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「月島、真田ちょっと来い」
五限は英語で浅倉のかったるい授業を半分眠りながら終えたのだが、浅倉は真っ直ぐ職員室へ戻らずこちらを手招きした。
机に突っ伏して眠っているゆうきの頭を叩いて起こし、教卓へ向かった。
「なに」
「お前ら今日の放課後居残りな?」
「は?なんで?やだ」
「やだじゃねえよ。この前のテストも散々な上授業中寝るとはいい度胸だな」
「寝てない。俺は寝てない。ゆうきは寝てたけど」
ゆうきを指差すと本人は気にした様子もなく大きな欠伸をしている。
こいつに比べれば自分は大真面目に授業を受けていたのにひどいではないか。
「首がこくこくしてたわ!とにかく残れよ。帰ったらただじゃおかねえからな」
「えー!花金なのにー!」
「花金って…。お前いくつだ。よくそんな言葉知ってんな。残りたくなかったら今後はちゃんとお勉強するこった」
浅倉は分厚い英和辞書の角で順番に俺とゆうきの頭を叩いた。
「いった!それ凶器だろ!」
教育委員会に訴えてやる。背中に向かって叫んだが浅倉はひらひらと手を振りそのまま去った。
「面倒くさ…」
ぽつりとゆうきが呟き、自分は大きな溜め息を吐いた。
担任だからって横暴だ。クラスの成績が悪いと教頭にどやされるのだろうか。
クラスで最下位はゆうきだが、自分も笑える立場ではない。考査が終わり、親へ通知が行くと共に毎回母から怒りの電話がかかってくる。
なんのために高い授業料を払っていると思っている。勉強しないならやめて働けと耳元で怒鳴られ、最後には次やったら勘当だと締めくくられる。そのくせ本気で勘当はしないらしい。
またうちの場合は弟の頭の出来が無駄にいい分比較され、母の怒りも絶頂に達するのだ。
人には得手不得手があって、自分は勉強が他の人より少しできない。それだけなのに。
「俺帰るわ。浅倉には具合悪くて倒れたとか言っといてくれ」
くるりと背をむけたゆうきの肩をがっしり掴んだ。
「お前だけ逃げれると思うなよ。地獄に落ちるなら道連れな」
「ふざけんな。お前一人で落ちろよ」
「お前、どんな点とっても卒業できるからって…」
教卓の前でゆうきと小さな言い争いをしていると、鞄を持った景吾にじゃあねと手を振られた。
「え、なんで。なんで景吾は呼び出しなしなの?」
「俺はお前らよりいい点とってるし、授業中も寝てないもーん」
「嘘だ!」
「ほんと。じゃあなー。お勉強に励みたまえよ諸君!」
くっそむかつく。
久しぶりに蓮の部屋へ遊びに行き、一週間の疲れを癒そうと思っていたのに。
泣きたいのをぐっと堪え、机に片頬をつけて意味もなく叫んだ。
「うるせえ楓!」
クラスメイトに怒られるもぐちぐち文句を言っていると、皆帰る前にわざと自分の前まで来てどこに遊びに行くだの、彼女とデートだの、楽しい予定を耳打ちして去って行った。
不幸を背負う人間に石を投げるなど性格が悪い。
「楓」
大好きな声が聞こえてめそめそと顔を上げた。
「れーんー!聞いてくれよ浅倉ひどいんだぜー!」
経緯を説明し、わっと抱きつきたいのを抑えた。蓮はにっこり笑いながら自業自得とぴしゃりと言った。ひどい。オアシスまでそんなことを言うのか。
「そのせいで僕たちも駆り出されたんだからね」
蓮の隣には彼の同室者がいた。名前は忘れたがよく潤といるのを見る。
そのうちクラスメイトは全員教室からいなくなり、代わりに他クラスの柴田と三上がやってきた。毎度お馴染みのファイティングポーズをとるとやるのかと挑発され、空いているスペースでプロレスごっこの始まりだ。
