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日曜日は一切外に出ず、ベッドの中で過ごした。
携帯はリビングに放置しているので誰からの連絡にも出ず、一人で毛布に包まりながらたくさん考えごとをした。
仕舞には知恵熱が出そうで頭の中がぼうっと霞んだ。
これ以上頭を働かせるのは無理と判断し、早々に眠った。
月曜日は学校をサボった。身体が重くて起きられなかった。腹は減るので部屋にあった物を適当に食べ、夜になって漸く携帯を開いた。
工藤から数件のメールと着信が入っていた。
毎日毎日、くだらないメールばかりを寄越しやがって。
いつもならば苛立って携帯をぶん投げるところだが、今日はそんな気分にはならなかった。
こんな風に彼からメールが来るのも今日までだろう。
二日間考えて決めた。明日工藤と話す。もうこれ以上この関係は続けられないと。
全面的に自分が悪い。ストーカーされたり拉致されたり散々な思い出の方が多いが、すべては自分のついた嘘のせいで、今思えば自業自得だ。
彼は彼なりに気遣って優しさを与えようとしてくれた。
多忙を極めながらも美味しい夕飯を食べさせてくれたり、贅沢をさせようとしたり。
喜んでほしいとか、笑ってほしいとか、単純な理由で頑張っていたらしい。
その方向性が間違っていて、俺を怒らせて終わることも多かったけど。
麗子さんにももう会えなくなってしまう。なにが一番残念かというとそれだ。
折角仲良くなれたのに。最初は警戒されまくったが最後は懐いてくれた。
短い間のつきあいだったのに思い出は山ほどあって、それが不思議だった。
しかも記憶力がないくせに工藤とのことは昨日のように覚えている。
主に腹が立ったことだけど。それほど強烈だったのだろう。
携帯を枕元に投げ捨ててがしがしと頭を掻いた。
相手が工藤であっても人を傷つける瞬間は自分も同じくらいダメージを喰らうと思う。
明日を思うと憂鬱になるが先延ばしにしただけ心に錘が圧し掛かる。
溜め息を吐いて布団をすっぽり被った。

翌日一通りの授業を受けそのまま駅へ向かった。
工藤にはなんの連絡もしていない。会いに行くなんて言ったら変に期待をさせてしまう。
持ち上げて天からふり落とされたら余計に傷つくからだ。
職場のビルに行こうか、自宅に行こうか迷ったが自宅を選んだ。
会社の前で話す内容じゃないし、喫茶店や人目がある場所も避けたい。
自宅なら近くに些細な公園もある。
工藤が何時に帰宅するのかわからないが数時間待つくらいなんてことない。
工藤はいつも自分を待っていた。何時間でも。だから今日くらいは自分がその立場になっても構わないと思った。

工藤のマンションの最寄駅まで来たはいいが、そういえば電車で来たことはなかったと気付いた。
何口に出るんだっけ。どういう道順だっけ。
呆然と駅構内で立ちすくみ、携帯で地図を見たがちんぷんかんぷんだ。
工藤に連絡するわけにもいかず、交番に駆け込んだ。
警察なんて大嫌いで、悪いことをしていないのに身構えてしまったが、意外にも交番勤務のお兄さんは優しかった。
地方の高校生と思われたのだろう。実際東城はド田舎にあるから否定はしない。
紙切れに地図を書いてもらい、それの通りに進んだ。
次第に麗子さんを散歩していた道を見つけ、そこからは地図を見ずとも進めた。
マンションの前までつき、ここからは工藤が来るまで待機だ。
食糧や飲み物は途中コンビニで購入したし、寒さに震える季節でもない。退屈を除けば簡単なことだ。
できれば部屋の中で麗子さんと遊びながら待ちたいものだが仕方がない。
平日は死ぬほど働いていると言っていたのできっと帰りは随分遅くなるだろう。
覚悟を決めて柱に背中を預けた。
携帯でゲームをしたり、たまっていたメールに返事を返したり。
そんな風に暇を潰しているとあっという間に電池がなくなった。
充電器は持っていないので、ここから先は地獄の時間だ。
途中、マンションの住人らしき人が何人も横を通り過ぎて行く。
皆訝しげな視線をこちらに向け、中にはなにか困っているのかと声をかけてくれた女性もいた。
人を待っていると告げ、礼を言った。怪しい者ではないんですと慌てるあまり、更に怪しくなったかもしれない。
携帯がつかないので時間の確認ができない。腕時計くらいつけてくればよかった。
外の暗さでは何時かわからないが八時は過ぎただろう。
それからもぼんやりと待ち続けたが、ついに耐えきれなくなり充電器を買いに行こうと足を踏み出した。そのとき向こう側から車のヘッドライトが近付いてきて、期待を込めてそちらに視線を移す。
暗がりの中では車種がわからない。
扉を開けて、閉める音。響く革靴の音。なんとなく工藤だと思った。
予想通り、こちらに疲れた顔で近付いてきたのは工藤だった。
俺の姿を見つけるとおもしろいほど驚いた顔をして、駆け足で近寄ってきた。

