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決めたはずだったが、今何故か自分はホテルの一室のように完璧に整えられた小さな部屋のベッドの上に座っていた。
室内は白とグレーとダークブラウンで統一されていて、ニューヨークあたりにこんな部屋に住んでる人いそう。なんてぼんやり考えた。
「…綾、さん…?」
「なあに?」
「一体なにを?」
「なにって、お礼よお礼!」
綾さんに手を引かれるままに豪奢な建物に入ってあれよ、あれよという間に寝かせられた。
「お礼…?」
「そう。いつも楓君にはお世話になってるから。ね?」
綾さんはぽんと肩を叩き、怯えなくても大丈夫よと豪快に笑った。
「このバスローブに着替えておいてね。じゃ、着替え終わった頃戻るから」
「え、あの…」
ここは一体どこで、なにをされるのでしょうか。
待ってくれと手を伸ばしたが、ぱたんと扉が閉まってしまった。
その体勢のまま数秒固まっていたが、とりあえず着替えをした。なにをされるか知らないが、綾さんに言われれば反抗できないではないか。
綾さんを大事にしたい気持ちの他に、こちとら大事な息子に手を出している罪悪感もある。
ベッドの上でバスローブ。なんかいやらしい。自分ではいやらしさの前に七五三感が拭えないが。
「着替え終わった?」
「…はい。あの…」
「最近は男の子もお化粧したり、お肌に気を遣ったりするんですってね」
「へ?…ああ、そう、なんですか?」
「そうよ。だから、うちの会社も男性向けのお店出そうと思って」
「…はあ」
「今日は顔から身体まで全身綺麗にしてあげるからね。じゃ、よろしく!」
綾さんの傍に控えていた女性二人に軽く手を挙げ、仕事してくると言葉を残して再びログアウトした。
「よろしくお願い致します」
「え!?いや、こちらこそ…」
「では早速取り掛からせて頂きますね」
状況を未だに把握しきれぬまま、寝かせられ、じんわりと温かいホットタオルを顔にかぶせられてしまった。
なんだ。俺はどうなるんだ。明日死ぬのか。その前に女の人としてみたかった…。
現実逃避をしている間にあちらこちらに触れられ、気持ちいいやらくすぐったいやら。
昨日香坂としなくてよかった。キスマークなんてなくて本当によかった。
あったとしても大人の女性二人は若いのね。と微笑んでくれるだろうが。
どれくらいの時間が経過したかわからないが、終わったという言葉にぱちりと瞳をあけた。気持ち良くて眠るところだった。
目を擦ると、施術してくれた女性が笑った。
「お気に召して下さいました?」
「…気持ちよかったです」
「それはよかったです。お着替えはこちらにありますので」
後片付けをしながらにこやかな会話を交わし、ぺこりと一礼されて彼女たちは去った。
考えてみれば、かなり際どい部分まで綺麗な女性に触れられていたのにうとうとするなんて、なんと勿体無いことをしたことか。
こんな経験二度とないだろうに。ちっと舌打ちをした。
バスローブから見えている腕や脚は、綾さんが言ったように本当に綺麗になっていた。
「おー。ぴかぴか」
これがエステというものか。母が行きたいとせがんだ理由も頷ける。
フルコースおいくらするのか怖くて聞けないけど。
自分の服に着替え、ゆっくりと扉を開けると、綾さんが廊下でさきほどの女性と談笑していた。
「あら、つるつるぴかぴか。若いっていいなあ…」
満足気に頷かれ、はあ…と曖昧な返事をした。
綾さんはまじまじと俺の顔を見詰め、悪戯が思いついた子どものようににかっと笑った。
「いいこと思いついたー!」
勢いよくガッツポーズをれさ、今度はなにをされるのか戦々恐々とした。
「じゃ、次いってみよー」
また腕を引かれ、先ほどとは別の部屋へ通された。
