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物理的にも精神的にも離れていると引き寄せたくなる。
椅子に座りながら携帯に視線を落とす。
今週末会いに行っていいかという文章を送れないまま下書きに入れて早数日。
だめとは言わないだろう。彼も口には出さずとも会いたいと思っている…はず。
以前の工藤は好きだ、好きだと息を吸うように口にしたが、今はそんな簡単な一言も決して口にしない。
多分、恐らく想い合っているらしいが、それがどの程度のもので、以前からどれくらい気持ちが目減りしたのかもわからない。
形だけのオトモダチの関係は探るような言葉を交わすこともよしとしない。面倒くさ、と投げ出したくなる。
こんな形式上の友人関係なんて意味があるのだろうか。
表面だけを綺麗に整え、裏で堪えて、お互いの気持ちはわかっているのに。
互いの気持ち以外にも大事なものがあるとわかっている。
社会的立場や、世間様の目。
知ったこっちゃないと唾を吐きたいが、工藤を思うとそれもできない。
彼は大人で、大事な仕事があり、こんなことで躓くわけにはいかない。
お荷物にはなりたくないし、対等でいたい。
堪え性のない子供だと呆れられたくないし、背伸びをしたくなる。
だけど触れられる距離にいるとだめだ。
沢山の柵なんてどうでもいいと思ってしまう。
熱に浮かされ工藤を困らせる。
彼にわかってくれと言われる度、何もわからない子供と言われている気がして情けなくて落ち込む。
だから卒業するまであまり会わない方がいいのだろうと思う。
でもそうすると心の距離まで離れていきそうで怖い。
一人を想うと周りが見えなくなる自分と違い、彼は恋愛に傾きすぎることなく、すべてを均等に分け上手に処理しているのだから、今まで自分が占めていた割合が他のものに圧迫され、終いには別の誰かがそこに収まるかもしれない。
それは困るなと腕を組んで悩んでいると、手中の携帯が震えた。
工藤だろうかと開いてみると母親からで、時間があるとき一度家に来てほしいという内容だった。
何の用と聞かずともわかる。進路の話しだろう。
担任は生徒の親と密に連絡をとりあっているし、自分が今どういう状況か両親も理解しているはずだ。
面倒は一つだけじゃない。まだまだそこらじゅうに転がっている。
机に突っ伏し、了解、と短く返信した。


週末、電車を乗り継ぎ数ヶ月ぶりに実家の玄関を開けた。

「ただいまー」

「おかえりー」

台所の方から間延びした母の声が響き、扉を開けると兄がソファに踏ん反り返っていた。

「なんでいんだよ」

「いちゃ悪いかよ」

「俺の気分が悪くなる」

「喧嘩はやめなさいよ!」

母に一喝され、お互いそれ以上の言葉は呑み込んだ。
兄は大学生で、弟は中学生。どちらも実家から通い、自分だけが家を離れている。
母は冷たい麦茶をテーブルに置き、今日泊まるでしょと笑った。

「そのつもり」

「じゃあ久しぶりにみんなでお寿司でも食べに行っちゃう?」

「回る寿司だろ」

「回転寿司も美味しいじゃない」

「美味しいけど…」

私立の大学、私立の高校、食べ盛りの末っ子、そんな男三人を抱える我が家の家計は大変厳しいものだろう。
実家は祖父の代から続く地域密着型の車の修理工場で、家の隣にトタン屋根の工場が併設されている。
父の他に数十年のベテラン従業員が一人。
たった二人で経営から営業、修理まで熟すためいつでも多忙だ。
それでも年々客をディーラーに奪われ、細々と続く工場の設備投資に金を回すこともできていない。
父の代で終わらせるのか、兄が継ぐのかわからないが、次男坊の自分にはあまり関係のない話しだと思っている。
家のことにはノータッチ。どうぞお好きにといえば冷たく感じるが、両親や兄も頭の悪い自分に助けを求めるなら猫に縋った方がましと言うくらいだ。

「…春希は?」

きょろきょろ見渡しながら聞くと、彼女とデート、と母が嬉しそうに笑った。

「はー?中学生のくせにデートォ?生意気だなあいつ!」

「悔しがってないであんたも彼女の一人くらい連れて来なさいよ。あんたら二人本当にモテないのね」

冷ややかな視線に兄と二人身体を小さくした。
モテないけど。たまに、本当にまれに告白されることもあったり、なかったりするわけで。
付き合ってもあまり長くは続かないし、今は三十過ぎたおっさんに熱を上げているので何も言い返せない。
夕方になると弟が帰宅し、後は父を待つのみだが十九時を過ぎても仕事は終わらず、寿司は諦め、母が夕飯の支度にとりかかった。
二十時を回り父を待つのも限界で、四人で夕食をとり、風呂に入りテレビをぼんやりながめていると、二十二時になるかというところで漸く父がリビングに顔を出した。

