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「真田くーん!」

中庭での昼飯を終え、欠伸をしながら首を回していると窓が開く音と共に保険医に名前を呼ばれた。
声の方に視線を移すと天野先生が保健室の窓から身体を乗りだし、こちらに向かって手招きしている。
滅多に保健室を利用しないし、先生に呼ばれる原因は思い浮かばないが無視するわけにもいかず、隣にいた木内先輩とそちらに近付いた。
天野先生は一枚の紙を手に持ち、窓越しににっこり微笑んだ。

「真田君、再検査まだ行ってないんだって?」

「…あ」

二年に上がってすぐの健康診断で再検査の項目があったのだ。
検査結果は保護者と生徒にそれぞれ配られ、再検査の項目があった生徒は学校が指定した病院又はかかりつけ医があるならばそちらで保護者同伴で再検査するのが望ましいと言われた。
検査結果のプリントをぺらりと見て、要再検査の文字に面倒だから見なかったことにして机の奥の奥に押し込んだままだった。

「早めに行ってほしいなあ」

「あー…。はい」

保護者宛てに送付された診断結果は父が受け取ったのか母が受け取ったのか知らないが、親からはなんの連絡もないし、放置しても大した問題ではないと思う。
再検査したところで異常なしと言われるだろうし、いよいよやばいとなったら病院に行けばいいやとぼんやり考えていた。

「お前なんかひっかかったの?」

「…ひっかかった…。の、かなあ…」

「かなあ?じゃないよ。ばっちり再検査って言われたでしょ。きちんと検査してもらわないと困るな。何かあったとき原因がわかっていれば対処できるから」

「…そのうち行きます」

「そのうち?」

「…こ、今月中には」

「もう一声」

「…今週中…?」

「よし。もたもたしてると須藤君に引っ張ってでも連れて行けって言うからね」

脅しのように上から睨まれ小さくなった。
再検査に指定されていたのは須藤家がいくつか持っている病院の内の一つで、学園からも然程離れていない。
須藤先輩に捕まったら余計な検査までオプションでつけられそうだし、後回しにするともっと面倒なことになる。わかっているが気が重い。
そもそも病院という場所が苦手だ。待ち時間が長いし、あの独特の薬品の匂いは好きになれない。注射や点滴の針も大嫌いだし、身体をあちこち触られるのも不快だ。
深く溜め息を零すと、木内先輩が天野先生の方へ一歩踏み出しながら自分の頭にぽんと手を置いた。

「安心してよ光ちゃん。俺が引っ張って連れてくから」

「そうして。今回だけは木内君が頼もしく見えるよ」

「今回だけってなんだよ。俺はいつも頼もしいだろ」

「何言ってんだか。僕の胃痛の原因だよ。おかしな理由で怪我ばっかりして。もう廊下でバク宙とかしないでね」

「大丈夫大丈夫。失敗したことないから」

「大丈夫じゃない!まったく君たちはいつも…」

天野先生の説教の気配を察知し、木内先輩はじゃあねーと間延びした声で手を振りその場を離れた。
天野先生の視界から完全に消える距離まで離れると、木内先輩はぴたりと足を止めこちらを振り返った。
説教の気配を察知。
頭をぽかんと叩かれる子どものように、頭を両手で庇いたくなる。

「ゆうき君」

「…はい」

「なんでそういうとこ、ちゃんとしないのかな」

「…だって、大丈夫だし。検査結果が大袈裟っていうか、ちょっと雑音混じっただけで過保護に再検査って…」

「医者じゃねえのにそんなことわかるかよ」

「俺、健康そのもの」

「お前の青い顔で言っても全然説得力ねえんだよ。明日にでも行くか」

「えー…」

「えー、じゃねえよ。午前中学校休んで行くぞ」

「…せめて一人で行く」

「絶対行かないから俺が首根っこ掴んで連れてくんだよわかったか」

「…大袈裟」

小さくぼそりと呟いたのに、その声はばっちり木内先輩に届いてしまったらしく、片耳をぎゅっと引っ張られた。

「いってえ」

「この前ぶっ倒れたばっかりだろ。そんなほっそい身体と青い顔して今にも召されそうで怖えわ」

「意外と丈夫だし体力もある」

もりっと二の腕の筋肉を強調してみたが、ふんと鼻で笑われた。

「なにそれ。小枝?」

「う、うるさい。体重も増えてる」

「へー…」

白々しいと言わんばかりの目で見られぐっと喉を詰まらせた。
最悪、病院に行くのはいい。だが須藤先輩や木内先輩に連行されるのは絶対に嫌だ。あれやこれや医師と結託して余計な検査も追加されるに違いない。
どうやって彼を説得させようかとない知恵を絞る。
彼の弱い部分を少し揺らして機嫌を良くさせればもしかしたら。一か八かの賭けに出た。

