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学園から自室に戻るとテーブルの上に赤い箱が数個転がっていた。
先に戻り、紺色のカーディガンの釦を外す同室者にこれはなんだと問う。
「潤にもらった」
「へえ、なんでまた」
昔から馴染深い棒状の菓子。プレッツェルにチョコレートをコーティングしたそれは幼い頃とても好きだった。
「食っていい?」
腰に巻いていたカーディガンを羽織りながら柴田に聞くと好きにしろと言われた。
丁度この時間はぐうぐうとうるさい腹の虫をおさえるのに毎日必死だ。
いつも学食が開くまでの間に何か間食して抑え込むが、小遣い日一週間前くらいから懐は寂しく、コンビニで菓子を買う金もない。今なんて数百円入っているかも怪しい。
ソファに胡坐で座り赤い箱に手を伸ばした。
サクサクと軽い食感を楽しみながら携帯をいじるとあっという間に一袋なくなった。
昔もこうやって一気に食べて弟に泣かれたものだ。僕も食べたかったのに。お兄ちゃんいつも僕の分まで食べる。百円の菓子を奪われただけでこの世の終わりかのように泣き叫んでいた姿が懐かしい。そんな可愛い弟も今ではすっかり捻くれ者になってしまった。
制服からラフな私服に着替えた柴田は出掛けてくると告げて部屋を去った。
これ幸いと録画していたテレビ番組を再生する。
今日は香坂とも約束していないし、ゆったりとした時間を楽しめそうだ。
甘いコーヒーを用意し、改めてソファに座るとノックなしに部屋の扉が開いた。
誰だよと眉を寄せながら後ろを振り返ると、秀吉と潤が並んでよ、と手を挙げた。
「あのさあ、ノック…」
「あー、はいはい」
潤は適当に返事をしながら隣に座り、持っていたカップを覗き込んで自分にも温かい飲み物をよこせと踏ん反り返った。
「だってさ秀吉」
「いや、俺この部屋のこと知らんやん」
「えー。めんどくっさ。そもそも招いてないし勝手に来た奴が偉そうにすんな」
隣の潤の肩を思い切りグーで殴ってやるとその部分を片方の手で覆いながら呻いている。
潤は一通り痛がった後、獲物に飛びつく猫のように不意打ちでこちらの身体をソファに抑え込み、馬乗りになって肩と腕の付け根の関節を思い切り親指で押し、今度は自分が呻く番になった。
「まーた始まった…」
呆れたような秀吉の呟きに構っている暇はない。
「いった!痛い!ギブギブ!」
潤はふん、と鼻で笑いながら身体からどいて元の位置に座った。
まだじんじんと痛む間接に眉を寄せながらふらふら立ち上がってケトルの電源を入れた。
ついでに秀吉の分も淹れてやり、それぞれにカップを差し出す。
「お前さあ、どこでそういうの覚えてくんの?まだ力入んねえわ」
「皇矢」
「あいつ…」
ちっと舌打ちしながらカップを煽る。潤はコンビニの袋をがさがさと漁り、テーブルの上に箱を並べた。
「またポッキー…。はまってんの?」
「コンビニ行ったらポッキーの日って書いてたから。どうせだからいっぱい買った。皆にわけたのに食べてくれたの蓮と真琴だけで減らないんだよ」
だからお前も食えと一箱差し出される。
「ありがたいけどさ、限度あるじゃん?コンビニからポッキー消したかったの?」
「僕の優しさだろ」
「優しさ?」
「ほら、これやるから彼女とポッキーゲームでもしろよっていう優しさ」
「優しさじゃなくて彼女いない奴煽ってんだろ」
「人聞き悪ー」
悪びれた様子もないが、こいつにそんな優しさが備わっているとは思えない。
俺だって可愛い彼女がいたらそんな楽しいゲームしてみたい。恥ずかしさに頬を染めながら俯く彼女とか最高では。そんな楽しいイベントができるなら買い占めて何度も彼女にせがむ自信がある。
