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昼食時、机上に座りクラスメイトと他愛ない話しをしていると、開け放した窓の外が俄かに騒がしくなり、救急車のサイレンが木霊した。
なんだなんだと野次馬のごとく窓に集まる生徒の中で自分もなんとなしに眺めた。
誰か怪我でもしたのだろう。ぼんやり考えていると、担架に乗せられた楓が救急車の中に納まるのを見た。嘘だろと慌てて携帯と財布をポケットに突っ込んで玄関まで走ったが既に救急車は走りだした後で、見送っていた浅倉の肩を掴んだ。

「おい、楓だよな今の」

「…ああ」

「なんで」

「あの馬鹿、友達とふざけて階段から落っこちやがった」

その言葉にほっと息を吐き出した。安心できる状況ではないとわかっているが、怪我程度なら彼を失う心配はないだろう。
救急車とか、病院とか、もうトラウマになっていて、また大事な人が永遠に自分の前から消える恐怖を思い出すと目の前がさっと暗くなる。
自分を好きでなくともいい。ただ生きていてくれればそれ以上望むものなどあるものか。
うるさい心臓を落ち着かせるため深く呼吸をすると、浅倉にぽんと肩を叩かれた。

「頭打って気絶したんだ。天野先生が一緒に行ったけど、心配ならお前も行けば」

「教師自らサボりを提言するか」

「授業なんかよりあっちの方が一大事だろ。なんかあったとき近くにいた方がいい」

「…だな」

「大丈夫だよ。月島は石頭だから」

ぽんぽんと頭を軽く叩かれ、子ども扱いするなど跳ね除けたいのにその力も出なかった。
浅倉は冷静になという言葉を残し学園の中に戻った。
自分はそのまま駅に向かい、途中仁と拓海に訳を話し、授業をサボる旨を連絡した。
きっと蓮やゆうきもパニクってるだろうから彼らは彼らで宥めるのが大変だろう。
頭上の太陽がじりじりと身体を照らし影を作る。それをじっと眺め、大丈夫だよなと呟いた。
早く行かなければいけないのに怖くて脚が竦む。
桜を失ったのはまだ肌寒い季節だった。今度は初夏。
ああ、どうしていつも自分の大事な人は突飛な事故に巻き込まれてしまうのだろう。呪いでもかけられているのだろうか。
楓は強いから大丈夫。何度も言い聞かせるけど、最悪を想像してぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
タクシーで病院まで向かい、廊下の椅子にぼんやりと座る光ちゃんの隣に着いた。
こちらに気付いた光ちゃんは一瞬驚いたように瞠目し、すぐにこちらの背中を二度叩いた。

「今検査中」

「そっか」

「大丈夫だよ、月島君は石頭だから」

「それ浅倉も言ってた」

「はは、うん。大丈夫だから」

真っ直ぐに前を向く光ちゃんは強い。内心不安でしょうがないだろうに希望だけを掻き集めて奮い立たせるのだ。
その内楓の母親も到着し、深く頭を下げる光ちゃんに向かってこちらこそ、うちの馬鹿息子がご迷惑をお掛けしましたとお互い一向に頭を上げない状況が続いた。
まあまあと間に入り、おばさんを椅子に座らせてやる。

