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学園の最寄駅に着いた頃には六時を過ぎていた。
夜の時間が長い季節にうんざりしながらまばらな街頭がぽつぽつとある道を歩く。
コートの前を更にぎゅっと合わせ、吹く風を避けるように反射的に目を閉じた。
寮内に入った瞬間じんわりとした暖かさに身体の緊張が解れた。暖房のおかげだけではなく、建物内にいる人数が多いので熱がこもる。その分夏は地獄だけど。
一度部屋へ戻ると二度と出たくなくなるので、その足で学の部屋へ向かった。
ノックをして彼が対応してくれるのを待ったが、暫くして僅かに開いた扉から見えたのは学でも相良君でもない。
一体誰だろう。首を捻ると向こう側の彼も首を捻った。
訝しげな視線を向けられ、慌てて学はいるかと聞いた。

「…さっき自販機に行って…。ああ、戻ってきた」

指差された方をぐるんと振り返ると、缶コーヒーを二つ持った学がにこりと笑った。

「どうした真琴」

学には週末を利用して実家へ戻ることを話していた。

「今戻ったんだけど、これ姉ちゃんが学にって」

二つ押し付けられた袋のうちの一つを差し出した。学は受け取りながらもう一度ふっと微笑んだ。

「真衣さんが焼いたの?」

「らしいよ。味は知らないけど」

「彼氏でもできたかー?」

「たぶんね。よかったら二人で食べてよ。美味しくなかったら遠慮せず捨てて」

「はは、捨てないよ。先輩は甘いの好き?」

扉の向こうに呆然と立っていた彼に向かって学が言った。
先輩なのか。見たことがないはずだ。部活動をしていない学が先輩と交流を持つのが珍しくて、ついその人をじっと見つめてしまった。

「…嫌いじゃない」

彼は指を顎に当てながら少し迷った様子で言った。さらりと音がしそうな髪が揺れる。
涼しげな一重の瞳と薄くて小さな唇。パーツの一つ一つが控えめで、けれど理想的な場所に配置されているのでさっぱりとした美しい人だと思った。

「よかった。真衣さんにお礼言っといてね」

「はいはい。じゃあね」

学には軽く手を振り、扉の向こうの彼にもぺこりと頭を下げた。すると、驚いたように綺麗な一重を大きくさせ、彼も会釈を返してくる。
学も相良君ほどではないが交友関係が広いし、自分が知らない友人がいてもおかしくない。

「あ、待って。さっき自販機で三上に会ったぞ」

言われた瞬間ぎくりと肩を揺らした。
学と三上は馬が合わないらしい。三上は口には出さないが学を好ましく思っていないし、学もしかり。
お互いいがみ合うほどの事件があったわけでもないのに、どうしてこうなるのか。
親友と恋人、できれば仲良く穏便な関係でいてほしいのだが、お互いがきっぱりと否定する。

「ちょっとからかったらガチで睨まれちゃった」

爽やかな笑みで言われ大袈裟な溜め息を吐いた。

「なんでいつもつっかかるの。その内ぶん殴られるよ」

「かもな」

学はけらけらと笑い、部屋に戻ったみたいだから行ってみればと提案された。

「…ああ、うん…」

適当に返事をして今度こそ踵を返す。
三上は学が関わった後は必ず不機嫌になる。そんな彼に会いに行くなどどんな拷問だろう。さすがの自分もそこまでマゾじゃない。
自分が会いに行けばますます機嫌を損ねてしまうので、そういうときは大人しくするに限る。
そうでなくとも今日は体力をいつも以上に消費したので、今すぐ風呂に入って眠りたい。
歩いていると自然に「あー、疲れた」そんな独り言が出そうになる。
こんな場所で独り言なんて不審者極まりないので、口をきつく引き締めて足先を眺めながらとぼとぼと歩いた。
自室が近付いた頃、視界の中に自分とは違う靴が見え顔を上げた。
扉に背を預けて立っている三上がいて、視線が絡まった。

「…あれ、どうしたの?」

なぜだ。なぜ会いたいときには会ってくれないくせに、会わないと決めた日に限って会えるのだ。

「…どうもしてない」

三上の言葉に首を傾げる。用事がないのに来たのだろうか。
三上は何か理由がないと部屋には来てくれない。今まで彼から訪ねてきたのは片手で足りる程度だ。
例えば課題の代筆をさせられたり、たまたま貸したお金を返しに来てくれたり、潤に腕を掴まれて無理矢理連行させられたり。
彼が自ら進んで、彼の意志で来ることはとても珍しい。
疲労も吹っ飛ぶくらいに嬉しいのに、冷めたような視線で見られると身体も心もぎゅっと固くなる。

