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外泊許可をとってから来なさい。工藤はそう言ったが、これが言う程簡単ではない。
行先の住所、連絡先等々記載しなければいけないし、まさか工藤の家の住所を書くわけにもいかないので、そうなると実家を書くしかないわけで。
一旦部屋戻り、申請書を持って香坂の部屋の扉をノックした。

「…片桐?珍しいな」

「あー、ちょっといいか」

「どうぞ」

中に入るとソファに後輩の背中を見つけた。彼はこちらを振り返り、ちっす、と元気よく右手を挙げた。

「おう」

香坂がよく連れている二年だが名前が思い出せない。ゲームに夢中なようで、すぐさま携帯に視線を落としたので香坂に向かい合い申請書をぴらりと差し出した。

「これなんだけどさ」

「…律儀に持ってきたのか?」

外出、外泊許可書は寮長から生徒会へ、そして学校へ提出される決まりだが、くそ真面目に提出している生徒は少ない。

「まあ、そうしなきゃいけない事情があるんだけど、お前で止めてくんね?」

「どういうことだ?」

「有馬に知られたくないといいますか…」

「ああ、お前有馬とやり合ったらしいな」

「あのクソ野郎またごちゃごちゃ言い出すだろ」

「ならわざわざ俺に出さなくてもいいだろ。こんなの持って来る奴の方が少ねえよ」

「そうなんだけど、これを出さないと外泊できないといいますか」

香坂で止めたら結局は無断外泊と変わらないが、工藤との関係を知られぬように苦心するならこれしか方法がない。
許可をとったと嘘をつけばいいだろうが心が痛むので寮長だけにはせめて知らせようと思った。これでも許可の内に入るだろう。

「…そんなうるせえこと言う女とつきあってんの?」

鼻で嗤われ咄嗟に胸倉を掴みそうになるのを耐えた。

「…つきあっては、ないけど…」

「ほーん、結構年上だろ」

「なに。お前怖いんだけど」

香坂はくっと笑い、わかったよと肩を叩いた。

「有馬には言わないでやるけど、面倒くせえ問題起こすなよ」

「ああ」

「本当にわかってる?学校一の問題児君」

「わかってるよ」

顰めっ面をすると香坂はますます楽しそうに笑った。
居心地が悪くなり、誤魔化すように立ち上がった。変なこと頼んで悪いなと言うと、香坂はひらりと手を挙げ気にすんなと言う。

「じゃあな後輩」

「ういっす!」

最後まで名前が思い出せない。二年なんて関わりがないし、柴田と三上くらいしか知らない。一年なんてもっとわからない。皆同じ顔に見える、なんておっさんっぽいが、実際同じに見えるのだ。
自室に戻り携帯を取り出した。工藤へ外泊許可はとったから明日は泊まるとメールをする。毎日押しかけたら迷惑だろうか。一瞬悩んでそんなの知らんと携帯を放り投げた。


たっぷりと昼くらいまで寝てから工藤のマンションに向かった。
今日は制服ではないし、許可もとったし、問答無用で追い出されることはないだろう。
オートロックを解除してもらい部屋の扉を開けると、慌てた様子の工藤が鍵を握ってこちらに近付いた。

「悪いが少し事務所に行ってくる。夕方には帰る」

「…あ、そう。別にいいけど」

麗子さんを腕に抱き、いってらっしゃいと背中に声を掛けたが返事もなく扉が閉まった。

「なんだよあいつ。なあ、麗子さん」

可愛らしい声が返事をしてくれたので少し気持ちを持ち直す。
勝手に冷蔵庫を開けると、自分の好きなジュースやカフェラテが並んでいた。
なんだかんだと言ってもこうして迎える用意をしてくれているのだと思うと気持ち悪い笑みが浮かぶ。
炭酸飲料を取り出し、ラグに腰を下ろして麗子さんの好きな玩具を放り投げ、咥えて持って来たものをまた放り投げを繰り返す。散歩に連れていってあげたいが鍵がないのでそれもできない。
麗子さんは飽きたのか、水を勢いよく飲んだ後専用のベッドに丸まったので、自分もソファに横になった。
漫画でも読んで時間を潰そう。ここで勉強という選択肢がない時点で終わっているが今更だ。自分に遊んでいる暇はないとわかっているけど、馬鹿なので遠い未来より楽を優先させてしまう。
暫くそうやって過ごした後、鍵が開く音がし、リビングの扉が開いた。

「おかえりー」

身体を起こさず適当に言うと、細く高い声でただいまと返事があった。
慌てて上半身を起こすと工藤の元奥さんがにっこり微笑みながら鞄をチェストの上に置いていた。

「いらっしゃい。また会ったわね」

「あ、はい。お邪魔、してます…?」

「私の家じゃないから畏まらなくてもいいのよ」

真っ白なワンピースに華奢なゴールドのアクセサリー、緩く巻いた髪は今日も先端まで美しい。

「…あの人は?」

「事務所に…」

「そう。相変わらずなのね。お客さんを置いて出掛けるなんて」

「いえ、俺は別に…」

「じゃああなたから鍵を返してもらってもいいかしら?」

ことん、とテーブルに置かれた鍵を注視する。
これは自分なんかが返していい代物ではない気がする。きちんとお互い顔を合わせて過去を清算しながら円満にお別れをした方がいいのではないか。
大人の事情というのはよくわからないが、他人が首を突っ込んでいい話しじゃないことだけはわかる。

