悪いことをしてしまったな。
地面で蹲る彼を見て心から思った。
あのときはあれ以外に方法が思い浮かばなかった。
どんなに怒っている人でも、自分以上に暴走した人間がいればブレーキをかけるものだ。
しかし、喧嘩の仲裁に入るつもりが、仲裁できずに殴られて、挙句自分まで殴ってしまった。
人を殴るのは初めてではないが、日常生活で殴ったのは初めてだ。
いつも、試合のときだけだったし、それも小学生までの話しだ。
空手をやめてもうだいぶ経つけれど、身体は忘れていないものだなあと感心した。
いやいや姉に付き合わされて通っていただけなのに。

「大丈夫ですか?」

しゃがみ込んで言ったが、唸り声しか聞えない。
こうなったのも俺のせいだけど。

「くそ…。お前思い切りやっただろ…」

「いや、ちゃんと手加減してますって」

「…肩貸せよ」

横暴に言われ、溜息が出た。
どうして俺はこういうことに首を突っ込んでしまうのだろう。
末っ子のはずなのに、長男気質というか、誰かを守ることに意義を見出している。
それはきっと、手が焼ける幼馴染のせいだ。

「おぶります?」

「…ああ」

なんの遠慮もなく言われ、仕方なく彼をおぶった。
普段運動もしないので、筋肉などそれなりにしかない。
男子高校生一人を軽々とおぶれるはずはないが、責任も感じるので頑張った。

寮のロビーまで辿り着いて、部屋を聞いた。
ぼそりと返ってきた言葉通りに廊下を歩くが、擦れ違う人は驚愕した様子でこちらを見ている。
おぶっているだけでも何事かと思うのに、背中の彼は顔を腫らし、鼻血も出している。
面倒事に巻き込まれたくないだろうし、喧嘩など珍しくもないので誰も先生に言ったりはしないだろう。

「つきましたよ。鍵は?」

「…開いてる」

まさかと思って扉を開けると、本当に鍵がかかっていなかった。
不用心すぎるだろ、と心の中でつっこむ。

腕も足も限界で、震えがきそうだ。
ゆっくりとソファの上に置いてやると、彼は汚れた制服のままごろんと横になった。

どうやら彼は三年だったようだ。
部活には入っていないので、先輩など交流がないし、これだけの生徒なのでわからなかった。

「…痛い」

「…すいません。とりあえず顔拭いたほういいです。血が酷いし、冷やさないと」

「やってくれよ」

「え、なんで俺が」

「お前も一緒になって殴っただろ」

「そうですけど、それは助けるためで…」

「無理。起き上がれない。頼む」

そう言われては断れない。
怪我人が助けを求めているのに無視ができるほど心臓は強くない。
傍から見たら完全に馬鹿だけど。
見知らぬ人の喧嘩の仲裁に入って、担いで運んで、挙句に看病なんて。
大きく溜息をつき、自分の性格を呪う。
だからいい人、なんて言われるのだ。自分ではそんな風に思わないが。

「…じゃあ、ベッドに運びますからね」

腕を引いて起こして、抱っこをするように抱えた。
子どもではなく、図体のでかい男なので、抱えるというより引き摺ったけれど。
ベッドに座らせ、まだ横にならないように言う。
勝手にクローゼットを開け、スウェットなどを取り出した。

「そのままで待っていて下さいよ」

そう言い残して、バスルームへ向かう。
タオルと、洗面器にお湯を入れて寝室へ戻った。
そのままで待っていろと言ったのに、後ろに倒れ込んで大の字になっている。

「この野郎…」

小さくごちて、再び腕を引いて上半身を起こした。
ぼんやりと虚ろな瞳をしているので、そっと額に手をやると熱があるようだった。
痛みからきているのかもしれない。

タオルをお湯に浸して絞る。
顔を綺麗にして、制服を脱がして着替えをさせた。
殴った腹を確認すれば、赤くなっている。これは明日にはきっちりと青痣になっているだろう。
ベッドの中に寝かせてやって、今度は氷水を持ってきた。
新しいタオルをそれに浸して、ぎゅっと絞り、額に乗せた。
適当なビニール袋にも氷を入れ、腫れ上がっている箇所に当てる。