「よ、よかったらお茶でも…」

鍵をさしながら扉を開けて招いた。蓮は友人と遊びに行くと言っていたので、まだ帰らないだろう。
三上は無言で中に入り、エアコンのスイッチを押した。
部屋が暖まるまで辛そうなので、ソファに座った三上にブランケットを差し出した。
いつもソファでうたた寝してしまう自分のために蓮が用意してくれたのだ。細かい心配りができるので、蓮は皆にお母さんと言われる。
コートをソファにぞんざいに投げ、簡易キッチンへ向かった。
寒い季節を乗り越えるために購入したココアがあったはずだ。低糖なのでたぶん三上でも飲める。
お湯を沸かしカップに注ぐ。濃い茶色の液体が波打つのをぼんやり眺めた。
今日はどうやって三上の機嫌をとろう。あの手この手を駆使するたびに失敗するので、もう策が思い浮かばない。
もしかしたら学に会ってむしゃくしゃして、八つ当たりの道具に丁度いいから自分のところへ来たのかもしれない。
ならば大人しくサンドバックになろう。覚悟を決めてカップを三上に手渡した。笑顔が不自然に引きつりそうになるのを堪える。
カップに息を吹きかける彼から少しの距離をとって自分もソファに座った。

「甘い匂いがする」

「…ああ、うん。でも低糖だし飲むとそこまで甘くないから大丈夫だよ」

三上はすん、と湯気の匂いを嗅いでから口をつけた。

「やっぱり甘い」

「そっか。まあ、無理しないで嫌だったら何か自販機で買ってくるよ」

鞄から財布を取り出すとその腕をとられた。

「いい」

「…そう?」

ぱっと財布を放したが三上は腕を放してくれない。

「あの…?」

捕まれた腕にちらちらと視線を移した。放してほしい、そんな意味を込めて。
なのに三上は掴んだ手にぎゅっと力を込めた。

「…お前昨日どこにいた」

「へ?」

詮索するような言葉に驚いた。
三上は自分がどこにいても、誰といても、何も気にしない。僕自身に興味がないのだから当然だと思う。
今まで予定を聞かれたこともないし、楽しく週末の出来事を語らうなど自分たちの間には一切ない。

「寮にいたか」

「…いないけど」

戸惑いながら答えると、三上の眉間の皺が深くなった。その表情に心臓が跳ねる。なにかいけないことをしたのか。もしかしたら用事があって訪ねたのに不在だったから苛立ったのかもしれない。
うるさい心臓とは逆に頭の隅は冷静で、また嫌われたかなあと呑気に考えた。

「で、どこにいた」

「じ、実家。祖母の墓参りで…」

まるで言い訳のようで妙に焦燥してしまう。ごめん、と謝ろうとして、謝るようなことはしていないと気付いて、でも謝らなければと思考がループした。
口を開こうとした瞬間にぱっと手が放れ、三上は座面に深く身体を沈めた。

「…そうか」

彼は息を吐いて瞳を閉じた。

「…悪い。変なこと聞いた」

「い、いや、別に変なことじゃ…。ちょっとびっくりしたけど…」

張り詰めた空気が解れて、だけど心臓はすぐには正常に戻らず、制服の上から胸の辺りをぎゅっと握った。

「…麻生が…」

三上はぽつりと言いながら虚ろに天井を見上げた。

「学?」

そういえばさきほど自販機で会ったのだと笑っていた。
またなにか余計に拗れるような回りくどい言い回しをして三上を揶揄したのだろうか。
やめろと何度も言っているのに。被害を被るのは僕なのに、学は三上の尻を叩いているだけだと悪びれない。
潤といい、学といい、三上を玩具にして遊ぶものだから彼が可哀想だ。

「…まあ、いいや」

三上は首の後ろに手を当てながらばつが悪そうに俯いた。
深く沈みそうな空気を変えたくてぎこちなく笑顔を作った。

「あ、そういえば、姉が三上に遊びに来てほしいって言ってた」

「…そうか」

「う、うん!母さんが三上のことイケメンって誉めてたから興味持っちゃって」

声色も明るくしたつもりだが、三上は興味なさそうにふうん、と呟いただけだった。
どうしよう。無言が続けば重苦しさに窒息しそうだし、かと言ってうるさく話し続けるのもいかがなものか。
どうして自分たちの間にはいつも緊張感しか漂わないのだろう。
もう少し恋人らしく、甘く優しくふんわりとしたものがほしい。マシュマロが詰め込まれた瓶のように幸福で満ちていたい。

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