暫くは平穏で普通の日常を過ごした。
教室で授業を受けて、甲斐田と話して、昼は適当に友達と食べて、真琴や景吾と話して。
あの変わった先輩のことなど頭からすっかり消えていた。
そんな時、友人の豊から遊びの誘いがあった。
土曜日だし、暇だから遊ぼうというのだ。
いいけど、夜遅くまでは遊ばないと言った。
また変なことに巻き込まれたくないと思い、そういえばあの人は普通に生活しているだろうかと思った。
もうあれから二週間くらい経ったし、顔の怪我も治っただろう。
自分もどさくさに紛れて殴ってしまったし、その謝罪もしていなかった。
顔が治ればまたバイトをするのだろうか。
面倒に巻き込まれていなければいいが。あの人、あんな調子でいったら、いつか本当に殺されるのではないかと思う。

近場の繁華街で友人数人と遊んで、夕飯を食べ、もう帰ると言っているのに帰してもらえなかった。

「もう少しいいじゃんー!別に彼女が待ってるわけでもないだろー!」

「そうだそうだ。どうせ待ってんのは景吾だろ!」

「どうせってなんだよ…。景吾は今日どっか行ったし」

「あは。景吾に振られてやんのー!」

「下らないこと言ってるともう本当に帰るよ俺」

「ごめんって!俺らを振らないでよ学ー」

わざとらしく溜息を吐く。
こいつらの馬鹿に付き合うのも慣れたし、なんだかんだと見ていて楽しいから一緒にいる。
自分は、そこまで素直に騒いだりできなくて、いつも控えめに笑っているだけだけど。
それでも、自分はお守りとブレーキ役には丁度いいと思っている。

それから、また二時間ほど遊んで、結局帰りは十一時を過ぎていた。
友人たちはまだ遊ぶと言っていたが、自分はさすがに疲れたので、あまり無茶はしないようにと釘を刺して帰った。
あの先輩と出逢った場所を通りかかり、今日はいないようでほっとした。
危ない橋を渡り続けるのだろうし、自分の目の届かない場所で危険な目に遭うのかもしれないが。
寮のロビーまでついたときには心底安堵した。
あんな場面に何度も出くわすはずがないのに、それが普通なのに、安心するのも変だ。
キーケースを手の中で遊ばせながら部屋へ続く廊下を歩いた。
もう景吾は帰っているのだろうか。
角を曲がり、顔を上げると、部屋の前で蹲る人が視界に入った。
まさか。
慌ててそちらに近付く。三角座りをして、腕の上に額をつけていた人は、やっぱりあの先輩だ。
ぐっと腕を引くと、驚いたように顔を上げた。
また殴られたのかと思ったが、顔は綺麗なままだ。よかった。

「なにしてるんですか」

「え、ああ。帰って来るの待ってたんだ」

普通に言うが、掴んだ腕が冷たかった。
また、数時間ずっとこうしていたのだろうか。捨てられた猫のように、じっと蹲って助けが来るのを待ったのだろうか。

「馬鹿な…」

本音がぽろりと出てしまい、しまったと焦った。

「悪い。そういえば、前も怒られたよな。忘れてた…」

「いや、違うんです。こんな寒いところにずっといたら風邪ひくでしょ?だから…。とりあえず、部屋に入って下さい」

扉を開けると真っ暗で、景吾はまだ帰っていないらしい。
電気と暖房をつけ、携帯を開くと、泊まるから帰らないと景吾からメールが入っていた。
コーヒーを淹れて、差し出した。

「飲めますか?温かいの飲むと、身体もすぐ温まりますから」

「…ありがとう…」

カップに何度も息を吹きかける姿を眺めた。
以前も思ったが、彼はふわふわとしている。性格とかではなく、空気が。
現実に生きているのに、まるで別の次元で生きているような。この世にあらざる物のような。
傷が完全に治った顔は、すっきりと整っているのに、どこか翳っている。
よくない商売をしているくせに、子どものような素直さもあって、落差に驚く。
白と、黒の顔をきっぱり二つ持っているようだ。

