2
香坂はこちらのやりとりを黙って眺めていたが、ゆうきを木内先輩の隣へ移動させ、代わりに俺の隣に座った。
「冷やすか?」
そっとこめかみに触れられ痛みで顔が引きつった。
「いい。今は触りたくない」
「そうか。これ何日くらいで治んだ?」
「うーん。明日には痛みはなくなると思うけど。たんこぶはできてないし」
「てことは今日一日痛いまますか?」
「かもね」
うわあ。木内先輩にどう詫びてもらおう。学食一週間分でも割に合わない気がする。
欲しかったゲームでも買ってもらおうか。いや、木内先輩にはなんの痛手にもならないからやめよう。
「月島は石頭だから大丈夫だろ。お前の頭突きマジで痛いし」
「ほう。それはいいことを聞いた。治ったらまたやってやるからな」
柴田の弱味を握れたので薄ら笑いを浮かべた。どうせ技をかけられてギブギブとタップをするのは自分なのだけど。
「薬とかねえの?」
香坂が須藤先輩に聞くが、自然とおさまるのを待つ方がいいと言われた。
一応香坂なりに心配してくれているらしい。
他三人とは大違いだ。特に木内先輩と柴田。
「なんかぱっと痛みとれるような物があればいいのにな」
ぽんぽんと背中を擦られ、それだけで少し痛みが引いた気がした。我ながら現金な人間だと思う。
「じゃないと、今日できないもんな」
前言撤回します。
こんなときに夜の心配なんてこいつは色情狂か。呆れてじっとりと重苦しい視線を向けた。
「可愛い女の子がキスしてくれたら治るかも」
「イケメンの彼氏なら目の前におりますが」
だめだ。こいつに何を言ってもだめだ。
「なんだよキスして欲しかったなら早く言えばよかったのに」
ゆっくりと肩を押され、何か考える前に頭に響いた痛みで瞳をぎゅっと瞑った。
どさりとソファに背をついて痛むこめかみに手を添える。
「痛い…」
なにをするのだと口を開こうとしたが、柔らかいものに塞がれてしまった。
一瞬何事かと自失し、数秒で現実へ戻った。
「…んー!ん、んー!」
香坂の背中を作った拳で何度も叩くが放れる気配はない。抵抗すれば抵抗するほどくちづけが深くなっていく。
「うわあ…。濃厚なほうだよ…」
「やばい、俺精神的ダメージで吐きそう…」
そんなこと言ってないで止めろ外野ども。
「んー、んー!」
今度は肩を押し返したがびくともしない。そもそもたいして力が入らない。
「ゆうきにもやってやろうか。痛くなくなるかも」
「断る。あんた、一週間俺に触るなよ」
「え…」
「破ったらバッティングマシーンの前にあんたを縛るからな」
「ゆうきー…」
「触るな」
ぱし、と乾いた音がして木内先輩が泣き崩れる声が聞こえる。
いや、そんなことよりも。友人がそこにいるという事実も忘れて溺れる前にはなしてほしい。
「こう、さか!」
やんわりと舌を噛むと漸く放してくれた。肩で息をしながら怒鳴ってやろうと思ったが声が出ない。
「どうだ。痛くなくなっただろ」
「なわけあるか!」
ほら、叫ぶとまた響く。
「香坂先輩それ公然わいせつ罪っすよ」
「なんてもん見せられてんだ俺らは…。あー、しばらく頭から離れない…」
「だからお前らへの嫌がらせにいいだろ?」
してやったり、というように香坂は笑った。
お前はいいかもしれない。だが俺はどうしたらいいのだ。友人の前で組み敷かれる気持ちがわかるか。情けなさで地中深くまで落ち込める。
三角に膝を折り、そこに頭を乗せた。もう嫌だ。こんな男と付き合ってる自分が嫌だ。
「楓が可愛いからっておかずにすんなよ!」
「いよいよ頭おかしいぞこの人」
「あれが可愛く見えるんだもんな」
柴田と三上がひそひそと言っているが全部聞こえている。
