2


翌日、授業を終えてリュックに筆箱などを詰め込みながら時計を見た。
今から街へ行って、目的の物を探して帰ってきて、学食が閉まる時間に間に合うだろうか。
どうせならたまには外食もいいかもしれない。一人の夕飯は味気ないだろうが滅多にないことだ。

「真琴帰ろう」

蓮がこちらを振り返って言った。

「ごめん、僕参考書買いに行くんだ」

「そうなんだ。じゃあ遅くなるね」

「うーん。かもしれない」

「電車、気を付けてよ」

「あは。うんわかった」

適当に返事をした。
蓮には昨日の晩に高杉先輩の一件を話したのだが、既に彼は知っていた。
他にも被害者がいるらしく、結構噂になっているようだった。
何度も何度も念を押すと、蓮は呆れたように溜め息を吐き、こっちセリフだと言った。
僕は大丈夫、と言えば、彼も僕だって大丈夫だよと言い、そんなことはないのだとわからせるまで随分時間がかかった。
結局お互いに納得したふりをしつつ、心中では大袈裟だなとぼやいていただろう。

「じゃあ気を付けてね」

「うん。ばいばい」

どうせまたすぐ部屋で会うけれど、形式として手を振った。
今日は須藤先輩は迎えに来ず、蓮は一人で教室から出て行った。
自分も急いで残りの荷物を鞄に詰める。思い出して財布を取り出して中身を見た。お金もちゃんと入っている。
いくら出不精でもたまになら外出が楽しみだ。一人は寂しいが、自分の用事に誰かを突き合わせるわけにはいかないし、一人での行動は慣れたものだ。
逆に誰かと一緒だと気を遣うので、ぼっちがお似合いかもしれない。
重いリュックを背負って昇降口まで行くと、靴箱の前にいる三上を見つけた。
一瞬で嬉しくなって、笑いながら背中にしがみ付いた。

「三上!」

「なんだよ!急に抱きつくな!」

振り返った彼は相変わらず不機嫌だ。いつものことなので気にしない。
むしろご機嫌なところを見たことがない。

「一日の終わりに会えるなんてラッキーだなあ」

「俺はアンラッキーですけど」

ぶつぶつと文句を言われるのもいつもと同じ。一々真に受けてへこんでいたらきりがない。最初は打ちのめされたが、そんな柔らかい精神では彼の恋人ではいられないのだ。
三上は僕を振り払うと靴を履き替えだしたので、自分も慌てて履き替えて後を追う。

「今日は帰ってなにするの?」

「別に。なにもしない」

「そっか。僕はね、参考書買いに行くんだ」

言うと、三上はちらっと横目でこちらを見た。

「…あ、っそ」

「一緒に行く?デートする?」

「するかバーカ」

「ですよねえ…」

予想通りの答えで、聞く前からわかっているが聞いてしまう。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。百回聞けばもしかしたら一回くらいは望みが叶うかもしれない。
実際自分はそうやって三上にアタックし続け、なんの奇跡か恋人になれたのだから。
校門を出て、寮へ向かう三上のブレザーをぎゅっと握った。

「また明日ね」

「…ああ」

振り払うように踵を返した彼に寂しさを覚えつつ、自分は逆方向へ歩いて行く。
もう少し名残惜しいとか、寂しいとか、お前を離したくないとか、そういう感情はないのだろうか。逆にあったら怖いとすら思うけど。頭打った?なにかショックなことでもあった?と心配になる。
素っ気ないくらいで僕には丁度いいのだと言い聞かせる。たまには甘い言葉もほしいけど、それは欲張りだとわかっている。欲しい欲しい、足りない足りない、と騒いでいるうちはどんなに与えられても満足しない。今を幸福と思わなければ罰が下る。
券売機で切符を買い、電車に乗り込んだ。夕方この時間帯は空いていて、乗っているのは東城の生徒がほとんどだ。
端っこの椅子に座って、辺りをぐるりと見回したが不審者らしき人はいない。
いたとしても僕にはこないだろうが、もし誰かが困っていたら勇気を出して助けようと思った。
けれど僕たちは男だし、いくら成長過程といえども対処できるだけの力がある。
本当に大変なのは女の子だ。滅多に電車に乗らないので、痴漢なんて関係ないと思っていたが、今度からは周りに気を付けてあげよう。もしかしたら自分が気付かなかっただけで、苦しんでいた女の子が同じ車両にいたかもしれない。
女性は苦手だが、男にいい様に扱われる苦しさは自分も知った。
あれはとても恐ろしいものだ。男の自分ですら声が出なかったのだから、女の子なら余計怖いだろう。
世の中の変態が改心してくれれば、女の子も心配せずに電車に乗れるのに。
ぼんやりと考えていると、目的地がアナウンスされ、慌てて電車を降りた。