「ねえ、コーヒーもらっていい?外暑くて」

「はい、勿論です」

「ありがとう」

細く白い指で髪を耳にかけながら元奥さんはキッチンに立った。

「あなたも飲む?」

「じゃあ、いただきます」

手伝った方がいいのだろうか。でもこの家のことは彼女の方が熟知しているだろうし、我が物顔でしゃしゃるのもなんか嫌な感じだ。
ここは子どもらしく何も知らないふりをして甘えよう。
コースターと細長いグラスに注がれたアイスコーヒーをテーブルに置き、彼女が隣に座った。
若干の気詰まりは感じるが、敵意は向けられていないのが救いだ。彼女は他に相手がいるらしいことを工藤が言っていたし、元旦那が同性の高校生相手にしているなど思いもしないだろう。ならどんな関係だろうと首を捻るところだが、詮索するような空気もない。
基本、去った後の人間への興味を一切失うタイプなのかもしれない。

「あなた名前なんだったかしら」

「…片桐和希です…」

「そう。千尋の新しい恋人?」

飲みかけだったコーヒーを吹き出しそうになるのを耐え、慌てて飲み込んで咽た。

「な、なにか勘違いを…」

「勘違いかしら?」

「そうですよ。俺男だし、高校生だし…」

しどろもどろに言いながら視線を泳がせると彼女はぽんと肩に触れた。

「そういうの、関係ないと思うわ」

「え…」

「好きになったらしょうがないじゃない」

「はあ…」

さすが、工藤と結婚しようと思うだけあってこの人も思考がぶっ飛んでる。
良くも悪くも常識に囚われず、常に自由で自分の気持ちを最優先し、それが許される美貌も備えている。

「でも千尋は頭が固いから細かいことを気にしそうよね」

「そう!そうなんですよ!」

つい前のめりになった。これでは認めているようなものだ。言ってから後悔したが遅い。気まずくてすいませんと謝りながら身体を小さくした。

「わかるわ。そういうの歳の差があると子ども扱いされてるようで嫌なのよね」

「ご経験が…?」

「私も高校生の頃社会人とつきあってたの」

「なるほど…」

「大人として正しい判断なのは間違いないけど、ちょっと寂しくなったり。この歳になるとあれは大事にされてた証拠なんだって思えるけど、当時はわからなかったし」

だから、工藤のことを悪く思わないでやってほしいと彼女は続けた。

「あなたを大事に思えばこそよ。子どもを悪い道に引っ張るわけにはいかないもの。卒業したら好きなようにつきあえるし、今はそういう関係を楽しんで」

「楽しむ…」

「そう。今思えば制限がある恋愛っていうのも楽しかったなあと思うのよ」

「でも、俺は…」

「当事者は苦しいだろうけど、大人の言うことも少しは聞いてあげてね」

「…はい」

俯きながら言うと、小さく頭を撫でられた。

「随分素直でいい子なのね。見た目よりずっと」

「見た目…やっぱチャラいですか?」

「どうかしら。私は可愛いと思うけど。でもこの歳になると高校生みんな可愛いと思うのよね。息子のような感覚かしら。美味しいご飯たくさん食べさせたくなっちゃう」

「ほいほいついて行きますよ。高校生のガキなんて」

「そう」

折った指を口元に当てながらくすくす笑う表情はとても綺麗だ。
こんな人が奥さんだったなんて工藤は運がいい。家には滅多にいなかったと言っていたが、相手をしてもらえるだけ幸せではないか。目的が金だとしても。
彼女はアイスコーヒーを飲み終え、からんと氷が躍るグラスを二つ持って立ち上がった。
リビングに戻ると、麗子さんの頭を撫でながらこれで最後ねと笑った。元は彼女が買った犬だが連れていく意思はないらしい。
今となっては工藤も麗子さんがいないと寂しくて死ぬだろうし、結果オーライだけど。
そろそろ帰るという彼女を玄関まで見送った。ピンヒールのパンプスに脚を差し込む様を見て、その靴でどうやって歩くのだろうとどうでもいいことを考える。