お節介。
自分を叱咤する。
いいことなど返ってこないとわかっているのに。
どんなに世話を焼いても、どんなに相手を想っても、その分報われるわけではない。
なのに、どうして放っておけないのだろう。
優しくていい人でいるのは、幼馴染限定だった。
真琴にだけは嫌われたくない、好きになってもらいたい一心で、いい人でいたと思う。
けれど、その他の人間はわりとどうでもいい。友人は大事に想うが、境界線がはっきりしているので、関係のない人には冷たい方だと思うのだ。
なのにどうしてか、皆は自分をいい人と呼ぶ。
いい人、いい人と、耳にタコができるくらい聞かされてきた。
誰かを憎んだり、嫉妬したり、そういう汚い部分が山ほどあるのに。
そんな自分がいい人であるはずがない。
けれど、こんな風に名前も知らない人の世話を焼くなんて、言われる内にいい人の仮面が張り付いたのかもしれない。

「…暑い…」

ぼんやりと眺めていると、苦しそうな呼吸と共に魘されているようだった。
手加減をしたつもりだが、もう少し必要だっただろうか。
殴り慣れていないのでわからなかった。いい勉強になった。
などと、呑気に考えている場合でもないようだ。

「水。飲みたい」

「…はいはい」

重い腰を上げて、冷蔵庫を開けたが何も入っていない。
ペットボトルの一つもない。もぬけの殻だ。
この人はどうやって生活しているのか。
ぐるりと部屋を見渡したが、ごちゃごちゃと服や、本や、紙屑が散乱していて、あまりにもひどい光景だった。
さすがの同室者である景吾もここまで汚さないし、自分もそうだ。
片付けは苦手だが、このレベルに達する前に掃除をする。
ペットボトルがないのでコップを探したが、それもない。
仕方がないので、寮内の自販機まで行って、数本水を購入した。
それを持って部屋へ戻ると、遅かったねとごちられた。
踏んだり蹴ったりだ。

「すいませんでした。はい、水です」

蓋を緩めて差し出したが、起き上がる気配がない。

「飲ませてくれ」

そろそろもう一発殴って帰ろうか。
思ったが、ここまできたら最後まで面倒をみてやる。
鬱陶しい、帰れと言われるまで尽くしてやる。
逆のベクトルに燃え始め、背中に手を差し込んで身体を起こした。

「はい。飲んで下さい」

ペットボトルを傾けるが、上手く呑み込めないようで口の端からだらだらと零してしまった。
まるで幼子だ。ここまでくるともう才能と呼べるレベルかもしれない。

「ほら、ちゃんと飲んで」

「んー」

どうにかこうにか水を飲ませ、零れた部分を拭いてやる。
薬、と思ったが、この部屋にそんな物があるわけない。

「薬とってきますから、このまま待ってて下さいね」

立ち上がると、ぐっとズボンの端を握られた。
熱のせいで涙をいっぱいにためた瞳と視線が絡まる。

「…戻って、来るよな…」

「…大丈夫ですよ。逃げたりしません」

言えば、ぱっと手が離れた。
本当に幼い子どものようだ。真琴の相手で子どもっぽいのは慣れているが、完全な子どもの扱いはわからない。
年上に向かって失礼かもしれないが。

薬を持って、また戻った。
部屋にいた景吾には友人が風邪をひいたようだから看病すると告げた。
まだ、苦しげに眉を寄せているその人を起こし、薬を飲ませる。
気休め程度のものだが、ないよりはましだろう。

「これで、少しはよくなりますからね」

「…ああ。あり、がとう…」

ぼそぼそと、夢と現実の狭間で礼を言われた。
横暴なのか、律儀なのか、よくわからない。
汗に濡れた前髪を払ってやり、タオルをもう一度冷やして乗せた。
殴られて、痣になったり腫れたりしているが、さっぱりとした綺麗な顔をしている。
パーツのすべてが控えめなので、ぱっと目を引くような派手さはないが、綺麗にあるべき場所におさまっている。

「こんな顔腫らして。勿体無い」

この人の耳には届いていないだろうが。

それから、よく眠ったその人を視界に入れ、自分もベッドに凭れ掛かるようにして眠った。

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