「いいなあポッキーゲーム。恥ずかしい…とか言うのかな可愛いなあ…」
「楓の妄想始まったで」
「碌でもないな」
「妄想じゃなくて男の夢と言えよ」
「夢なの?じゃあ僕がやってあげるよ」
「ふざけんな。俺は可愛い彼女とやりたいの!」
「可愛い彼女(妄想)だろ」
「あー、うるさいうるさい」
箱をばりっと開け、やけくそのようにばりばり噛んだ。
彼女がいたらどんなイベントもそれはそれは楽しいだろう。最初にポッキーゲームを思いついた奴は素晴らしい。けど、寂しい独り身にとっては奥歯を噛み締め呪詛を唱える日にもなる。自分はどちらかというと後者で、悲しいかな今も男に囲まれて菓子を摘んでいる。
「その夢、一生叶わないだろうからせめて雰囲気だけでも味わってもらおうっていう僕の優しさ無視すんな」
「叶うし!いつか、きっと…」
「はあ?そこらの女より綺麗な僕とそんなことできるなんて幸せだろ」
「その自信はどこから?」
「事実だからしょうがないですよねえ」
腕組みしてうんうん、と頷く姿が憎らしい。
「お前な、確かにお前は綺麗な顔してるよ。でも男なんだよ。骨格とかパーツとかがもう男なの!華奢な感じがまったく表現できてないの!」
「目細めて見ると大丈夫だよ。やってみ?」
言われ、疑い半分で目を細めて潤を見て、確かにと頷いたがそれではまったく意味がない。だって俺は女の子がいい。
「ほらほら」
潤はプレッツェルの部分を齧りずいっと顔をこちらに近付ける。条件反射でぱくっと先端を噛んだ。
臆せずぱきぱきと噛みながらこちらに徐々に近付かれ、咄嗟に菓子を噛み切り顔を放した。
「無理無理!恥ずかしい…」
めそめそと両手で顔を覆うと友人たちのげらげらと笑う声が降ってくる。
「彼女に恥ずかしがってほしいとか言ってたくせに自分が恥ずかしがってんじゃん!」
「散々へたれへたれ言っとるけどお前のがへたれやん」
「じゃあ秀吉やってみろよ!想像以上に辛いんだよ!」
「あ、俺はええわ。まだ死にたくないし」
「へー、じゃあ俺とやってみる?」
突然割り込んできた声の主は香坂で、いつからそこにいたのかと全員目を丸くした。
「お前もノックなし?」
「したっつーの。聞こえてなかっただけだろ」
香坂は潤が持っていた箱の中からひょいと一本取り上げた。
「久しぶりに食うとうまいな」
秀吉の隣に腰を下ろし、随分楽しそうなことしてるねと秀吉の肩に手を回した。
「楓の部屋なんて来るんやなかった…」
「露骨に嫌そうな顔すんなよ。傷つくだろ」
「楽しい、の間違いちゃいます?」
「ひでえ」
香坂はどいつもこいつも先輩として敬ってくれないとぐちぐち言いながらソファの背に腕を伸ばした。
「じゃあほら、潤」
彼は潤に向かって人差し指をくいくいと曲げこちらに来いと指示した。
「やだよ。何で香坂さんと。なんか、親族とやれって言われてる感覚」
「お前は昔から俺の扱い酷いよな。仁を独り占めしないでって泣き喚いてた可愛い時代もあったのに」
香坂はわざとらしく溜め息を吐き、肩を竦めた。
潤と香坂が二人でいる姿は滅多に見ないので失念していたが、この二人も幼い頃からの付き合いだ。特別仲が良かったわけではないらしいが、木内先輩に纏わり付いていれば嫌でも香坂と付き合わなければいけない。
「んじゃやっぱ秀吉だな」
ポッキーをぱくっと口に含んで秀吉に顔を近付けると秀吉は大袈裟に後ろに引いた。
「やだ!ほんまやだ!」
「ほれほれ」
完全に秀吉をおちょくって楽しんでいる。うわあ…。潤と共にげんなりした顔でそんな二人を眺めた。