痛い痛いとタップすると同時に浅倉がやってきて、その元気を勉強に向けろとまた説教された。
席に戻り、何故景吾は免除なのかと喰ってかかる。
「相良はまた別の日。手始めに一番やばい奴ら集めただけだから」
一番やばい奴…。柴田と同じカテゴリーに自分も属しているのかと思うと情けない。
「じゃあ蓮は?気付かなかったけど秀吉もいるし」
「気付かなかったってひど…」
「こいつらは先生役。一人ずつついてもらうんだよ。俺一人でお前ら全員とかマジ無理だから」
「それが教師の言う言葉か!」
「はいはい吠えない。えーと、じゃあ甲斐田は月島で、麻生は三上、夏目は柴田で、泉は真田の先生な」
移動しろと言われ、先生役が正面に座った。
浅倉は名前も知らない生徒の前に座り、プリントを配り適当に始めろと呑気な口調で言った。
「楓かー…。骨が折れる…」
「うっせ!」
「浅倉―、俺こいつ嫌なんだけど」
三上が挙手したが浅倉は文句言うなと跳ね除けた。
「じゃあ俺帰る」
「待て!わかったから!じゃあお前らで好きに組み分けしろ」
好きに、と言われても別に誰でも変わりはない。浅倉じゃないだけましと言える。
文句を言ったのは三上だけで、麻生はにこにこ笑いながら三上を見ている。
人が良さそうな笑顔は好青年然としているのに、三上は我儘らしい。
「じゃあ僕が三上の先生を――」
ゆうきについていた泉が控えめに言ったが三上が遮った。
「秀吉頼むわ」
「なんでだよ!そこは僕だろ!」
「うるせえ近寄んな」
ああ、うるさい。この面子を揃えた浅倉は馬鹿だ。こんなの勉強どころじゃなくなるに決まってる。
「ああ、はいはい。ほな、公平にクジで決めよな。今作るから」
秀吉はルーズリーフを四等分に千切り名前を書いた。それを小さく折り、じゃんけんして勝った奴から引いていけと言った。
別に三上以外は文句言っていないのに。面倒だがじゃんけんをして、一番最初に引いた。喚いた三上は一番最後で、残り物には福があるから…。と泣きそうになっている。
「これ以上は文句言わないことな」
秀吉に諭され、三上は渋々頷いた。
一斉に紙を開くと麻生学という名前が書いてあった。三上が嫌だとごねた彼だ。
「麻生、よろしくー」
「はいはい、よろしくね」
麻生はこちらへ移動し、文句を言った三上の前には泉が座った。
ゆうきは秀吉、柴田は変わらず蓮のままだ。
秀吉はともかく、蓮の顔が引きつっている。蓮は柴田が苦手だ。見た目も雰囲気も怖いと漏らしていたことがある。そんな相手に上から目線で授業など彼には無理ではないか。
しかしクジに従うと決めた手前、これ以上騒ぐなと浅倉にも叱られる。頑張れ、蓮。心の中で合掌した。
「俺、甲斐田みたいに頭よくないし先生なんてできる立場じゃないんだけどな…」
教科書を開きながら麻生が苦笑した。
「そんなこと言わず頼んますよー」
拝み手で言うとやめてくれと爽やかに笑われた。
麻生と話した記憶はないが、見た目通りのいい奴そうだ。秀吉と仲良くしているのも頷けるような。
三上はなにが気に入らなかったのだろう。変わった奴だから人の好みも変わっているのだろうか。ああ、だから柴田や潤なんかと一緒にいられるわけだ。
妙に納得し、うんうんと頷いた。
「じゃあ、とりあえず間違ったところからいこうか」
浅倉が事前に配っていた小テストを解けと言われペンを握った。
解くもなにも、考えてもわからないので適当に番号を選んで書いたり、知っている単語を書いたりの繰り返しで散々な結果に終わっているわけで。
それでも仕方がないのでプリントに向かった。
麻生は長い足を組み、教科書を片手で開いて眺めている。そのスタイル交換しません?喉まで出かかって、きちんと勉強しようともう一度机に向かった。