「ありがとう。うまかった」

カップをテーブルに置いた音で、はっと我に返った。

「いえ。今日はどうしたんですか」

「…あ、うん。悪いな、急に来て…。連絡先知らなかったからさ」

「いえ、用があるなら構いませんけど…」

なにか用があるとは思えないのだが。
礼はいらないと何度も言ったし、彼も納得してくれたはずだ。

「あのさ。お前、前に好きな子じゃないとだめだって言っただろ」

「は?」

「だから、女やるって言ったら、好きな子じゃないとって」

「…ああ」

「お前、人を好きになったことある?今、好きな子がいる?」

唐突に何を聞いてくるのかと驚いた。しかし、彼があまりにも真剣な顔をしていたので、適当に流すわけにもいかない。

「…まあ、いますよ。とっくに振られてますけど」

「振られた?お前が?なんで?」

「他に好きな奴がいるから」

「…信じられない。なんで…。お前、いい奴なのに」

「いい奴と好きになるはまた違うと思いますよ」

「そうか。色々、あるんだろうな…」

悲しそうに瞳を伏せるので、この人もそういう感情は知っているのだろうと思った。

「ちょっと、最近悩んでることがあってさ…。お前に相談してみようかと思ったんだ」

「相談は構いませんが、なんで、俺?」

「他に聞けるような人がいないからに決まってるだろ」

「友達は?」

「いないけど」

「いない?」

嘘でしょ?と言うと、本当だけど、とケロっと答えられた。

「友達ってどういうのかわかんないけど、教室の中で話す人はいる。でも、遊びに行ったりとかは別にないし、そんなに深い話しとかもしない」

さほど気にした様子はなく、友達がいらない人なのだと思う。
そういう人も世の中にはいるらしい。いなくとも生きてはいけるが、寂しいとかは思わないのだろうか。

「そう、ですか…。まあ、友達に関してはあなたの好きにしていいと思いますけど…」

「…急にごめんな。でも、誰かに聞きたくて。俺、顔が治ってからバイト再開したんだ。でもさ、今まで平気でできたことが、なんか、嫌になったんだ。胸がもやもやするっていうか…」

「はあ…」

「それでも、お金稼がなきゃいけないから、頑張ったんだ。でも、どうしてもその気になれなくて…」

多感なお年頃だし、そういうこともあるのでは?と思ったが、性に関しては特にアドバイスできる立場ではない。
こちらは長い間幼馴染に片想いで、恋人になれた短い間ですらキスの一つもできなかった。それ以上など経験もない。

「俺、そっち方面はわかりませんよ。童貞ですし」

何気なく言ったが、彼は伏せていた瞳をぱっと大きくしてこちらを凝視した。

「それ、マジか」

「マジですけど。長い間報われない片想いだったもので」

「その子以外は…?」

「考えたこともなかったです」

「…そうか。好きな子じゃないとダメなんだもんな」

「…ダメってわけでもないと思いますけど、まあ、やる気はあまりおきないかもしれません」

年頃だし、裸体の女性がいれば、そりゃそういう気持ちにもなると思うし、実際に気持ちなどなくともできるだろう。
けれど、どうしたって真琴の顔がちらつくのがわかっていた。
誰かを誰かの代用で抱くのは、全員が不幸になると思う。
だから真琴以外は無理だと判断した。その相手の女性にも申し訳ない。

「…俺も、そうかもしれない。あ、ある人の顔がちらつくんだ。目、閉じてその人を考えるとどうにかできるっていうか…。それってどういうことだと思う?」

「好きなんじゃないですか?その人のことが」

「好き!?」

「いや、わかりませんけど、その人を想えばできるってことは、その人としたいと思ってるってことじゃないんですか?」

「…好き、か。そうか…。まいったな…」

この人は結構馬鹿だと思った。
自分が言った言葉が絶対正義だと思い込んでいる。
自分は神でもないし、平凡な高校生だ。それなのに、何故そんなにも自分を信用するのだろう。
経験だって彼の方が何倍もあるはずなのに。
そもそも、そういう色恋を売った商売をしているくせに。
がっくりと項垂れているので、そんなに都合の悪い相手なのだろうかと邪推した。
それこそ、人妻とか、学園の先生とか、友人の彼女とか。
とにかく、一筋縄ではいかない人を好きになってしまったのかもしれない。
やめておけとは言えない。
自分だって、随分と長い間だらだらと叶わない恋をしていたし、一度好きになればどうしようもないと、嫌というほど知っている。

「お前は…。叶わない恋って言ってたけど、その子のことはどうやって諦めたんだ」

「諦められてないですよ」

「…え?だって、その子には他に好きな奴がいるんだろ?」

「いますよ。でも好きなものは好きだし、ふられたからって明日から嫌いとか、そういうわけにはいかないですし。自然と誰かを好きになったり、忘れたりするんじゃないですか」

「…そうか。そういうものか」

そこで気付いた。もしかして、この人は誰かを好きになったのが初めてなのではないだろうか。
高校三年生にもなって、とは思わない。人それぞれタイミングがあるだろうし、早ければいいというわけではない。
初めての感情に戸惑っているのだ。
だから、自分に頼ろうとするし、どういう気持ちになるのか教えを請おうとしている。
本当に、どうしようもない人だ。

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