スーパーノヴァ

放課後潤の部屋で談笑していると、扉がばーんと開いた。
派手な音に驚いてリビングから二人揃って振り返った。

「…皇矢かよ。静かに入って来いよな」

呆れた口調で潤が言い、皇矢は不機嫌な様子で僕の隣に座った。

「どうかしたの?」

恐る恐る問う。別に取って食われたりしないとわかっているが、不機嫌な人がいると自然と身体が強張ってしまう。
自分が原因でなくとも対処しなければいけないと焦るのだ。

「どうもこうも…。あー!」

彼は急に叫び、潤がうるせえ!と応酬する。

「潤、飲み物頂戴」

「勝手にとれ」

こちらは招いていないのだからとつんと顔を背ける。
潤の態度は誰が相手でもヒエラルキーのトップとして揺らがない。唯一有馬先輩は違うようだけど。
皇矢はぶつぶつと文句を言いながら冷蔵庫から水を取り出し、半分くらいを一気に飲んだ。

「何しに来たの?面倒なはなしなら聞かないから帰れよ」

潤はしっしと手を振るが皇矢はそんな態度は慣れっこなので動じない。

「茜がさ…」

ぽそりと話し出したので聞き耳を立てたが、高杉先輩の名前が出た途端、潤は思い切り顔を顰めた。面倒くせえ。顔にそう書いてある。

「電車で痴漢にあった」

「はあ?」

二人同時に驚いて皇矢を凝視した。
そんな、まさか、馬鹿な。驚いて無言になり、皇矢は苛々と乱暴に頭を掻いた。

「マジで?なにかの間違いじゃないの」

「間違いで尻鷲掴みにするか!?」

「…女の子と間違った?」

「なわけねえだろ!どっからどう見ても男だ。まだお前なら間違えたって言われても…。いや、お前もどっからどう見ても男だけど、でも茜はないだろ」

「…ないな」

皇矢は深々と溜め息を吐き、潤はその様子を面白そうにニヤニヤと眺めている。
これは大変だと一人狼狽したが、自分が焦っても仕方がない。

「高杉先輩大丈夫?ショック受けてる?」

「そんな玉だと思うか?痴漢野郎の手をとって女と間違ってるぞとご丁寧に教えたらしい」

潤は腹を抱えて笑いだし、自分はどうしていいのかわからずに皇矢の頭をぽんぽんと撫でた。
なんだか可哀想だ。高杉先輩は然程気にしていないだろうが皇矢はとても傷ついている。
僕だって三上が痴漢にあったら嫌だ。絶対にないと思うが。

「真琴ー」

ぎゅっと皇矢に抱き締められ、肋骨が折れるかと思った。
身を捩りながらも同情して好きにさせた。よしよし、と背中を擦ると僕の胸に顔を押し付けながら、「真琴だけだ」とくぐもった声で言った。

「てかさ、なんで高杉先輩なんだろね。痴漢するにしても相手選べよ」

潤はまだ笑い転げている。

「いや、でも高杉先輩ってあの顔がタイプの人にはすごく好かれそう。真面目な雰囲気もあるけど、ちょっと色気もあるし…」

「真琴はよくわかってるな」

今度は僕がよしよしと皇矢に撫でられた。

「そうかあ?色気なんて全然感じないけど。大人しく言いなりになりそうだから痴漢にあったんじゃないの?相手もまさか間違ってますよ、とか冷静に言われるなんて思わなかっただろうね。あー、おかしい」

「なんだよお前。変態が出没してるから電車乗るときは気をつけろよって優しい忠告をしにきたのに」

「潤は特に目つけられそうだしね」

「大丈夫でしょ。高杉先輩が好みなら僕じゃなくて真田の方が危ないんじゃね?」

「あー…。真田は危ないな」

確かに。と三人でうんうん、と頷き合った。
けれども潤も他人事ではないと思うのだ。紛うことなき美少年というやつだ。
異性愛者であっても潤が相手ではクラっとくる。美しい男は美女よりも人を狂わせる。

