ダブルスタンダード





気持ちを告げてからの自分は鎖を解かれた犬のような解放感で突っ走った。
あんなに悩んでいたのがはるか昔のようで。もっと早くこうしていればよかった。
うじうじと一か所に留まって頭を抱えるのは性分に合わないので、後悔しても行動あるのみと改めて知った。
もう遠慮しなくていい。自分は工藤が好きで、彼は独身で、社会的な立場の違いからトモダチという不安定な関係だがそれでもよかった。
元々気に入った子に対しては押して、押して、あちらが折れる形でつきあうことが多かった。変に遠慮したり、相手を慮って身を引くなんて初めての経験で、そうさせられるほど好きだったのだと実感した。
金曜日の夕方寮を出て工藤のマンションの前で待つ。
どうせ連絡しても仕事中は返事がないので邪魔をしないことにした。早く麗子さんに会いたい。携帯で時間を確認し、まだかなあと空を見上げた。
車のエンジン音がするたびそちらに視線をやったが目当ての人物ではなく、高校生がこんなところでなにをしているのかと胡乱な視線を向けられる。
見た目がこんな風だからいけないのだろうか。赤みが強い茶色の髪を引っ張り黒くした方がいいかと思う。どうせ受験でも就職でも黒くしなければいけないし、好き勝手できるのも今のうちだけなんだなあと自分の立場を思い出す。
ゲームをしながら適当に時間を潰し、漸く工藤が帰ってきたのは二時間後だった。
きっちり締めたネクタイを緩めながらこちらに近付き、よ、と手を挙げる自分を見据えるとぱちぱちと瞬きをした。シルバーフレームの眼鏡を外した手の甲を額に当て、小さく溜め息を吐いている。

「何故ここに」

「会いたかったから」

「…連絡の一つくらい」

「だってお前どうせ携帯見ねえじゃん」

「それは…そうだが、電話してくれれば」

「邪魔したくなかったし」

一応社会人に気遣ったつもりだったが、工藤はうんざりした様子で軽く首を左右に振って鍵を取り出した。
怒らせただろうか。悪いことをしている自覚はないのでよくわからない。

「早く来なさい」

顎をしゃくられたので彼の背中を追う。
小さく欠伸をし、そういえば最近授業中眠らないので寝不足だなと思う。
社会人は勿論昼寝などしないだろうし、睡眠時間もとても短い。なのに普通に生活できるなんてどういう仕組みだろう。工藤なんて五時間眠ればいい方で、繁忙期は四時間、三時間なんてこともあると聞く。自分も社会人になったらそんな生活をしなければいけないのだろうか。考えるとぞっとする。
部屋の扉を開けるとかしゃかしゃと爪でフローリングを掻く音と、高音の鳴き声が出迎えてくれる。

「麗子さーん」

「私より先に和希の元へ行くのだな」

「そりゃ、俺の方が可愛がってるってわかってんだよ」

「私だって可愛がってる」

「はいはい、悔しいのはわかるけど張り合うなよ」

麗子さんを抱えながらリビングに入り、ソファの上ではち切れそうなほど尻尾を振る身体
を何度も撫でた。
餌の缶詰が開く音がすると真っ先にそちらへ走って行ったので、空っぽになった腕の中に少しの寂しさを覚える。
キッチンで麗子さんが餌を食べている間に工藤はジャケットをソファの背に放り投げ隣に着いた。
背凭れに深く背中を預けた横顔は疲労の色が濃い。

「…仕事、お疲れ」

「ああ」

「…風呂でも洗ってやろうか?」

「ハウスキーパーさんがやってくれただろ」

「じゃあ、マッサージでもする?」

顔を覗き込むようにすると工藤は短く息を吐き出した。

「今日は随分サービス精神旺盛じゃないか」

「別にー。俺元々彼女は甘やかすタイプだし」

そのせいで飽きられるのも早かったし、所謂都合のいい男に降格することも多かった。可愛げのある我儘はなるべく聞いた。鞄持って、荷物持って、今から会いたい、あれがほしい、これがほしい。
お姫様のように扱われることに満足感を覚え、だけど結局はそんな我儘を聞かない俺様な男のところへ去ってしまうのだ。思い出すと泣きたくなる。

「それより和希、寮の門限過ぎているな?」

ぎくりと肩を揺らした。

「確か十九時だったか」

「いや、泊まるつもりできたし…」

「外泊届は出したか」

「…出したような気がしないでもない」

「出してないんだな」

横目で睨まれ視線を逸らした。
工藤は頭が固い。最初からわかっていたが、前はもっと自由にさせてくれたのに急に保護者ぶった様子にもやもやする。

「ここに来るなとは言わない。でもそれは規則をしっかり守ることが前提だ」

「…前はそんなこと言わなかったし、自分から軟禁してたくせに…」

「前とは状況が違うんだ」

「大人の言い訳」

ぼそりと呟くと工藤が言葉を呑み込んだのがわかった。

「状況が違うのはわかるけど、親みたいなこと言わなくてもいいだろ」

急に線引きされたような寂しさが襲う。
こちらは金曜日になるのを今か今かと待って、慌ててここまで来たのに。
工藤は仕事に追われこんな高校生のことを考える隙間などないし、そもそも好きの度合いが違うと思う。
今の自分たちは以前と立場が逆になった。子どもの我儘に散々振り回された工藤は気持ちが冷めただろうし、逆に自分は恋心を意識した途端に大きく膨れあがった。
だから彼が顔が見れて嬉しいとか、会えて幸せとか、そんな風に思わないのも理解できる。
だけど楽しみにしていたのに説教ばかり喰らっては多少拗ねたくもなる。こういうところが子どもなのだろう。
目の前のご褒美ばかりに気が向いて、周りの迷惑を考えない。多方面にアンテナを張ってすべてを丸く収める強かさなど身についていない。