「涼君もごめんね、わざわざ来てくれたのね」

「いえ、これくらい。後で薫も来ると思いますから」

「そう…まったく、小学生の頃も階段から落ちて病院に運ばれたのよ。あの頃から何も変わってないんだから…」

「楓らしいですね」

「少しは大人になってると思ったのに」

棘のある言葉だがおばさんの表情は曇り、声は少しだけ震えていた。
虚勢を張らないと己を保てないのだ。自分ですらこんなに怖いのだから、母親ならもっと怖いだろう。
看護師に呼ばれたのはそれから一時間後のことだった。
親族の方のみ、と釘を刺され、自分と光ちゃんは待機し、おばさんだけ病室へ入った。
こういうとき他人というのは一番きつい。
どんなに近い間柄でも血や、戸籍上の繋がりがなければ一切の他人と切り捨てられる。
仕方がないとわかっているけど輪から放り投げられ、どうにもできない無力さに歯噛みしたくなる。
自分と楓は一緒にいる限りこうなんだな、と思った。
この先共に生きたとしても自分も、楓も、お互いにとっていないものとして扱われる。
結構きついなと現実を目の前にして思う。
ぼんやりしていると扉が開き、おばさんに手招きされた。
慌てて椅子から立ち上がりそちらに駆ける。室内に入るとベッドの上で上半身を起こしている楓と目が合った。
脱力したように膝に両手をつき、深く息を吐き出した。

「…楓」

呼ぶと、楓は気まずそうに視線を逸らした。

「なんか大事になってる?」

「なってるよ。救急車きたんだぞ」

「はは、すいません…」

「笑い事じゃないわよ!私ももう若くないんだから寿命縮めるような真似はやめてちょうだい」

「ほんとすいませんでした…」

涙を瞳に溜めるおばさんを見て、いい母親だなと思う。
おばさんは廊下に出ると光ちゃんと主治医と話しを始めたので、ベッド脇の椅子に腰かけて溜め息を吐いた。

「その溜め息が怖い」

「当たり前だ。死ぬほどびびったんだぞ。痛いとこは?骨が折れたとかは?」

「まったくない。無傷。でも頭打ったし、気絶したから一応検査はしたらしい」

「…なら、いいけど…もう、本当に勘弁してくれよ」

言うと、楓はこちらに手を伸ばし頭を数回撫でた。

「悪かったよ。香坂はこういうことに敏感だもんな。これからは気を付けるから」

「…おばさんが小学生の頃同じことしたって言ってたぞ」

ぎろりと睨むと誤魔化すように笑いながら二度あることは三度あるかなー、なんてふざけたことを言う。

「一歩間違ったら死ぬことだってあるんだぞ」

「マジで、今度からはマジで気を付けます」

「逆の立場なら怖えだろ」

「はい」

「お前は喉元過ぎれば熱さ忘れるからなあ…」

「信用ないね俺」

「戻ったら蓮に思いっきり説教されるからな。覚悟しとけよ」

「あー…蓮に言われると逆らえないー」

うんざりした表情の楓に、落ち込みたいのはこっちの方だと言ってやった。

「…本当に、無事でよかった…」

できれば抱きしめて体温を感じたかったけどそれはできないので代わりに一度だけ手をぎゅっと握った。
戻ってきたおばさんと光ちゃんに再び説教を喰らい、楓はただただ平謝りし、一日だけ入院と告げられると不満を口にした。

「えー!俺なんともないのに」

「今なんともなくても後から吐き気したり眩暈したりあるかもしれないから」

「マジで?マジで入院?光ちゃんなんとなしてよー」

「僕がなんとかできるわけないでしょ」

「先生の言うこと聞きなさい!」

「うっす…」

「私面会時間ぎりぎりまでいるから」

「えー…」

「えーじゃない!」

どこの息子も母親には勝てないが、月島家は特におばさんがすべての権力を握っているようで、男たち三人はまったく頭が上がらない。
見ていて楽しいのだけれど、将来楓もこんな風になるのかなと思うと自分が尻に敷かれる気がして怖くなる。

「じゃあ僕学校に戻るね。香坂君も一緒に戻ろうか」

「はい。じゃあな楓。動き回らないで大人しくしてろよ」

「わかってるよ」

楓の肩をぽんと叩き、一瞬視線を合わせた。無言の中に言葉を詰め込み、それを楓も受け取った気がした。
光ちゃんと病室を出るとおばさんに改めて頭を下げられた。

「先生も涼君も本当にご迷惑をお掛けしました」

「いえ。正直肝が冷えましたが月島君の元気さは大きな長所ですから」

「厳しく指導してくださって構いませんので」

「はは、では手加減なしでびしばしいかせて頂きます」

「涼君もありがとうね」

「いえ」

軽く手を振り、帰りは電車で戻った。
光ちゃんは労うように無傷でよかったねと言われ大きく頷く。
寮に戻ると蓮たちが部屋の前で待っており、こちらを見つけた瞬間制服を掴まれあちらこちらから楓の様子を請われた。

