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「楓さん」

「…はい」

「僕はとても傷つきました。僕がいるのに女のこと考えるなんて」

「なんで敬語?」

恐る恐る香坂を見ると、しゅんと眉を下げた表情でぎょっとした。別に浮気なんてしていないのに、こちらが悪いような気がしてくる。

「俺は他の奴なんてどうでもいいのになあ」

「ちゃ、ちゃいますやーん」

「なんで関西弁?」

「ほら、グラビアアイドルと付き合いてえなあと同じ!」

「ふーん。そんなこと考えてんだ。胸でかいな、いいな、やりてえなって?」

「そこまで言ってない!」

「お前は俺がいつか浮気するって言うけど、俺はお前の方が心配だね。誘われたらほいほいついて行きそうだよな」

「は?行かねえし」

口ではきっぱりと言ってやったが、実際危ないような気はする。

「あーあ。ショック、ショックだなー」

香坂は膝に肘をつけて手で顔を覆うようにした。
大袈裟なんだよ。ちょっとした言葉の綾で、そもそもそんなことで傷つくような男ではない。また自分をからかって遊んでいるのだ。その手には乗らないと強い意志を持って無視を決め込んだ。
無言の時間が一分、二分と流れ、ちらちらと香坂に視線をやったが、その姿勢からまったく動かない。
だけどここで自分が折れたら悔しいし、そもそも別に悪いことはしていない。
香坂の機嫌を窺って、よしよしと慰めて、皆そうしてやるからこいつは付け上がる。自分を中心に回ることを当然と思う。
だれかが躾をしなければ。このまま大人になったら碌でもない。それは本来親の努めだが、一番近くにいる自分が導いてやらなければ。
毎度毎度自分が折れるからいけないのだ。ちょろいと思われ、こうやって遊ばれる。
だから今回は知らない、無視をするという選択をした。

「……俺帰る」

ぽつりと小さく呟かれ、はいはい、と適当に返事をした。
香坂が立ち上がったとき、ちらりと見えた横顔は眉根を寄せてきゅっと下唇を噛んでいた。気付いたときには腕を掴んでいた。

「…なに」

「いや、あの…」

まさか本当に傷ついたなんて言わないよな?いつもの冗談だよな?疑問を口にしたかったが、それはあまりにも無神経な気がした。

「ちょっと、座れよ」

言うと、香坂は大人しく隣に戻った。
こんなに素直なのは珍しい。いつもなら指図するなと舌打ちをするところだ。

「あのー…」

どんな言葉が的確かわからず、口の中でもごもごと探した。
いや、その前に今回は無視をすると決めたではないか。意志が弱い。簡単にひっかかるなんて学習能力がない。わかっているが頭と心はイコールにはならない。
ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回して溜め息を吐いた。

「あー、もう、ごめんて」

「…なにが?」

「浮気心が芽生えたこと?」

「悪いと思ってないくせに」

いじけたような子どもらしい口調が面白くてふっと笑ってしまった。
それに気付かれ鬼のような形相で睨まれた。慌てて顔を引き締めてみせたがもう遅い。

「本当に悪いと思ってる!今のはちょっと可愛いなあと思っただけ!」

だから機嫌直せよと透けるようなクリアブラウンの髪に手を伸ばして一束すくった。
香坂はこちらに手を伸ばし、対峙するように膝に座らせてから背骨が折れそうなほど強く抱き締めた。
甘えたがりな子どもか赤ん坊のようで、自分にはあるはずもない母性のようなものがじわじわと胸の奥で広がる。
よしよしと頭を撫で、つむじにキスをした。香坂が使用しているワックスの青林檎の匂いが心地よくて頭を包みこんで顔を寄せた。

「…反省したか?」

「した」

「女より俺の方がいいよな?」

「…うーん、うん…」

「即答しろよ」

「冗談だよ」

くすくす笑うと、香坂は身体を放し縋るようにこちらを見上げた。ああ、どうして今日は可愛い子ぶりっこするのだろう。これが演技なら大したものだ。故意だとしても騙されたいと思う。
ん、と顔を突き出されたので頬に手を翳してそのまま唇を奪おうとしたが、はたと気付いて遠ざけた。

「お前、さっき秀吉とキスしてたじゃん。ちょっと口洗ってきて」

「舌は入れてない」

「アホか当たり前だ」

「んだよ大丈夫だって」

「なんかやだ!」

香坂の胸を両手で突っ撥ねると彼の瞳がぎらりと輝いた。
そうだ、香坂は嫌だと言うとおもしろがって仕掛けてくるような悪魔だ。
両腕を片手で拘束されソファに押し倒された。腕は頭上でソファに縫い付けられ足を割るようにして香坂が体重を乗せる。

