5




学校と寮の往復だけしていれば問題を起こさずにいられる。
単純だが確かな方法だと思って実行した。
一限目から授業に出るし、サボったりもしなかった。机に突っ伏して眠ったけれどサボるよりはましだと教師も溜め息混じりにぼやいた。
授業が終われば真っ直ぐに寮に戻る。一歩も東城の敷地から出ていない。
クラスメイトに遊びに行こうと誘われることも多かったが適当にはぐらかして断った。彼女でもできたのかと一斉に非難を浴びたが、違うと否定する前に和希に彼女ができるわけがないと納得された。その通りだがこちらは納得できない。
そんな生活をしばらく続けていたが、さすがに音を上げたくなってきた。
退屈が世界で一番嫌いだった。つねに身体も心も動いていないと落ち着かない。
以前は毎日新しい出来事と出逢って、新しい楽しみを知って、満たされて眠っていた。
落差が激しすぎて、その場でただじっと我慢するなんて発狂したくなる。
それでもあんな出来事に巻き込まれるよりは余程ましだ。
今まで積み上げてきたものがすべて崩れたし、根拠のない自信は空っぽになった。
自分なりに色んな経験をしたと思う。十八年の間を振り返ってもいいことも悪いことも人並み以上に味わって、それなりに身になった。と思っていた。
そんなものは無用の長物で、広い社会では些末な出来事だった。
友人から借りた漫画本を放り投げてソファに寝転んだ。
暇だ。時間があるなら勉強したり、身に振り方を考えなければ。
やるべきことはわかっているのに頭がどんよりと重い。
それでも一人前に腹は減るので一先ず学食へ行った。夕飯を食べていると翔にぽんと肩を叩かれた。
翔はひどい態度をとったのになにも咎めないし、水に流して忘れたふりをしている。
ありがたいのに、できた人間だと思うと卑屈になってしまう。
友人に対してそんな感情を向けるなんて、クズだ。

「夕飯食べたら部屋行っていい?渡したい物があるんだ」

「あー、わかった」

よかったと笑い、翔は友人と学食を出て行った。
なんだってんだ。自分はこんなに嫌な人間だっただろうか。今まで知らなかったが醜い部分が心をどんどん浸食していく。
そのうち、下を見てぶつぶつ文句ばかりを言うような人になりそうだ。
やるせない気分で夕飯を少しだけ残し自分も部屋へ戻った。
とりあえず乱雑に衣服や漫画やゲームが散らかった部屋を片付けた。
すべてを端っこに纏めれば足の踏み場くらいはある。
翔は綺麗好きだしきちんとしているので散らかったままだと怒られる。
一つに纏めたそれはまるでゴミの山だがまあ、いいだろう。
ノックする音が聞こえたので扉を開けた。
中に招き入れ、翔はソファに座りながらゴミの山を見た。

「また今回はすごいね」

翔がけらけらと笑ったので苦笑した。

「はい、これあげる」

レジ袋をずいと差し出され、首を捻りながら受け取った。
中を見れば自分が好きなお菓子やジュースがたくさん入っている。

「なんだこれ」

「和希好きだろ」

「好きだけど、なぜ?」

「コンビニ行ったら目に入ったから」

目に入ったという量ではない。
もしかしたら励まそうとしているのだろうか。食い物で釣るとは単純な方法だが自分には効果がある。
意外と不器用な翔にふっと笑みが零れた。

「サンキュ」

言えば、彼は強張っていた顔の筋肉を緩め、心底安心したように朗らかに笑った。
翔は頭も良くて性格も良くて容姿はずば抜けていて…。人生勝ち組で彼の前では悪魔も平伏す。そんな風に思っていたが、友人一人を励ます方法に悩んで、受け入れてくれれば安堵する。普通の、自分と変わらない高校生だ。全知全能ではない。当たり前のことを忘れていた。
翔なら大丈夫とか、工藤なら大丈夫とか、他人の優しさや温情にどっぷり浸かって、自分が背負うべき責任や罪を周りに肩代わりさせていた。
本当は翔だって険悪になったことを引き摺っていたのだろう。
悟られぬように一生懸命背筋を伸ばしていただけで。
漠然とした大きな闇に手招きされて、目の前が見えなくなっていた。