「落ち着け、一人ずつ聞くから。とりあえず部屋入れ」

中に招き入れお通夜状態の蓮たちにふっと笑みが零れた。先程までは自分もこんな顔をしていたのだろう。

「楓は検査して異常なしだってよ。普通に話せるし、無傷だと」

「…よかった…」

後輩たちは脱力し、ソファに深く身体を沈め眉間に皺を寄せた。

「一応、今日だけは入院だけど明日には戻ると思うから」

「お見舞いは行けますか?」

「あー、まあ、面会時間内なら大丈夫だろうけど、楓の母親がついてるし、個人部屋じゃねえからあまりうるさくするのもなあ」

「…そうですか」

「でも、明日には戻るんですもんね!」

「なにもなけりゃな」

「じゃあ今日は我慢しよう。ラインだけ入れてさ」

「だね…」

落ち込む蓮の頭をぽんと叩き、帰ってきたら説教よろしくと言った。

「任せてください。楓に一番効くのは僕の説教ですから」

「わかってんじゃん」

「これでも俺ら香坂先輩よりつきあい長いんですよ」

景吾に言われ、そういえばそうだったなと笑った。
蓮たちはありがとうございましたと頭を下げて部屋を去り、自分も何度目かの溜め息を吐きながらソファに横臥した。
嫌な記憶を思い出したせいで精神的にひどく疲れた。
眉間の皺を摘み、いい加減立ち直らなければと思う。時間薬はまだ効果を発揮せず、忘れた頃に桜が死んだと告げられた夢をみる。
胸がざわついて楓を求めてはしょうがないという顔をされ、情けない自分が嫌になる。
もしかして一生こうなのだろうか。だとしても楓はそのまま受け止めてくれるだろう。
楓の優しさに胡坐を掻くわけにはいかないので対処法を探さなければ。
考え疲れ、うとうとする瞼を閉じて少しだけ眠った。


身体を揺すられ瞳を開けると仁と拓海がこちらを覗き込んでいた。
目覚め最悪とごちながら身体を起こす。

「なんだよ勝手に入ってくんな」

「鍵開いてんだよ馬鹿」

「あー、閉めんの忘れてた」

「蓮たちに楓君の無事は聞いたけど、本当に大丈夫?」

「まあ、今のところ大丈夫だと思うけど。なんかあったら薫から連絡来るだろ」

「そうだね。とりあえず戻るのを待つしかないか。本当に僕たちの後輩は心配ばっかり掛けるよね。ゆうき君も!」

拓海は仁を見ながら言うが、仁は大きな欠伸をし、まったく聞いちゃいない。

「お前は大丈夫かよ」

仁はテーブルに脚を放り投げ、不遜な態度で言った。

「なにが」

「桜のこと思い出してめそめそしてんじゃねえかと思ってよ」

「は、しばくぞ」

「お前教室出てったとき顔真っ青だったぞ」

「お前だってゆうきがぶっ倒れたときこの世の終わりみたいな顔してたくせに」

「そんな顔してない。お前よりは冷静だった」

「記憶改竄してんじゃねえぞ」

「下らない喧嘩すんな!」

お互い拓海にぽこっと頭を叩かれ口を閉じた。

「涼は明日学校休むだろ?」

「ああ。楓戻るの部屋で待ってる」

「それがいい。親でも寮には入れないしね。しばらくお世話してあげてよ」

「わかってるようっせーな」

悪態をつくと拓海はふっと笑い、思ったより平気そうでよかったと言葉を残して立ち上がった。

「お前も帰れ」

仁の脚を蹴ると倍の力で蹴り返された。
この野郎と立ち上がったが拓海に睥睨され座り直した。
一人になった部屋で嫌な夢を見ませんようにと髪に指を指し込みながら小さく願った。

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