「…和希、わかってくれ」

ぽんと頭に手を置かれ、そういう言い方はずるいと思った。
自分が無茶な主張ばかりしているみたいだ。

「……わかったよ」

小さく呟くといい子、とくしゃりと髪を撫でられた。
馬鹿にしたように子ども扱いして。一回り以上離れているので当然なのに酷く悔しい。

「それから、来るなら私服に着替えてほしい」

「なんで?」

「罪悪感が半端ないからだ」

腹辺りのシャツを引っ張り、そんなものだろうかと首を捻る。

「制服だろうが私服だろうが俺が十八なのは変わらないけど」

「わかってるが、こう、視覚的に高校生なのだと思うと…」

「ふうん。別にいいけど」

高校生に手を出す大人は学生というブランドが好きなのではないか。
制服姿の方がいいなんて言うエロ親父はよくいるし、若さを目的として囲っている連中も多いと思う。

「制服の方が燃えね?」

「どちらでもいい。高校生だから好きになったわけではないしな」

「あ、そ…」

そういうことを構える隙を与えずさらりと言うから嫌になる。
彼にしてみればなんてことない言葉なのだろうが、ガキにはその一言が大きな衝撃になって簡単に気持ちが揺れる。こうやって気持ちの差が出来上がるんだなあと感じ、悪戯心と、悔しさから工藤を困らせたくて彼を跨ぐように座った。

「今日で制服見納めかもしれねえし、最後にちゃんと見とけば?」

工藤のネクタイを掴んで引き寄せ至近距離で視線を絡めたが、能面はなんの反応もせず、変わりに胸を押し返された。

「…和希のそういうところは本当に困るな」

「そういうところ?」

「大人をからかうところだ」

「別にからかってない。こうしたいからしてるだけ。俺は遠慮しないって最初に言ったし、受け入れるのも拒絶するのもあんたの勝手だろ?」

「少しは私の味方をしてくれてもいいと思うのだが」

「なんで。外ならまだしも家の中なら誰にもバレないしいいじゃん」

「私はそんなに器用な人間ではないんだ」

ちっと舌打ちし、工藤の上から身体をどかせた。
理性でがっちり固めやがって。腹立つ。どうせガキは駆け引きもできないし、手練手管もありませんよ。色気もなけりゃ、誘われる側だったので誘う方法もわからない。

「和希、鞄を持て」

立ち上がった工藤を見上げて首を捻った。

「なんで」

「送る」

「マジで言ってんの!?」

「マジだ。門限は守れずとも外泊はさせない」

「ほんっとお前融通きかねえな!」

「弁護士だからな」

「関係ねえだろ!」

溜め息を吐き、一か八かの賭けで工藤のスーツを掴んだ。

「本当にだめ?」

上目で言うと工藤の眉間に皺が寄り、ふいっと顔を逸らされる。

「…だめだ」

くそが、と悪態をつき彼の尻を思い切り叩いてやった。

「痛いぞ」

「俺の心の方が痛いわ」

自棄のように鞄を拾い上げずかずか玄関に向かった。スニーカーに脚を突っ込んで苛々を散らすように髪を大きくかき上げる。
工藤は鍵の音をさせながらこちらに近付き背後からふわりと抱き締めるようにした。

「明日、外泊許可をとってから来なさい」

耳元で囁かれ、慌てて熱くなった耳に手を当てた。
後ろを振り返ると工藤は僅かに口角を上げ、先ほどのお返しだと言った。
言葉にならない文句が身体を駆け巡り悔しくて地団駄を踏みそうになる。
工藤は大人をからかうのは困ると言ったが、経験値に大きな差がある子どもをからかう方が罪深い。
たったこんなことで心臓がうるさいし、こちらは工藤の理性を揺らすことすらできないのに、自分はもう帰りたくないと我儘を言いたくなる。
どうせ正論で突っ撥ねられるとわかっているから大人しく引くが、次は絶対に自分が勝つ。
恋愛は勝ち負けではないと誰かが言ったが、そうは思わない。
惚れた方が負けだし、イニシアチブを握った方が勝ち。歳の差は大きなハンデで、マイナスからのスタートなので努力で詰めるしかない。
靴を履く工藤の腕を引き、壁に肩を押し付け同じ高さの目線で睥睨した。

「なんだ」

「あれ」

廊下の方を指差すとそちらに顔を向けたので、顎の付け根を掴んで頬に口付けた。

「和希!」

「焦ってやんのー」

「…まったく。馬鹿なことしてないで行くぞ」

「はいはい」

最後にお見送りに来てくれた麗子さんの頭をわしゃわしゃと撫で部屋を後にした。

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