目的の大型書店に入り、参考書コーナーでうろうろと色んな物を見て歩いた。
ぺらぺらとページを捲って、こっちにしようか、あっちにしようか暫く悩んだ。
あまりお金は遣えないのでどうせなら良い物が欲しい。
吟味して片方に決め、今度はファッション雑誌のコーナーへ行く。
自分は洋服を気にするタイプではなく、そんな余裕もないが、三上の隣を歩いて彼に恥じをかかせないように、最低限のポイントは掴んでおこうと思うのだ。
どのページを捲ってもいまいちぴんとこないが、雑誌に載っているということはこういうのが流行なのだろう。
言われてみれば皇矢や三上、学や秀吉は雑誌に載ってもおかしくない格好をしている。ような気がする。あまり気にしてみていなかったが、自分はおしゃれの感覚から随分離れたところにいたようだ。
今度潤に雑誌を借りて勉強してみよう。急には無理だが、せめて無難な格好をしなければ。
溜め息を吐きながら雑誌を閉じて、元の場所に戻した。
人と付き合うと気にする部分が多すぎて疲れる。女の子はもっと努力をしているらしいので、とてもすごいと思う。
なら僕は人の何百倍も努力しなければ、三上はあっさり離れてしまう。
そんなに心配しなくとも三上はモテるタイプではないと言われるが、彼が目移りすることを危惧しているわけではない。
それは仕方がないと半ば諦めている。いつまでも一緒にいられるなど、都合の良い夢はみていない。
けれど、一秒でも長く一緒にいてほしい。飽きたと言われる時間を少しでも伸ばしたい。だから努力をしなければ、僕のように見た目も中身も平凡な男はすぐに捨てられる。
かといって、見た目は劇的に変えられないし、中身も性格なのですぐには直せない。
今のままでも見栄えをするよう気を遣ったり、彼を怒らせないよう慎重に行動するのが精一杯だ。
上手くいかなくて空回りしてばかりだけど。
もう一度溜め息を吐きながら参考書を購入した。
外に出るとどっぷりと暗くなっており、時計を見れば七時をすぎたところだった。
参考書選びに思ったより時間がかかってしまった。
これは学食は無理と判断し、近くのファストフード店に入った。
トレイを持って隅っこの席に座る。
店内には高校生も大勢いて、女子高生というものが珍しくてつい、じっと見てしまった。
自分とは違う、華奢な身体に小さい背。頭から爪の先まで手入れが行き届いていて、とても可愛らしいと思った。
潤や真田君なら勝負になっても、僕のような男では女の子とは張り合えない。
改めて実感し、三上が僕を選んでくれたのは奇跡以上のなにかが働いたのだと思った。
男ばかりの環境だから魔が差したのだろう。だとしても幸福には変わりないが。
僕も女の子に生まれたかった。
男しか好きになれないならば、女の子ならなんの不自由もなく、当然のこととして胸を張って恋愛ができたのに。
髪も綺麗にして、できる範囲でおしゃれを楽しんで、恋人に甘える。
そんな普通がほしかった。
考えると苦しくなり、ひどく落ち込んでしまうので、やんわりと首を左右に振った。
男でもできることはあるはずだ。負の感情を追い払って、バーガーをすべて平らげた。

