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「暇…」

真っ白な天井を見上げながら言った。
糊がきいた清潔なシーツをきゅっと掴み、ダークグリーンの壁紙と木目調の棚、洗面台とトイレがある小さな部屋をぐるりと見渡した。

「文句言うな病人」

「病人じゃないのに…」

ひっかかった項目だけで十分なのに、ついでだからと様々な検査を終え、夕食後の時間をぼんやり過ごす。
木内先輩はベッドの傍に置いてあるL字型の小ぶりなソファに上半身を寝かせながらスマホをいじっている。

「椎名先輩は?」

「隣の部屋」

「違う部屋じゃ一緒に来た意味ない」

「人間ドックを受ける人は皆個室らしいぞ」

病院の方針は理解したが、柔軟に対応してくれてもよかったのに。椎名先輩が隣にいれば見ているだけで退屈せず済んだかもしれない。
もう一度溜め息を吐いて窓の外を見た。
どうせ寮にいてもやることは同じだ。ベッドに寝そべって漫画や雑誌を捲ったり、昼寝をしたり。生産性のある行動は何一つせず怠惰に過ごし一日が終了。
場所が寮か病院かの違いだけなのに、自由に動けない空間というのは本当に息が詰まる。
検査も終わったし、病人ではないので食べ物や行動に制限はないが、せいぜい院内と敷地内の庭を散歩できる程度だ。

「何か本でも買ってきてやろうか。暇潰し用にタブレットは持ってきたけど」

「本なら結城から山ほど持たされた」

小ぶりの紙袋を指差すと、木内先輩が一冊一冊丁寧に机上に並べた。

「パンツ見えそう」

表紙の女の子を指差しながら絵上手だなと呟いている。

「ラノベ、っていうらしい」

「ああ、アニメとかになってるやつだ。夜中テレビつけるとやってるよな」

「知らん。俺の部屋ではずっとアニメ流れてる」

「そうだったな」

彼はくっくと笑ったが、笑い話ではないのだ。集中して一緒に見るわけではないが自然と耳に入ってくるので色んなアニメのオープニングを歌える程度に覚えてしまった。

「折角貸してくれたんだし、読んでみれば」

「教科書も読めないのに小説なんてもっと読めない」

「じゃあタブレットやるから」

鞄から出した端末を渡され、それを両手で持った。木内先輩の部屋に行く度いじっているので、操作の仕方はわかる。

「なあ、今日は帰るよな」

まさか今回も泊まるなんて言い出さないかと不安になって聞いた。

「帰る。面会時間ぎりぎりまでいるけど」

「…あ、そうですか…」

病室にいてもなにも楽しくないし、前回とは違い今回はこんなにも元気だ。
彼がここにいる意味はないし、彼も退屈だろうにどうして傍を離れないのだろう。
自分たちは一緒にいても面白おかしく会話が弾むわけでもなし、それぞれ好き勝手に過ごして、ただ同じ空間にいるだけだ。
適度な距離と、それぞれの時間を大事にする姿勢は気に入っているが、恋人ってこんな風でいいんだっけ?とたまに不安になる。
彼が今まで付き合ってきた女性と自分では付き合い方がまるで違うだろうし、彼には彼の理想があるだろう。
なのに、自分のペースを崩さぬように遠慮したり、気遣わせていたらどうしよう。と不安になり、すぐにこの男に限って我慢なんてするわけがないと否定する。だけど、でも、意外と繊細に物事を考えてくれるときがある。
自分の過去を知って抱こうとしなかったり、愛情というものを一から丁寧に刻むように教えてくれたり。
自分は好きな人が好きでいてくれるだけで充分だ。
彼が浮気をしても、二股しても関係なくて、心の隅に置いてくれるならそれでいい。
たくさんは持てないから、最低限の幸福だけで両手が埋まってしまう。
もう少し恋愛スキルがあれば退屈させずに済んだだろう。
押したり引いたり、彼が言葉にせずとも欲しいものをそっと手に乗せられたらよかったのに。
愛情や、恋情というものと程遠い場所にいたせいで、今でもわからない。
わからないまま時間が流れて、誰も正解を教えてくれないのでなあなあで過ぎていく。