「ああ、そうだ。あなた千尋の前で泣いたことある?」

「…多分、ないです」

「そう。じゃあどうしても我儘言いたいときは泣いてみて。あの人涙に本当弱いのよ」

悪戯っこのようにくすりと笑い、彼女は扉の向こうに消えていった。
泣けって言われてもなあ、と頭をがしがし掻きながら思う。
最後に泣いたのは工藤に振られ続けたあたりだろうか。それもシャワーで誤魔化しながら。
俳優じゃないんだから余程のことがなければ泣けないし、しかも工藤に涙を見せるなんて情けなくてできない。
でもまあ、最終手段として覚えておこうと思う。流石元奥さん、工藤の性格を熟知しているのだろう。推しに弱いとか、涙に弱いとか。
そういえば自分はなにも知らないなと思うが、付き合いが浅いのだからそれはしょうがない。これから知ればいいのだし、工藤が心変わりしない限り時間はある。
随分悠長だと思うけど、急いては事をし損じると言うし、短気ですぐ答えに飛びつこうとするのは悪い癖だ。対工藤に関しては焦るより時間をかけるのが最短ルートだと知った。
ソファに戻り横になるといつの間にか眠っており、肩を揺すられ瞳を開けた。

「遅くなった。すまない」

ぼんやりと室内を見渡すと、カーテンを引いていない窓の外はすっかり暗かった。
社会人は休みなんてあってないようなものと知る。
欠伸をしながらおかえりと言い上半身を起こした。その瞬間、腹がぐう、と鳴りそういえば何も食べていないことを思い出す。

「何か食べにいくか?」

「いいよ。宅配ピザとかで」

携帯を操作し近場のピザ屋を検索する。
工藤の好みを聞きながら注文し、後は待つだけ。

「電話しないのか?」

「今はスマホで注文できんの」

「そうなのか…よくわからないな…」

「覚えろよおっさん」

「おっさん…」

傷ついた顔をするがこれが現実。工藤はおっさんだ。ぴちぴちの高校生から見ると三十代以上は熟成した大人に思うのだが、浅倉は意外とガキのままだとも言った。
自分もそれくらいの歳になったらしみじみ思うのだろうか。

「あんた今何歳だっけ」

「三十三だ」

「てことは、俺があんたの歳になったらあんたは四十八か…」

「言わないでくれ」

心底うんざりした表情を見せるのでからからと笑った。
宅配ピザを食べ、膨れた腹を擦ると工藤が風呂に入ると立ち上がった。

「今日は一緒に入ろうって言わねえの」

「一度しか言ったことないだろ」

「だって俺の脚が好きって言ってたじゃん。そういえばあんたの元奥さんも脚綺麗だもんな」

「和希…」

困らせたくてわざと意地悪な言葉を選ぶが、あまり責めすぎると面倒なガキと放り投げられるので軽い冗談でコーティングしたが、工藤は馬鹿正直に真正面から言葉を受け取るから軽いキャッチボールも楽しめない。

「冗談だよ」

「そうか。冗談か」

ならいいと鉄面皮に戻り風呂へ向かう背中を見送る。
麗子さんを膝に乗せ、適当にテレビを眺め、工藤と入れ替わるように自分も風呂を済ませた。解放感のある大浴場も大好きだが、一人の空間でゆっくり浸かれる工藤の家の風呂も大好きだ。
頭にタオルを乗せて戻ると、ソファに座りながらうとうとと頭を揺らす姿があった。

「おい、部屋行けよ」

これではいつもと立場が逆だなと思い、だけど面倒をみる立場になるのも悪くない。

「…大丈夫だ。まだ寝ない」

「無理すんなよ」

「…折角、君が来たのに…」

いつもと違い甘えた様子で小さく呟く様に愛おしさが込み上げる。表面張力を破ってこのまま押し倒してやろうかと思うけど堪えて無理に立ち上がらせた。

「明日もいるだろ」

「…明日には帰るではないか」

「帰るけど」

工藤の腕を引き階段を上る。ふらふらすんな、しっかり歩けと子どもを叱るようにしながら布団の中に入れてやった。

「…私は書斎で寝る」

「いいから。やましいことしなけりゃいいんだろ」

「したくなるだろ」

「工藤が?俺が?」

「私が」

「へえ。そういう欲はあるんだ」

「当たり前だ。和希はおっさんと言うが私はまだ若い」

半分寝惚けた様子の工藤はいつもより素直に言葉を口にする。おもしろくてベッドに腰掛けさらりと短い髪を撫でた。

「卒業するまで我慢するんだろ」

「するけど…」

「俺の方が若い分性欲強いからもっと辛いの。それでも我慢してんだからあんたも頑張れよ」

「…和希はそういう意味で私が好きなのか?私みたいなおっさんに欲情するか?」

「好きだからな」

「…そうか」

工藤は答えに満足したように柔らかく笑った。
おっさん相手に可愛いと思うのはおかしな話しだが、幼さを前面に出した工藤は可愛い。

「おやすみ工藤」

「…おやすみ」

ぱちんと電気を消してリビングに戻る。
危ない、危ない。ガキは欲望を抑え込むのが下手で、理性なんてあってないようなものだ。自分は多分工藤より力が強いし、人を抑え込むのも得意なのでぶち切れたら簡単にできてしまう。好き合っていても同意がなければ強姦と変わらないのでそれだけは避けたい。わかっているが、これを卒業まで続けるのかと思うと溜め息を吐いた。
泊まるのは控えよう。物理的に距離を置いて、寝室にも入らなければどうにかなるだろう。ああ、早く卒業したい。その前に進路を決めなければならないけど。


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