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各々に注文された飲み物を渡し終え、椅子に深く座った。早く帰ってベッドにごろんと横になりたい。

「お前らさー、今のうちに勉強する癖つけないと将来苦労するぞ」

コーヒーをぐっと飲み込んだ浅倉のお説教タイムだ。

「なりたいものが決まってるならいいけど、決まってないなら勉強して決めないと。時間は戻らねえからな。後悔すんぞ。って大人は皆言うだろ?ってことは本当に後悔するってことよ。ま、実感わかねえだろうけど」

「俺は秀吉に食わせてもらうから勉強しなくても大丈夫」

柴田が言うと秀吉は思い切り顔を顰めた。

「なんで俺がゴリラ飼わなあかんねん。可愛らしい女子ならともかく…」

「あー。今の言葉神谷先輩に言おうかなー」

「いいもんねー。先輩はそんなの信じないもんねー」

「はいはい、今からヒモになりたいとかやめてね。先生も進路希望にヒモとか書かれたらさすがに指導入るからね。この中で安心できんの真田だけだからな」

「はあ?なんでゆうき?ゆうきが一番やばいじゃん!」

お茶を呑気に飲むゆうきを指差した。こいつで安心できるなら今自分が補習を受ける意味がない。

「え、だってお前理事長の会社入るんだろ?」

その発言に皆ゆうきに注視したが、本人が一番目を丸くしている。

「そうなの?」

「いや俺に聞くな。お前のことだろ。この前理事長にたまたま会ったとき言われたぞ。真田の成績やばいって言ったら彼が就職できなかったら私の秘書にしようかな、って。それか住み込みの家政婦がいいとか」

「は?やだ。絶対にやだ」

「じゃあ頑張ってお勉強して進学なり就職なりしねえとな」

浅倉が言うとゆうきは顔に恐怖を浮かべて何度も頷いた。

「真田が辞退するなら俺が家政婦やる」

三上がはーいと手を挙げた。

「お前が家にいてもちっとも嬉しくねえだろ。しかも絶対働かねえし」

柴田が言うと泉がにこにこと笑いながら拳を作った。

「じゃあ僕の家政婦さんになって――」

「なりません」

「真田ー、理事長に言っとけよ。ここの全員雇ってくれって」

呑気な声で柴田が言う。

「絶対やだ」

「待て、氷室グループに就職?勝ち組じゃん。こんなことなら木内先輩とつきあっとくべきだった?」

「木内先輩にも選ぶ権利があるんやで」

秀吉にぽんと肩を叩かれた。失礼な奴だ。目を瞑ればゆうきも自分も変わらない。目を瞑り、顔さえ見なければ。その顔が大事なのだろうけど。

「あ、だから潤いねえの?あいつコネでどうとでもなるから?」

ばん、と柴田が机を叩き、悔しいと喚いた。

「馬鹿言うな。そんな贔屓はしません。柳は成績良くなったの。補習の必要もなし」

「絶対嘘。あいつが勉強してんの見たことねえし、コネでなんとでもなる、人生イージーモードっていつも言ってるし」

「残念ながら本当です。見えないところで努力してんだろ」

「努力っていうか、せざるを得ない脅しを会長様に――」

「三上!それ以上言うと殺されるぞ…!」

泉は三上の口を手で塞ぎ、どこで聞かれているかわかったものじゃないと首を振った。
潤が勉強してるなんて自分も絶対信じないけど。
理事長の一言で点数なんてどうとでもなる。ああ、自分も柳家か氷室家に生まれたかった。それか弟と脳味噌を交換したい。

「はいはい、お喋りはその辺にしてちゃちゃっと勉強して終わらせようなー。先生も暇じゃないんだよ」

「絶対暇じゃん。帰っても酒飲んでテレビ見るしか予定ないくせに見栄張っちゃって」

「月島追加のプリント渡されたい?」

「すいません嘘です勉強します」

うるさい会話をにこにこ聞いていた麻生に再び頭を下げた。続きをよろしくお願いします、そう言うともう少しだから頑張ろうねと励まされた。
本当にできた人間だ。この中にいる誰よりもまともな成分でできている。

それから三十分ほどですべてが終わり、大きな溜め息を吐きながら机に突っ伏した。一年分は勉強した。

「お疲れ」

「いや、こっちこそありがとな。そうだ、なんか驕る?つってもコンビニの肉まんとかその程度しか驕れないけど」

「はは、それで十分だよ」

鞄を握ると秀吉も一緒に行くと言った。
三上と柴田はまだ格闘中だ。もしかしたらあの二人の場合は先生役が厳しすぎるのかもしれない。
蓮は真面目で完璧主義なので適当ができない人間だ。頼まれるととことんやろうとする。一番の貧乏くじは柴田だ。いい気味だが。
疲れた、疲れたとぼやきながら肩を回して歩き、途中でゆうきと別れた。
三人でコンビニへ向かうと、見知った顔二人がコンビニの駐車場でコーヒー片手に談笑していた。その姿を見つけた瞬間、秀吉の尻尾がぶんぶんと左右に激しく振られた気がした。

