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「もっと詰られると思ったし、殴られてもいいと思った。なんかこんなの変だ…」

「心変わりは仕方がない。別に君のせいではない。あまり自分を責めるな」

模範解答だ。ドラマでも映画でも漫画でも、そんなような言葉を何度も聞いた。
でも自分にはいつも理解できなかった。どうして裏切られたのにそんな風に言えるのか。
それが大人の余裕なのだろうか。いつかわかるようになるのだろうか。そんな風に思っていたが、実際言われても理解できない。

「わかんねえよ…。よくわかんねえ」

「…では別れたくないと駄々を捏ねればいいか」

「え?」

「駄々を捏ねて君が考え直すならいくらでも駄々を捏ねよう。でもそうではないだろう。ならそんな醜態を晒す前に自分を納得させようとしているだけだ。私だってわからない。ただこう言ってやるのが一番だということはわかっている」

工藤の声には微かに怒気が混じっていて、悔しそうに顔を歪めている。そんな表情は今まで見たことはなく、胸を思い切り裂かれたように痛かった。

「でもさ…」

なにを言おうというのだろう。自分はなにも言える立場ではない。
最後まで子どもだからという理由で親鳥の羽根に包まれ、守られている。彼を傷つけている今でさえ。
誰だって胸は痛いし傷もつく。工藤だって。
冷静に判断し、言葉を選んでいるから相手に悟らせないようにしているが、辛いものは辛いのだろう。最後の最後まで俺を大事にして、やっぱりこいつは馬鹿だ。
思い切りぶん殴りたいような、泣いてごめんと謝りたいような、どの感情とも違うものでいっぱいになる。
自分はいつの間に簡単に人を傷つけてへらへらと笑っていられる人間になったのだろう。
今まで散々気付かぬところで彼の心をぐしゃりと握り潰していたのではないか。卵の殻を片手で握り潰す手軽さと同じように。

「…話しは終わったな。そろそろ帰った方がいい。電車がなくなったら困るだろう」

ろくに工藤に謝れないまま帰りを促された。
こんな呆気なく、会話もろくに成立しないまま、なにも成し遂げられずにさようならなのか。
お互いが一方的に自分の気持ちを吐き出して、交差させる努力もなく終わり。
別れってこんなに簡単であっさりとしたものだったのか。
恋人同士ではないのだから当然かもしれない。

「車で送ってやりたいところだが…」

「いい。電車で帰れる」

「そうか。気を付けて帰るように」

立ち上がって鞄を持って気付いた。部屋に入って一度も和希と名前を呼ばれていない。
君、と他人行儀な呼び方をしていた。
自分がここに来た瞬間、彼はすべてを悟っていた。一線を引いてここからは他人同士だと感覚的にわからせた。
立ち尽くしそうになり、慌てて玄関へ向かった。
靴を履いて一度振り返る。工藤の眼鏡の奥の瞳はいつものビー玉に戻っていた。

「…今まで…。色々ありがとう。悪かった…」

自分の精一杯だった。

「ああ。私も楽しい時間を過ごせた。元気で」

頷き、玄関のレバーに手をかけた。
本当にこれで終わり?明日から工藤と出逢う前に戻れるのか。本当にしつこいメールも電話もこなくなるのか。
望んでいたはずなのに手放しに喜べないのはなぜだろう。
吹っ切るように扉を開けた。もう振り返らないし、工藤も引き留めない。
ぱたりと扉が閉まる音がした。扉一枚隔てただけなのに、自分と工藤は果てしなく遠くなった。なんの繋がりもない、正真正銘赤の他人。
家族ならそうはいかないが、友人や恋人の縁が切れたら呆気ないものだ。
この先どこでも擦れ違わないし、交わることもない。
他人というのはそういう意味で、人間関係はとても薄情だと思い知った。

帰りの電車を乗り継ぎながらぼんやりとした。
二日間悩んでいた問題が綺麗に解決した。修羅場もなく、こちらは傷も負わず、すべて工藤が背負う形で。
最後の最後に彼の本心や思考をぶつけられた。虚勢や悪態をつく隙間もない無防備な状態で見せられるにはひどく切ないものだった。
大人には大人の事情とか、体裁とか、そういった面倒なものがあるのだろう。
まだよくわからないが、最後怒ったような工藤の言葉を何度も何度も思い出した。
高校生相手では自分が大人にならなければと工藤も言い聞かせたのかもしれない。
もしも年齢が同じ位なら必死に泣いて止めたかもしれない。
そもそも年齢が同じなら、責任を感じる必要もないし、こんな関係にはなっていなかったか。
このタイミングで工藤に出逢ったことに意味があるのだろうか。
もっと大人になればいい経験だった、なんて思えるのだろうか。そのとき工藤はどうしているのだろう。

次から次に浮かんでくる疑問は消化できずに蓄積される。
終わったのに釈然としない。消化不良をおこしそうだが、別れなのだから当たり前か。すっきり、さっぱりした別れなんてないのだろう。

部屋に戻るとなんだか空っぽすぎて泣きたくなった。
悲しくないし、辛くないのに。工藤なんてこれっぽっちも好きじゃない。恋愛対象になんて一瞬でも入らない。
ただ、自分を守ろうと必死な背中は好きだった。とても安心感があった。
もっと小さい子ども時代は親に対してこんな感じだったのだろうなと思った。
工藤を傷つけてまで自分が守ろうとしたものとか、プライドとか、一体なんのためにあったのだろう。
自分は悪くない、自分は悪くないと逃げていたが、相手にそうだね、悪くないよと言われると急ブレーキを踏みたくなる。
客観的に物事を見ようかな、自分も悪かったかな、改心した頃にはもう遅い。

ソファにどさりと座ってあ、と声を出した。
大事なことを忘れていた。最初からお前のことは好きじゃなかった、その場凌ぎで嘘をついたと言い忘れた。
あんな状態の工藤に更に追い打ちだが、軽い気持ちで振り回して、期待をさせて申し訳なかったと謝りたかった。
今となってはもう気楽に話せる関係じゃないし、彼にとってもどうでもいいことだろうが。
もしかしたら既に気付いているかもしれない。知らぬふりをしているようで、すべてわかっているのかも。
人生経験が違う。大人は子どもの嘘がすぐにわかる。
けど、自分が言わなかったから改めて掘り返さなかっただけだったのかも。
天井に向かってあー、と無意味な声を出した。
無様な終わり方だ。男らしくない。彼女なんて一生作る資格なし。クソったれ。
一通り自分を罵り、そのままずるずると身体を移動させてごろんと横になった。
鳴らない携帯を上着から出してテーブルの上に投げる。
携帯が鳴らないとこんなに静かなものなんだ。
工藤は二度と自分に連絡をしない。平穏な生活が戻ってくる。
雑踏が恋しいなんておかしいので、慣れた習慣のせいだと思い直して瞳を閉じた。

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