今度は小さな部屋に大きな鏡と椅子が一脚。こじんまりとした美容室のようだ。
「ささ、座って。こんなに綺麗になったんだから、もっと綺麗になって涼をからかってやりましょ」
なにか、とんでもないことを言われた気がするが、綾さんはひどく楽しそうなので余計な言葉は言えなかった。
綾さんは我ながら天才だわ…とぶつぶつと呟きながら、どこからかメジャーを取り出して俺の身体の採寸を始めた。
「楓君、背は何センチ?」
「175ですけど…」
「おお。意外とあるわね」
意外と…。喜ぶべきか、悲しむべきか。
「一緒に涼にドッキリしかけて遊ぼうね。楓君」
「…へ、へい…」
「いいお返事だ!じゃ、私服買いに行ってくる。後の事は部下に任せるから何も心配しないで私の帰りを待っててね?」
遠い昔、子どもの頃母親に同じような言葉をかけられたことを思い出す。
「は、はい…」
「あー楽しみー」
綾さんは今日一番の笑顔を見せながらいなくなった。
なんなんだ。今度こそ俺は殺されるのか。ドッキリってなんだ。香坂に仕掛けるドッキリはとても楽しそうだ。普段の腹いせにがつんとできれば大層気持ちがすっきりするだろう。
どうせ仕掛けてもすぐにバレるので挑戦はしなかったが。
あのいつも余裕たっぷりで笑う顔が崩れるところを誰だって見たい。
不安とは別にじわじわと闘志のようなものが燃えた。
綾さんならば香坂より一枚上手なのでスマートに仕掛けられそうだ。
もしかしたら今日ぽかんとアホ面をする香坂が拝めるかもしれない。
だけど自分はなにをさせられるのだろう。どんな役なのだろう。
うーんと唸っていると、扉が開いた。
四段に分かれている箱を持ち、黒いTシャツに黒いスキニーパンツを履いた女性が懐っこい笑顔を見せた。
「よろしくお願いしまーす。いやー。こんな若い男の子に触れられるなんて、役得役得。綾さんの突拍子もない思い付きに今回だけは感謝だわ」
言いながら、首回りにタオルを巻かれる。
「お姫様にしてあげるね」
え。
どうせなら王子様にしてほしい。ちょっと待ってくれ。
口を開こうと思ったが、冷たい手が顔に触れ咄嗟にきゅっと口を噤んでしまった。
忙しなく動かれ、楽しい会話を交わし、顔をいじくりまわされ、ああ、そういえばこんなこと以前もあったなと思い出す。
文化祭のときもこんな感じだった。まさかあの窮屈をもう一度味わう羽目になるなんて。
ちらりと鏡の中の自分をみて顔が引きつった。
「いやー、若いと化粧乗りも最高だね。元々の造りがいいから私も気合入っちゃった」
ふう、とやりきった笑みを見せられ、今度はウィッグだ。
悪夢、再び。
今日殺されるのかと思ったが、精神的には十分殺された。五回くらい殺された。
そして戻ってきた綾さんが購入した服に着替えて終了だ。
「…これは、なんていう拷問ですか…」
帰りの車の中で綾さんに聞いた。
「やだなあ。涼を騙すドッキリよ。楓君ってことは言わないから。どんな反応するのか楽しみじゃない?」
「それバレたとき俺香坂に大笑いされますよね」
「バレないバレない。だって楓君すごく可愛いもん。制服着て街あるいたらばんばんナンパされるよ!」
「全然嬉しくないっす…。女の子をナンパしたいっす…」
「まあまあ。あ、でもさすがに声は男の子だから、声は出さないでね。私が上手く誤魔化すから」
「……綾さん輝いてますね」
「だって面白いじゃない!本当はお礼にエステだけにしようと思ったんだけどさ」
気が晴れるまで付き合おうと決めた。決めたけれど。
今更こんな出で立ちになってしまったら、あとはやるしかないのだけれど。
精神的にあと十回は殺される。自尊心が崩壊するのも時間の問題だ。
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