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金曜の夜陸が久しぶりに僕のマンションを訪ねてきた。
雪兎君は他の予定があったようだ。
部屋に入るや日本酒を持参したからとつまみを所望し、酔えば恒例の惚気話しが始まる。
明日は仕事が休みなので、僕も久しぶりに陸の晩酌に付き合った。
大和はまだ会社だろう。帰宅するのは深夜かもしれない。

「でさ、雪兎さ、寝てるとき絶対俺の服をぎゅうっと握るの。可愛いのなんのって」

「ああそう」

「やっぱ甘えたいのをずっと我慢してたんだよな、きっと。無意識に隣にいる誰かを離さないようにしてるっていうか…そういう精神的ななんか、あんだろ?」

「あるよ」

鼻の下を伸ばす姿に呆れながらグラスを傾ける。
オン・ザ・ロックスで三杯目を飲み干し、さすがに酔いが回ってきた。

「なんだろね、この感覚。好きなだけ甘やかしたいっつーか、なんっつーか…」

雪兎君はこの男のどこに惚れたのだろう。
長所を探してみるが、ずば抜けた何かは見当たらない。
歳相応の落ち着いた容姿は年下には魅力的に映るだろうが、蓋を開ければただの恋する気持ちが悪いおっさんだ。
雪兎君の前でどう振る舞っているか知らないが、こんな姿を見せられたら僕なら確実に引く。
場数が違う大人が初めて恋をした高校生に踊らされているのだ。

「まさか手出してないだろうね」

「出してねえよ」

「いつまで持ちこたえてくれるやら…お前の心配なんてこれっぽっちもしてないけど、雪兎君が心配だよ」

「大丈夫だよ!卒業するまではって約束くらいはちゃんと守る。大人として最低のことして後ろめたさはあるしな。あいつに手出したら罪悪感で前見て歩けねえもん」

「…ならいいけど。大人なんだから性欲くらい押し込めてよ」

「って言っても俺まだ三十だし、枯れてねえしなー。ガキの頃みたいに年中発情期ではないけど好きな奴が隣にいれば辛いわけよ」

その言葉にぐっと息を呑んだ。次にはじわじわと胸に靄が広がっていく。
陸の意見には賛成だが、大和は僕に対してそう思っていないと最近気になっているからだ。

「今までの彼女が可哀想だね」

「は?なんでよ」

「彼女たちも陸にそこまで想ってほしくて必至だったのに全然で、陸が本気になったのが高校生の男の子と知ったら悔しいでしょ」

「なんか今日やけに突っかかるねお前」

ストレートに指摘され言葉を失った。
大和と上手くいっていないのを陸に当たっている。
いや、上手くはいっていると思う。些細な衝突はあっても大喧嘩はしないし、事件もないし、悩みもない。毎日が平穏だ。
お互いの間に漂う雰囲気はまるで曇天の空だ。
人の機嫌を阻害する雨は降らないし、けれども喜ばしいこともない。
どちらかというと憂鬱にさせ、だけれど明日は晴れるかもと期待する。

「…ごめん」

素直に謝罪した。
これは完全に僕が悪い。陸には非がない。
自分たちの倦怠期を憂い陸に嫉妬した。
自分もそうなりたいと。浅ましく女々しい感情にほとほと嫌気がさす。けれどもそれは拒否してもいなくなってくれない。

「…何かあったんだろ、大和と」

「何もないよ」

「嘘つけ。顔に書いてんぞ」

「本当になにもないんだ…」

先程までの勢いはなく、語調が弱々しくなる。
陸は浅く溜息を吐き、グラスの酒を飲み干しておかわりを要求する。

「今更俺に隠す必要はないだろ」

何か問題があれば大和は陸に相談する。だから、僕たちの喧嘩の内容もすべて陸は知っている。
自分はあまり恋愛の相談を誰かに持ちかけたりしない。
この関係を友人で知っているのは陸だけだし、けれども陸に弱みを見せるのは今更気恥ずかしい。常々、しっかりしろと小言を言っているのに、すぐにぶれるのは自分の方なのだ。

