7


毎日七時に起きて朝飯を食べ、一限からきちんと授業に出る。
ほとんどの生徒が当たり前に熟す日々にこちらは頭痛が限界だ。義務を果たす苦しさと厳しさを今更知り、机に頬をべったりとつけ暫く動けずにいた。まだたったの二週間。これから卒業するまでの数ヶ月間この生活を続けるのだ。ははは、と乾いた笑みが浮かんだ。

「なに一人で笑ってんの」

視線を合わせるように顔を横に傾けた翔が視界ににゅっと入ってきた。さらりと流れるプラチナブロンドと蒼い瞳をじっとりと見詰める。綺麗な色だな。写真や映像でしか見たことがない外国の海みたいだ。この瞳の中に浮かんだら温泉のように気分が良くなりそう。

「おーい、生きてる?」

ひらひらと手を振られ、のっそりと身体を起こした。

「かろうじて生きてる。何か用か?」

「いや。帰ろうと思ったら珍しく和希が残ってたから」

ああ、そう。溜め息を吐きながら改めて翔の方を見ると、彼の背後には椎名が佇んでいた。アイスグレーの瞳はとても冷たく、その目で見られているだけで生まれてきてすみませんと謝りたくなる。

「…俺は別に大丈夫だから」

「大丈夫な人は一人で笑ったりしないでしょ」

「それがデフォ」

「やばい」

翔は前の席に座り、机上に散らばっていた課題をぺらりと手にとった。

「居残り?」

「…まあ。遊んでたツケが回ってきた感じで」

「それはそれはご愁傷様。真面目に生きてる僕たちの大勝利ですかね?」

「言い返す言葉がないのがむかつくわ」

「嘘だよ。手伝うからさっさと終わらせよう」

「でもよ…」

ちらりと椎名に視線を移し、ばちっと絡まった瞬間、椎名は先ほどまでの冷ややかさを霧散させるように微笑んだ。なにか言葉を掛けられたわけではないが、彼の顔に表情が生まれただけで安堵した。
椎名は適当な椅子を引っ張り、翔と並ぶようにしてプリントを上から覗き込んだ。

「…世界史と数学か。翔は教えるの上手だからきっとすぐ終わるよ」

椎名に頑張れと拳を作られくすっと笑う。

「世界史とか日本史は暗記するしかないからこれは自分で頑張れ。とりあえず数学だけ教えるから片付けよう」

「…恩に着ます」

「一人で現実逃避して笑ってる和希とかきもいからさ」

「相変わらずぶった切るねお前」

溜め息を吐き、不貞腐れていた心を鼓舞してペンを握った。
翔は椎名が言う通り教えるのが上手だ。スパルタだし文句も言うが、わからなければ粘り強く何度も何度も教えてくれる。途中で匙を投げないし、一度で覚えられないのは当然だと励ましてくれる。
いつの間にか椎名も翔の教えにうんうんと頷きながらノートを取っており、ちょっとした勉強会のようになっていた。