「……なあ」

ラノベに手をかけてページをぱらぱらと捲る彼を見詰めながら言った。

「なに」

可愛らしい表紙と彼の風貌はとても不釣り合いで、ふっと笑ってしまった。

「それ、楽しい?」

「売れてんなら楽しいんだろ。これがいかがわしい本なら喜んで読んだけど」

「ああ、クローゼットの奥のAVコレクション増えたもんな」

「何で知ってんの」

恋人にAVが見付かる、というのは修羅場に発展する場合もあるだろうが、彼は気にした様子もなく飄々としている。こちらも責める気など一ミリもないが。

「服持ってきてって言われたとき、クローゼットあけたら置いてあった」

「奥に突っ込むの忘れてた」

「別に隠さなくてもいいだろ。俺も男なんだし」

「お前はなあ…」

「なんだよ」

「男だけどそういう俗物的なものは興味ないだろ?」

「そんなことは…」

ないと言いかけたが、確かに見たいという欲求はない。
女性に興味がないわけではない。可愛らしい人も、綺麗な人も素敵だと思う。だけど、性行為事態に嫌悪感があるためわざわざそういう世界を覗こうとは思わない。
男のくせに組み敷かれることも多かった。きっと映像を見ても興奮するどころか女性側の気持ちになってしまいそうだ。
それは男としてどうなのだろう。ほとほと情けなくなる。

「グラビア見ても無表情でふーん、って言うじゃん」

「いや、それ以上感想がないだけで別に興味ないわけじゃ…」

「お前さ、俺と付き合う前何をオカズに処理してたの?」

真面目な顔で不真面目な質問をされ、思わず咽てしまった。

「なに、急に」

「純粋に不思議だと思って。女に興味ないけど、男が好きなわけでもないし、どうしてたんだろうな、と…」

まじまじと興味深そうにこちらを見る瞳に揶揄の色はないが、何故恋人にそんな告白をしなければいけない。
そういうのは口にするものではない。別に、木内先輩がどの女優やグラビアアイドルをオカズにしているかなんて知りたくないし、勝手にしてくれと思う。

「そ、そんなこと聞いても何にもならない」

「興奮するじゃん。俺が」

「変態かよ」

「お前が何に興奮するのか誰だって興味あるだろ!」

「ねえよ!」

不毛な押し問答はやめよう。この人はたまに頭が馬鹿になる。勉強は常にできないが、人間として知能が著しく下がるときがあるから困る。
手っ取り早く話題を変えたくて彼のクローゼットの中を思い出した。

「…俺は知ってるよ。先輩がどういうの好きか」

「えー…」

「最近追加されたのはナース物だったな。でも今はスカートじゃないし、ナースキャップも被ってないし、残念だったな」

「ああ、残念…。って、違うだろ」

「あと、家庭教師ものと、OLと、えーっと…」

「やめて」

「まあ、あれだ。清楚系お姉さんが好きってことがわかった」

「う…。違うんです。涼に押し付けられたものもあるんです…」

「…言い訳しなくても怒ってないけど?」

「だからこそ居た堪れなくなんの。怒って責められた方がましなときもあんの」

「そうか?」

わからなくて首を捻った。怒られない方がいいに決まってる。相手の自由を束縛しない方が生きやすいし、自由を奪われるくらいなら恋人なんて邪魔なだけだ。
自分の生活を保ったまま、たまに寄り掛かる程度のものでいい。すべてを支配しようとするからお互い息苦しくなる。
だから、AVを見てもなんとも思わないし、綺麗なお姉さんを口説いても怒らない自信がある。

「…俺も昔は束縛とか鬱陶しいと思ってたけど、お前は自由にさせすぎるから」

木内先輩は苦笑しながらベッドの端に腰を下ろした。

「求められないと不安になる」

「先輩が?不安?」

酷く不釣り合いな言葉に目を見張った。

「そう。不安。自己完結して突然消えそうだから」

ぽんぽんと腹の辺りを叩かれた。

「消えないだろ」

「そうか?掴んでるつもりが掴めてない気がする」

「掴んでるから大丈夫。それとこれは別っていうか、先輩の性癖に難癖つける資格はないし…」

「違う。性癖じゃない。誤解だ」

「へえ…」

言い訳をする姿が面白くてわざと冷たい視線を送った。

「マジだって。AV見てもゆうきがこの格好したらもっと興奮すんのになーって思うじゃん?だから、俺の性癖は綺麗なお姉ちゃんじゃなくてお前なんだよ」

「馬鹿かよ」

「だから今度、な?」

「なにが、な?だよ。絶対嫌だ」

「似合うのに」

ぶー、と口を尖らせて文句を言われたが、そんなもの断固拒否だ。

「だって、俺が白衣着たらちょっと嬉しいだろ?」

言われ、少し想像してときめいた自分を殺したい。なし。今のなし。誰に言い訳しているのかわからないが、ぶんぶんと頭を振った。

「う、嬉しくない」

「お注射されたくない?」

「おやじくさ…」

「俺はお前がナース服着てあーん、てしたら毒でも飲むね」

「頭沸いてんの?」

「お前と付き合ってからずっとこうだから責任とれ」

「ひどい責任転換」

うんざりしながら言うとぐっと腕をひかれ彼に凭れかかる姿勢になった。

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