないけど、あんたのことを知れば好きになってくれるかもしれまんよ」
穏やかに微笑めば、握られていた服を更にぎゅっと握られた。
眠れない子どもみたいだ。
「じゃあ、じゃあ、俺のこと、もっと知ってほしい!」
「…え?」
「お前に、俺のこと知ってほしい」
「…はあ」
何故、自分が知らなければいけないのかわからずに、素っ頓狂な返事をしてしまった。
上手く伝わっていなかっただろうか。
自分は、その好きな人に知ってもらえと言ったのだが。
「そうしたら、好きになってくれるかもしれないんだろ」
「いや、だから、あなたが好きな人に知ってもらえって言ってるんですよ」
「だからお前に言ってる」
「…え…。え?」
「…お前に、言ってるんだ…」
がんと思いきり頭を殴られたような衝撃が走った。
自分が男に告白をされる日が来るとは考えたこともなかったし、彼が自分を好きになるなど思いもよらなかった。
「お、れですか…」
「…ごめん。やっぱり、迷惑だよな。急に、変なこと言った。男同士だし、引くよな。俺、深く考えないでなんでも言ったりとか、結構あるから。だからだめなんだよな…」
何か言葉を掛けなければ。
そんなことないです。大丈夫です。気にしてません。
どれもこれも、ありきたりな定型文で、そんな言葉では彼に届かない。
「…帰るな。本当に、悪かった。忘れてくれると嬉しい」
ぱっと服を放され、俯き加減で逃げるように自分の前から去ってしまった。
結局なにも言えなかった。驚きすぎて、言葉が出てこなかった。
いつもならば言えるのに。その人が望むであろう言葉がすらすらと口から出るのに。
とにかく、わかっているのは、彼を傷つけたということだ。
せめて、断るにしてもきちんと話せばよかった。
恋心を大切にしてほしいと思ったくせに、自分がそれを粉々にぶち壊してしまった。
呆然として、次の瞬間には自分も走り出した。
今なら追いつくかもしれない。
追い駆けて何を言おうとしているのかはわからない。
わからないけど、走った。
些細な言葉で照れたり、泣いたり、感謝したり。
彼の、そんな無垢な心をぼろ雑巾のようにはしたくない。
彼の部屋の前まで走ったが、とうとう追いつけなかった。
何処にいるのかもわからない。
呼吸を整えるのもそこそこに、扉を叩いた。けれど返事はない。
違う場所にいるのだろうか。バイトに行ってしまったのだろうか。あんな状態で、どこに。
もう一度扉を乱暴に叩き、やはり返事はなくて苛立った。
以前鍵をかけていなかったことを思い出し、悪いと思ったがレバーに手をかければ、あっけなく開いた。
「先輩!いますか!」
真っ暗な室内に入りながら言ったが返事はないし、人影もない。
「くそ…」
何でこんなに焦っているのだろう。
たくさんの疑問が浮かんだが、今はその処理をしている暇はない。
なにをするつもりかはわからないが、とりあえず彼を見つけなければいけないと思った。
「先輩!」
寝室の扉を思い切り開けると、ベッドの背中を預けて、真っ暗闇の中座っている彼を見つけた。
驚いたようにこちらを向き、首を傾げている。
電気をつけて、ゆっくりと近付いた。
よかった。まだ、傷つけた心を修復できるかもしれない。
「…お前…。なんで」
「いるなら返事して下さいよ」
「いや、俺の幻聴かと思って」
「そんなわけないでしょう」
正面にしゃがみ込み、顔を覗いた。よかった。泣いてはいないようだ。泣きそうにはなっているが。
その表情を見てくっと笑ってしまった。
「な、なんだよ」
「すいません。馬鹿にしてるわけじゃないんです。子どもみたいだなあと思って」
「は?俺が?」
「はい」
「…初めて言われた。客にも言われたことない」
「そうですか。じゃあ俺の前でだけなのかな」
言えば、彼は微かに耳を赤くした。
何故か優越感が湧き上がる。
誰も、クラスメイトも、客も、彼の本性を知らないのではないだろうか。
自分は短い付き合いでこんなに知っているのに。
自分が特別、というのは案外悪くない響きだった。
「さっき、すみませんでした」
「お前は悪くないだろ。俺が、変なこと言ったから…」
「ちょっと、驚いて言葉が出なかったんです。男に告白されたのも初めてですし」
「…まあ、普通はないよな。俺も初めてだよ」
「だけど、気持ち悪いとか、そんな風には思わないです。俺は、最初から言ってるけど、好きな子がいるからその気持ちには応えられないけど、嬉しかったです」
「…嬉しかった?」
「はい。好きだって思ってくれて、嬉しかったです。俺のなにがいいのかは全然わかりませんけど」