「終わった…」

ころんとペンを机に放り投げ、椅子に深く凭れて背を反らした。

「お疲れ」

「マジで助かった。世界史は部屋に戻ってからやるわ」

「ちゃんと教科書持って帰るんだよ?」

「なに言ってんだよ。教科書なんて全部部屋にあるわ」

「持ってきてないの!?」

「他のクラスの奴に借りればいいしー」

「お前はそういう奴だったよ…」

翔は呆れを通り越した溜め息を吐いたが受け流した。

「…和希が最近元気ないのって勉強のしすぎ?」

覗き込むように問われ、は?と首を捻った。

「俺めちゃくちゃ元気だろ。そりゃ、勉強してると頭痛くなるけど…」

「そうかなー。なんか微妙にたそがれてるときない?窓の外見てふっ…みたいな」

「なんだよそれ。俺はそんなことしねえぞ」

「そうだけど、なんか、何も考えてません俺!みたいな強いパワーが感じられないというか」

「お前は俺を馬鹿にしないと死ぬの?」

翔は違うと首を振ったが、彼なりに心配しているとわかっている。

「もしかしてまだ進路のことで悩んでる?それなら進路指導の先生に相談とか…」

「あー、違う違う。まあ、考えなきゃとは思ってるけど、その前に勉強して卒業できるようにするのが先だし」

「…じゃあ」

どうしたの?と真正面から見据える瞳を眺める。隣に視線を移すと椎名もちらちらとこちらに視線を寄越していた。

「……お前らが二人並ぶと迫力すげえよな」

「は?」

「目。宝石みたいだし、人工物っぽい」

「…僕は真剣に心配して聞いたというのに…」

翔がこちらに手を伸ばし、両頬を左右に引っ張った。

「痛い痛い!別にはぐらかしたわけじゃ…」

ぱっと手が離れ、ひりひりと痛む頬をさすった。
ついでに問題を掘り起こされて胸の奥がじわじわと痛みで浸食される。
友だちに話しても仕方がない。悩むことなどなにもない。完璧な形で工藤に拒絶され、自分にできることは残っていない。後はこの痛みが薄くなるのを時間薬で待つだけだ。

「有馬君にまたなにか言われた?」

「別に。ちゃんと学校来てるし、寮にも戻ってるし、それなら文句ねえんだろ」

「じゃあ他校の友だちとなにかあった?」

「なにも」

「残るは…」

顎に手を添えて考える翔の頭をペンでぽこっと叩いた。

「なんでもねえよ」

「…和希ってさ」

俯き、瞳を伏せる翔は絵画の中か、スクリーンの中の俳優のように美しい。悪意溢れる口を塞げば完璧だ。

「色々隠すよね」

「は?」

「あけすけなようで大事な部分は誰にも見せないね」

「んなことねえし、そんなの誰でも同じだろ。お前だって」

「僕は隠し事なんてしないよ」

笑顔を浮かべる顔を見て嘘つけよと心の中で悪態をついた。情けなさとか、女々しい自分を隠したくなるのは男の病のようなものだ。
この場を切り上げたくてペンや消しゴムを筆箱に押し込んだ。その様子を見て翔が諦めたように小さく溜め息を吐いたのを見逃さなかった。
また翔との関係がぎくしゃくしそうで筆箱を投げ出し頭を掻いた。
問題の核心は話さず、けれど当たり障りない悩みを吐露すれば彼は満足してくれるだろうか。一か八かの賭けだが、吐息をついてあのさ、と切り出した。
首の後ろに手を当て、椅子に踏ん反り返るように体重を移し、ついでに足も大の字に開いた。

「ちょっと歳が離れてる知り合いと色々あって…大人ってなに考えてんだろって考えてただけ」

言った瞬間、椎名がぐっとこちらに身を乗り出してうんうんと頷いた。

「わかるよ片桐君」

「へ…?」

首を捻ると椎名は失敗したといった様子でごめん、忘れてと呟いた。
その様子を見ていた翔はにやりと笑い、椎名の頭をぽんと叩く。

「雪兎は年上の恋人に翻弄されてるから」

「年上の、恋人…」

甘美な響きにその話し詳しくと図々しく聞きたかったが、椎名は翔の手を払いのけ思い切り顔を顰めた。そんな顔もするんだなあと思う。クラスメイトには見せない素の椎名を見たようで、お得感がある。

「まあ、でも、なんかわかるわ。椎名は大人っぽいし年上のお姉さんと楽しいことしてそう」

「そ、そういうあれではないから!」

椎名は焦ったように俯いたが、耳の先がほんのり赤くなっている。黙っていれば大人っぽくて斜に構えていそうなのに、性格は素直で優しく、可愛らしい。ちょっとした揶揄にも馬鹿正直に反応するほど。椎名はごほんとわざとらしい咳払いをした。

「…その、僕なんかが言えた立場じゃないけど、わからないことは本人に聞くのが一番いいと思う」

「まあなー…」

しかし聞くことすら拒否されている自分はどうしたらいいのだろう。

「その、僕も色々考えるけど、結局経験値が違うから考えたところでわからないし、素直に聞いた方が早いというか…。聞いたところで納得できないことも多いけど」

尻すぼみになり、最後には乾いた笑みを浮かべた椎名を見て、こいつも苦労してんだろうなあと察した。掌で転がされているのだろうか。年上のお姉さんならそれでも嬉しいけれど、実際つきあうとなれば話は別なのだろう。