「友達なのにそんな毛嫌いしなくてもいいだろ」

「毛嫌いしてるわけじゃない!でもなんか嫌だ!お前だって木内先輩とキスした後の俺とキスしたくないだろ!?」

「気持ち悪いこと言うな」

「ほら!同じじゃん!」

指摘すると香坂は一瞬動きを止め、拘束していた腕を放し、俺の胸に頬を寄せて溜め息を吐いた。

「なんか俺とキスしたくないって言われてるみたいでショック」

「いや、違うじゃん」

フォローしたが、再びいじけモードに突入したようで、甘えながらあーあ、とごちている。
子どもらしい香坂も可愛いけれど、放っておくと反動で俺様が爆発していいように扱われる。
テーブルの上に手を伸ばし、菓子を取り出して香坂の口に持っていった。
ぽりぽりと器用に食べ、一本食べ終わったのを見てとんとんと肩を叩く。

「ん、」

今度は自分が顔を突き出すと、香坂は身体をよじ登るようにして触れるだけのキスをした。

「甘い」

舌を舐めながら言うとお前もなと返される。
香坂は腕から箱を取り返し、一本口に含んだ。

「ポッキーゲームしたかったんだろ?」

香坂とは別にしたくない。本音を言いたかったが、今日はこれ以上機嫌を損ねると後が面倒だ。大人しく反対側を噛み、瞳を伏せた。別に逃げやしないのに後頭部をがっちりと掴まれ、ちらりと視線を上にあげるとばっちりと絡まった。何故こちらを凝視する。
キスなら何度もしてきた。数え切れないほど。でもこんな至近距離で見詰められることなどないし、いやらしい行為じゃないのに胸がそわそわ落ち着きがない。
慌てて視線を泳がせ、これならキスやセックスの方がまだましだと痛感しながら噛みちぎった。

「お前の負けー」

俺の負けでいいから早くどいてほしい。

「顔赤くなってる」

「なってない」

「恥ずかしい?」

「恥ずかしくない!」

「俺の顔なんて見慣れてんだろ?」

「だから恥ずかしくないってば!」

もうやめてほしくて、香坂の両頬を包んで唇を合わせてぺろりと彼の下唇を舐めた。
一瞬動揺した隙を見逃さず、彼の胸を押して立ち上がる。空になったカップを持って簡易キッチンでココアの粉末をカップにせっせと移した。
熱を持つ頬をどうにかしたくて手の甲でごしごしと擦ると、背後からきゅっと腰を抱かれ、肩に顎を乗せられた。

「柴田は?」

「…出掛けたけど」

「じゃあ暫く戻ってこないよな」

「さあな」

素っ気ない返事も気にする様子はなく、うなじにキスをされ慌てて振り返った。

「ちょ、っと」

「なに」

「今ココア淹れようと…」

「甘いのがほしいならほら」

べ、と舌を出されそれはいらないと首を振った。その態度が気に入らなかったのか覆い被さるように唇を奪われ無理にこじ開けるように舌が入ってきた。
一度顔を放し、人差し指と親指で舌を挟まれぐっと引っ張られる。ぴりっとした痛みと溶けるような熱さに困惑する。

「こっち見ろ」

伏せていた視線を上げ、瞳を合わせると見下すようににやりと笑われた。
挟んでいた指を放し、そのまま口内に突っ込まれる。歯で噛みながら指を舐めると頭上から甘い溜め息が聞こえた。

「えーろ。どこで覚えてくんの?」

一旦指を引き抜かれ、口端から零れた唾液を拭う前にまた唇が重なった。
慌ててシンクに腕をつき、体勢を整えながら弱々しく香坂の胸を押し返した。
舌に捕まらないように逃げれば逃げるほど追われ、奪うように荒っぽく攻め立てられる。彼のシャツをぎゅっと握り快感に飲まれまいと耐えるがそれも長くは続かないだろう。
鼻から抜けるような甘ったるい自分の声がひどく嫌いだ。なのに擽る舌に呼応して声が漏れる。
いい加減にしてほしくて胸を拳で叩いた。足りなくなった酸素を補うように大きく息をしながら眉根を寄せて睨む。

「そういうのやめろって言ってるだろ」

「そういうのって?」

「えろいキス」

「えろいことしたいからえろいキスするんじゃん」

ズボンからシャツを引き出され、ちょっと待ってくれと懇願しているうちに冷たい手が背中を伝った。

「わかった、わかったから部屋行こう」

「いいよここで」

「柴田帰ってきたらどうすんだよ」

「大丈夫。なるべく脱がせないでやる」

「それカーディガン汚れるやつ!」

「新しいの買ってやる」

その言葉に自分にはない尻尾がぱたぱたと揺れた。丁度新しいのが欲しかったのだ。だけど財布はすっからかんで、小遣い日まで我慢だなとぼんやり考えていた。
我ながら現金だと思うし、利己的だが、買ってくれるならまあ、このまましても、と流されてしまう。
それに、口では嫌だだのやめろだの偉そうに言うけれど、実際手を放されたら寂しく思うだろう。自分だって好いた男とキスをすればその先もと願ってしまう。
結局今回も香坂の思う壺というやつだ。無視はできず、拗ねられると思いきり甘やかしてやりたくなる。長男の役目が板についているのか、実際の弟がまったく甘えてくれないので誰でもいいから世話を焼きたい願望があるのか。
どちらにせよ、飄々としたこの男を甘やかしてやれるならそれも悪くないと思う。


END

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