「おかえり」

「おー、和希久しぶり」

汚れた作業着と油の臭いを嗅ぐとああ、父親だなと思う。
昔から父といえばこの姿だ。
洗ってもとれない指先の油の汚れと、くたびれたつなぎ。
幼い頃は、そんな父を恥ずかしいと思ったこともあった。友達のお父さんはぴしっとスーツを着ているのに、なんでお父さんはいつも汚い格好なの?と無邪気に傷つけた記憶もある。
でも今は仕事に手を抜かない姿は同じ男として尊敬できると思うし、こんな遅くまで汗水垂らして働きながら家族を養い文句一つ言わない様に感謝もしている。
父は先に風呂を済ませ、ダイニングで缶ビールを開けつまみを頬張りながらこちらに来いと手招きした。

「元気にしてたか」

「まあ、普通に」

「最近は学校からお叱りの電話がかかってこないって母さんが言ってたぞ」

「げ、前はきてたの?」

「来てたわよ!和希君のことなのですがー…って電話が来るたび平身低頭、何度謝ったかわからないわ」

キッチンから母の怒鳴り声が響き身を竦めた。
うちは基本的にあれやこれやと世話を焼くというより、自由にしなさいと放任する子育て方針だ。
兄が生まれたばかりの頃は蝶よ花よと過保護に育てたらしいが、男三人もいると毎日動物か怪獣のように暴れ回るものだから手のつけようがなく、もう好きにしてと諦める方向に変更したらしい。
それでも陰湿ないじめは絶対にしないようにとそれだけは口煩く言われて育った。
やるなら真っ向勝負、男らしく一対一だと父に何度も確認された。

「明日には帰るんだろ?」

「その予定」

たらふく食べたはずが、目の前に食べ物があるとついつまんでしまい、父のつまみを横取りしながら話す。
その内母も父の隣に座り、畏まった雰囲気に嫌気がさす。
逃げるのも限界なのだ。きちんと話し合わなければ。だけど自分の気持ちを上手に言葉にできる気がしない。

「和希、進路はまだ決めてないの?」

切り出した母にうん、と小さく頷いた。

「なりたいものないし、無駄に学校行くより働こうと思ってる」

「そう」

缶ビールをこん、とテーブルに置いた父は気恥ずかしそうに首の裏を掻いた。

「特になりたいものがないならうちの仕事はどうだ」

「…だって兄貴がやるんじゃ…」

「あいつは他にやりたいことが見付かったらしい。まあ、だからってわけじゃないし、お前らが興味ないなら畳もうと思ってた。楽じゃないし、苦労もかけたくない。だけどもし少しでも興味あるならと思ったんだ」

「お父さんはやめておけって言ったけど、私はできれば誰かに継いでほしいと思うの」

「……まあ、春希はまだ中学生だしな。そうなると俺しか残ってねえか」

「別に消去法で和希に言ってるわけじゃないわよ」

片膝を立てながら丸いチーズを口に放り込む。
進路をせっつかれるんだろうと予想はしていたが、この展開は考えたこともなかった。
次男坊には関係なしと今まで見向きもしなかったし、特別車が好きでしょうがないというわけでもない。
どうしたものかと頭が痛くなる。

「まあ、考えてみてくれ。無理にやらなくてもいいから」

「…うん。じゃあ俺寝るわ」

両親の顔も見ぬまま去り、ぼんやりしたまま歯を磨いて自室のベッドに大の字になる。
あー、そうきましたか、そうですか、なるほどねえ。
頭が混乱し、道筋立てて考えられない。
父の姿を見てきたのだ。人一倍苦労するだろうなとわかっている世界に飛び込む勇気はないし、だけどやらないと言ったらがっかりするんだろうなとか、一抜けした兄貴が憎いとか、何も知らない幼い弟が羨ましいとか、側面ばかりを撫でて考えている気になった。
ごろんごろんと寝返りを打ち、スマホをつけ、明日行っていい?と工藤にラインを送った。
夜中だし眠っているかと思ったが、すぐに了承する返事があった。
頭が悪い自分だけでは答えが出せない。工藤には悪いが少し相談に乗ってもらいたい。
こういう時に両親以外に頼れる大人がいるというのは強みだと思う。
スマホを握ったまま、重くなる瞼を落とした。