「…なんか、意外だな。椎名も自分の恋愛の話しとかするんだ」

「れ、恋愛とかではなくてですね、一般的な話しとして、僕はそうだったよっていうあれで…」

視線を泳がせながら一生懸命になる椎名を見てふっと笑った。ぽんと頭を撫で、サンキューと礼を言う。椎名はこちらの反応に安堵したように肩から力を抜いて微笑した。

「雪兎が懐くなんて珍しい」

「…片桐君にはお世話になってるし、翔の大事な友だちだし…」

自分は世話した記憶はないのだが、馬鹿だから忘れているか、些末な出来事なのかもしれない。椎名は義理堅い性格のようで、他人から受け取った善意をすべて保管しているのだ。
もう一度、椎名のさらさらと細い髪を掻き回して礼を言った。彼はぽかんとした後鳥の巣のようになった頭を嬉しそうに直している。
従兄妹なのに翔と椎名の性格の差よ。翔もこれくらい素直で美しい心を持っていたら。想像して、そんな翔は気持ちが悪いのでやめやめ、と勝手に結論付けた。

「本人に聞けないなら、別の大人にアドバイスもらったら?」

「そんな知り合いいねえよ」

二十歳そこそこの知り合いは大勢いるが、どれもこれもふわふわと宙を漂い、その日その日を生きているような自由人で、あれを大人と形容していいものか疑問だ。

「いるじゃん。浅倉先生」

翔が言った瞬間、自分と椎名はぴたりと動きを止めた。

「…なんで浅倉」

「大人だけどおじさんじゃない、どちらの気持ちもわかってくれそうな年齢だろ?そんで意外と相談とか真面目に乗ってくれる」

「はー?あれが?」

「うん。進路とか、人生相談の相手にはもってこいだと思うし、あまり関係のない人間だからこそ話せることもあるじゃん」

「それは…そうだけど…」

「じゃあ決まりだ。和希の気持ちが変わる前に職員室行って面談の予約をとろう」

「いやちょっと待て。やっぱり浅倉なんてやだ」

「じゃあスクールカウンセラーの先生にする?」

「無理無理。俺まともに話したこと一回もないし」

「和希が適当に話せるの浅倉先生しかいないでしょ。はい決まり」

「でもさー」

「雪兎、和希押さえてるから浅倉先生のとこ行って事情話してきて」

「…僕が?」

「そうそう。頼んだ」

椎名はそれじゃあ…と鞄を持って立ち上がったので、待ってくれと手を伸ばしたが、翔にがっちり捕まえられた。綺麗でも男は男。翔は自分と同じくらい腕力がある。
椎名が教室から完全に去り、諦めたように身体を弛緩させた。

「お前は色々強引だよな」

「外国の血が流れてるから?」

「こういうときだけ外国人面すんな」

拗ねたように言うと、翔はぺちぺちと俺の頬を優しく叩いて慈悲深い瞳を見せた。

「僕たち子どもなんだから、大人に助けを求めていいんだよ。浅倉先生はそういうところちゃんとわかってくれるから」

「…わかってるけど、なんかむかつく」

「和希はさ、負の感情に支配されると誰かが強引に尻叩かないと動けないから」

「…さすが、俺のことをよく理解してらっしゃる…」

翔のお節介は決まって自分が落ち込んでいるときだけだ。普段は強制させるような強引さはないし、和希の好きにすればいいと言ってくれる。
でも悩んだり、考えるという行為に慣れていない自分は一度足をとられると脱する方法がわからず、出口と逆の方向にもがいて窒息してしまう。
翔は今までそんな自分を幾度となく目にしている。見守るのも友人の務めと、辛いときは黙って傍にいてくれた。だけど今回ばかりは、最近の自分の様子があまりにもおかしいので我慢できなかったのだろう。
机に突っ伏した頭を指で突いたり髪を引っ張ったりする翔を見上げ、悪いと一言呟いた。彼はなにも言わず少し苦しそうに笑った。

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