寮に帰るために再び切符を購入してホームに立つ。
時間は丁度帰宅ラッシュで、ホームには大勢の人が列を作って並んでいた。
やってきた電車の中もすし詰め状態で怯んでしまう。
快速に乗るのはやめて、各駅にしよう。どうせ数駅だけなのだから。
電車を見送り、次に来た各駅に乗った。さきほどよりは人と人の間に余裕があって、これなら大丈夫だろうと思った。
扉と並行になるように立ち、他の乗客の邪魔になるだろうからリュックを前に背負う。
鬱々とした気持ちを抱えてしまい、いや、自分は幸せなのだと何度も言い聞かせる。
うんうん、と確認するように頷いた。
三上がいてくれる。素っ気ない態度と言葉ばかりだが、恋人という位置に自分を置いてくれる。
たまーに、優しさも与えてくれるし、ひどい言葉ばかりでもそれでも好きだし構わない。
本当はキスをしたいし触れ合いたい。とても恥ずかしいが、男なので次の段階へ進みたいと思うのは当然で。けれど彼から触れない限りは我慢しようと決めている。
無理矢理押し倒したい衝動を抑えるのに必死だ。自分は三上が相手ならどちらのポジションでも構わないが、三上はゲイではないので受け身は無理だろう。
自分もよくわかっていないが、どれくらい痛くても我慢できるし、三上なら二十四時間、いつ押し倒してくれてもオッケーなのに。
つねに臨戦態勢と言っても過言ではないが、そんな日は永遠に来ない気もする。
寂しいなあ。ぺろっとお尻を触るくらいしてくれてもいいのになあ。
そうそう、そんな感じで。そんな感じ――。
背後に感じた違和感に心臓がぎくりとする。今は電車の中だし、三上はいない。なのにお尻に人の手の感触がある。
まさかと思い、すぐに偶然当たってしまっているだけだと思い直す。
痴漢だなんてそんな滅多に出没するわけでもあるまいし、いたとしても自分はない。
思うが、手はどんどん動きが大胆になっていき、これはたまたまというには不自然だと思った。
けれども怖ろしくて後ろを振り返れない。
つま先をじっと見つめ、意識を集中させていると、耳の辺りに生暖かい息が吹きかかった気がして悪寒が走った。
やばい。これはやばい。気持ち悪い。
とっ捕まえなければ。駅員に引き渡して、その後は警察だろうか。
でも、男の自分が駅員に言ったところで信じてもらえるだろうか。あなたの勘違いでは?と言われる気もする。
けれど、このままではいけない。そうだ、高杉先輩のように腕を掴んでやろう。
前に抱えていたリュックを片手で握りしめ、よし、いくぞと自分を鼓舞した。
手を伸ばそうとした瞬間、どん、と身体を押された感覚と同時に、お尻から手が離れた。
驚いて見上げると、眉間に皺を寄せている三上がいた。

「…三上?」

そんなはずはないと思う。彼は寮に帰ったし、彼がその後出掛けたとしても同じ車両にいる確率は果てしなく低い。
けれども確かに三上の気がする。恋しすぎて幻を見たか。
三上とおぼしき人は、僕を扉にぎゅうぎゅうに押して人の間に身体を捻じ込んだ。
後ろの方で痛い痛い、という小さな声が聞こえ、一生懸命首を捻ると三上らしき人は誰かの腕を捻じっていた。

「三上…」

「黙ってろ」

返事があったのでやはり三上だ。この香水の匂いも彼のものだ。
扉と三上の身体に挟まれ、とても苦しいし、電車が揺れる度にぐえ、という声が漏れそうになるが、彼の身体がこんなに密着することはないので幸せを感じた。
さっきまで痴漢にあっていたのに幸せというなんて馬鹿なはなしだけど。
背後から聞こえる呻き声はなかなか止まらず、さすがに可哀想になってきた。

「三上、放してあげたら…」

小声で言うと、捻じるのはやめてあげたようだ。

「この人痴漢です」

三上が車両中に聞こえるように言いながら、痴漢の腕を高く上げている。
周りはざわつき、あちらこちらから、「痴漢?」「痴漢だってよ」という声が聞こえる。
本人は慌てたように、違う、違うと言っているが、軽蔑の眼差しを向けられている。
ひそひそと言う声は大きくなり、「気持ち悪い」「いい歳したおっさんが…」と、内容は具体的な悪口に変わった。
駅に着き電車の扉が開くと、彼は逃げるようにホームへ去った。

「…逃げちゃったね」

「別にいいだろ。これだけ恥ずかしい思いすればしばらくは大人しくするんじゃねえの」

「…そっか」

自分たちも電車を降り、改札を抜ける。一歩前を歩く彼の背中からは相変わらず不機嫌オーラが漂っている。


[ 18/55 ]

[*prev] [next#]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -