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「ほら、仁って基本的に本能で生きてる男だし、性の不一致があったからってゆうき君を捨てないだろうけど、それならセックスは他で楽しめばいいだろ、とか言いそうだよね」
「か、神谷先輩なんてことを!めちゃくちゃ言いそうですけど!想像できましたけど!」
こいつらは俺の傷に塩を揉み込むのが趣味なのか。
「…やっぱり俺はだめな男なんだ…」
「あ、神谷先輩が虐めるからゆうきが…!」
「はは。虐めるなんて人聞き悪いなあ」
いいんだ。元々そういう方面は高校生とは思えないほど無知だし、才能もないし、幼稚だし、奥手だし、こんな自分では少しも楽しくないんだ。
わかっていたが、第三者から改めて言われると胸にぐさりときた。
「ゆうき君、後悔するくらいならやってあげたらいいじゃないか。脱マグロ」
「脱、マグロ…」
「そうそう。別れたわけじゃないんだから今からでも仁のために頑張れる機会はあるよ」
「でも俺は…」
「あれー?うじうじ悩んでる間に他のお姉さんに奪われちゃうかもよー?仁の悪い虫が疼いて浮気し放題になるかも」
「…それならそれで別に…」
最初から諦めていることだ。彼が男の自分と末永くお付き合いなどできるわけがない。
たまにはふくよかな胸が恋しくなるだろうし、女性なら面倒な準備もいらずに繋がれる。
男同士はとにかく不便だ。手間と時間がかかって、毎度毎度先輩も飽き飽きしているだろう。
「ああ、ゆうきが鬱ルートに…」
「たまには仁にもいい想いさせようと思って発破かけたんだけど、失敗?」
「失敗っすよ。ゆうきは鬱ルートに入ると迂回できないんですから。装備全投げしてボスに突っ込んで死ぬパターンですから」
「じゃあ景吾君迂回ルート入れて」
「えー、ダル――」
「よろしくー」
二人がなにか話している。でも耳に入ってこない。蹉跌を頭に詰め込まれたように思考が真っ暗になっていく。
「ゆうき、お前ならやればできるぞ!」
景吾は満面の笑みでサムアップしながら舌を出した。可愛くない。イラっとする。
「…やらねえよ」
「なんで?木内先輩はゆうきのこと好きだから色々やってくれるでしょ。ゆうきも好きならやってあげたいと思うでしょ?男だもん」
「それは俺が木内先輩を抱く側になれと?」
「やめろください」
「わあ、雑な敬語」
「気持ち悪い想像しそうだからマジで勘弁。そうじゃなくて、確かに不本意にも女性側をやってるだろうけど、だからってされるがままも悔しいでしょ。抱かせてるけど抱いてやるくらいの気迫があってもいいというか…」
「…意味わからん」
「女性側だからって攻められないことはないんだよ。主導権は握れるし、入れさせてってお願いさせるの結構楽しいよ」
「うわあ。秀吉が普段どんな扱いされてるのかわかりました」
「あ、景吾君その顔ひどい」
「ま、なんつーか、素直になれってことだよ!言葉とか、態度とか、最中だけでもさ。無理に色々やってあげようと思わなくても、それだけで木内先輩嬉しいと思うな!」
「…それが一番難しいだろ」
自分にとっては今から富士山登れと言われるくらいに難儀な問題だ。
皆は素直になれるのだろうか。どうしても第三者目線で自分を見てしまい、羞恥に負ける。
「考えたら負けだぞ。頭をバカにするくらいで丁度いいんだからさ」
「そう言われてもな…。それができたら悩まねえだろ」
「よしわかった!」
神谷先輩はぐっと握りこぶしを作って立ち上がった。
「ちょっとお風呂掃除してくる」
「え?」
この会話の流れから何故そうなる。
先輩はさっさと風呂へ行ってしまい、景吾と顔を見合わせた。
数分後、神谷先輩は長方形の箱と細長いグラスを持ってこちらへ戻ってきた。
「はい、一つ食べて」
差し出されたのは丸い形のチョコレートだ。
一つくらいならいいかと、渋々一つ口に入れた。
歯で噛むと、その瞬間じんわりと口内が熱くなり、鼻につんとする刺激に眉を寄せた。
「…これ」
「ウィスキーボンボン。美味しいでしょ?」
「すいません、俺これ苦手なんです。なんか味がばらばらで…」
「そうか。じゃあこれどうぞ。飲んで流しちゃって」
グラスを手渡される。小さな空気が液体の中で踊っており、コーラなのだとわかった。
炭酸も苦手だが、他にないから仕方がない。口の中の不快感を消し去るために、ぐっと一気に飲み込んだ。
「…なんかこれも変な味が…」
コーラだけの味ではない気がする。
「ウィスキーの味が残ってるだけじゃない?さて、ゆうき君お風呂入ろっか。お湯ためたから」
「は?」
「お風呂。着替えは僕の貸すから。遠慮せずどうぞどうぞ」
背中を押され、部屋にある風呂場へ進んだ。なにを言っているのか意味がわからない。
あの会話からどうして風呂に入る流れになる?なぜこのタイミングで?
口を開けてぽかんとしていると脱衣所に押し込められ、着替え置いておくからと言われた。
なんだってんだ。意味がわからなすぎて自失したが、神谷先輩が言うなら従うしかない。
首を捻りながら服を脱ぎ捨て、久しぶりの湯船に入った。
同室者は運動部に入っているので大浴場へ行ってゆっくりと身体を休めるが、自分は冬でもシャワーが多い。
洗うのが面倒だし汚れさえ落ちればそれでいいと思っている。
とはいえ、湯に浸かるとそれはそれで幸せだ。
神谷先輩の奇怪な行動もすっかり忘れ、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌で浸かった。
一瞬、頭がくらっとしたのでのぼせたのだと判断し、髪と身体を洗って風呂を出た。本当はもう少し浸かっていたかったけど。
用意されていた部屋着に着替えて二人のもとへ戻った。
「あはは、ほかほかしてる」
「そりゃ、風呂入ったからな」
「髪乾かしてあげる」
こいこい、と神谷先輩に手招きされ、大人しくそちらへ向かった。
久しぶりに湯船につかれたからか、とても気分がいい。先ほどまでの鬱々とした気持ちも霧散した。どうだっていいや、木内先輩のことなんて。不思議なほど強気に思える。
「よし、こんなもんかな」
さらりと真っ直ぐな髪を撫でられ、うっとりと瞳を閉じた。
遠い昔、母にこんな風に髪を乾かしてもらった。地獄のような毎日で、その時間だけはふわふわとした柔らかい膜の中にいるようだった。
今ではもう、母の顔もはっきりと思い出せないし、どんな会話をしたのかも朧だ。
ぼんやりとした視界の端で神谷先輩を捉え、微笑んだ。
「ありがとうございます」
「うん。いいんだよ。さて、じゃあ仁の部屋行こうか」
「なんで?」
「なんでも。ゆうき君、頑張るって僕と約束できるよね?」
「…がん、ばる…?」
「そうだよ。ゆうき君は仁のこと大好きだよね。本当は誰にもとられたくないし、独り占めしたいよね?」
そうなのだろうか。諦めたと思っていたけど、自分はそんな大層な欲を抱えていただろうか。
他人に透けて見えるなら木内先輩にも知られているかもしれない。浅ましく、分不相応な願いが。どうしよう。ずっしりと重く圧し掛かっては彼は支え切れずに自分を手放すと思っていた。だから寄り掛かりすぎず、適度な距離感とさっと流せるくらいの軽い空気が望ましいと言い聞かせてきた。
そうしなければ別れがきたとき辛すぎるではないか。
もう二度と、誰も、何もこの手に抱えたくないと思ってしまう。
どうしよう。こんな欲を抱えたままじゃ彼には会えない。
何を言ってしまうかわからないし、彼が思い描く真田ゆうきでいられない。
「行きません」
「どうして」
「…なんか、怖いから」
「怖い?怖いことなんてないよ。仁に言ってあげてよ。君の気持ちをその口で」
「でも…。そんなことしたら…」
「仁がもっと君を好きになるだけだよ」
ね?と微笑まれ、そんなはずないのに、ぼんやりとして、そうなんだ、じゃあそれもいいかもしれないと思う。
神谷先輩は優しく腕を引いて景吾に行って来ますと敬礼をした。よくわからないが自分もその真似をすると、景吾が目の端で大爆笑しながら酔っ払いと騒いでいる。失礼な奴だ。なにがおもしろいのだ。
「じーんー」
神谷先輩は、木内先輩の部屋の扉を乱暴に叩いた。
暫く待つと木内先輩が扉を開けた。
「部屋にいろって言うからいたけど、なんだよ」
「お届け物でーす」
「は?…ゆうきじゃん」
「そうだよ。君の愛しい愛しいゆうき君」
「翔の部屋で遊んでたのか?」
「景吾君と三人で」
「…なんか、様子が変だぞ?」
「まあまあ」
「…お前、ゆうきに変なことしてねえよな」
「まさか。有馬と一緒にしないでくれ。それじゃ、しかと届けましたので精々楽しんでよ」
ひらひらと手を振って神谷先輩が離れて行く。
なんだっけ。自分はなにをしているんだっけ。ああ、そうだ。木内先輩に会いに行こうと言われて、目の前には彼がいる。
なのに意味もなく涙がじんわりと滲んでよく見えない。
悲しいことはない。嬉しいこともない。だけど視界が曇る。熱が出たときのようだ。
「…とりあえず入れ」
腕を引かれて縺れそうになる足を引き摺った。
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