「飯食ったばっかりだけど食うか!」

努めて明るく言えば翔は何度も頷いた。

「お前も食え」

「当然だよ。誰が買ったと思ってんの」

軽い憎まれ口を聞いて安心感が広がった。翔は変わっていない。自分一人がおかしな方向へ進もうとしていただけだ。
袋を漁ってそれぞれお菓子をばりばりと食べていると翔が思い出したようにあ、と言った。

「そうだ。これも和希に」

薄っぺらい箱で、側面には大手通販サイトのロゴが書かれている。

「なにこれ」

段ボールをべりっと剥がして中身を取り出し目を丸くした。なぜエロ本なのだ。
慌てて翔を見ると彼も驚いた表情をしている。

「お前でもこういうの買うの?」

自分はむしろ大好物だが、清廉な翔のイメージとこのどぎつい表紙はあまりにもミスマッチだ。

「いや、有馬君に預かったんだ」

「有馬ぁ?」

意外な人物の名前に二度驚く。

「最近の和希はどうだって聞かれて、ちょっと元気ないって言ったらこれを渡してくれって」

「はあ?なんだそれ」

「さあ。っていうか、有馬君とそんな仲良かったっけ?」

「すげー悪いですけど」

「だよね。変だね」

翔には話していないが、思い当たる節はある。たぶん生徒会室へ呼ばれ、散々罵声を浴びせた件でたしょうの責任を感じたのだろう。高杉が説教すると言っていたので、改心した上でのエロ本なのだろうか。
それにしても何故これを選んだ。頭がいい奴の考えることはブラックホールよりも謎だ。

「ま、ありがたくもらったら?返されても困るし」

「返すわけがなかろう」

「随分嬉しそうだなおい」

「嬉しいだろうよ。これを喜ばない男子高校生がいるか」

「まあそうだけど。しかしさすが有馬君だね。和希が好きそうな本を選んでくるとは。表紙のこの子、タイプだろ?」

「すげータイプっす」

しおしおとみすぼらしい花のようだった心が一気に元気になった。現金だと笑うがいい。多感な時期の心は秋の空よりも変化が激しいのだ。

「嫌な奴だと思ってたけど、いいところもあんだな有馬」

「エロ本くれたからいい奴って…。有馬君も微妙な心境だろうよ」

呆れたように溜め息を吐かれたが、嬉しいものは嬉しい。
こんなところにいたんじゃ、女性というものを見ることすら叶わないわけで。やんわりとした刑務所のようなものだ。飢えて死ぬところだった。
うきうきと腕に抱くと呆れながらも翔が笑った。

「元気になったみたいでよかった。まあ、その理由が僕の差し入れよりエロ本っていうのがむかつくけど」

「いや、違うって!翔のも嬉しいに決まってんだろ!友情と、性は違うところにいるわけで…」

「はは。エロ本に見向きもしない方が怖いからいいけどさ」

綺麗な顔でひどいことを言わないでほしい。ダメージが倍になるではないか。
平常運転な翔を見ていると肩から力がすっと抜けていく。
殻に篭っていたら自分はダメになる。改めて思った。

「…あとさ…。まりあちゃんのことなんだけど…」

翔が言いにくそうに口籠った。

「ああ」

「一応連絡はしといたんだ。和希今少し忙しいみたいだからもう少し待ってほしいって」

「…そっか」

「やっぱり僕から断るのは違うと思うんだ」

「そうだな」

素直に頷く。あれは自分が悪かった。彼女も翔も悪くない。自分一人でテンパって自棄になっていた。

「まあ、考えたいんだけど他に考えなきゃいけないことが山ほどあって…。自業自得なことばっかだけど。でも、後回しにするってことはそこまで興味湧かないってことだろうし、やっぱ断るよ。俺が直接言うから」