「…だから、なにもないんだよ。なにもなさすぎるんだ…」

だいぶ酔っているのだろうか。それともこの思いを吐き出したかったのか。
折角幸せな陸の前で暗い話しはしたくない。なのに止められない。

「それって倦怠期ってやつか?」

「かもね」

「今更?」

「前から徐々にそうなってたよ。最近ひどいなって感じるだけで」

「ふーん。最後に寝たのいつだ」

「は?」

この質問にはあんぐりと口を開いた。だいぶ間抜けな表情だろうが陸のデリカシーのなさに呆れる。

「だから、最後にやったのいつだって聞いてんの」

「なんでそんなこと陸に話さなきゃなんないんだよ」

友人二人の性事情など陸も聞きたくないだろう。こちらだって話したくない。

「三ヶ月くらいか?」

ぎくりと肩を揺らしてしまった。だいたいそれくらいだったような気がする。

「図星ですか…」

「うるさいな。いいじゃん別に。お互いいい歳だし、付き合いも長いし、仕事だって忙しいし…。回数が減るのは自然なことだ」

「まあな。俺は別にいいと思うよ。そりゃ十年も付き合ってんのに未だに週一ですとか言われたらびっくりだわ。けどお前は不満があるんだろ」

「…不満っていうか…」

大和に不満なんてない。優しく、大らかで、多少だらしのないところはあるけどそれなりに大事にされていると思う。
いつだって多忙で、お互いゆっくりできる時間をとるのは大変だけど、それに対して責めたりしない。
社会人として仕事を大切にするのは当然だと思うからだ。
自分も同じ男で責任を持って働いている。大和の気持ちはわかっているつもりだ。
なのにいつも何かが燻っている。不完全燃焼して中途半端なそれがずっと置いてけぼりにされている。

「大和はいい恋人だと思う。これ以上注文をつけるのは欲張りだと思う。お互い男で、それでもこうして一緒にいてくれるだけで幸せと思わなきゃいけない…」

「そう言い聞かせてんのか?」

「言い聞かせてるわけじゃ…」

ないとは言い切れない。確かな本音だがそれ以上を望んでしまう僕は罪深いと思う。
ある程度の覚悟を持って同棲してくれている。
先のことはわからないが、僕を簡単に捨てることもないだろう。
例え別れるとしても最後まで大和は優しく、綺麗に別れてくれると思う。

「俺はお前らの関係いいと思うけどね。お互いが傍にいることがお前らの日常なんだろ。傍からみればその方が羨ましいわ。男同士なら尚更な」

陸は責めているわけではない。しかし自分の狭量さを見せつけられている気がする。
何故僕は陸のように考えられないのだろう。
不満を訴えるのは間違ってる。一生満足などしないなら、完璧ではなくとも今の状態で良しとしなければならない。

「そうだよね…。なんでこんな我儘になるんだろ。嫌な人間だよ」

「我儘になるってことは大和に期待してんだろ。こんなに一緒にいて、期待できるくらい相手が好きなんだからそれはそれでいいんじゃねえの」

「そうなのかな。なんだかなー…」

あーあ、と呟いて椅子に深く体重を預ける。天井を呆然と見上げた。
自分がこんなに不器用で面倒な人間だったとは、驚愕の事実だ。この歳で色々とこじらせ始めたとしたらとても厄介だ。

「面倒に考えんなよ。大和もお前もお互い好き合ってるし、大事にしてる。刺激が欲しいなら他の人間と付き合え」

「それはやだ」

「だろ?長く一緒にいれば非日常が日常に変わるのは当たり前だ。色々あってやっとここまで辿り着いたんだからさ、喜ばしいことじゃん。あとは定期的にやれ。長ったらしく会話するより男はこれが一番だ」

「やれって言われてもなー…」

大和が僕の身体に飽きているのだからこればかりはどうしようもない。
僕が努力したところで変えられない。
日によってスイッチ一つで女性の身体になれるような機械があればいいのに。

「お前も男なんだからさ、無理矢理誘えばいいじゃん」

「やだよ。そんな子供みたいなこと…」

「そうやって頭でっかちに考えてばっかりいるからダメなの、お前は。たまには馬鹿になればいいだろ。どうせ大和しか見ねえんだからよ」

「一番大和に見せたくないだろ…」

「今まで散々馬鹿なとこも情けないとこも見せてきただろ。昔みたいな情熱が欲しいならさ、お互い東城の制服着てコスプレごっこすれば。まだ制服持ってるだろ」

「うわ、そういうの思いつくところが変態だわー。ないわー。引くわー」

「別に雪兎とやろうとか思ってないからね!」

「はいはい、今の感じだと思ってたんだね。ほんっと、雪兎君可哀想。今からでも遅くないから可愛い彼女作れって説得しようかな。こんな変態捨てろって」

「いいもんね。雪兎が彼女作ったら普通に大人として笑って別れるもんね」

「できないくせに、よく言うよ。泣きついてきても僕も大和も知らないから」

「光はいつからそんなに俺につらく当たるようになったんだろね!昔は可愛げあったのにね!」

「知らないよ。淫行教師め」

「否定できないからそういう責め方やめろ!」

声を出して笑った。
笑うたびにもやもやとした霧が少しだけ風に飛ばされていく。
なんの解決策も見つけられていないが、そもそも解決などしなくてもいいように思う。
これも長い時間を大和と過ごした大事な証だと思ったからだ。

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