「神谷せんぱーい」

あれは本物の犬だ。すっかり忠犬に育ったので、よほどご主人様の躾がよかったのだろう。

「お疲れ。補習終わったんだ」

「しっかりゆうきの先生したから誉めて」

「はいはい、えらいえらい」

そんな言葉一つで秀吉は満足気だ。なんて安い男なんだ。隣の麻生も同じことを思ったのかふっと笑った。

「甲斐田は相変わらずだな」

「イケメンが台無しだ。すっかり掌で転がされてやんの」

「まあ、それでも幸せそうだけどな」

こちらに気付いた香坂に向かって麻生がぺこりと小さく頭を下げた。香坂もそれに応えるように軽く右手を挙げる。

「お前もちゃんと勉強したか」

「したっつーの。今回は先生が良かったからな!」

言いながらばしっと麻生の背中を叩いた。

「面倒かけたな」

「いえ。月島はやればできる奴ですから」

「もっと言って!もっと褒めて!」

強請るとえらい、頑張ったと優しい麻生は言ってくれた。これでは秀吉と同じだと気付いたが、どんな我儘を言っても受け止めてくれる包容力を感じると甘えたくなるものだ。

外で香坂と談笑しながら待っていら麻生に肉まんを手渡した。ついでに香坂と神谷先輩にも。

「俺には?」

「秀吉は自分で買いなさい」

「え、なんで。ひどい」

「なんでも」

にやけた顔がむかついたから、とは言わないであげた。

「じゃ、俺帰るな」

「おー。ありがとなー。またなんかあったら頼むわ」

大きく手を振って寮へ戻る麻生を見送った。
何もない方がいいのだが。英語の補習だけならまだしも、他の教科の点数もやばい。数学なんて特に。今度は数学の補習を命じられるのかもしれない。

「見たことない奴だな」

麻生の後姿を眺めながら香坂が言った。

「俺も初めて話したもん。秀吉と仲いいらしいよ」

「ああ、わかる」

「なんで?頭いい同士ってこと?」

「いや。翔と同じものを感じるから」

「そうかな…」

確かにどちらも頭脳明晰、性格も柔らかく優しいだろうが。

「そうそう。草食動物だと思って近付いたら実は肉食動物で思い切り手噛まれるやつ」

「涼、人聞きの悪いこと言わないでくれ」

「そうだそうだ!神谷先輩は噛まない!」

「あーあー、わかってねえな。みーんな翔の外面に騙されちゃって」

香坂はわざとらしくやれやれ、と首を左右に振った。
それを笑顔で見ていた神谷先輩は肉まんの包みをぐしゃりと握り潰した。

「後で覚えてろよ涼」

美しい一つ上の先輩は薄らと笑みを浮かべ、秀吉と駅へ向かって歩き出した。

「ほらな、怖いだろ?」

「…あれはほら、美人が怒ると迫力が違うってやつで…」

精一杯のフォローをしたが、確かに神谷先輩は底が見えない人だと思う。
翔はブラックボックスと香坂が例えたことがあるが、言い得て妙だと思った記憶がある。
作られたものではなく、本当に優しいし大人だし、いい人なのは間違いないのに背筋がすっと冷たくなる瞬間もある。それはきっと美しすぎるからで、人工的な美が怖ろしさを呼ぶのだと結論付けていたけれど。

「秀吉は翔と一緒にいて虐められるのが快感になったんだろ。だからさっきのあいつとも気が合うんだよ」

「えー。麻生は虐めたりしないと思うけど。マジでいい奴だったよ?」

「いやいや、翔みたいなのは相手が苦痛に感じないギリギリのラインを掴むのが上手いんだよ」

そうなのだろうか。自分はそういった嗜好がないので理解できない。
神谷先輩くらい綺麗ならばマゾではなくとも虐められたい男女は山ほどいそうだが。恐らく自分もそんな嗜好はないはずなのに、シチュエーションを完璧に整えられると空気に呑まれて神谷先輩に服従の意を示すだろう。

「俺らもやってみる?」

「なにを」

「SMプレイ」

「やんねえよアホか。あ、でも俺が虐める側ならやってもいいよ」

「お前絶対できないぞ。あれはSの方が大変なんだから。まあでも、お前が泣きそうになりながら俺を虐めるのも面白いかもな」

「面白くねえし俺は泣かない。日頃の恨みをぶつけるつもりで香坂が泣いても止めないね」

「へー。言ったな。じゃあ今度やってみようぜ」

「受けて立つ!」

拳をぐっと作った。プレイという大義名分の元虐められるなら楽しいに違いない。
今まで散々虐められてきた。揶揄され、泣かされ、脅迫され。
ついに自分がイニシアチブを握れる日が来るのだ。どうせならそのまま抱いてやろうか。香坂涼が自分なんかに抱かれると想像しただけで愉快だ。あの香坂が。

「ふはは!ふははは!」

「なんだよ気持ち悪い」

「首を洗って待ってろよ香坂!」

「…それ瞬殺される雑魚キャラのセリフじゃん…」

やれやれと香坂が溜め息を吐いたが聞こえないふりをした。
友人に加虐性のある人物はいないので、ネットでとことん調べてやろう。
香坂のような男に限って虐められるのにはまると聞いたことがある。そこを擽ってやれば自分も神谷先輩のように掌で転がすことができる。

「この恨みはらさでおくべきかー!」

「ああ、はい。がんばってください」

まったく期待されていないのが寂しいところだが、さっき麻生も言ってくれた。俺はやればできる子だと。だからきっと大丈夫。
瞳の中にめらめらと炎を燃やして、肉まんをがぶりと平らげた。




END

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