「…うん。そっか」

翔はそれ以上なにも言わず、ただ微笑んだ。
心の中ではあの和希が女の子をふるなんて…。と思っているに違いない。
こんなチャンス二度とないぞ、とも思っているかも。

「お前の心の中が読める…」

「え、心の中ってなに。僕変なこと考えてないよ」

「勿体無い、とか思ってんだろ」

「あ、ばれた。でも女の子への興味を失うくらい悩んでることがあるのかって心配でもあるけどね」

「興味ないわけじゃない。エロ本は家宝にするし。ただ、つきあうとかそういう余裕はないだけ」

「まあねえ。僕たち受験とかもあるしね」

言いながら表情が曇ったので、翔でも悩むのかと目をぱちぱちさせた。

「なに」

「お前でも受験とか悩むの?」

「当たり前じゃん」

当たり前。そうか、当たり前なのか。てっきり、出来が良い奴はそんな初歩的なことで悩まないのだと思っていた。
しっかり自分でレールを敷いて、目指す方向へ真っ直ぐ歩くものだとばかり。

「どこの大学行くか決めなきゃいけないし、受からなかったらどうしようとか、勉強しなきゃって焦ってきついよ」

彼はうんざりしたように言い、やだやだ、とごちた。

「ずっとここで守られて生活したいけど無理だしね」

「…頭いいのに俺と同じようなこと考えんだな」

「頭いいも悪いもないって。勉強ができたってただの高校生なんだから皆同じだよ」

「…そうか…」

先がしっかり見えていても不安になる。それは海の底で空気を求めて苦しみもがくようなものだ。行くべき方向はわかっていて、そこに行けば楽になることも知っている。なのにどうすれば辿り着くのか方法がわからない。

「…俺さ」

ぽつりと言った。なんとなく、翔に話してみようと思った。

「担任に進路決めろって言われて、有馬にも問題起こすなって説教されて…。他校の友達ともぎくしゃくするし、お前にも八つ当たりしちゃったし…」

万引き犯に間違われたことは言わなかった。心配をかけるし、翔のことだから章吾を見つけてぶん殴ると言い出すかもしれない。

「将来のこと考えたりしなかったし、急に急かされてどうしていいかわかんなかったっつーか…」

「そっか」

「お前は頭いいからちゃんと進むべき道がわかってると思ってた。ぐだぐだしてんのは俺だけで、取り残されたような気がしたっつーか」

「うん」

「ま、自業自得だけどな。今まで散々遊んでたし、真面目に考えるのに慣れてないから。その分のツケが回ってきた感じだよな」

はは、と乾いた笑いをする。翔はうん、うんと何度も頷いてくれた。
特にアドバイスもないし、口を挟んだりもしない。ただ静かに聞いてくれた。

「結構しんどいものなんだな」

高校三年生というものは。皆、皆こんな気分で一年間を過ごしているのか。

「…どんな道に進んでも和希は和希だよ」

「え?」

「和希自身を変えろって言ってるわけじゃないんだよ」

目から鱗がぱらぱら落ちた。
なんとなく、考えろ、大人になれと背中を叩かれていた気がした。
追い詰められて自分はこのままじゃだめな人間なのだと思い込んでいた。

「そっか。別に俺は俺でいいんだ」

「そうだよ。和希は変なところ真面目っていうか、考え慣れてないっていうか…。和希にはずっとそのままでいてほしいなあ。なんてね。僕の勝手な我儘だけど」

「そのままって?」

「情に厚くて、喜怒哀楽がはっきりしてる感じ」

それは自分でも理解している性格だが、それではいけないから発破を掛けられたと思っていた。
けれどもそれは長所なのだろうか。長所と短所は紙一重だが、腐った人間になる前に翔に言ってもらえて萎れていた自信が吹き返した。

「そっか。そうだな。俺も翔には天使の見た目で悪魔な性格でいてほしいわ」

「うわ、へこむわー」

目を眇めて本気でへこんでいる様子の翔を見て大笑いした。

相変わらず自分という人間のすべては掴めていない。急に他人に入れ替わったように輪郭しかわからない。
けど善悪も人間として正しいあり方もぼんやりとわかっている。
それだけわかってりゃいいや。半分諦めたように思った。せめて泥に浸かって腐っていく人間にはならないようにしよう。
心の中はぐちゃぐちゃのマーブル模様だ。回転扉のようにころころと色を変えて忙しない。
ただ今は、暗い部屋で膝を抱えていた自分を引っ張り出してくれた友人に感謝をしたい。
自分がしなければならないこともわかっている。
自信がなくて、動き出せずにうじうじと立ち止まっていたが、動かなければ始まらない。
彼に拒絶されても、ひどい言葉をぶつけられても構わない。やらない後悔は一生自分を苦しめるから。


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