秀吉は後退り距離をとるが肘掛にぶつかり、今度は足で香坂の胸を押し返した。
「むりむり!きっしょ!楓助けろ!」
「きっしょってなんだお前。こちとらイケメン様やぞ」
「そんなん道端でフリーハグの感覚で女性に向かってやったらええですやん!」
「あーむかついた。ちょっとからかって遊ぶだけにしようと思ったのに」
香坂はばたばたと暴れる四肢をどうにか力で捻じ伏せ秀吉の頬を両手で力一杯包んだ。
「楓!楓!」
縋るように手を伸ばされたがご愁傷様ですと手を合わせてやる。
「お前のやろ!どうにかしろ!潤ー!」
「香坂さんの玩具になると逃げれないんだよ」
「もう誰もいいから助けて!有馬先輩!」
この場に有馬先輩はいないというのに、秀吉は片っ端から知り合いの名前を呼び出した。
抵抗虚しくポッキーの先端を口に突っ込まれ、それでも暴れるものだから細い菓子は真ん中でぽきっと折れてしまった。
香坂は口に残った菓子をばりばり噛んで、もうお互いの間にポッキーはないにも関わらず秀吉に顔を寄せて思い切りキスをした。
「んー!かえで!かえでー!」
「あー、はいはい」
馬鹿二人は放っておこうと、潤が持っていた箱から一袋取り出して噛んだ。
「ん、これ上手い」
「アーモンドだって。美味しいね」
パッケージを見ながらポッキー品評会みたいなことをする。お隣からは未だに秀吉の呻き声が聞こえるが無視を続けた。
「あー!歯磨きたい!」
漸く身体を放してくれたのか、秀吉は頭を抱えて泣きそうになっている。
「神谷先輩のとこ行って消毒してもらえばあ?」
潤は興味なさ気に適当なアドバイスをし、今度はイチゴ味に手を伸ばした。
「そもそも楓がやりたい言うからこうなったのに!香坂先輩も俺やなくて楓にしてやったらええですやん!」
「へえ。そういうことなら早く言えよ」
新しい玩具を見つけたきらきらした瞳を向けられ思い切り首を振った。
「違う!俺は可愛い彼女とやりたいって言っただけで香坂とやりたいなんて一言も言ってない!」
「うわ、言っちゃったよ。楓ばか?」
「へー。お前も懲りないね。浮気者」
「浮気なんてしてない!ちょっとした夢じゃん!?」
香坂がこちらに近付き、潤はひらりと秀吉の隣に移動した。行くなとセーターを掴んだがぱしっと振り払われた。冷たい。
「俺が同じこと言ったらきゃんきゃん怒るのに?」
隣に座り顔を覗き込まれ、不自然に視線を逸らした。
「こ、香坂は過去彼女いたことあるし、楽しいイベントも一通りすませてるだろうけど、俺は彼女いたことないし、ちょっと憧れを持つのはこの年頃の男なら当たり前と言いますか…」
「ほーう」
「別に現実にしたいとかじゃなくて、宝くじ当たったらいいなあと同じ感覚で夢を持つのは悪いことじゃないと思います」
「それで?」
「だから、浮気心じゃないし、それを言ったら秀吉とキスした香坂の方が浮気者じゃん」
「そーだそーだ!」
後ろで秀吉が涙目で援護射撃をするが、それを認めたら秀吉も浮気したことになるがいいのだろうか。
「おう秀吉もう一発いくか?」
「すいませんでした!」
このへたれ野郎。心の中で舌打ちし、次の言い分を考えているとがっちり肩を組まれてしまった。逃げ場なし。
「なあ秀吉、まだ半分残ってるから相良の部屋行こう」
潤は我関せずの態度を貫き、コンビニ袋を持って立ち上がった。
「せやな!ほな楓またなー」
「あ、ちょ、このタイミングでいなくなる?」
「じゃあね」
潤はひらりと手を振りぱたんと扉が閉まった。
香坂の視線が痛い。反対側に目を泳がせるが無言の重圧に耐えられない。
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