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誰かの意見を踏まえ、けれども同調しすぎず手前で考え、手前の責任で行動する。
かといって一方通行の押し付けはだめ。引き際を弁え、多忙な大人の手を煩わせない範囲で。浅倉と話して理解したことがたくさんある。
それは簡単なようでとても難しい。
数日間ぐるぐると考えた挙句、ぱーんとなにかが弾けたように頭が白くなり、制服のまま部屋を飛び出した。
鳴らない携帯ばかりに意識を引き寄せられるのも、工藤の冷たい声を思い出すのももううんざりだ。
わからないことを知りたいと思うことのなにがいけない。大人だというのなら子どもの疑問に答えてほしい。責任転換で突っ走るからクソガキと言われる。だけどもういい。自分は罵られるため工藤に会いに行く。
すっかり覚えた道順通りに歩き、いつか別れを言いに来た日のようにマンションの前に突っ立った。
今日は充電器も持参したし、摘めるお菓子も鞄に入っている。
工藤の行動パターンは知らないが、夜の九時を回る頃には戻るだろう。
追い返されても構わない。今が引き際なのだと理解できる。なんでもいい。答えがほしい。工藤の態度や言葉が引っかかってしょうがない。
あやふやに消えてなくなるのを待つのではなく、はっきりとこの気持ちに言葉を与えてほしい。
徐々に紺が濃くなる空をぼんやり眺めた。携帯を見ても集中できず、音楽を聞いても耳に入らない。考えすぎてキャパオーバーの小さい脳みそは、僅かな情報も遮断するように強情だ。
首の裏に手を当てながら視線を地面に移して溜め息を吐いた。その時、あら、と小鳥のように細い声が頭上から降ってきた。
ぱっと顔を上げると美しい女性がこちらを見て首を傾げた。

「あなた確か…」

美しく整えられた緩い巻髪。真っ白なカーディガンを掛けた華奢な肩。ネイビーのタイトスカート。桜色の小さな爪。工藤の――。

「以前部屋で会ったわよね?主人にご用かしら?」

主人…。
秋波を含んだ余裕のある笑みを呆然と眺めた。そうだ。工藤にはこんなにも美しい奥さんがいる。どうして忘れていたのだろう。
現実で頭をがんと叩かれたように目の前が真っ暗になった。

「もしかしてあの人と連絡がとれない?こんなに暗い中、高校生を外で待たせるなんて…よかったらあがってらして」

手招きをされ、ネジを巻かれた玩具のようにぎこちなく首を振った。

「いえ。俺が勝手に待ってただけなんで…」

「でも、ご用があったのでしょう?遠慮せずにどうぞ。気を遣うなら私はどこかで時間を潰すから」

「そんな、大丈夫です。また日を改めます。非常識にこんな場所で待ってすみませんでした…」

小さく頭を下げると奥さんはやめてちょうだいと柔らかく言いながら肩をぽんと叩いた。

「若い子に頭下げられるの嫌いなのよ」

冗談めかした話し方に、以前会ったときとのギャップを感じた。前はもう少し身勝手で、気遣いの欠片もないように感じたけれど。

「…じゃあ、失礼します」

「また来てね」

優しい声色に、ダムが決壊したように苦しさが押し寄せた。
歩きながら口を片手で覆い、馬鹿な自分を心の中で罵る。
工藤は切り替えができるとか、大人だからとか、そういう以前に彼には大事な人がいる。社会的に保障された女性。並んで歩く姿も自然で、おかしなところが一つもない。自分たちなんてどういう関係だろうと首を捻られることが多かったのに。
なにをしているのだろう。なにを考えていたのだろう。襟首を掴まれ、強引に現実へ引っ張られたように我に返る。
引き際どころか、工藤と自分は始まりようもない。世間では自分のような人間を愛人と呼び、囲う男はただの火遊びと割り切っている。
本気で好きだった。工藤はそう言ったが、口から出た言葉がすべて真実ではないとどうして気付かなかったのだろう。大人が高校生を相手にするとどうして本気で思ったのだろう。世の中にありふれた形容できない薄い関係の一つにすぎない。
退屈凌ぎとか、後腐れない身体だけの関係とか、大人の世界では常識で、真面目に向き合おうとした自分が子どもだった。馬鹿みたいだ。
眉間に皺を寄せた。
気持ちに言葉がほしいと思った。工藤は頭がいいからきっと教えてくれるはずと。
だけど工藤に会わずとも答えは自ずと見つかった。
工藤が好きだ。自覚した瞬間に終了。ほしいモノはいつもこちらに手を伸ばしてくれたのに、それを振り払って蹴り上げて消えた途端に気付くなんて愚の骨頂。
たぶん、薄々気付いていた。男同士。年齢も離れている。まさか自分がと心に蓋をしていたのだろう。
知らぬ振りを続け、フェアじゃないとか、男としてとか、小さな言い訳をたくさん並べたが、気持ちを認められる一言を工藤に言ってほしかったのだ。
手前の気持ちも他人に委ねている自分にうんざりする。
涙は溢れない。ただ胸に渦巻く自己嫌悪と、自覚した瞬間募る恋慕に目の前が白んでいった。