「どうした」

「遅えよ」

勝手に押しかけておいてひどい言い草だ。けれど工藤は律儀に悪かったと謝った。
相変わらず冗談が通じない人間だ。

「なにかあったか?私の家を訪ねるほどのことでも…」

「まあ」

「そうか…。一先、部屋へ行こう」

背中をとんと押されて促されたが、部屋へ入っていいものか悩んだ。
でもマンションの前で話して会話が住人に筒抜けになって、あの部屋の弁護士さん男子高校生と痴話喧嘩してたわよ。真面目そうなのになにしてるかわからないものね。怖いわ。なんてマンション中の噂になったら申し訳ないので大人しくついて行った。

「寒かっただろう。腹は減ってないか?」

「適当に食いながら待ってたから」

「連絡をくれればすぐに帰ってきたのだが」

「いいよ。仕事中だしそんなに待ってねえし」

開錠して扉を僅かに開ける。中から小さく、軽い足音がこちらに近付いてくる。
久しぶりの麗子さんの気配にささくれ立った心がじんわりと解された。

「麗子さん、ただいま」

工藤が一撫でして、彼の後ろから顔を出すと麗子さんと視線が合った。
その瞬間尻尾が切れて飛んで行ってしまいそうなほどぶんぶんと左右に振って、抱っこをしろと前足を上げて空を切った。

「麗子さーん。久しぶり」

小さな身体を持ち上げれば顔中舐められる。熱烈な歓迎だ。

「わかった。わかったから」

宥めながらリビングへ向かった。これからというときに、こんな癒されていいのだろうか。しかし麗子さんと会えるのも最後なので思い切り可愛がりたい。
工藤はスーツの上着をソファの背凭れにばさっと投げ捨て、ネクタイを緩めた。
ふう、と溜息を吐いた顔は疲労でいっぱいだった。
疲れているときにする話しではなかったかもしれない。せめて週末まで待てばよかっただろうか。学生は平日も週末も然程変わらないが社会人ではそうはいかないらしい。
工藤は大人だし、自分は子どもだ。やはりいる場所が遠く離れている。

「なにか飲むか?」

「いい。あんた疲れてるみたいだし、すぐ帰る」

「そんなことはない。君の顔を見れば疲れはとれるんだ」

馬鹿正直な甘い言葉は刃のように鋭く刺さる。まさか別れ話など予想もしていないだろう。

「話しを聞こう」

麗子さんを膝に乗せてソファに座ると工藤が隣に腰を下ろした。
俯く俺の顔を覗き込むように、けれども急かしてはこない。
早く終わらせよう。疲れているのだろうし、こんなくだらないことに付き合わせるのは悪い。
なのに何と切り出せばいいのかわからない。
段階を踏んで説明をするべきか、単刀直入に言うべきか。経験が浅すぎて正解がわからない。

「…ゆっくりでいいから話してみてくれ」

本当かよ。呆れながら思った。こちらの言葉は一切聞いてくれなかったくせに。
優しくされて罪悪感が限界だった。身体中ぎゅうぎゅうになったそれは今にもはち切れそうだ。

「…悪いんだけど…」

やっとのことで引きつった声を出した。工藤の顔は見れない。

「…終わりにしたい」

「…何をだ」

低音のどこまでも透るような声。優しくじんわりと響くそれだけは嫌いじゃなかった。だけど今は聞きたくない。
早くこの場から立ち去りたい。すべてを終わらせよう。

「俺たちの関係。終わらせたい」

一語一語、はっきりと音にした。
工藤からはなんの返事もなく、ちらりと上目で窺うと驚いた様子もなく真っ直ぐにこちらを見ていた。ショックで固まってしまったのだろうか。