起きたときにはお昼を回りそうだった。
寝惚けて半分も開かない瞳のままリビングに顔を出す。
兄と弟の姿はなく、遊びに行ったらしいと知った。
母が作る昼飯を食べ、帰り支度をして駅まで父に送ってもらう。

「和希、本当に嫌なら断っていいんだからな。親のためなんて思わなくていい」

「わかってるよ。じゃあ」

助手席の扉を閉めながら、じゃああんなこと言わないでほしいとイラっとする。
家族は嫌いじゃなかった。なのに今は大きな錘を足に付けられた気がして些細な言葉や態度が癇に障る。
嫌だな。こういう自分は覚えがある。やさぐれて有馬と一悶着起こしたときもこんな感じだった。
感情のコントロールができず、他者に当たることで自分の中の鬱憤を晴らした気になる。こんなところがつくづく子供だなと思う。
でも今は工藤がいる。どうしようもなく嵐の中でもがく自分にこっちだよと手を差し伸べてくれる。だからきっと大丈夫。
考えると幾分気が楽になり、工藤の家にあがり麗子さんのもふもふを腕に抱くともっと気分が向上した。

「お茶頂戴」

ソファに踏ん反り返りながら言うと、工藤は言われるままペットボトルのお茶を差し出した。
隣に着きながらタブレットPCを膝に乗せたので、彼の顔を覗き込むようにした。

「俺が来てるのにパソコンと遊ぶのか?」

「…そういうつもりじゃないが…」

「じゃあ仕事は一旦やめ。休みの日はちゃんと休まないと早死にするぞ」

「もう遅い。酷使した身体は今更労わっても意味がない」

「あるよ。まだ三十代前半なんだから」

「なら先に和希の相談とやらを聞こうか」

工藤はタブレットをテーブルに置き、長い脚を組みながらソファの背凭れに頬杖をついた。
改まってさあどうぞと言われると何から話していいものか悩むが、しどろもどろになりながら昨日の出来事を話した。

「…それで?」

工藤に問われ首を傾ける。

「終わりだけど」

「私に何を言ってほしいんだ」

「な、何ってわけじゃないけど、進路の相談乗ってくれるって前言ってたから…」

口の中で言い訳をするようにごにょごにょと尻すぼみになりながら話す。
工藤は一瞬ふっと笑い、ぽんと後頭部を叩いた。

「私の知ってる和希は本当に嫌ならその場できっぱり断ると思うがな」

「…その言い方はずるくね?」

「まあ、悩む気持ちも理解できる。自営業というのは普通のサラリーマン以上の苦労もあるだろう。従業員の生活まで背負う重責はとんでもない。でもまあ、やってみようかなと前向きに思えるならやってみればいい。だめだったらその時考えればいい」

「適当だな」

「先のことはわからないからな。わかるのは今の和希の気持ちだけだ。それしか答えを出す方法はないだろう」

腕に抱いていた麗子さんの後頭部から背中を何度も繰り返し撫で、その気持ちがわからないから苦労してんだよと心の中で悪態をつく。

「私が手助けしてやれるのはここまでだ。後は自分としっかり向き合いなさい」

「それだけ?」

「決めるのは和希だからな」

急に手を離されたような感覚に心細くなる。
工藤は頭がいいから、工藤は大人だから、工藤に聞けばどうにかなるから。
そんな風に甘ったれていたんだと知る。
自分と彼は違う人間で、自分の人生の責任を彼は負えない。
保護者が決めてくれた今までとは違う。ここから先は誰を責めることもできぬよう、自分の決断に責任を持たなくてはならない。これが大人になるということなのだろうか。

「…子供でいたい」

眉間に皺を寄せながら吐き捨てると、工藤がくっと笑った。

「これから先、何百回とそう思う場面に出くわすぞ」

「うげ。嫌なこと言うなよ。前は早く大人になりたいと思ってたのに全然楽しそうじゃない」

「どうだろうな。楽しいこともあるし、辛いこともある。丁度半々になるようにできてるんじゃないか」

そういうものか。いまいちぴんとこない。
ソファに深く背中を預け、長い溜め息を吐く。

「あまり考えすぎるな。死なない限り軌道修正はいくらでもできる」

「…うん」

さらりと頭を撫でられ、工藤の肩にこてんと体重を預けた。


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