わからないなりに唸りながら真面目にやろうと思った。
これで相手が秀吉なら適当にやったところだが、さすがに面識のない相手に面倒な先生役をさせているので、不真面目には振る舞えない。
麻生だって早く帰りたかっただろう。なのに成績がいいばかりに馬鹿の相手をさせられて可哀想だ。
せめて馬鹿は馬鹿なりに努力しなければ。
そう思うのに隣がうるさくて集中できない。
「三上がわからないところ最初からやろうね。中学生の勉強からする?時間かかるから、土日もお泊り会しながらやろうか!」
「やらねえし、部屋にも入れねえし」
「三上が入れてくれなくても甲斐田君が入れてくれるから…」
「入ってくるたび摘み出す」
「ひどいなあ…。三上が無事に卒業できるよう協力してるのに。決して邪な気持ちなどなくてですね…」
「お前の欲望が透けて見えんだよ」
「え、勝手に人の頭の中見ないで下さいよ」
うるさい。お隣さんだけ別教室でやってもらいたいくらいにうるさい。
何故他の皆は気にならないのだろう。皆、平然な顔で教えているが、この会話どう考えても気になるだろ。
自分がおかしいのかと思い、ちらりと麻生を見上げると、二人の会話に小さく笑っているのを教科書で隠している。
「そこうるせえぞ!ちゃんと勉強しろ!」
ついには浅倉に指さされ、三上がもう嫌だと机に突っ伏した。
自分ももう嫌だけれど、あと数十分の我慢だ。
できた問題をおずおずと麻生に渡し、それを眺める真剣な眼差しをびくびくしながら窺った。
心の中で馬鹿じゃねえの、小学生からやり直せとか思われたらどうしよう。その通りすぎてなにも言い返せない。
「…あの、ごめんな」
チェックが終わった麻生に向かって小さく謝った。
「なにが?」
「俺、本当に頭悪くてさ…。何回か秀吉に教えてもらったけど全然だめで…」
「それは先生が悪かったんだよ」
「おい、聞こえとるで」
「わざとです」
麻生は秀吉と冗談を言い合って、改めて二人で机に向かった。
わからないとか、もう一度説明してほしい、と言っても麻生は嫌な顔一つせず、基本的なことからゆっくりわかりやすく教えてくれた。
「おお、ちょっとわかってきた。やっぱり今までは秀吉が悪かったらしい」
「せやから聞こえるように言うのやめろや」
「麻生だとわかるんだもん」
「甲斐田は頭よすぎて教えられないタイプだからなー」
「じゃあゆうきはこの時間も無駄になるな」
けらけらと笑うと、浅倉が休憩ーと叫んだ。
十分程度の休憩を挟んで、きりのいいところまで済んだ奴から帰っていいと言われた。
首と肩の筋肉を解して天井に向かってあー、と呟く。
「お疲れ。自販行くけど、なにか買ってこようか?」
「いやいや、お前いい人かよ。そこは俺が行く場面だから。何がいい?」
「んー、じゃあ温かいお茶」
「了解」
「月島、俺にブラックのコーヒー買って来て」
「先生が生徒に買わせるっておかしくね?」
「金なら払う。早く行って来い」
なんだ。なぜこう、自分はパシリにされやすい人間なのだ。その内それぞれから注文が入り、持ちきれないだろうからと蓮が一緒についてきてくれた。
注文を書いた紙をぺらりと捲り、間違わないように購入する。蓮と二人で腕に抱え、長い教室までの道のりを戻る。
「蓮大丈夫か?柴田」
「…ああ、うん。意外とちゃんと素直に話し聞いてくれるし」
「へえ。お前相手だといい子ちゃんになんのな」
自分にはいつも牙を剥くくせに。蓮に剥くとそれはただのいじめになりそうだと柴田も理解しているのだろう。
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