苦笑すると、また彼は俺の服を掴んで首を左右に振った。
「お、お前はたくさんいいところがあると思う。俺がわからないこと、たくさん知ってるし、優しい、いい奴だ。俺なんかにもちゃんと話してくれる」
その顔があまりにも必死だったので、また吹き出してしまった。
「…なんで、笑うんだ」
「いや、すいません。本当に。ありがとう先輩。嬉しいよ」
「…嬉しい、か…」
「はい。だから、泣かないで下さいね」
「泣いてない」
「泣きそうになってたから」
「なってない」
「そうですか。ならいいんです」
微笑んで、彼のショートカットの髪の毛をさらりと耳にかけた。
痛んだところのない、綺麗で細い髪だった。
「じゃあ、俺行きます」
「…ああ。わざわざ来てくれて、ありがとうな」
また彼は小さく御礼を言う。こんな些細なことで。
そんな風に言われると、自分がいいことをしたような錯覚に陥る。
別に、いいことなど一つもしていないのに。
扉まで歩き、そういえば、自分を知ってほしいというわりには、名前すら教えてもらっていないことを思い出した。
くるりと後ろを振り返り、彼と向かい合った。
「俺、名前すら教えてもらってないんですけど」
「あ…。そうだっけ?」
「はい。知ってほしいんでしょ。俺に」
「う、うん…。でも、振られたし」
「それもそうですね。自分はずるずる片想いしてたけど、先輩はまたすぐに新しい人を好きになれますよ、きっと。大丈夫です」
励ますつもりで言ったのだが、彼はむっと眉間に皺を寄せた。
「そんなことはない。振られたからってすぐに忘れられるものじゃないってお前も言ってた。お前と知り合ってまだそんなに経ってないけど、だからって軽い気持ちとかじゃないし…。本当に、好き、なんだ…」
ああ、失敗をしてしまった。
振った相手が言う言葉ではない。あまりにも無神経だ。
真琴以外に神経をすり減らして接してこなかったから、つい、悪い癖が出た。
「櫻井紘輝」
ごめんと謝ろうとしたが、先に口を割られてしまった。
「名前、櫻井紘輝。俺はお前を簡単に忘れられない。暫くお前が好きだと思う。迷惑だろうから、もう追い回すのはやめようと思ったけど、嬉しいって言ってくれたから、好きでいてもいいだろ」
「…はあ。俺の許可はいらないと思いますけど…」
「じゃあそうする!」
随分とご機嫌斜めにしてしまった。
わかっている。自分が無神経すぎたと。
「…ごめんね?悪気があったわけじゃないんです」
顔を斜めにして覗き込んだ。
視線が絡まると、すっと逸らされてしまった。
「い、いいよ。許す」
この人は、言葉を器用に操れない。思ったことがそのまま言葉になってしまう。
回りくどい言い方とか、オブラートとか、そういうものがない分、正直でもあると思う。
「許してくれて、ありがとう」
先輩の真似をして、自分も些細なことで礼を言った。
すると、やはりまた唇を噛み締めるのだ。
「うん。俺も、色々ありがとう。今度学校とか、寮とか、どっかで会ったら普通に話してくれるか…?」
「はい」
「そ、そうか」
たったそれだけのこと。
たったそれだけで、彼は心底嬉しそうに笑った。
馬鹿だな。
なんで俺なんかに惚れたのだろう。可愛らしい、素直なところがあるのに。他の人ならばうまくいったかもしれないのに。見る目がない。
心の中で散々言って、じゃあねと手を振った。
廊下を歩き、角を曲がる寸前、後ろを振り返ると、まだ彼はこちらを見送っていた。
俺が振り返ったことに気付くと焦ったように手を振っている。
軽く右手を上げてそれに応えた。
本当に馬鹿な人だ。
それは、彼に言っているようで、自分自身に言っているようでもあった。
どうして報われない恋をしてしまうのだろう。
叶わないと知っても、それでも想い続けてしまうのは何故だろう。
真琴の笑顔が脳裏に浮かび、視線をつま先に下ろした。
自分はいつまで真琴を想い続けるのだろう。
先輩が言ってくれた言葉を真琴が言ってくれたらどんなに幸福だろうか。
そんな風に、また誰かを代用して自分を苦しめる。
底の見えない、真琴への想いに、首をぎゅっと絞められる。
苦しくて息ができない。毎日、毎日、命を削られていく。
もしかしたらあの先輩もこんな想いをするのだろうか。
もう、随分彼の部屋から離れたが、もう一度後ろを振り返った。
彼の姿が見えるわけでもないのに。
それなのに、彼はまだ扉の前で誰もいない廊下を眺めている。そんな気がした。
END
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