「変態がいなくなるまで電車乗るときはできるだけ誰かと一緒の方がいいよ」

「そうしろ。お前じゃなくてお前に手出した相手が可哀想だからな。有馬先輩にぶっ殺されんぞ」

「なわけないだろ。まあ、もし痴漢にあったら相手捕まえるよ。高杉先輩みたいにボケかまさずに」

言うと、再び潤は笑い出した。
本当にわかっているのだろうか。自分の容姿は理解しているし、それを逆手にとってやりたい放題だが、男同士でも僕たちはまだ高校生で大人にかかれば簡単に押さえつけられる。皇矢や三上、有馬先輩がいつも一緒とは限らないのだ。
潤はわかっているようでわかっていない。自分が思っている以上に人の目に彼の容姿は毒なのだ。少年好きの変態相手なら尚更。

「心配だなあ…」

ぼそりと呟いた。自分では潤と行動してもたいして守れないだろうから、できれば有馬先輩につきっきりでいてほしい。
そんな甘い人ではないので無理だろうが。

「あんまり外出歩かない方がいいよ?」

「だーいじょうぶだって」

「他にも尻触られた奴いるみてえだぞ。そのうち学校から注意があるかもな」

「痴漢被害は女の子だけじゃないんだね」

「俺を触ってくれれば捕まえられんだけどな」

「皇矢に痴漢とかどんな物好きだよ!想像しちゃうからやめろよ。これ以上笑わせんな」

なにがツボに入ったのか、潤はひーひー言いながら笑っている。
能天気で楽天的なのは良いことだが、危機感というものも少しは持ってほしい。
友人として忠告しても彼には届かないだろうが。

「蓮にも教えてあげなきゃ。ぽやんとしてるし」

「そうだなあ。一応皆に言っといた方がいいかもな。真田とかは対処できるだろうけど夏目は半泣きになって耐えそうだしな」

「そうなんだよ。狙いやすいというか…。気が強いところもあるけど、男は痴漢にあうなんて予想もしないから不意打ちな分余計にショックだしね」

「秀吉なんて一人で大騒ぎしてたぞ」

その言葉で容易く想像できて笑った。神谷先輩は心配しすぎだとか、過保護だとか言って無碍にするだろうが、きっと甲斐田君は二十四時間つきっきりで護衛するのだ。

「その場に三上もいたけど、たぶんあいつ聞いてないと思う」

「三上は大丈夫でしょ。背も高いし、そんなことしたらぶん殴られるってわかるよ」

「三上じゃなくてお前だよ」

「僕?」

きょとんと眼を丸くして皇矢を見た。
なにを言っているのだ。馬鹿馬鹿しい。そう思ってふっと笑った。

「僕こそ大丈夫だって」

潤や真田君は自意識過剰なくらいがちょうどいい。
でも僕やその他は間違いがない限り大丈夫だ。後姿では顔はわからないので、万が一があるかもしれないが、振り返れば痴漢もがっかりして去っていくだろう。
逆に僕なんかで申し訳ない気持ちになるかもしれない。

「出掛ける予定はないのか?」

「んー、明日参考書買いに行こうかと思ってたけど」

「しばらくやめとけば?それか、俺が付き添うか?」

「なに言ってんの。大丈夫だって。他の生徒も電車に乗るし僕より見目麗しい子にいきますよ」

ないない、と笑った。皇矢も大概過保護だ。村上の一件があるからこそだろうけど。
友人の優しさはありがたいが、それは取り越し苦労というものだ。

「まあ、なんかあったら言えよ」

「うん。ありがとう。それより、そろそろ潤どうにかした方がいいかも」

ソファに蹲って過呼吸気味に笑い続けている。昔そんなおもちゃがあったなあとぼんやりと眺めた。

「ほっとけ。笑いすぎて死んだ奴はいない」

「そう?なんか形相がすごいことになってるけど。こんな顔みんなに見せられないなあ」

「本当の潤を見れば百年の恋も覚めるよな。なにがいいんだか」

「そりゃやっぱ顔でしょ。交換できるなら交換してみたいよ」

「真琴は今のままで十分可愛いでちゅよー」

揶揄するように皇矢がくしゃくしゃと乱暴に髪を撫でた。
鳥の巣みたいになった頭を直しながら笑う。皇矢はこんな強面でも優しい。三上よりもずっと。

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