「体力あるの知ってるだろ?」

囁くように言いながらシャツで隠れるぎりぎりの場所にあった紅い印を見せつけた。

「う…」

丁度昨晩、何故かスイッチの入った先輩と二ラウンド交えた。にも関わらず朝からちゃんと登校し、体育の授業も休まず参加した。

「なんなら今からもう一回できるし」

彼のネクタイを引っ張っりながら言うと、木内先輩はわかった、降参とホールドアップした。一か八かの大博打は自分の勝利らしい。にやりと笑って今度からはこの手で彼を懐柔しようと決めた。

「でも、それとこれとは話しが別な」

上がった機嫌は急降下だ。そんな簡単な男ではなかったか。完全降伏したと思ったのに。これが秀吉あたりながらまんまと騙されてくれただろうに。視線を逸らしながら舌打ちした。

「舌打ちすんな。っていうか、そういう技どこで覚えてくんの?怖いんですけど」

「別に」

「潤?あの小悪魔のせい?」

「柳とそんな話ししない」

「じゃあ天然?お前の将来が心配になるからやめて」

一定の効果はあったらしいが、理性はきちんと働いており、色では彼を動かせないらしい。

「もうしませーん」

適当に返事をすると、たまにならしてと面倒な女みたいなことを言われた。
意味がわからず首を傾げる。

「あー、お前は本当ずるいな!本っ当にずるい!」

「は?」

「パパ活したら飯食うだけで数十万稼げそうな!」

「…パパ、活…?」

「お金なら俺があげるからそんなことしないでね」

「なに言ってんのあんた」

こちらの制止は届かず、変な奴には着いて行くなよとか、女だからって油断するなとか、パパは理事長だけにしとけとか、一人でぶつぶつ呟いている。
面倒なスイッチが入った。勝手に収まるまで待つしかないなあと思った時、木内先輩の背後を神谷先輩が通った。
ばちっと視線がぶつかると、神谷先輩は微笑みながらこちらに近付いた。

「なんか久しぶりだね」

「はい」

「元気してた?…仁、どうしたの?」

「聞いてくれよ翔。ゆうきが変な知恵つけて俺を誘惑するんだよ」

「はは。それはご愁傷様」

「笑いごとじゃないから。潤みたいに不特定多数にそんなことし始めたらどうするよ。石油王とかに気に入られたらさすがの俺でも太刀打ちできないじゃん」

「できないねえ」

「だろ?ゆうきの将来が心配だからお前ちゃんと教育しろよ」

「僕でいいの?」

「あ、やっぱりだめ。お前は絶対だめ」

二人の応酬をぼんやりと眺めた。何を言っているのかよくわからない。
ぽつんと置いていかれたのは自分だけではなく、神谷先輩の半歩後ろにいた椎名先輩もぽかんと口を開けている。
椎名先輩も久しぶりに見たが、相変わらず彼の傍だけ別の世界のようで、日本の風景に馴染まず雑にコラージュされたようだ。
それをこの先輩二人は気にしているので口には出さないが、どちらにせよ、眉目秀麗でこういう人を目の保養になると形容するのだろう。
あまりにも凝視したからか、椎名先輩がこちらに気付き軽く手を挙げたので、小さく頭を下げて対応する。
笑ったり、困ったり、何か表情があると一気に柔和になるが、この先輩は無表情だと氷のように冷たい印象を与える。澄んだアイスグレーの瞳のせいだろうか。
そのふり幅の大きさが自分は好きだ。これをギャップ萌えというのだろうか。
ちらちらと盗み見るように椎名先輩に視線を移していると、頭上で会話を続けていた二人が、ね?とこちらに注目した。

「…はい?」

まったく聞いていなかったので事情が掴めない。

「ゆうき君も検査ひっかかったんでしょ?雪兎もひっかかってさ。ゆうき君渋ってるみたいだし、一緒に行ったらどうかなって。二人なら退屈じゃないでしょ?」

神谷先輩からの提案に一瞬考えて頷いた。椎名先輩という保護者がいるなら木内先輩は身を引いてくれるだろう。
あまり良く知らない、知人程度の関係ではあるが、神谷先輩の従兄弟というだけで椎名先輩には好感を持っている。

「雪兎もいい?」

「勿論だよ」

「椎名が優しくてよかったなー。ま、俺も行くけど」

行くのかよ。心の中で突っ込んだ。

「じゃあ、また土曜に」

神谷先輩と椎名先輩はひらりと手を振って校舎に消えていった。

「土曜日?」

「椎名は持病もあるから泊りがけで検査だと。ついでだからお前も泊まりで検査な」

ぎろりと睨まれ眉間に皺を寄せた。
これだよ。こうなる予感がしてたんだよ。だから一人でいいと言ったのに。
そもそも、さっさと再検査を受けなかった自分が悪いのだが、これだから過保護な恋人は困ると恨みのはけ口にした。

「…面倒くせえなあ…」

精一杯の不満をその言葉に詰め込んだ。

「面倒くせえよな。だから今後はやることやれよ」

「木内先輩が言うとなんて説得力がないんだ…」

「てめえ…」

再び説教の気配がしたので、木内先輩から逃げるようにひらりと一歩を踏み出した。
遠くで予鈴も鳴っている。

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