「…あの、工藤…?」

「聞いている」

工藤は小さく息を吐き、脱力するようにソファの背凭れに体重をかけた。宙に視線を固定させて何か考えているようだ。
はち切れそうだった罪悪感は、一瞬空気の抜けた風船のように萎んで、またみるみるうちに膨らんでいく。限界はないらしい。

「……そうか…。わかった」

工藤の口から出た言葉にこちらが驚愕した。
こんなあっさり終わるとは予想していなかった。嫌だ、なぜだと問い質されるのだろうと。正直に話して中年を弄びやがってと詰られる覚悟もしていた。
拍子抜けしてぽかんと口を開けてしまった。

「…わかった、って…」

「君の言いたいことはわかっているつもりだ。その通りにしよう」

きっぱりと冷静に言われ、大人の対応だと思った。
もしかしたら彼はそれほど自分を好きではなかったのかもしれない。若者と接するのが楽しかっただけで、誰でもよかったのかも。
手を出してしまった責任感から好きにならなければと呪文を唱え続けて錯覚しただけで、彼もその呪縛から解放されたかったのかも。
只管に自分だけを想っているのだと疑わなかったが、驕りだっただろうか。
子どもだからそこら辺の駆け引きはよくわからない。言葉や態度が真実ではないのに。

「…そ、っか。いや、なんて言うか…。ありがたいけどもっと引き留められるかと思ったからびっくりした…。なんか、好きだって言われ続けて調子乗ってたわ。俺、そんないい男でもないし高校生のガキなのに、勘違いして恥ずかしいわ…」

動揺しすぎて余計なことを言ってしまった。

「なにか誤解を――」

「俺、帰るわ」

工藤の口からお前なんて遊びなのに、なに本気になってんの?と言われる気がして、遮るように立ち上がった。
工藤を傷つけてしまうだろうと覚悟していたのに、こちらが傷ついて逃げようとしているなんておかしな話しだ。

「待て。勘違いをされるのも嫌だから私の話しを聞いてくれ」

腕をぐっと引かれ、座るように促された。立ち上がった拍子にラグに転がってしまった麗子さんは恨めしそうに自分のベッドで丸くなった。
足掻いても仕方がないし、最後だから大人しく工藤に従った。
俯いて膝の上の手ばかりを眺める。

「私は本気で君が好きだった。そこは信じてもらいたい。ただ、こうなるだろうと予想もしていた。土曜日、君が女の子と一緒にいるのを見た。勿論偶然だ。君に会いに向かっている途中だった」

工藤の言葉に驚いて咄嗟に顔を上げた。工藤は真摯な瞳と表情で、嘘ではないのだとわかる。
呆然と顔を眺めていると工藤は諦めに似た溜息を吐き出して続けた。

「とても自然だった。高校生とはこうあるべきなのだと漸く理解した。頭ではわかっていたつもりだったが、実際に見るとすとんと納得した。悔しいとか、嫉妬とか、そういう感情も湧かないくらい。君の表情も今まで私が見てきた中で一番素敵だった」

そこで一旦言葉を区切り、工藤は眉間を指で摘んだ。

「だから、わかっていた。君がこう言うのだろうと。わかっていて知らないふりをした。土曜日の夜も。もしかしたら私の勘違いで、君はこのまま私といてくれるかもしれないと、現実を見ないようにしていた。ずるい大人だろ?」

問われてゆっくり首を左右に振った。
苦しめているのは自分で、工藤はなにも悪くないはずなのに、彼は自分自身を責めているようだった。変なの。大人はたまに変だ。物事を拗らせて考える。ぐちゃぐちゃになった答えは真実から遠いものも多い。今回もそうだ。悪いのは俺一人だけなのに。

「私から切り出せば君も話しやすかっただろう。君を悩ませて、こんな場所まで来て待ちぼうけをさせて。君に負担を掛けぬよう、大人である私が引導を渡すべきだった。申し訳ないことをした」

苦々しい顔をされ、ぽっかりと頭が真っ白になった。
工藤がなにを言っているのか理解できない。どうして傷つけられた彼が謝るのだろう。
やはりこんなのは変だ。もっと責められたり、一発殴られたりすれば自分も楽になれるのに、これじゃあ余計に引き摺ってしまう。

「…俺が悪いと思うんだけど。なんであんたが謝んの?おかしいだろ…」

声が震えてしまった。工藤との別れなんて微塵も寂しくないのに何故か泣きそうになる。



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