泣きそうなのを我慢しているというのに、追い打ちで胸にぐさりぐさりと矢が刺さる。
わかっている。自分の見た目がこんな風だし、それならまだゆうきと木内先輩のキスシーンを見せられた方がましだろう。いや、見たくないけど。
特にゆうきの顔があれば厭らしさよりも一種の芸術作品のように見えるかもしれない。見たくないけど。
「んだとお前ら!高杉をどうこうしようと思うお前の方が精神疑うわ!」
「はあ?それを言うならさんざん文句言いながら真琴におちたこいつの方が――」
「うるせえ!余計なこと言うとぶっ殺すぞ!」
「え、なになに?なににおちたって?」
頭上で響く声が鼓膜をきんきんと刺激する。
もう自分は帰っていいだろうか。のそりと頭を上げてゆうきを見ると木内先輩があの手この手でご機嫌をうかがっていた。
「悪かったって。でもさすがに一週間は長くね?俺に死ねって言ってんの?」
「そうだな」
「即答はやめてください」
「たった一週間にしてやっただけ感謝しろよ」
「あ、はい…」
ゆうきはあまり表情が変わらないものだから然程怒っていないと思っていたがかなり苛立っていた。
木内先輩相手だからこそ、感情をストレートに表に出せるのだと思うと、話している内容は笑えたものではないが微笑ましくなる。
「じゃあ俺帰るぞ。楓、行くぞ」
「へ?」
「お前もこんな猿の檻の中いたくねえだろ」
「真田今なんつった!?」
「あー、うるせえ。ほら、立てるか」
「う、うん」
ゆうきが腕をぎゅっと握り力を貸してくれた。
この中で一番男前なのはゆうきなのではないだろうか。こんな顔しているくせに。これは女が放っておかないぞ。木内先輩が気が気じゃないと言っていた意味も理解できる。
「須藤先輩、手当ありがとうございました」
「いやいや。こいつらはたっぷり絞っておくからね」
「お願いします」
大股で扉まで歩くゆうきに引っ張られる。背中に楓と名前を呼ぶ香坂の声が響いたが、ゆうきが止まらないので何も答えず廊下に出た。
「…ひどい目に遭った」
ゆうきは歩きながら溜め息をはいた。
「そうだな。お前の顔に傷ついたら大変だ」
「そんなことはどうでもいい。あいつら揃うとうるせえんだよ。単体なら平気なのに…」
はっきりと疲労の色が見てとれる。
ゆうきは元々賑やかな場所も人も得意ではない。景吾や自分と友人だから慣れたものだろうと思っていたが、自分たちは例外、らしい。
「あ、あのー。さっきのは早めに忘れて下さいね?」
「…さっきの?」
「その、あの、香坂と…」
「ああ、あれか」
ゆうきはふっと笑ってこちらを見た。
「可愛かったぜ?」
揶揄するような薄ら笑いで言われ耳に熱が集中した。
「おま、お前その顔でそのセリフはまずい」
顔を両手で隠しながら言った。
ゆうきは大事な友人だが、これは兵器並に殺傷能力がある男だ。相手が女だったら一瞬で恋の始まり始まりだ。
「なに照れてんの」
「お前わざとだな。さっき俺が殴ったこと、根に持ってるな」
「さあ。なんのことやら。戻ったら皆に楓が可愛かったって言ってやろ」
「え、なにこの人こわい。身体的にも精神的にもダメージ喰らってる俺にとどめ刺そうとしてる。やだ。えげつない。ドS…」
写真でも撮っておけばよかった。とゆうきがぼそりと言ったのを聞き逃さなかった。
だからその顔で言われると普通の何倍も怖いからやめてほしい。
今後ゆうきをいじめるときは加減をしなくては。力で敵わないと知るや精神的に追い詰めてくる。
木内先輩はよくこの男を手懐けているものだ。
さきほどの二人を思い出し、手懐けられていたのは木内先輩の方だったと思い出した。
END
[ 34/55 ]
[*prev] [next#]