失恋なんていつものこと。今まで何度女性に振られてきたか。だから今回も大丈夫。軽く気分転換に遊んだり、ゲームをしたり、友人と笑って過ごせばいつか痛みが薄れていく。
そうしてじくじくと痛む胸に応急処置を施した。
三日、一週間、十日…。時間は過ぎても傷口は覗き込まない。完全なカサブタになっていつか自然と剥がれるまで直視などしてやるものか。
放課後担任に職員室に呼び出され、進路に関する考えはまとまってきたかと問われた。もう少し時間がほしいと告げ、担任もわかったと頷く。

「片桐、最近頑張ってるし、お前が真剣に考えてることはわかってるから。一人じゃどうにもならないときは誰でもいいから先生を頼れよ」

「あい」

ぺこりと頭を下げ、失礼しゃーしたー、と適当な挨拶で扉を閉じた。

「あ、片桐丁度よかった」

振り返ると浅倉で、ちょいちょいと手招きをされ嫌な予感がした。

「ちょっと手伝え」

「また!?」

「すぐ終わるから」

ぐだぐだと文句を言ったがセーターをぎゅっと引っ張られ、金を渡された。

「…なにこれ」

「自販機でお茶買ってきて。えーっと、二十五本。これ、袋使ってな。よろしくー」

「ちょっと待っ――」

手を伸ばすより先に浅倉は職員室へ消え、廊下でぽつんと佇んだ。そのうち背後からあの…と遠慮がちに声をかけられ、一年が申し訳なさそうに通りたいのですが、と言い短く謝罪し、自販機のある一階までだるさ全開で歩いた。
袋ぎっちりに詰め込んだペットボトルを持って職員室の扉を開けると、プリントの束を持った浅倉がご苦労と声をかけた。もう少しつきあってと会議室まで重い袋を引き摺る。最近本当についていない。
会議室の扉を開けた浅倉は、もういらしてたんですねと誰かに向かって朗らかに言った。心の中でくそ教師と罵りながら浅倉の後に続いて会議室へ入る。かたん、と椅子を引く音がし、顔を上げると工藤がいた。
ぴたりと動きを止め、ぽかんと口を開く。一瞬視線が交わり、すっと逸らされ我に返った。

「片桐、席に一本ずつお茶置いて」

「…は?俺の仕事じゃない」

一刻も早くこの場を立ち去りたい。

「まあまあ。あとでいい物やるから」

有無を言わせぬ声色に溜め息を吐いた。
工藤の存在を消し去るようにそちらを一切見ず、中心を空けてぐるりと囲われた長机にペットボトルを置いていく。
徐々に工藤が座る席に近くなり、ちらりとそちらを窺うと、彼はタブレット型のコンピュータで仕事をしているようだった。
変に意識すると逃げ出したくなるので、なんでもない風を装いながら彼の腕の横にことんとペットボトルを置いた。

「ありがとう」

画面に視線を固定させたまま小さく囁かれ、それだけで見ないように知らんふりをしていた傷がぐずぐずに痛むと同時に吐き気がするほど胸がうるさくなった。
大丈夫。大丈夫。
なにがとか考えず、呪文のようにそれだけを繰り返した。
すべて配り終え、浅倉に帰っていいと聞くと頷かれたので慌てて踵を返した。

「片桐!」

まだなにかあるのか。扉の前でうんざりしながら振り返ると、浅倉が真後ろにおり、腕をぐっと引かれた。首を捻ると個別包装されたキャラメルが数個ころんと転がる。

「…なにこれ」

「いい物やるって言っただろ?」

「馬鹿にしてる?」

幼い子どもにするようにわしゃわしゃと頭を撫でられ、慌てて腕を振り払った。

「やめろよ」

浅倉はくすりと笑い、すっと表情を正した。

「勉強中は甘い物ほしくなるだろ。お前が頑張ってるのはわかるけど、あんま無理すんな。クマできてるぞ」

目の下を親指でなぞられ俯いた。勉強は確かにしているが、このクマの原因は他にある。

「ま、どうしようもないときはまた俺のとこに来い」

素直にこくりと頷いた。浅倉なりに心配してくれているのだろう。その優しさが、ぎゅうぎゅうに絞られた雑巾のようだった心に染み渡る。
ぽんぽんと腕を叩かれ、小さく頭を下げてから会議室を後にした。
なぜ工藤があの場にいたのかわからないが、教師がぞくぞくとそちらに入っていったので、法の勉強会でもあるのかもしれない。
考えても仕方がない。どうせもう自分たちは二度と交わらない他人だ。
自棄くそのようにキャラメルを一つ口に放り込んだ。押し付けるような甘さに眉を寄せる。キャラメルはすぐにエネルギーになってくれる。でも長い目で見るとそういうものほど身体への負担になることが多い。
自分も同じ。応急処置は心の痛みを誤魔化してくれるけれど、それは毎日少しずつ締まっていく首輪をはめているようなものだ。
いつか窒息するのかな。どこか他人事のように感じながらもう一つキャラメルを頬張った。

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